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第二章:グズ男、返上します!!

 屋敷っていうだけあって、やっぱり広いなぁ~。

 どこか物寂しく感じる庭を進むと、すっかり枯れきった噴水が目にとまった。使われずに年月が経っているためか、落ち葉が風に吹かれて音を立てている。

 よくみると、庭の手入れもほとんどされている形跡がない。


「ごめんなさいね、屋敷の隅々まで手をかけるほど使用人がいないのよ」

「それは別に、気にしないけど」


 長かったようで短い、怒涛の一日はそろそろ終わりを迎えようとしていた。

 頭上で輝いていた太陽は沈み、今では弧を描く月が浮かんでいる。

 周囲を照らす光源が月明りだけというのもあってか、申し訳そうに謝るソフィリアの表情が寂しげにみえた。


「帰ったわ」

「お嬢様! こんな時間までどこにいかれてたんですか!?」

「ほらみろ、無事に帰ってきただろ。……まったく、人騒がせだな」


 重厚で艶があり、緻密な模様が彫られた濃い茶色の扉を押すと、人工的に灯っていた明かりに目を細める。

 おお、凄い。

 まさかのシャンデリアに見惚れてしまう中、つんざく声に両肩を飛び上がらせてしまう。

 バタバタと慌ただしい足音に視線を向けると、玄関ホールの二階から二人の男性が降りてきた。

 一人は落ち着いた様子で、眠そうに大きな欠伸をしている。


「爺や、あまり興奮すると体に良くないわ」

「何をおっしゃいますか! もしもお嬢様の身に何かがあったら、わたくしはどんな顔をしてご夫妻に顔を合わせればよろしいか……」

「そんな大げさよ」


 ソフィリアの細い両肩を掴む爺やさん。心からソフィリアのことを思っているようで、年齢と共に刻まれた目じりの皺を濃くさせている。

 綺麗な白い髪に、左目にはめた丸い片眼鏡。いかにもといったご老体風ながらも動きは機敏で、背筋も曲がったりせずにピンと伸びている。

 それに加えてシワ一つない執事服は、かなりの年季を感じさせながらも似合っていた。


「おうお嬢、お腹の方は空いてますか」

「そうね。すぐにお願いしたいのだけれど、追加でもう一人分お願いできるかしらニルヴァ」

「……かしこまりました」


 どこか品定めするような、歴戦の猛者と思しき鋭い赤銅色の眼光を向けられる。頭のてっぺんからつま先までを往復し、興味が失ったように短く息を吐かれた。

 白のコックを着ているはずなのに、袖から覗く二の腕は程よく焼けて鍛え上がられている。何よりも目についたのは、左腕の手首から肘まで走る裂傷痕。

 サンたちもだけど、かなり物騒な世界だよね。

 遭遇したことはないが、目の前に熊がいる気がした。


「アナタもお腹は空いているでしょ、ループス?」

「……確かに」


 よくよく考えれば、目が覚めてから何一つ食べ物を口にしていない。

 それを自覚した途端、お腹の虫が盛大に鳴いた。

 ソフィリアには揶揄うように笑われ、爺やさんからは蔑むような目線。ニルヴァさんは一瞬だけ目を丸くさせたかと思うと、肩を竦めて奥へと消えていった。


「爺や、大事なお客様よ」

「ご案内いたします、こちらへどうぞ」


 爺やさんからは露骨によく思われていないようで、ソフィリアとの間に立たれ、チラチラと鋭い視線を向けられ続けた。

 それだけで、ループスという『グズ男』の噂は領地内に知れ渡っているのだと痛感する。

 ……無事に、生きて屋敷をでれるよね?

 正面玄関を右に曲がると、急に夜の暗闇が辺りを支配していた。それを辛うじて照らす、爺やさんが手にするランタンは歩くたびに揺れる。どこからか吹き込んだ風に激しく明かりがブレ、壁に伸びていた影がせせら笑っている気がした。

 それでも先を歩くソフィリアには怯えはなく、生まれ育った屋敷だけのことはある。


「普段から、こんな生活送ってるんですか」

「こんな、だと?」

「爺や」


 険を濃くさせた爺やさんを、ソフィリアは短めに窘めた。

 どうやら琴線に触れたようだ。

 だからといっても、誰もがこの屋敷に足を踏み入れれば気になるだろう。

 暗闇に隠れる調度品と思しき物が通路脇に置かれているが、埃が被らないように白い布で覆われている。それは壁にぶら下がる何かも同様で、手入れをしなくては済みそうだ。

 その意図は何なのだろうか?

