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第三章:ここで逃げるは男の恥じ!(中身は女ですけど……)

 招かれたユリム家の屋敷内と同等か、それ以上に暗く感じる街の路地。それもかなり奥で人の通りもなければ気配もなく、空気がどこか涼しくて肌寒い。

 ついさっきまでは月明りが照らしていたのに、聳えるレンガ造りの建物がそれを遮る。


「えっほ、えっほ」

「あ~だるぅ~」

「ガンバ、ガンバ」


 だけどそれも、全身をこねくり回すように右へ左と。三半規管が狂ってしまいそうなほど上下に、リズム感もなく揺さぶられては全身が微かに熱を帯びてくる。

 その原因であるサンとアビ。

 両手足を掴まれ、雑に運ばれていた。

 並走するレオンは応援するだけで、二人に一切手を貸そうとしない。

 ……私、どこに運ばれてるんだろう。

 騒がれることを防ぐため口には猿ぐつわをされ、動かせるのは頭部だけ。しきりに周囲を見回すも、夜という時間だけあって暗くてわからない。


「ん!!」

「あ、すいやせん」

「なにやってんだよ」

「お~気をつけろ~」


 左脇腹に走った衝撃に悲鳴をあげると、サンは申し訳なさそうに謝ってくる。だけど先頭を歩くアビは気にせず、レオンは覇気なく注意するだけ。

 どうやら曲がった際にぶつかったようだが、かなり痛かった。

 それを確認する間でもなく再び動きだし、速度が徐々に遅くなっていく。


「ひぃ~重労働」

「んっ!!」

「おいアビ、もう少しそっと降ろせ」

「いや無理、腕辛い」

「うむ、ご苦労だった」

「んっ!? んん!!」


 次いで襲ってきた腰を強かに地面へと打ちつけられ、留めの腹部へ襲いかかってくる柔らかな重み。

 なに、何なのこの対応差は!?

 そっと手放してくれたサンは丁寧だったが、アビはすぐさま過ぎて受け身すら取らせてもらえない。元もと身体の自由は効かなかったけど……。レオンに限っては、お腹の上が特等席なのかな?

 ようやく自由に動く腕を伸ばし、口もとを塞ぐ猿ぐつわを下にずらす。


「おいおい、何があったんだよ」

「だ、旦那。いったん落ち着いてください」

「落ち着けるか!」


 一仕事終えた感で両肩を回すアビは、盛大なため息を吐く。


「何があったかは、ループスが一番知ってるだろ」

「そぉ~そぉ~」


 眉間に皺を寄せるアビは一人掛けのソファに腰かけ、レオンは鼻先に人差し指を突きつけてくる。

 どうやら運ばれたのは、謎の集会をした場所だった。

 そこにはメリーもいて目が合ったので、片手をあげて挨拶をする。


「いい加減、旦那の上から降りろ!」

「むぐぅ!?」

「あったらないよぉ~」


 拳を握ったサンはレオンの頭部を狙ったのだろうが、それを察していたかのように軽々と飛んで避ける。虚しくも拳は空を切るも、レオンの飛んだ衝撃は容赦なく腹部を襲った。

 く、口で注意すればいいだけなのでは……? 暴力は……良くない……。


「だ、旦那!?」


 遠くなるサンの叫び声だったが、辛うじて意識を保つ。

 元よりレオンには降りてと頼む機会を窺っていた。まさか、こんな目に遭うとは……。

 軽く咳きこみながら上体を起こし、私を含めた五人しかいないことに気づく。


「他のみんなは?」

「さすがに招集はかけてません。ただ――」

「ある程度の噂は耳にしてる」

「ルーっち、やっぱり大人の女には飽きた? やっぱり興味でてきたけぇ~?」

「……?」


 似た会話を昼間にもしたはずで、一つの結論がでている。

 確認をとるようにサンへと視線を向けると、肩を竦めて鼻で笑うだけだった。


「ル、ループス。これを」

「おう」


 そんな中、おずおずといった様子でメリーが一枚の紙を手渡してきた。

 私って、こっちの文字読めるのか?

