魔法使いとの出会い
まだ昼だというのに陽の光が一切届かない薄暗い森のその奥深く。
そこに魔法使いが住んでいるらしい。
噂では偏屈なお爺さんだとか、妖艶な美女だとかはたまた美少年の姿だとか、魔法使いを目にしたという者が口にする姿はバラバラだ。
本当にこの森に住んでいるのかどうかも正直怪しい。
それでも私は一縷の望みに賭けて、ひとりこの森に足を踏み入れたのだがーー
「え、嘘。迷ったかも。うーわ。コンパスも狂ってるわ」
手元のコンパスの針はぐるぐると回り続けて、現在どの方向を向いているのかも全くわからなくなってしまった。
「このまま野宿かもなぁ」
すでに森の中心部には来ているだろう。
元来た道を戻ることも難しいならこのまま行くしかないのだ。
ため息混じりに草を踏み分けて、薄暗い森をさらに奥へと足を進める。
どのくらい歩いただろうか。
流れ落ちる汗を拭うのも面倒だ。
時間の感覚も無くなって足にも疲労が出始めた頃。
「こんにちは。お嬢さん、こんな所で何してるんですか?」
突然、私の背に柔らかな声がかけられた。
「ひぃっ!?」
こんなところに人がいるわけない。
幽霊か魔物かと恐る恐る振り返る。
そこには全身を真っ黒なローブで隠した明らかに怪しい長身の男が立っていた。
目深に被ったフードで口元しか見えないことがさらに警戒心を強くさせた。
「ああ、驚かせてしまいましたね。ごめんなさい」
「ひ、ひと……?」
「はい、人です。ちゃんと生きてますよ。ほら」
怯えて警戒する私を安心させるようにローブの裾を捲って足があるのを見せてくる。
もしかすると魔法使いかもしれないと考えつつも警戒は解かずに固い声で問いかける。
「あなたは誰、ですか? なんでこんな所に?」
「この近くに住んでるんです。お嬢さんこそ、この森は地元の人なら入らないはずですけどどうされました?」
「あの、私……魔法使いに会いに来たんです」
「魔法使いに? なんでまた」
心底不思議そうな声だった。
「ちょっと込み入った内容なので……すみません。あの、この近くにお住まいなのでしたら、魔法使いの家をご存知ないですか?」
「えーと、僕がお尋ねの魔法使いなんですけど。このローブとか魔法使いっぽくなかったですか?」
苦笑いを浮かべてローブの端を持って広げてみせる魔法使いに慌てて深く頭を下げる。
「すみません! もしかしてそうかなーって思いながらもなんか喋り方が普通の人っぽかったので……その、失礼かもしれないですけどイメージしてた姿と違ったって言うか」
王城にいる魔法使い達は、退廃的な生活をされてたり、話が通じない傍若無人な集団だと聞いていて、正直あまり良い印象がなかった。
だからこそ目の前の魔法使いがあまりに平凡で穏やかな空気を纏っているので確信が持てなかったのだ。
「あー、それは期待を裏切ってしまったようですみません」
「い、いえ! むしろイメージと違ってよかったです! こちらこそ失礼なことを言ってしまいすみません!」
「お気になさらず。それでどうしました? 僕はへっぽこ魔法使いなのであなたの願いを叶えることはできないと思いますけど」
「へっぽこ?」
「あれ? 噂をご存知ない?」
首を傾げてから、こくりと小さく頷く。
「まともな魔法がほとんど使えない、王家からも見放された役立たずなへっぽこ魔法使い。それが僕です」
そう言って、まるで貴族のような美しい礼をした。
「そ、そんな……魔法が使えない……?」
「まともな魔法は、です」
それならまだ希望はある!
「じゃあ何の魔法なら使えるんですか!?」
「え、それ聞いちゃいます? まあ聞きますよねー。ええと、まあ見せた方が早いですね」
手を軽く振ると私の体がキラキラした光に包まれた。
「えっ、えっ……な、何したんですか?」
「んー、ちょっとそのまま待っててくれます?」
「猫? リスにうさぎも!? か、かわいい〜っ」
擦り寄ってくる小動物達を撫でくりまわす。野生のため少々ごわついた手触りかと思ったが、意外にもふわふわと毛並みは良い。
「気持ちいい……」
動物に囲まれた私を気遣ってか、5mほど離れた場所に立っている魔法使いが声を張って問いかけてくる。
「お気に召しましたー?」
それに「はい」と返事する声は地響きに掻き消された。
慌ててそちらに目を向けると狼に鹿に猪に、と沢山の動物たちが一斉に私を目掛けてくる。
「っきゃああああっ!! なになになになになにこれぇぇぇ!?」
「動物に異常なくらい好かれる魔法です」
私から距離をとっていたのはこのためか!?
瞬く間に視界は動物達に埋め尽くされていく。
すぐ足元で頭を撫でてもらおうと首を垂れる狼に怯えながらもそっと触れると、次々と頭を差し出されて順繰りに撫でていく。その数に恐怖を感じた。
「ま、魔法使いさん、助けて……」
震える手を伸ばして助けを求める。
私が喜んでいると思っているのか、にこにこと口元に笑みを浮かべた彼は手をひらひらと振り返してきた。
違う! そうじゃない!
たくさんの動物に囲まれても、襲い掛かってもこないし決して怪我することもなさそうだ。
大人しく私にお腹を見せたり擦り寄ってくるだけにとどまっている。
実用的ではないが、素直にすごい魔法だと思った。
少ししてから彼がまた手を軽く振ると動物たちは波が引くように私から離れて森の中に姿を消していった。
それを見送ると、魔法使いに近付き抗議する。
「なんってことするんですか……!」
「え、かわいくないですか? なんか切羽詰まってる顔してたので癒されてもらおうと思ったんですけど」
「さすがにあの数は怖いです!」
「あはは、ごめんなさい」
軽い。軽すぎる。
全くこれっぽっちも謝罪の気持ちがこもっていない!
「あと使える魔法はですねー。いつでも星空が見れる魔法とか、なんとなく眠気を誘う魔法。ほんのちょっと気分が上がる魔法とか、そんな感じです。自分で言うのもなんですけど中途半端なんですよね」
いや本当に。
思わず大きく頷いた。
「初級魔法は使えるのですが、それ以外となるとからっきしでしてね。ーーさて、お嬢さんはこんな僕に何を頼むって言うんですか?」
「あ、あの……」
「お役に立たなくてすみません。森の入り口までは送りますよ」
もう話は終わりだと言うように私を帰そうと背中をそっと押してくるのを足に力を込めて抵抗する。
「嫌です! もう頼みの綱は外れに住む魔法使いだけだと思って来たんです!」
「あ、それ"外れに住む"じゃなくて"ハズレ"の魔法使いですよ」
「笑って言う事じゃありません! そんなこと言われて悔しくないんですか!」
「いやぁ、もう何年もそう呼ばれるとなにも思いませんよ」
「っ、私はあなたしか頼れる人はいないんです。見捨てないでくださいっ、お願いします! 話だけでも聞いてくださいっ!」
必死に頭を下げて頼み込むと元々押しに弱いのか小さくため息が聞こえた。
「わかりました。頭を上げてください。……まあ、とりあえずお話だけは聞きます。僕の家に案内しますね。付いてきてください」
「あ、ありがとうございますっ!」
涙を浮かべて繰り返し感謝を伝えて後を追う。
先導するために前に立つ彼が浮かべていた意味ありげな笑みに私が気づくことはなかった。