 せっかく飾られていながらも人目にはつかず、眠りに就いている姿。


「……そんなに珍しいものでもあったかしら」

「そういうわけじゃないんだけど……ちょっとな」

「その辺も含めて説明してあげるわ」

「お嬢様、あまり無暗には」


 気づくとソフィリアと爺やさんは足を止めていて、目的の場所に到着したようだ。

 それに気づかず、暗闇に慣れてきた目で屋敷内を見回していた。

 そんな私の視線に、ソフィリアは何かを汲み取ったかのように微かに笑みを浮かべる。

 


 通されたのは、質素な一室だった。

 壁際に置かれた暖炉は温かな気候だけあってお役御免だが、確かな存在感を発している。

 本当、それくらいだった。

 中央にある一人で使うには大きなテーブルには白いクロスが敷かれ、ソフィリアと向かい合う形で椅子に腰かける。

 背後からの爺やさんが監視する鋭い視線は健在のままだが、仕方ないだろう。


「こうして誰かと食べるのは何年ぶりかしらね」


 部屋の四方にはめ込まれた照明器具が灯り、テーブルに置かれた三又のろうそく台。

 どこか薄暗くて雰囲気もあって、ソフィリアの声音もどこか弾んでいた。


「お待たせしました、お嬢」

「ご苦労様です」


 キュルキュルと音を立てる台車を押すニルヴァさん。

 その姿に、ソフィリアは顔を上げて笑いかける。

 爺やさんもだけど、このニルヴァさんもかなり長いんだろうな。


「口に合うかわからんが、食ってくれ」

「い、いただきます」


 そして目の前に置かれた、一皿に目がいってしまう。ニルヴァさんなりの謙遜なんだろうけど、お腹の虫と喉が鳴ってしまう。

 丸々と焼かれた一羽の鶏肉は、こんがりとした焼き色がついて匂いもいい。


「これは、奮発したわね」

「森で食材を探すがてら、仕掛けていた罠にいい獲物がかかってたんすよ。……だから爺やさん、そんな目で睨まんでくださいってば」

「責めてはおらん、ニルヴァにはいつも助かっている」


 それを切り分けてくれたニルヴァさんに軽く会釈し、使い慣れないナイフとフォークを駆使して頬張る。

 口いっぱいに鶏肉の油が広がり、凝った味つけのない塩コショウ。

 それだけで満足いくが、ソフィリアの行動に目を見張ってしまった。


「ニルヴァのことだから、パンと挟むのがおススメなのでしょ?」

「さすがお嬢、相変わらず目聡いですね」


 そういいながらソフィリアは、握った拳くらいのパンを手で割った。その間にスティック状にカットされた野菜と、切り分けられた鶏肉を挟み、小さなお口をいっぱいに開いてかぶりつく。

 領主だって聞いてたけど、やっぱりまだ子供なんだな。

 シャクシャクと、耳心地いい咀嚼する音。それに加えて、美味しそうに食べるソフィリアの姿が可愛く思えた。

 習うように真似すると、ただのパンじゃないようだ。

 何やら粒々とした物が練り込まれいる。それが何かはわからないが、ソフィリアが言い当てたように、ニルヴァさんなりの料理に対する工夫なのだろう。

 だから一切の疑念なく、野菜と鶏肉を挟んでめいっぱい頬張る。


「うまっ」


 噛み締めた瞬間の、口に広がる鶏肉のジューシーさは変わらない。それに合わさる野菜の食感と瑞々しい歯ごたえもよく、飲み込んだ後の清涼感が鼻を抜けていく。


「この抜ける感じって、ハーブとかですか」

「ほぉ、意外と舌が肥えてるんだな」

「あ、いや~そこまでじゃ……」


 ただ単純に、シンプルに切られた野菜たちには見覚えがあっただけだ。

 普通にサラダとしてもだけど、お肉と炒めるか蒸すなどの調理法はある。だけどそれは素材の旨味を楽しめるも、抜けるような清涼感をだせないと思った。

 そうなると、このパンの粒々がハーブだと推測できる。

 それだけでしかない。

 こちらを吟味するニルヴァさんの視線は一転、負としたモノは感じなかった。

 それからしばらく食事の時間が続き、空腹感は非常に満たされて両手を合わせる。


「ごちそうさまでした」

「いい食べっぷりだったわね」

「作ってるこっちとしても、腕を振るったかいがあったようなものです」


 先に食事を済ませていたソフィリアは、食後のお茶を嗜んでした。

 手にしていたソーサーとカップを置くと、小さく咳払いをして背筋を伸ばす。


「この度は、街中で兵に襲われているところを助けてくれてありがとうございました」

「また街の方へと行かれていたのですか!? しかも、襲われかけたとは――」

「おい、大丈夫か?」


 終始出入り口の前の佇み、こちらに警戒の色を濃く滲ませていた爺やさん。ソフィリアの言葉を聞いて声を荒げたかと思うと、空気が抜けていくかのように声が萎んでいく。しまいには倒れそうになるのを、ニルヴァさんに支えられていた。ニルヴァさんも表情を呆れさせながら支え、ソフィリアのことを見据える。