 一切に疑問を抱いてこなかったが、今さらになって眉根を寄せて視線を手もとに落とす。

 そこには――、


『指名手配書

 罪人:ループス

 罪状:巡回中の兵への暴行 

    国王に対する反抗的な意志

 みつけだし、連れてきた者には報酬を支払う

     王国騎士団ミールナ・D・グレイス』


 という、手書きの人相まで添えられたモノだった。

 ……はい? これはいったい、どうしてだ?

 あの領民の群衆は、私のとった行動をそう捉えるだろうか。

 どこからどうみても人助けで、相手はディストラー領地を治める領主のソフィリアだ。巡回中と記載はあるが、明らかに素面じゃなかった。暴行に関しては事実、領民思いの領主を守った自衛だと主張したい。

 だけど、国王に対する反抗的な意志とはなんだ?


「で、つきだす?」

「なんでそうなるんだよ!?」


 アビの、一切の躊躇ない問いかけ。これまで仲間として行動を共にし、領民を守るために兵士たちと陰ながら戦ってきたはずだ。被害に遭ったのが知り合いであれば怒りの感情を露わに、それでいて寄り添ってあげる優しさを持つ女性だと思っていた。

 血も涙もなさすぎる。


「旦那、さすがの俺も擁護ができません」

「……み、見捨てるのか?」


 現場を目の当たりに、隣で必死に我慢を強いてきた。口ぶりや雰囲気からループスのことを慕っていて、付き合いもかなり長いととれる。

 何よりも見捨てたこの先、ここにはいない仲間たちを誰が率いていく。


「たとえ咎人になっても、ルーっちの雄姿は忘れないよ」

「みてないよな!?」

「詳細は、サンから聞いてまとめてあります」


 嬉しくもなければ、誰一人として庇ってくれない。


「だからといってこの根城に引きこもろうにも、仲間たちがどう考えているか。それにループスの旦那は領民に顔が知れ渡ってますし、いつまでも領地に留まるのは難しいですよ」

