まだ走るのかよ その7
「ほれ、憑依させて見ろ」
と言われたので困っていると、
「名前を呼んで、命令するんじゃよ」
と良く分からない適切なアドバイスを貰う。
色々試すが、どうしても効果が出無い。最後に、昔の特撮風に、「『サザン』憑依!」と言い、右手を上げるのが唯一命令を聞いてくれた。
指輪からニュルニュルと湧き出し、俺を覆い尽くす。しかし、鼻や口に入られると息が出来なく苦しい。そして、暫くすると、皮膚や粘膜から何かが入って来るのを感じて息ができる様になった。そして、何事もなかった様に元に戻った。
意識が二つあるとか、何かが変わったとかは感じない。
(って、スライムに言語が有るのか? 話が出来るとも思わないのだが)
爺さん達が憑依した状態でいろというので、このまま山を走った。
俺達は、この後も、数匹のゴブリンを狩った。この辺りは、山が深いので妖魔も多いらしい。普通は、妖魔は人里近くには降りて来ないものだそうだ。ここの様に、山深くにひっそりと暮らしているのだそうだ。
倒すと「食って良い」と許可を与える。すると俺の体から出て、薄い膜になって包み込み、体内に入れると消化しているらしいが速すぎて良く見えない。
肉眼では、包み込むと、フッと無くなる感じだ。ちゃんと、消化しているのだろうか?
妖魔は、お互いに食い合いして大きくなるんだそうだ。魔物や妖魔には玉や核と呼ばれるものがあり、それを食べるのだそうだ。人で言う人魂や魂と言う部分だろうか。
体の方は、単なる栄養で、体の成長に必要だから食うだけで、特に喰う必要が無いのだそうだ。
最後のゴブリンを倒した時、木刀からバキッって音がした。
石に軽く打ち付けると、普段はコーンコーンと響くのだが、ガッガッと濁った音がしている。見た目は問題ないが、内部の何処かが折れたみたいだ。
お土産物屋の木刀だから仕方がないけどどうしようか? と迷いながら爺さん達について走った。
夜遅くに熊野灘に出た。
昼間なら太平洋が見えて居るはずだが、暗黒の世界が広がって居るだけだ。しかし、漂う潮の香りと漁船や航行する船の両色灯が見えるので、海なんだろうとは判断できる。
今夜は、海辺のビジネス旅館に泊まる。シーズンには釣り客が泊まるか、今は熊野詣の客が多いそうだ。
翌日、宿の人にお弁当を作って貰って、那智大社、熊野大社、伊勢神宮にお参りする。
「平地だから楽だろう」と言われるが、車だよね。この距離は車がいるよね。
(第一、俺は伊勢神宮なんて初めて来たよ)
内宮と下宮を回り、猿田彦神社もお参りする。ここにも滝がないので安心だ。
伊勢神宮のお土産物屋で、代わりの木刀を買おうか悩んでいると、「暫くは街中を通るので要らない。赤福の方が大切だぞ」と言われた。
(赤福って、饅頭が食いたかっただけだったのか?)