「お嬢も無茶をなさるというか、できるだけ街へ行くのは控えてください」

「そうね、毎度のように爺やが倒れるのは困るわ」

「そういう意味じゃないんすけどね……」


 ニルヴァさんが何を言いたいのかはわかるが、ソフィリアから反省の色がみられない。むしろ頻繁に街へと出向き、今回はたまたま運が悪かったようだ。

 領地内が危険だと知りながらも、ソフィリアはどこにいっていたのだろうか。


「ループスも、このディストラー領地に住む民として意見を聞かせてくれるかしら」


 食事をしていた時の年相応な楽しそうな雰囲気は消え、水銀色の双眸を真っすぐと向けられる。

 度々ではあるものの、やっぱり領主としての自覚がある素振り。彼女なりに考えて、この領地をどうにかしていきたいのかもしれない。

 下手に言葉で誤魔化すのもできるだろうけど、それを良しとしない雰囲気。

 何より、ニルヴァさんの目がある。

 どんな嘘をも見抜く、そんな気がしてしょうがない。

 だけど生憎と、この領地で目覚めて一日と時間が経っていないのだ。私個人としての、薄すぎる上辺での意見が役に立るのだろうか。

 それでも目の前にいる幼い領主から求められた。

 喉を鳴らし、みてきた街並みと聞きかじった情報を頭の中で整理する。


「ソフィリアがどこまで知っているかわからないけど、領民である女性が襲われています。相手は国から派遣された兵士たち。

 そして今回、ソフィリアが被害に遭いそうになった」

「……そうね」


 そのことを思いだしたのか、ソフィリアは身体を抱くように守る。


「だけど、昨日も別の場所で襲われている女性がいます。しかも、俺の仲間が知り合いだとさっき聞かされました」


 ソフィリアは驚いた様子もなく、唇の端を噛み締める。

 察するに、領地内でのことを知っているのだろう。

 それは、どこまでなのだろうか。

 だから隠さず、サンたち知らされた情報を開示する。

 これが、彼女の助けになるのであればそれでいい。もしサンたちが知ったら憤るか、呆れてボロカスな言葉を投げられる想像ができる。

 それすらもご愛敬。

 だって、ここにいるのはディストラー領地が認める『グズ男』なのだ。(中身は私だけど……)


「被害はそれだけじゃ済みません、過去を遡ると数年前。……ちょうど先代の領主、ソフィリアの両親が亡くなられてからです」

「おい、言葉を選べよ」

「落ち着いて、ニルヴァ」


 背後からの低く、怒気を孕んだニルヴァさんの言葉。首筋には食事中に使っていた銀色のナイフをあてがわれる。

 ……まったく気配を感じなかった。

 誰かと争うことに慣れないどころか、人を殴ったのはついさっきが初めてだ。

 こうも殺意を向けられると、全身が強張ってしまう。

 まだ残る右手の感触を確かめるよう、閉じては開いてを繰り返す。


「ループス、続けて構わない」


 促されるままに首を縦に振り、事実だけを語る。


「それと同時期に徴収される税金が高くなりました。あれで大半の領民の生活が苦しく、俺らのような低下層はろくな食事にありつけていません」

「それは、本当に申し訳ないわ……」


 さっき食べた鶏肉の味を思いだしてしまう。

 純粋に美味しかった。

 そう、この身体が感じるほど食に飢えている。


「けど謝るほどのことじゃないみたいで、ニルヴァさんのように近くの森で食材を探しに行っては分け合えてます」


 レオンから聞いた、備蓄している食材の量や自生する動植物たちの分布。

 食べることに困らないならと安堵していたが、それも長くは続かないと口にしていた。


「乱獲は自然体系を崩してしまう。それは、領民たちを外からの危険にさらす可能性もでてくる」

「ニルヴァさん?」


 首にあてがわれていたナイフは引っ込められ、ニルヴァさんも話に混じってきた。

「それは、この領地にも魔物たちが襲ってくるということかしら」

「その通りです、お嬢」


 そんな話、レオンどころかサンからも聞かされていない。

 寝耳に水というのもあって平静を装えていなかったのだろう、ニルヴァさんが私をみて深いため息を吐いた。


「……様子からして、ちょっと森を散策する軽い気持ちだったんだろうな」


 だらりと気だるげなレオンだったけど、しっかりと役立っているアピールは嬉々としていた。

 だから首を縦に振るだけに留まる。


「領地周辺は比較的に魔物が低級で、街にあるギルドの新人でも討伐は可能です。だけどそれは、食料となる動植物が豊富の現状だから。

それに人間が手をだし始めたら、飢えた魔物が領民たちを襲うことになるでしょう」

「ギルドの人たちだけでは阻止できないと?」

「どうでしょうかね。派兵された連中をみかけたことはありますが、戦場を知らない連中ばかりでした」


 スッと細めた目もとは、明らかな侮蔑と殺気を放っていた。


「なによりも国を守る兵士が、領民に手をだしているようではたかが知れる」

「……ニルヴァがそう感情を剝きだしなんて、この領地も限界なのかもしれないわね」

「……お嬢」


 両手の指先をくっつけて微笑むソフィリアの表情は儚げで、こういった状況になることを遠からず察していたのかもしれない。

 眉間に皺を寄せるニルヴァさんも、どこか落胆したように肩を落とす。

 まるで手を尽くす様子もなく、ただ静観し続けてきた口ぶりの幼い領主。

 そうなると、この現状を強いられてきた領民たちはどうなる?