「それは……そうだけど……」


 だけどソフィリアとの約束がある。

 この領地から派兵どもを追いだす。そして平穏な生活をこのディストラー領地で、仲間たちと過ごすのだ。

 そんな淡い希望すら抱けないとなると、どうしようもない。

 さすがのサンも妙案を思いつかないのか黙り込み、辺りの空気が重くなっていく。


「だからやっぱ、ループスをつきだして報酬を得る。それくらいあればしばらくの生活や活動資金になるし、誰も損しない。……そうだろ?」

「俺の命はどうなるの?」


 一向に考えを変えようとしないアビに、恐る恐るその後の展開を訪ねる。


「大丈夫、すぐには刑が執行されない」

「それは困る。……ソフィリア、領主と協力したんだ」


 全員の視線が一斉に向く。

 どれもが疑問と困惑の色を宿らせつつも、しっかりと耳を傾けてくれる。


「この領地からアイツらを、我が物顔で好き勝手する兵士どもを追いだす。そう、いってたんだ」


 言葉を借りて私なりの脚色を濃くしたけど、サンたちからすればループスが口にしたことになる。


「「「「……」」」」


 頭の中が真っ白になって、気づいたら身体が勝手に動いて殴り飛ばしていた。

 ソフィリアは嬉しそうに笑みを浮かべていたが、サンたちからすれば呆れるほど馬鹿な行動だったのだろう。

 不思議な間が生まれるも、息苦しいとは感じない沈黙。


「あの領主さま、見た目の割にやるじゃん」


 開口一番の切ったのはアビだった。

 どこかニルヴァさんを連想させる笑みで、蜜色の双眸を爛々とさせている。

 予想通りというか、血の気が多くて笑えてしまう反応。


「むむ、ルーっちがりょーしゅにこーかんを持ってる」

「そ、そんなことはないと思うよ?」


 ぷっくりと小さな頬を膨らませるレオンに、メリーは落ち着かない様子でフォローする。

 好意じゃなくて共感の方ね。

 十歳という年齢と思えない見た目に隠れた強かさを知れば、レオンの敵対心はおそらく消え去るだろうし、今後を考えると仲良くしてもらいたい。


「それは、事実ですか」


 真摯な深緑の双眸が見据えてくる。

 だから一切の説明を今は省き、短く息を吐いて肩を落とす。


「ソフィリアは協力者を求めていた。だから俺はその話に乗ったが……間違いだったか?」


 ここで首を縦に振られたら、おそらく私は兵士どもに引き渡される気がした。

 だけどそんなは杞憂に終わる。


「ループスの旦那が決めたことで、何ら間違いだとは疑いません。俺たちはただ、ついていくだけです」


 何とも心強い後押しに、自然と口角がニヤついてしまう。

 もしかしたらあの時、ソフィリアもこんな気持ちだったのだろうか。


「グズだけどな」

「おめーへんじょー」

「が、頑張りましょう」


 アビとレオンは素直に頷けないのか?


「メリーはいいヤツだな」

「「ツラかせ(ぇ~)!」」


 ギロリと眼光鋭く睨まれるも、目もとを手の甲で覆って泣き真似をしながらメリーの肩に手を置いた。

 どーしてこの二人って変なところで息ピッタリなんだろう。

 首根っこをアビに引きずられ、レオンからは執拗に脛を蹴られ続ける。


「時間も遅い、あんまり騒ぐなよ」

「サン、このことを報告してきます」

「あ、止めてくれないのね」


 建物の外へと手荒く連れられ、不自然に足場のいい空間にでた。

 表は足もとが凸凹で、中は人為的に補強された廃墟。……じゃあここは?

 天井が吹き抜けで夜空が綺麗にみえるも、残念なことに月は雲に隠れてしまっている。


「んだ、余裕そうじゃねぇか」

「アビ、ダメ。順番」

「ああ?」


 睨み合うアビとレオンの光景はこれで何度目か。何やら揉めている傍ら、私は周囲を見回した。

 綺麗な円を描くここは、それを囲うように瓦礫があちこちと見受けられる。

 まるで観覧するスペースのようで、中央の円をみることができそうだ。


「アビ、お先」


 露骨に舌打ちするアビを挑発するように、レオンは鼻歌交じりの軽い足取りで近づいてくる。

 その姿は年相応に可愛く映ったが、一瞬にして視界から消えた。


「ガラ空き、だよ?」

「っ!?」


 距離にしてそれほどない間合いを詰め、懐に飛び込まれた。

 どこか気だるげなレオンの印象とは裏腹に、小柄の身体を空中で丸めて素早い蹴りを放ってくる。

 声が耳に届いてからの反応だったが、どうにか一撃を浴びずに済んだ。


「な、何すんだよ!?」

「……よくやってるじゃん」

「はぁ?」


 まったく意味が理解できず、辛うじて防いだ右掌が痛みを訴えてくる。

 だけどレオンはそんなことお構いなしに、地面を軽いリズムとステップを踏み始めた。

 単調なリズムを刻んだかと思えば不規則へと変わり、元通りになっていく。それを繰り返され、次の一撃が来るタイミングが掴めない。

 そんなことよりも、私の頭はパニック状態だった。

 それでも身体が覚えている。

 来る!?

 右に踏み込んだかと思えば左へと素早く跳躍し、レオンの姿がブレた。

 ただやっぱり、この身体が積み重ねてきたモノがある。目を見張る動作に驚きながらも顔をあげ、全身を回転させた蹴りが顔面を狙う。

 それを右腕で受け流し、レオンの首根っこに手を伸ばした。


「ダメだった」

「いや、何が?」


 肩を落としてへたり込むレオンにツッコミを入れるも、聴く耳を持ってもらえない。


「ほら、さっさと退きやがれ」

「うるさい」


 気づくとアビが、不自然に描かれた円の縁ギリギリに立っている。

 ……いやいやいや、嘘だろ?