赤福が大事と言うのは、糖分補給の話らしい。おかげ横丁と言う所で、5個程食べさされた。
若者がそんなに食える物ではない。甘いのだが、じいさん達は8個は食っていた。
因みに、赤福は、おはぎの中を餅にした様な物だ。お餅の周りに、こし餡でたっぷりと包んでいる伊勢の名物だ。
伊勢講と言う宿に泊まった。旅館や民宿と言うより、時代劇の宿場街の宿みたいだ。
一応、電気は来ているが、昭和の初期で時間が止まって居る様だ。
ここでは酒も生物も大丈夫の様だ。昔の人は、ここでバカ騒ぎしたらしい。
翌朝、伊勢湾沿いの国道を北に向かって走り出す。
国道を北上して、お昼には松坂に着いた。
お昼ご飯は、松坂牛だ。勿論高いが、ビックリする程ではない。
「師匠、いつもお世話になっています」
「やあ、ありがとうな。いつものやつを頼むよ」
ここは爺さん達の知り合いの店らしい。店主が挨拶に来て居た。
松坂牛にもピンキリで部位によったら安い肉も有るのだそうだ。ただし、普通の肉に比べたら、非常に高い事には変わりない。
そのような肉は、普通のルートに流れず、このような店にくるのだそうだ。
食べ終わると、奇織の爺さんが店主と料金の事で言い争いをし出した。
「普段からお世話になっているので、ここの代金は必要ありません。また、何かあった時は助けてください」
「いや、そういう訳には行きません。ちゃんと正規の料金を取ってください」
全く、金を払う、払わない、で言い合いになっている。
その日の夜中、岐阜県の関市に着いた。
工場のような道場のような所だが、宿では無いようだ。
ここには多くの人が住んでいるらしいが、十分迷惑な時間に到着した。
「師匠! やめてくださいよ。こんな時間に」
「悪い悪い、途中、道が混んで居てな」
「混んでる訳ないじゃ無いですか! こんな時間に」
(ええ、そこっ! 第一、俺達は車じゃ無いし)
「こんな所で申し訳ありません。すぐに食事の準備をいたしますので、先に風呂でも入って頂けますでしょうか?」と、男性の奥様が聞いてくる。
「申し訳ありません」
俺は謝る事しか出来ない。
大きめの風呂でゆっくりとストレッチをして上がる。やはり、普通の家庭ではなく、大勢の人が生活できる様になって居る。
(ここは寮か何かだろうか? 湯船や脱衣場が明らかに大きい。寮と言われた方がしっくり来る大きさだ)
食堂で、食事が終わった後も先ほどの男性と爺さん達は盛り上がっている。野菜や豆をあてに酒を飲み続けている。ここの親父と爺さん、仲良いじゃん。
爺さん達は精進料理で俺は肉料理だった。爺さん達は、松坂牛以外はずっと精進料理しか食って居ない。よく体が持つものだ。
俺は先に部屋に帰ると、すぐに意識がなくなって、爆睡してしまう。
翌朝は、陽が高く登ってから起こされた。疲れた体に、蘇我の爺さんの声が堪える。
「いつまで寝とるんじゃ、馬鹿者!」
起こされても、もう体が疲れて動かない。今なら血の小便をする自信は十分にある。
起きると、ここは刀鍛冶の工房の寮であった。
工場の敷地の隅に、自宅と工員の寮と剣道場が建っていた。そんな所に、夜中に着いたらしい。
昼過ぎから、刀の使い方を見てくれるというので、剣道場に行く。
そこには、「はたき」を持った奥様が居た。
自分の木刀が折れていることを伝えると、道場の竹刀を貸してくれた。
面を打てと言うので、面を打つ。
中学の体育の授業で習った通り、振り被って一歩踏み出す、「メエェーーーーン!」
ブンッ! と鋭い風を切る音がする。
自分でも、こんなに力がついて居たんだと驚く。
「ダメねぇ。ブラブラしてるわよ」
「左手が軸線よりブレている」
「バットじゃ無い」
「チャンバラの殺陣じゃ無い」
等、散々怒られて心が折れた。
へこたれて居ると、奥様に練習の型? あるいは演舞だろうか? を太極拳の様にゆっくりと行う練習を教わった。
何箇所かの注意点、正確には何十箇所の悪癖の出る箇所を教わり、姿見の前で客観的に見て改善する方法だ。
いつの間にか子供達の教室が始まって居た。
「兄ちゃん、左肘が下がってる」
「兄ちゃん、竹刀の重心がブレてる」
等、好き好きに指導して行き、また居なくなった。
「いつまでやってるんだ? もう12時を回ってるぞ! 風呂入って飯食ってへぇこいて寝ろ!」
蘇我の爺さんに怒鳴られて我に帰った。もうすでに午前零時を過ぎていた。
気が付くと、ゆっくりとした動きなのに体から湯気が登っている。
(俺、何時間ここに居たのだろう?)
「もう風呂入って、飯食って、ヘェこいて寝ろ!」と言われるが、屁しないといけないのだろうか? 年寄りの言葉はわかりにくい。
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