 サンは口にしてはいないものの、今を凌ぐために仲間を鼓舞し続けてきた。レオンは一見気だるげながらも頑張り者という事実には驚いたし、仲間からの不満がないよう平等に計算して分け与えてくれている。メリーは体力もなければ人と争うことを嫌い、自分なりに力になろうと情報を集めてまとめてきた。アビは血の気が多いながらも姉貴気質で、様子から面倒見がいいのだろう。

 他にも私の知らないだけで、仲間たちはそれぞれ動いてくれている。

 何よりも、水面下で国から派兵されて領民に手をだす奴らと抗争を続けてきた。


「領主として、このまま好き勝手をさせ続けるつもりですか」

「ループス?」


 自然と零れた質問に、どんな感情が混じっていたのだろうか。

 丸くなる水銀色の双眸を、ただ静かにみつめ返す。


「……」

「……」


 どのくらいの沈黙がその場を支配したのかわからない。

 テーブルの中央に置かれていたろうそく台の内、一つの火が突然消えた。


「ぶっははははぁ!!」

「え?」

「ニルヴァ」


 これでもかというほどの豪快な笑い声が室内中に轟き、おそらくその肺活量で火が消えたのだろう。

 ソフィリアはニルヴァの姿を前に、笑いを堪えている。

 ……え、今って笑うところだった?

 まったく状況がのみ込めず、二人の間で視線を彷徨わせる。


「お前、面白いこといいやがるな! いやぁ~こんなにバカだとは思ってもみなかった。気に入ったぞ」

「そ、そうですか……」


 痛いほどに肩を叩かれ、脱臼しないか心配だった。

 気に入られたことには悪い気はしないものの、どうにも釈然としない。


「そうね、こんな人に私は助けられたと思うと……笑いがこみ上げてくるわ」

「ソフィリアも!?」


 口もとに手を当てるソフィリアも、申し訳程度に肩を上下させていた。

 急に発生した笑いの渦に理解が追いつかず、ただただ戸惑うことしかできなかった。ただそれも数舜のことで、場の空気が軽くて明るくなったと思う。

 詳細を求めてソフィリアに視線を向けると、目じりに溜まった涙を拭いながら笑われる。


「すでにループスが国の兵を殴った時点で終わりなのよ。だからこうして匿うつもりで屋敷に連れてきたのだけれど、まさか自覚がなかったの?」


 そういわれて気づく。

 隣にいたサンも、自身の怒りを堪えながら止めてくれていたではないか。ソフィリアを助けだす前に二人、周囲の目なんて気にせず拳を振るった。あの恰幅のいい兵士にだって、何の躊躇なく鼻っ柱に拳を叩きこんだではないか。

 ……うわ、そういうこと。

 冷静に、私がとった行動を思い返して後悔する。


「あの時は我慢してたはずだったんだけど、路地裏に連れていかれるソフィリアと目が合った気がしたんです。それで気づいたら、身体が勝手に……」


 今さら遅いいい訳を、しどろもどろになりながら説明する。


「それは、嬉しい限りだわ」


 それをソフィリアは、機嫌よさそうに笑い返してくれた。


「街じゃ『グズ男』って聞いてたが、意外といい奴なんだな」

「噂通りなのは変わりないですけどね」


 これ何度目かわからない肩の衝撃に耐えながら、ニルヴァと握手を交わした。


「……ん、何事ですか?」

「あら爺や、ようやく起きたのね」


 直接床に寝かされていた爺やさんは目を覚ますも、ついさっきの話を聞いていたわけじゃない。不思議そうに目を丸くさせる姿に、私はソフィリアと顔を見合わせて笑った。


「そこの小僧は俺が見送っておく、爺やさんは部屋で休んでな」

「そうね、働きすぎるのあまり良くないわ」

「そうはいいますがお嬢様、それにニルヴァも。そこの男と何を話していたくらいは聞かせていたただかないと」


 背中を押すニルヴァさんはニヤついていて、ソフィリアも笑みを絶やさなかった。


「困った領民がいたものだなってね」

「そうだぜ爺やさん、噂ってのはあんま信用するもんじゃねぞ」

「な、なんのことだ」


 ニルヴァさんから特段と気に入られたようで、ソフィリアからもなんだか好感を得られたような気がする。

 少なからず、噂通りの『グズ男』という汚名は薄れたのではないだろうか。



 それから今後の振る舞いについて話し合うことになった。

 場所を移動して談話室へ、ゆったりとしたソファに腰かける。すっかりと夜も更けてきたが、ソフィリアは一切眠そうな素振りもみせない。


「そういえば、近々引っ越しでもする予定があるのか?」

「……そんなことはないわよ」


 ニルヴァさんが用意した紅茶を一口、踏み越えていいかわからないラインに触れた。あの時は爺やさんがいたけど、今はソフィリアとニルヴァさんしかいない。

 不思議そうな顔をしたソフィリアは、ぼんやりとしたろうそくの明かりに照らされる室内を見回す。


「お嬢、打ち明けてもいんじゃないですか」

「なるほど、それね」


 ……それとは?