 拗ねた子供のようにそっぽを向くレオンは立ちあがり、アビを睨みつけながら円の内側からでてしまった。


「うっ――」

「お前ら! 旦那は今、記憶がない状態だぞ!!」


 威勢のいいアビのかけ声に、サンの叫びが重なった。

 その返事を鈍くて重い、空気が震える衝撃を放った拳が答える。


「へぇ~今日は受けてくれるのか」

「ど、どうかな」

「おい、レオン! アビを止めろ!!」

「サン、もう無理だと」

「そぉ~そぉ~」


 遅れてメリーも駆け込んできたが、すでにレオンとの一戦が終わったばかりだった。

 み、右手くっついてるよね!?

 レオンとは比べものにならない一撃に、チラリと右手を確認していた。


「オラオラ、反撃してこねぇのかぁ!!」

「出来るか!!」


 いくらループスがそうだったとはいえ、中身は私だ。喧嘩すらしたことないし、さっきの一撃で今にも泣きたくてしょうがないでいる。

 風切り音が耳を掠める中、最小の動きでただ交わし続けた。

 いかにも身の危険しか感じない拳の一撃を休まず、疲れ知らずのように連撃を繰り返すアビは生き生きとしている。


「おらぁあ!!」

「ふっん!?」


 完璧に拳だけによる肉弾戦を疑わなかった。

 脚ぃ!?

 さっきのレオンも小柄な体格を生かしたフットワークの軽さに重点を置き、脚技での攻撃ばかりだった。

 だからでもないが、アビも拳が自慢だと錯覚していた隙だ。

 容赦ない膝が懐に入る手前、両掌を重ねて衝撃を腕に伝わせて後ろ逃がした。


「これでしばらく、両腕つかえないだろ?」

「はは、確かにそうだな」


 余裕を繕った強気で笑ってみせたが、それがアビの狙いだったのだろう。右手はもう感覚無く、左手も痺れて握れない。両腕も開幕に受けた一撃と同様、くっついて肩から外れていないのが不思議だった。

 ……ん? なんか、肌がピリピリしてきたぞ。

 アビの攻撃を交わすことに意識が向いていたから気づかなかった。

 よく目を凝らすとアビの周りが一瞬光、パチパチと弾ける音が聞こえてくる。


「バカ野郎! いったん落ち着け、アビ!!」

「――とだ、やっとなんだ」


 叫ぶサンの言葉は耳に届いていないようで、前傾姿勢で両腕を脱力させるアビの双眸は怪しげに輝いていた。


「やっとなんだぁ! この鬱憤をヘタレ兵士どもにぶつけられるぅ!!」

「サン、あれはダメそぉ~。逃げるよぉ~」


 逃げるほどなの!?

 もたついて転びかけるメリーを、レオンは支えたかと思うと引きずりだす。

 だから追いかけるように逃げようとしたが、バチンという放電に行く手を阻まれる。飛び散る火花に顔を顰め、アビへと視線を向けた。


「サン、お前もいったん非難しとけ!」

「ですが旦那!」


 辛うじて放電の範囲外、不自然な円の中だけが荒れ狂っていた。レオンは念のために避難をしたが、サンはその場から離れようとしないでいる。

 それは安全と踏んでなのか、私というループスの身を心配してなのかは定かじゃない。

 ただ私の直感が、レオンの行動が正しいと判断した。


「俺は何とかしてアビを止めてみる。サンには……この騒ぎの収拾を任せたい」

「それくらいはやらせて――」

「チッ」


 こんな状況で役割もなかったが、サンの忠実心に殊更困ってしまう。

 だがそんなサンへも、アビが放ち続ける放電が容赦なく襲いかかろうとする。それに気づき、咄嗟に片足の靴を脱ぎ捨てて放り蹴った。


「……そこも危険だ、逃げろサン」

「ご無事でいてください、旦那」


 丸焦げになった靴が地面に転がるのを目に、バランスが悪いためもう片方を脱ぎ捨てた。

 これで誰の助けも借りられない、か。

 私自身がそれを示唆して、若干の後悔をしながら短く息を吐く。

 まるで我を忘れたように狂い、喜びと怒りを織り交ぜて叫ぶアビと向かい合う。

 今すぐにでも逃げだしたい気持ちが半分あったが、なぜかこの状況で妙に落ち着いた余裕があった。

 なんとかできる。

 得もしない湧いてくる自信に、身体が自然と動く。

 あの時のサンは、集まった仲間を部下といった。

 だけど本当にそうなのか?

