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シオン・ザハードは優秀だった。
同時に欠陥品でもあった。
優秀な欠陥品だった。
ザハード家という疑う余地もない優秀な血筋に生まれたそれの生まれ持った能力は他の兄弟姉妹と変わりなく他を圧倒するもの。
世間というくくりで見た時は非才、しかし、ザハード家という小さなくくりで見た時は凡才。それがシオン・ザハードという人間。
ただ、それはシオンが三歳の頃に誤った認識であったことが明らかになる。
ザハード家の優秀な血筋を示す代表格と言われる『魔眼』。
それは当たり前のように生まれた時から備わっている。
しかし、それがあることと使えることは必ずしも等しくない。
完璧超人の選ばれた人間である彼らであっても『魔眼』は初めから使いこなせるというわけではない。努力が必要というわけではない。ただ生きる。それだけでいい。
呼吸の仕方を当たり前のように知っているように。体が本能的に知っている『魔眼』の在り方を体が思い出すのを待つ。それだけでその力はいずれ遺憾なく発揮される。
しかし、それは裏を返せばその時がくるまで『魔眼』は決して発現しないということに他ならない。
だからこそ、シオンは欠陥品だった。
わずか三歳で、あるべき順序を無視して無意識的に『魔眼』の力を発現させてしまったシオンは間違いなく欠陥品であった。あまつさえ、その力を全く制御することができずに己の母親を死に追いやったそれは間違いなく欠陥品。
欠陥品という言葉で表すことすら足りない、悪魔のような存在だった。
彼の父親、つまりザハード家の先代当主は悩んだ。下手をすればその力は一族すら滅ぼしかねないほどに危険なものだ。だとすればそんなことが起こる前に殺してしまうのがしかるべき判断なのではないか。
しかし、制御できないとはいえこれまでのザハード家の歴史上で間違いなくシオンは最も幼い『魔眼』の発現者。それを殺してしまうというのは些かもったいないのではないか。
当主は考えた。
そして、決めた。シオンを生かしておくことを。親の情などというものは皆無。あったのはその力への他を省みない渇望と好奇心だけ。
ともあれシオンは生かされた。しかし、シオンはやはり欠陥品だった。それ以降、シオンの魔眼が発動することはただの一度もなかったのだ。正しくも、暴走も、そのどちらでも『魔眼』が発動することは無かった。しかも、シオンの保有する魔力量はその頃の半分ほどにまで落ち込んでいた。
生まれ持った魔力量は絶対のものでそれは何が起きても増減することはありえない。
そんなあるべきルールすら無視してシオンは成長が進めば進むほどに弱体化していった。
なぜそんなことが起きたのか。
きっとこれは罰なのだろう。そうシオンは受け止めた。母の顔は記憶にはない。けれども、自分を愛おしそうに抱く手の感触は覚えている。かけられた優しい声もよく覚えている。頭を撫でられた感触もよくよく覚えている。 母が子を愛していたことを、兄姉問わず子が例外なく母を愛していたことを知っている。
それを自分が引き裂いたことを知っている。
だから、これはその罪に与えられた罰なのだと。
シオンは誰よりも努力を重ねた。兄や姉に追いつこうとかそういう意図はない。努力をどれだけ積み重ねても追いつけない現実も言ってみれば一つの罰だった。
兄や姉の大半はシオンを快く思っていない。見下している。怯えている。嫌悪している。
些細な違いこそあれ、どれも等しく負の感情。それはやはりシオンにとっては与えられた罰だった。
「……僕は、死ぬことを望まれている。……ステイル兄様だけじゃない。機会さえあれば皆きっと僕のことを……」
「それはおかしいですね。ザハード家の当主様とシオンのお姉さんは随分とシオンのことを大切そうにしているように見えましたが」
十数年の人生。そのうち記憶が残っている人生はおよそ半分。その中でも人に語るような意味のあるものは極々わずか。
シオンのそれとてそう多くは変わらない。
親を失い、姉妹兄弟から忌み嫌われる。そういう意味では他にはない経験をしているとも言えるが、それでも十数年の人生であることには違いない。いくら中身が他とは比べようもないほどに濃い物だったとしてもそれには違いがないのだ。
そんな短い人生と少ない情報だけで自分の生き死に関わることを判断すれば間違えることだってある。それも主観的な視線から得た情報だけならなおさらだ。
だからこそ、シオンの随分と悲観的な結論にオワリは待ったをかけた。
なによりも、シオンの語ったそれをオワリはこれっぽっちも信じてなどいなかった。
オワリの見てきた全てがオワリにそうさせた。
「少なくとも、二人がシオンに向けていたあれは取り繕ったようなものではなかったと私は思いますよ?」
「それは……でも……」
「シオン。これまで一度でもあなたの兄弟はあなたに直接死ねと言ったことがありましたか?」
「……直接はない。でも、いつだって僕の事を煩わしいものを見る目で見ていたし、ステイル兄様だって僕をそういう目で見ていた」
「煩わしいとか嫌いとか。どちらも悪意には違いないですけど、それらと殺意では大きすぎる差異がありますよ」
「実際、ステイル兄様は僕を殺そうとしたじゃないか」
「それがシオンに対しての悪意によるものだったと言い切れない以上はそれもあてにはならないでしょう」
「……でも、僕はザハード家の汚点だ」
「それだってシオンが勝手に自分にそういうレッテルを貼りつけているにすぎないのかもしれません。少なくとも、本当にシオンがただの汚点だったのならあなたのお父さんはあなたを生かしたりしませんよ」
「なんでお前がそんなこと」
「分かりますよ。なにしろ殺し合って殺した仲ですからね。少なくとも優れた当主であっても良い父親ではなかっただろうってくらいは予想がつきます」
「……たしかに、父様は優しい父ではなかった。でも……」
シオンにとってその結論はこれまでを省みてそれらをつなぎ合わせて結論と呼ぶに等しいたしかな答えだった。それに対していくらオワリが理由をあげながら否定の意見をだしたところでそれに納得することは無い。
だからこそ、この話し合いはどこまでも不毛で終わりの見えないものになるかと思われた。
「シオン。自分の主観だけで出してしまった結論ほど危ういものはありません。世界は自分が思っている以上に自分に見えているものと現実のギャップが大きいものです。たとえシオンがどれだけ考えてその結果『自分は嫌われていて死ぬことを望まれている』という結論にたどり着いたのだとしても、それがシオンの主観による視点からしか物事をとらえられていないのならそんなものは何の意味も持ちません。だってそれはどこまでもシオンの想像でしかないのだから」
「……お前に僕の何が」
「分かりますよ」
「……っ」
「……分かりますよ。シオンがそういう結論に至った経緯も、そうするしかなかったというのも」
オワリは変わらず淡々と言葉を紡ぐ。
しかし、その言葉にはどこかこれまでとは違う色が見えた。ほんの少し、それこそ意識して聞いていても分からないような微かな違い。感情の欠片が滲んだようなオワリの返答にシオンのそれ以上の否定はない。
「シオンはおそらくシオンが思っているほど嫌われていませんよ。少なくとも私にはシオンの話を聞いてそう思えました。まぁ、もっとも……」
「なんだ?」
「……いえ、別に。見下されているというのはシオンのお兄さんを見ていた限りたしかにありそうだなと思っただけです」
オワリは喉元まで出かかった言葉を引っ込めた。
それを言うべきことでないことを知っていたから。