 二人だから通ずる会話だからか、第三者の私は置いてきぼり。

 すると席を立つソフィリアは、手近にあった白い布を捲ってみせてきた。


「これね、我が家の調度品よ。……もしもの場合、王都で開かれるオークションにでもかけてお金にするの」

「……はあ」


 姿をみせた小さなツボ。薄暗い室内だけあって細かいところまでわからないが、細やかな線で模様が描かれ、創作者が何かしらのアーティスト性を演出したのだろう。

 残念なことに、私にはただのツボにしかみえない。

 それでもオークションにかければ金になる、ソフィリアは今までも似たようなことをしてきたのだろか。

 まったく要領が得ず、首を傾げてしまう。

 そんな私に、ソフィリアは笑みを浮かべる。


「この領民を苦しめる重税、ループスが言った通り普通に支払うのは難しいわ。それを誰かが肩代わりすれば、今までと変わらずに生活を送れる」


 手にしていた布をかけ直すソフィリアは、目じりを下げて小首を傾げる。


「……そう思わない?」

「それってつまり、ここのある物すべてオークションに?」

「物だけじゃないわよ、この屋敷も含めてユリム家。最悪、この私ですら領民を守るためだったら厭わないつもりよ」

「はぁ!?」

「その反応だよな……」


 爺やさんが起きないか不安なほど、大きな声がでてしまった。

 ニルヴァさんは肩を竦めて、グラスに注いでいた琥珀色の液体を煽る。

 ここまで肝が入った十歳がいるのだろうか。いくら両親に代わって領主になったとはいえ、そんな覚悟でこの領地を収めてきた。

 この事実を、領民の誰が知っている?


「なんてね、そうならないことを祈るばかりよ」


 振り返る勢いで広がったワンピースの裾を抑え、ソフィリアは元座っていたソファにゆったりと腰をかける。


「実際、いくつか婚約の話もあったんだぜ」

「ふふ、そんなこともあったわね」

「ほぇ~」


 あまりにも余裕というか、気にかけた様子もないソフィリアの微笑み。

 だからそれがニルヴァさんの冗談で、私を揶揄っているだけなのか反応に困る。

 けどこんな生活がいつまでも続くわけがない。


「じゃあ、サン……仲間の一人がいってた国への税を納めていないっていうのは?」

「遠からず間違いじゃないわ」

「ん、んん?」


 表現で濁してくるかと思ったが、すんなりと事実を告げられると首を傾げるしかない。

 ついさっき、屋敷内の物どころかソフィリア自身も売る覚悟だと口にしていたはずだ。それはニルヴァさんも聞いてたし、その覚悟も知っているだろう。

 それに口ぶりからして、納められないわけじゃなさそうだ。

 事の真相を訪ねるべく、ソフィリアを無言でみつめる。


「今年の上半期に納めたのは、二年前の同時期分だったかしら?」


 訊ねられたニルヴァさんは首を縦に振り、私に視線を向けてくる。


「確かにお嬢は、その年分は納めていない。だけどよく考えてみろ、先代までは課税をする必要もなく領民たちは過ごせてきたんだぜ」

「……何か、別な原因があると?」

「両親が亡くなった時、この領地を誰が治めるかで遠縁の親戚と揉めてね。幼かった私には何一つ理解すらできなかった。それで任せていたんだけど、とある会話を耳にしてしまったの」