 形式上ではループスを筆頭にしているようだったが、右腕として働くサンがいる。気だるげだけど頑張り者のレオンがいて、自分の不得手を理解して行動するメリーに支えられてきた。

 誰かが傷つけば感情を剝きだしに荒れ狂うアビだって、姉貴気質として安心できる。

 それ以外にも大勢がいて、支え合いながら領民の平穏を願い動いてきた。

 そんな誰かを思いやれて動く集まりを組織、上司や部下という括りが正しいのか。


「本当に手のかかる仲間だな」


 家族ともまた異なり、血の繋がりもなければ偶然と星の下で引き寄せられた。それぞれの個性があって、各々が抱える理想は違うかもしれない。

 それでも大本を辿れば、一つに集約される。


「その力、ぶつける相手が違うんじゃないか」


 地面を軽く蹴り、一気にアビの懐へと潜り込む。

 ついさっきレオンにみせられ、驚いたけど辛うじて反応できた動き。


「おらぁ!!」


 咄嗟に私は防いだものの、アビは拳で向かい撃ってくる。

 それを身体半分逸らして交わし、首もとに手刀を落とした。


「っ!?」

「とりあえず夜も遅い、ゆっくり休もうぜ」


 糸が切れた操り人形のようにアビの全身から力が抜け、辺りに飛び交っていた放電も鳴りを潜めていく。

 そしてゆっくりと地面に膝をつかせ、一緒に横になった。

 ここでカッコよく支えられたら良かったのだろうけど、生憎と両腕の限界が近い。力いっぱい拳を振り下ろしてくれたから、アビの首もとに手が届いた。


「はぁ~疲れたぁ~」


 大の字で寝そべり、首だけを動かしてアビの様子を窺う。

 そこには規則的に息をする、口を閉じれば綺麗な女性がいた。

 ただ残念なことに、中身の私が女性なので邪な感情を抱かない。その逆で、女として負けた感は否めないほどいい身体つきだと思った。


「まぁ……寝るか……」


 こんな血の気が多い生活を送ってたら、ワイズのような女性にお世話になりたくなるよな……。リードしてくれて、二人っきりになると豹変する魅惑的な年上のお姉さん。ワイズの他にもいる口ぶりだったが、おそらくアビやレオンとは違って優しく包み込んでくれる性格なのだろう。

 一気に襲ってきた疲労と睡魔に、意識が途切れたかのように瞼を閉じた。



「……ん?」


 気づくと、薄暗い天井が視界いっぱいに広がった。隙間が酷いのか、所々から明かりが差し込んでくる。

 そっか、あのまま寝ちゃったんだ。

 どこか微睡む思考を振り払うため、上体を起こして伸びをする。


「ん、んぅ~」


 昨日の痛みが嘘だったかのように両腕はくっついていて、手も腫れのようなものはない。まるで夢だったんじゃないかと思う出来事ばかりだったけど、こうして目が覚めたのも事実だった。

 入れ替わってたりはしないようだ。

 全身をくまなく観察するも、上半身裸の男性がここにいる。確認のため頬を抓ると痛みもあり、ようやく意識がハッキリとしていく。


「ん……」

「ん?」


 そこでふと、艶めかしい息遣いに視線を隣へと向けた。

 ……これはいったい、どういった状況だ?