 この世界で目覚めて、ソフィリアと出逢って数刻しか経っていない。だというのにさっきから不穏な雲行きばかりで、いちいち覚悟を決めないといけないのは気のせいだろうか。


「このディストラー領地で領民を奴隷のように働かせ、自分の富を豊かにしようという思惑があったのよ。それを聞いて慌てて街へと繰りだすと、もう手遅れだったの。

 目につく至る所に毎月分の納める税が張りだされ、それが数か月に一度上がっている。普通はあり得ないし、過去の帳簿を見直す限りそこまで厳しいかったわけでもなかった」

「代理で治めていた領主が好き勝手やりやがったんだ」


 空になったグラスを置く音が荒々しかった。


「屋敷で勤めていた使用人の態度が、日に日に冷たくなっていくのを目の当たりにしてきたはずなのにね」


 その逆で、過去を懐かしむような落ち着きよう。

 いい意味でバランスがとれた関係と思えるが、ニルヴァさんがそんな悪行を見逃す。それくらい巧みで、頭の切れる代理領主だった。

 そんな人が治める領地は、ひたすらに搾取され続ける。

 想像しただけで身震いしてしまう。


「そんな時よね、ニルヴァと出逢ったの」

「元もとここで働いていたわけじゃないんですね」


 ニルヴァさんは気恥ずかしそうに口角を上げて笑う。


「各領地を転々としていた俺に、まだ小さいお嬢が『助けて』って泣きついてきたんだぜ。偶然立ち寄っただけで、ただ宿を探してたんだ」


 意外な出会いに耳を傾けてしまう。


「しょーじき子供相手で、したっ足らずで要領も得ない。……だけど何となく、この娘の話を聞かないと後悔する気がしたんだ」

「そして今に至るのね、思い返すと恥ずかしいわ」

「俺としちゃ~賢い娘だなって感心でしたけどね」


 お酒が回っているのか饒舌なニルヴァさんに、ソフィリアはどこか遠くを眺めるように天井をみあげる。


「なによりも一番の功労者は爺やね。私が領主に適する年齢になるまで、代理の目を盗んでどうにか保とうとしてくれてたの」

「ホント、領地思いで頭あがらねぇぜ」


 元の話し合いの腰を折るいい思い出話を聞かせてもらいつつ、改めて本題に戻る。


「私から提示できるのは二つよ」


 人差し指と中指を立てるソフィリアの表情は真剣だった。


「一つ目はこの領地から逃げる。

 逃走ルートはこちらで用意はするわ。それで、事が落ち着いたら戻ってくる。最悪、居心地が良かったら別の領地で生きていくのもいいわね」


 妥当な方法ではあったが、気になる点しかない。


「それは俺だけであって、仲間はどうなる? それに、領主であるソフィリアの立場は悪くなる一方じゃないか」

「お仲間さんのことは諦めてもらうとして、私のことは気にしなくていいわ」

「逃がす手助けをしてもらってそんなことは……」


 それに、記憶喪失と偽った私に対して優しくしてくれた仲間を捨てる。そんなことしたくない。

 何よりも、知らなければ踏み込むことのなかった領地の事情をしてしまった。

 ニルヴァさんほどでもないが、ソフィリアのことを助けてあげたい。いくら『グズ男』と評されようとも、十歳になる少女におんぶにだっこは気が引ける。

 私の態度を目にソフィリアは、呆れたように肩を竦めた。


「そして二つ目は徹底抗戦よ」

「……お嬢、それは正気ですか」

「生憎と、ニルヴァのようにお酒を嗜む年齢じゃないわ」


 お代わりを手酌しようとするニルヴァさんに、ソフィリアは嫌というほど笑顔だった。

 そんな豪胆な領主は、街にいた同い年とは一線を画している。


「聞きましょうお嬢、それは負ける気は毛頭ないということなんでしょ」

「ニルヴァがいてくれるから自信はあったけど、その一歩を踏みだす勇気がなかった。何よりも爺やがそれを許さないし、領民が傷つく可能性だってあるわ」


 そんな危ない行動を、どうして今になってやろうとしたのか。


「それって、俺が原因ですよね」

「あら、察しがいいじゃない」


 話の流れからそうでしかない。

 褒められたはずなのにいい気はしなかったけど、ソフィリアの静かに燃える意志に魅入ってしまう。

 今後、この幼いはずの領主はどう成長していくのだろうか。

 ニルヴァさんは瓶に蓋をして、両頬を勢いよく叩いて頭を振った。完璧に闘争心に駆られる猛獣のように、赤銅色の双眸がランランとしてる。


「その前訊くは、アナタはどうするのループス」


 ここまで話しておいて、この領主はこれだ。

 くらう肩透かしに目を丸くさせられ、逃がさないと訴える水銀色の双眸を見据える。


「噂通りの『グズ男』ですけど、乗りかかった舟ですからね」

「協力、してくれるのかしら」


 釘を刺すように小首を傾げて問うソフィリアに、自然と笑みがこみ上げてきた。

 なるほど、ここまで勧誘なのか。


「協力させてもらいます」

「ありがとう、ループス」


 差しだされた手を、私は迷いなく握り返していた。

 これからは、関係者だ。

 裏切らないように書面を交わすとか、第三者という代理人を立てた約束じゃない。あくまで私の意志で、ソフィリアの策に協力するのだ。

 発端としては私にあるけど、こんな日をソフィリアは想像していたのかもしれない。

 それは、いつからなのだろうか。

 先代で治めていた両親の後ろ姿への憧れ?

 代理の立場で好き勝手してきた親戚に怒りを覚えて?

 もしくはこの領地、ディストラーを良くしたい向上心?

 興味はあるけど、訊くのが怖かった。

 だから今は、何も知らない愚者を演じよう。

 ごめんなさいループスさん。最初は『グズ男』だって思ってましたけど、案外いいところで役に立ってますよ。

 私はこの身体の主であるループスさんに謝罪と感謝を伝え、一笑を添えて宣言する。


「それで領主さま、俺は何をすれば?」

「『さま』は止めて、そんなに偉くないもの」

「……あ、はい」


 間髪入れない拒絶に、間抜け顔を晒してしまう。

 領主って、この領地で一番偉いんじゃないのか?

 確認をとるためニルヴァさんに目線で問うと、苦笑いで肩を竦められた。


「爺やはいいとして、ニルヴァはお嬢。ん~何がいいかしらね」


 ソフィリアなりのこだわりでもあるのか、腕を組んで唸る姿は可愛い。


「お父様やお母様のように、ソフィでいいわ」

「それは距離感が縮まりすぎじゃないですかね!?」

「そうかしら?」


 こっちとしては出逢って一日と経っていない。この身体の主はどうだったか知らないけど、ご両親と同等はさすがに気が引けた。

 そんな私の気も知らず、ソフィリアは目を丸くさせる。


「そうなると何がいいかしらね」


 それが決まらないと話が進まない風を装われると、私が折れざる得なくなる。これがソフィリアの計算であれば負けは目にみえて、本心からだったとしても今後が心配になってしまう。

 だから、妥協案を提示してみる。


「普通に、ソフィリアじゃダメですかね」

「……そうね、普通でいいわ」


 意外にもあっさりと了承されて目を丸くする。

 それでもどこか釈然としないソフィリアだったけど、ソファに深く腰を埋めて話の再会をし始めた。


「とま、徹底抗戦といってもそれは最終手段よ。できることなら穏便な話し合いで領地から立ち去ってもらいたいわ」

「……となると、今後は自衛で領地を守っていくのか?」

「それくらいどうにかなるでしょう。ギルドに依頼して報酬をだせば周辺の森、山なんかを散策して魔物の盗伐。内部は領民同士が支えあえてると思うから、信じて任せてもいいじゃない?」


 チラリと視線を向けられる。


「なによりも、自発的に水面下で動いている領民もすでにいるようだしね」

「……そんなことまで知ってたのか」

「ええ、私の領地のことだもの」


 つまり、そういうことなんだろう。

 この領主はどこまでも領民思い、厚い信頼を寄せている。あくまで決めたルールで縛るのではなく、お互いが良くしていこうと考えて動く。

 大なり小なりの衝突はあるだろうけど、領民同士は生き生きとするだろう。


「せめて報酬があると喜ぶと思いますよ」

「炊きだしの食材くらいは融通を効かせてもいいかしらね」

「伝手は俺があたっておきます」


 それだけでもレオンが非常に助かるだろう。

 状況を聞きかじっただけで、事細かい報告を得たわけじゃない。そうだったとしても喜ぶこと間違いないだろう。


「それで何を主題として交渉を? あと、直接国とするわけじゃないんでしょ」

「そうはしたいのだけれど時間がかかりすぎるわ。何よりも人伝は情報の改変、最悪なのはなかったことにされることよ」

「となると、派兵された中で一番偉いヤツになりますね」


 やっぱりそうなるのか。

 ソフィリアがいったように、毎回の国から指示を煽るのは手間でしょうがない。どのくらい離れているかわからないけど、急を要するとなおのこと大変だ。

 そうなった場合の司令塔役がいる。

 自身の部下が領民に手をだすのを黙認し、形上の駐屯で好き勝手しているのだろう。


「その偉いヤツはどんな野郎なんですか」

「残念だけど野郎、男性じゃないわ」

「……え」


 あの時に街で殴った恰幅のいい中年、それ以上に下品に染みた悪漢を想像していた。兵として歴は長くも過去の素行が酷く、上官すら手もつけられないほどだから左遷させられてきた荒くれ者。

 でなければ、好き勝手を許すわけがないと思っていた。


「名前はミールナ・D・グレイス。あまり街ではみかけないけど、兵士の中では女性ということもあって人目を引いてたと思うわ」

「ミールナ……あの娘がね……」


 聞き覚えがあるのか、物思い気に呟くニルヴァさん。

 どんな人柄か気になったけど、ソフィリアは両手を軽く叩いた。


「と、もう少し話し合い所があるのだけれど……」


 その途中、ソフィリアは小さな欠伸を零した。


「ごめんなさいね、この時間は寝るようにしているの」

「おお、もうそんな時間ですか」


 眠そうに目もとを擦るソフィリアの姿が可愛く、つい魅入ってしまった。


「ほれ、いったん解散だ。屋敷の前まで送ってやる」

「そんな雑な見送りなの!?」

「おやすみなさい、ループス。この話の続きは、後日改めて呼ぶから……無事を祈るわ」


 もう限界のソフィリアに手を振られながら不穏な口ぶりで見送られ、ニルヴァさんに首根っこを掴まれて暗闇の通路を引きずられる。

 どんな腕力してるんだよ!

 少なくとも青年としての身体つきであるループスだと思っていたけど、こうも軽々と動物扱いされている。


「ニルヴァさん、自分で歩けますってば!」

「屋敷内は暗いからな、快く道案内されておけ!」

「方法! 首根っこ掴まなくていいですから!?」


 夜も更け始めた時間にもかかわらず叫び、返すようにニルヴァさんも声を張る。お休み中の爺やさんには申し訳なかったが、放してもらえずに騒いでしまう。

 そして屋敷の外へと放りだされた。


「……お前、本当にあのループスなんだよな」

「……急になんですか」


 ついさっきまでの砕けた雰囲気から一転、ニルヴァさんの警戒を色濃くさせた雰囲気。ソフィリアはこの身体の噂を耳にしただけであって、もしかしたら交流があったのかもしれない。