 残念なことにあれ以降、私の意識が途切れて誰かがここに運んでくれたのだろう。おそらくサンだろうが、こんな悪意に満ちた嫌がらせする人柄なのだろうか。

 ついさっき頬を抓ったばかりなので目もとを擦り、微かに明かりが差し込む薄暗い室内で目を凝らす。

 間違いなくそこにはアビが寝ていて、息遣いも規則的で気持ちよさそうだ。幸いともいえるシャツを着ているようだが、寝返りを打ったタイミングで言葉を失う。


「起きてますか、ループスの旦那」

「入ってくるな!」

「……何騒いでるんですか?」


 私の注意を無視するサンは、軋む扉を押して姿を現す。

 その手にはトレーを携え、食事を運んできてくれたのだろう。微かに香る美味しそうな匂いが鼻腔に届くも、今はそれどころじゃない。


「ルーっち、げんきそぉ~」

「レオンもいるのか!?」


 さすがにこのアダルチックな光景を、十歳くらいの少女にはみせられない。

 慌ててアビを布で隠すも、私も上半身が裸の状態だと気づく。


「……何してるの?」

「……レ、レオンこそ、ど、どうしたんだ?」


 自然と声が上擦ってしまう。

 体格のいいサンが入り口に立ち塞がっているからか、アビは中には来ない。太もも辺りを頭突きする要領で顔だけを覗かせ、不思議そうに目を丸くさせている。

 枕元に腰かけてアビの頭部を隠し、室内も薄暗いのが相まっているのかもしれない。

 特にレオンからの懐疑的な視線、不機嫌になる様子は見受けられなかった。


「起きれるくらいには元気、なの?」

「おう、そうみたいだな」


 実際にそうだ。驚くほどに全身が軽くて、寝起きもスッキリと気持ちいい。


「最初はどうなるか心配だったけど、旦那が無事で本当に良かったすよ」

「俺もどうなることかと思ったけどな」


 思い返せば無謀な賭けに身体を張り、五体満足で今日を迎えられた。どれだけ『グズ男』と評されるほどのループスでも、運には見放されていないようだ。


「じゃ、顔洗う」


 道を譲るサンの脇を擦り抜け、レオンは小さなバケツを両手に運び込んできた。

 あ、これは……。

 ダラダラと水が零れる布を手渡され、背筋に冷たいものが流れる。

 距離にしてほぼ目と鼻の先にアビが寝ていて、上半身は着ていてもその下だ。チラリとみえた下着のラインは腰だけと際どく、履いていないのも同然に近い格好だった。

 そんな衝撃的な光景が脳裏から離れず、いくら口では関係を否定しても誤解を招く。


「……いつまで寝てる」

「冷たっ!?」


 だがレオンは気にも留めず、寝息をたてていたアビにバケツの水をぶちまけた。近くにいたため私も被害を免れなかったが、なんとも容赦ない豪快な起こし方だ。

 そんな起こし方に飛び起きたアビはびしょ濡れで、壁際に寝ていたため背中を強く打ってしまう。


「っう~……て、どこだここ?」

「ルーっちの部屋」

「はぁ?」


 ……ここ、私の部屋なんだ。

 要領を得ない反応でアビは瞳を丸くさせ、前髪から滴る水を手の甲で拭う。

 そこで目が合った。


「お、おう。おはよう」

「……ああ」


 寝起きが悪そうな挨拶を返され、できる限り視線を逸らした。


「起きたならさっさと退く。……こんな姿でルーっちみりょーとか、さすが尻軽」


 触れちゃいけないとこだぞ、レオォ~ンッ!!!?

 レオンの言葉にアビは自信の姿を確認し、ゆっくりと視線を向けてくる。


「ふんっ!!」


 一切の初動がないところからの、顔を狙った足蹴り。

 だがそれも、間にいたレオンがバケツを盾に阻止してみせた。天井に甲高い音が響き、蹴り痕がついたバケツが床に転がる。


「旦那、朝食をどうぞ」

「なぁ! どうしてサンは二人を放置気味なんだよ!?」

「……どうしてって、いつものことじゃないですか」


 トレーごと渡してきたサンは、転がって使い物にならなくなったバケツを拾いあげる。

「ほらアビも、いつまでもそのままだと風邪ひくぞ」

「へそだしてるから大丈夫でしょ~」


 まるで用事が済んだとベッドから飛び降りるレオンだったが、その振動が二か所からあったことに首を後ろに回す。


「おいループス、勘違いするんじゃねぇぞ」


 私の頭上を軽々と飛び越え、天上すら足場にしたアビが入り口前に着地する。そして鋭く睨みつけられ、声音にも怒気が孕んでいた。

 頭上から降ってくる粉末を手で払いながら、駆けだすアビの後ろ姿を見送る。


「ちなみに聞くけど、あの後何があったんだ?」


 当たり前のように隣で腰かけるレオンは、肩に小さな頭を寄せてくる。


「ん? 倒れてる二人を~運んだだけぇ~」

「だからって、俺の部屋じゃなくても良かったのでは?」

「まあその辺はあれです。アビはここで寝泊まりしてないんで、専用の部屋がないですよ」

「……あ、そう」


 サンからの補足があったものの、私は生返事しかできなかった。

 だったらレオンや、他の女子が使う部屋でよかったのでは?


「だいじょお~ぶ、ルーっちがアビを襲っていない証人がいるから」


 口ぶりからレオンなんだろうが、あれだけ口論するアビと同じベッドに寝る姿をどんな気持ちで見守っていたのだろか。


「その辺も含めて、説明しておけよ?」

「……ただかんびょーで見守ってただけなのに?」


 褒めてと擦り寄ってくるレオンの頭に手を置き、ただ苦笑するしかなかった。


「そういえばサンとレオンも、あのアビみたいなバチバチってできるのか」


 そして興味は、アビとの一戦でみた光景だ。

 だってあれは確実に魔法、もしくは魔術的な何かに違いない。こうして転生したから淡い期待を抱いていたけど、このディストラー領地はただの穏やかで平穏に近い場所だった。ニルヴァさんからは魔物の存在を仄めかされ、ギルドという場所もあって冒険者もいるのだろう。

 それを聞いて、興味がわないわけがない!!

 期待を込めた眼差しでサンとレオンを見据えるも、反応は芳しくなった。


「アビは特殊っていうかぁ~」

「そこいらの男ですら腕っぷしは敵わないですし、あの魔力量は一般の桁外れっす」


 どうやらその辺、アビは周りに話していない様子だった。

 顔を見合わせるレオンとサンも不思議そうにさせ、アビに対する謎が深まるばかり。


「私は動きを早くできるだけ?」

「……じ、自分のことだよな?」


 知識がないから、レオンに小首を傾げられると助けを求めるしかない。


「俺も得意とするのは水生成ですが、周辺感知もできますね」

「ふ、ふむ……」


 それぞれが何か特質した分野に秀でたわけでもなく、個々の魔力量が重要となる。

 ディストラー領地の街並みが穏やかなのか、住む領民の人柄がいいのかわからない。勝手な想像で、こういった世間から切り離された場所がある。だからそれなりに魔法や魔術が行使されて、駐屯している兵士も領民に対して躊躇わないのかと思っていた。

 だけどあの時、軽々しくソフィリアに剣を抜いて脅すこともしていない。


「ちなみにだけど、俺のってわかる?」


 だから、希望的な観測で知っておきたい。

 それにもしもがある。……と、ソフィリアが不穏な匂わせをしてきた。その際に自分の身を守れた方がいいだろうし、今後を考えると必要になる場面があるかもしれない。

 何より、特訓ムーブに憧れる。


「旦那のですか……」

「ルーっちって、まず使えるの?」

「あっ……そう……」


 サンとは似たようで、レオンの異なる反応に困惑させられる。

 これは、手探りになりそうだな……。

 その方法はわからないけど、ループスという男の未知な領域が存在することだけは理解できた。アビの様子だと感情的な面が強いから意識してなさそうだ。

 そうなると、誰がいる?