 サンたちの前では話を聞く側で黙っているだけでよかった。

 だけど今回は、色々と話し過ぎてボロがでたのかもしれない。

 それを勘づかれた。

 ニルヴァさんのことだから、些細な違和感に気づいてもおかしくない。


「こうして面と向かうのは初めてだが、噂だといろんな女の世話になってるんだよな? しかも働くどころか毎日とぶらぶら……何が目的だ」


 険のある声音で問われ、自然と背筋がピンと伸びる。

 ……目的。

 そう訊かれると困るというか、しっかりとした何かを持って挑んでいない。ほとんどがその場の流れに身を任せ(感情的になった時もあったけど)、気づいたら一日が終わろうとしている。

 こんな怒涛な人生を、目が覚めた瞬間に体験することになるとは。


「……特に、ないですかね」

「はぁ?」


 私なりに考えた末の答えだ。

 露骨に怒気を孕ませながら、ニルヴァさんは襟元を掴みかかってくる。


「んなわけねぇだろ、お嬢が領主だって知らずに助けたっていうのか」

「実際、マジで知らなかったです」


 仲間たちには記憶を失ったことを打ち明けている。


「これを機に恩を売って、貴族相手に漬け込もうだなんて魂胆くらいはあるだろ」


 赤銅色の双眸に宿る、人を疑ってやまない禍々しい何か。

 それが何で、どういった経緯でニルヴァさんに宿ったかは知らない。

 ソフィリアの前では好感的な振る舞いだったけど、裏ではこうも感情を剝きだしの行動をとってきた。

 初めから信頼はされてなかったのだ。

 けど、それくらいがちょうどいいのかもしれない。

 掴みあげられて浮く両足に、締まる襟元に呼吸が苦しくなっていく。


「悪いけど俺、十歳は許容範囲外なんでね。助けたところで意味ないでしょ」


 目力だけで何もかも従えさせられそうなニルヴァさんは、突き放すように荒っぽく解放された。

 軽く咳きこみながら視線をあげる。


「確かに、これくらいの距離感が妥当なのかもしれないな」

「それくらい、ニルヴァさんはソフィリアを大事にしてるってことですよ」

「いってろ、このグズ男が」


 それだけを残し、ニルヴァさんは踵を返していく。

 その後ろ姿をみえなくなるまでただ眺め、夜空を見あげる。

 い、生きてるぅ~!!!?

 盛大に息を吐きながらその場に座り込むも、気づいたら地面に大の字で横になっていた。

 急激に襲ってきた安堵感に腰が抜け、しばらくは動けそうにない。そう思うくらい、ニルヴァさんの迫力があった。


「ははは、一度は死んだはずなんだけどな」


 こんなに生きていることを実感したことはなかった。

 何よりも一度、私は向こうで命を落としている。原因は不明だけど、この地面で横になる既視感はなんだろう。

 ……もしかして車にでも轢かれた?


「ソフィリアが無事でよかったなぁ~」


 じゃああの時、ソフィリアと目が合った瞬間は何だったのか。

 サンからの制止を振り切り、気づいたら身体が勝手に動いていた。そこに私の意志があったわけでもなく、柄にもない人助けをしている。

 ……たぶん、そんな勇猛的な性格じゃなかったと思う。

 頭の中が真っ白になって、ただ助けなきゃいけないという衝動に駆られた。


「それにしてもあの時、身体が軽かったな」


 これまでのループスさんがどんな生活を送り、ここまで育ってきたのかは知らない。こうして身体に憑いて、他人の私が勝手にしている。

 もしかしたら何事もなく、平穏に色々な女性のお世話になっていたかったかもしれない。

 確かに楽で自由だったろうけど、申し訳ないことをした。


「いつか話してみたいかも」

「……誰とですか」


 不意に込みあげてきた好奇心に笑みを浮かべたが、振ってきた声に目だけを動かす。

 すると腹部にも重みがかかり、柔らかな感触が伝わってくる。


「ルーっち、みつけたぁ~」

「レオン? ……それにサン。アビも」

「ループスの旦那、こんなところにいましたか」

「よ、無事そうで何より」


 猫のようにじゃれつき、甘えてくるレオンの頭に手を乗せる。顔を覗き込んでくるサンとアビ、その三人がどうしてここにいるのか?


「えっと、こんな時間に何の用だ?」


 夜もいい時間帯だろう。陽暮れの街並みにいたことを考えれば、相当の間をユリム家で匿ってもらっていたことになる。

 こうして放りだされたけど、今後のこともあって会う約束をした。

 もしかしたらその間、街では何かしらの動きがあったのかもしれない。


「……旦那、ご無礼を」

「ん!?」


 口もとに押しつけられる猿ぐつわの細い布。


「はぁ~い、大人しくねぇ~」


 小柄だと思っていたレオンだが、しっかりと胴回りを抑えられては身動きすら取らせてもらえない。


「はぁ、がっかりだよ」

「んっ! んん!?」


 アビの人を見下しきった、感情の宿らない蜜色の双眸。


「おい、そっち持て」

「わかってる。ほらレオン、降りろ」

「しゅっぱぁ~つ!」

「んんっ!?」


 私の悲鳴に近い抗議は猿ぐつわに遮られ、両手足をサンとアビに捕まれる。そして持ちあげられ、明かりの灯る街の方へと運ばれていく。

 道中、お腹の上に載っていたアビには降りてほしかった。

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