 領主ってくらい偉いからソフィリア? けど十歳だし、年の近いレオンもわかってなさそう。……レオンのことだし、興味がないのかもしれない。それかニルヴァさんは……変な誤解を生みそうで怖いな。


「とりあえず旦那、服がびしょ濡れなんで着替えてください。その間に飯、作り直してきます」

「おう、助かる」


 気づけば前髪から水が滴ってきて、濡れていることに背筋が震える。


「ルーっち、だいじょお~ぶ?」

「……レオン。もぉ~ちょ~っと行動に責任を持とうな」


 ある意味で身体を拭く手間は省けたけど、部屋が大惨事になった。



 びしょ濡れになった敷布団を外に干し、手伝う気のないレオンからしきりに声をかけられる邪魔をされながら掃除を済ませる。

 そんなことをしていたらサンに驚かれ、世界の終わり迎えた表情をしていた。

 ……ループスって、そこまで身の回りのことしないんだ。

 それからユリム家へと足を向ける。

 できるだけ人通りのない裏路地をサンに案内され、爺やさんに怪訝そうな態度をとられながら屋敷へと招かれた。


「ま、予想通りね」


 通された談話室にはソフィリアがいて、遅れてニルヴァさんも顔をだした。

 手で押す台車の上には人数分のカップがあり、見た目や体格に似合わない慣れた手つきで紅茶を注ぐ。


「これで一躍有名人じゃねぇか」

「その前からだと思いますけどね」


 ニルヴァさんからの揶揄いと皮肉をかけられつつ、カップを受け取って一口啜る。

 時間帯的にも太陽は頭上に到達していて、朝からゆっくりしていたソフィリアはつい先ほどブランチを済ませたばかりらしい。

 タイミングが合えば食事がなんていう下心なく、サンたちからの報告をした。

 眺めていた指名手配書から視線を外し、ソフィリアは短く息を吐く。


「どうやらこの方は、部下からの報告を真に受けているのね」

「か、脚色を含めた誤報しかされていない。……その線が妥当でしょうね」


 サンがいうにはあの後、ソフィリアを助けてからすぐだったらしい。夜の賑わいをみせる街を駆ける兵士たちが指名手配書をばら撒き、明け方には領民たちが知れ渡ったようとのこと。

 そう、メリーが街中を駆け回って情勢を把握してくれた。

 朝も早かったというのに、何とも頼りになる仲間に恵まれたと思う。


「お飾り指揮官ね……」


 ソファに腰かけたニルヴァさんは、ソフィリアから回された指名手配書に目を通しながら脚を組む。

独り言のような呟きが気になったが触れず、視線を戻す。


「もってひと月、早ければ数日で向こうが動くでしょうね」

「それまで逃げ続ければ?」

「無理だろうよ、報酬が良すぎる。生活に困窮する領民からすれば、噂に聞く『グズ男』をとっ捕まえても心すら痛めないだろうよ」

「……マジで」


 これも冗談かと思いニルヴァさんに確認をとると、無言で首を縦に振られてしまった。

 アビの冗談半分、本気の気配はあったが……。ここまで領民たちの生活が苦しい状況なのか。

 ニルヴァさんの反応に、ソフィリアも難しそうに唸る。


「どちらに事が転んでもいいように両方の策は練っておきたいところだけど、私個人としては後者の短期的な捜索が喜ばしいわね」

「それはお嬢、コイツをつきだすってことですか」

「そ、そんなことしないよな」


 ここでまさかのソフィリアにまで売られたら、本気でこの領地から逃げることを検討しないといけない。

 込みあげてくる不安に身を乗りだすと、一瞥されて微笑まれた。

 そ、それは……どう受け取ればいいんですかね!?

 どこにいっても揶揄われ、心休まらない安息の地にはたどり着かない。

 事の発端として口火を切ったことに、過去へと戻って私のことを羽交い絞めにしてやりたいと後悔する。

 それからしばらく、身を隠すような生活を強いることになった。

 それもこれもソフィリアを信じ、一刻も早く領地から兵士たちを追いだす。

 今後のやり取りはサンに任せ、私は不必要に出歩いて身バレする可能性を低くする。だからといってもこんな生活が長くは続くわけがない。領民たちが一斉に行動を起こせばみつかるだろうし、すでにあの場所が特定されている。

 中には、裏切る仲間がでてもおかしくないのだ。

 ……ただ私は、人助けをしただけなのにな。

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