妖精たち その195
喉を掻きむしり、口をパクパクさせているが、声も音もしない。
ただし、手足を動かす際の音は聞こえている。
葉月が悪魔の顔の周りを真空状態にしたのだ。
悪魔の様な高レベル妖魔には、人が放つ様な魔法は効かない。だが、悪魔の前の空間に有る空気は別だ。
そして、俺が奴の顔の前に、葉月の真空より大きい物理障壁の球体を張る。俺は、魔法が使えないので、指輪の魔法だ。
そこにフローラが小麦粉を発生させる。
次第に悪魔の顔が見えなくなって行く。
「……メハァー!」
桜木が結界を破って、かめはめ波を撃った叫び声が聞こえる。
桜木の手袋はサザンの作った魔法の手袋だ。この程度の人間が張った結界などを微塵も障害にすらならない。
アニメ通りの火の玉が悪魔の顔を目指して飛んで行く。
魔法の火球は物理障壁では防げないので、俺が張った物理障壁は通過する。
火球はフローラが作成した小麦粉に火を付け、葉月が作った真空状態の空間を貫いて悪魔に当たった。
火球は喉を掻きむしっている悪魔に当たって消えた。
圧倒的なレベル差で有る。ドラゴンや悪魔を倒して来たサザンだが、まだまだサザンの魔法は悪魔とはレベル差があるのだ。
しかし、火球の外側の色は金属粉を燃やして出しているのだ。
そして、現実に存在する金属粉は物理障壁を越えることができず、フローラが作った小麦粉を取り囲む。
中の小麦粉は、高温に燃え盛った金属粉に熱せられ、直接火球に燃やされて、密閉された空間で一気に酸化して炭化した。
悪魔は、胸の中を真空にされて苦しんでいる所に空気があったので思いっきり吸った。サザンの魔法の物理障壁など、悪魔にとって屁でもないのだ。
グーウォ!
悪魔が空気を吸う音がする。
俺は悪魔の身体が腐る何かを防ぐ為に魔法障壁を1m程先に張る。1m程先に張ったのは、1cmごとに張れば百枚張れると踏んだからだ。
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
俺は一気に5回程魔法障壁を張った。
サザンの魔法はあの悪魔には敵わないので、数多くの防御壁を張ったのだ。
俺は魔法の指輪を使って、急いで魔法障壁を次々に張って行く。この負け戦、ひっくり返すには時間との勝負だ。
「もう終わりかぁ?」
悪魔のいやらしい笑い声が聞こえる。
空気が吸えて余裕の表情だ。
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
「魔法障壁」
俺は時間内に十連発で魔法障壁を張ったが、そこで時間切れだった。
「よーし、腐り落ちろぉ〜」
低い朗々とした声で、悪魔が最後の宣告をする。
悪魔が右手を前に突き出して、魔法と言うか波動と言うべきか、何かの力を出してくる。
音がしていたらパリン! だろうか?
何かの力によって、張った魔法障壁が壊れて行くのがわかる。まあ、順に壊れて来るのだけど。
俺は後ろの葉月に謎のパワーが掛からない様に両手を広げる。
15瞬は持っただろうが、大した時間も稼がれ無かった様だ。
身体の奥の方までジーーンとした強烈な痛みと不快感が来る。
本来、腐ると言うのは腐敗菌に身体が侵食されて行くことなのだが、これは褥瘡の痛みに近いのだろうか。
何の対策も打てないまま崩れる身体で耐えていると、視力や聴力が落ちて来たし、立っているのもやっとになった。
ドタッ!
見にくい目で見ていると、黒い大きな影が倒れている。奴だ。
やっと、脳内に酸素が回っていない事を自覚したのだろう。
見ると、悪魔は黄色い何かを口から出している。
「ふふふ、お前らの身体の中には赤い血が流れているのは知っているのだよ。身体は動かないが、まだ俺の声は聞こえているだろう」
俺は苦痛に耐えながら、床に寝ている悪魔に話しかける。
「残念ながら、運動神経が先にやられるんだ。知覚は遅れてやられるので、もう直きに聞けなくなるけどな」
「さあどうだ? ここらで手を引かないか?」
俺は一息置いて、互いに引き上げる様に交渉する。
「グゲッ、ググッえ」
運動神経がやられている悪魔が、既に何を言っているかわからない。
「おい! もう終わり……。」
俺が喋っていると悪魔が消えた。
「はあ、はあ、はあ」
振り向くと、大きな息をしながら栃原部長代理が結界の向こうから、魔法の杖を結界の中に突き入れていた。
床に描かれた魔法陣の一部に、黒いインクがかかって消されていた。
インクの量は、パイロットの普通のインク瓶程度の黒いインクが、血で描かれた魔法陣のほんの一部が消されていた。
どうやら魔法陣が消されて、向こうとこちらの通路が消えたので、悪魔は消えたのか向こうに帰ったのだ。
「終わったのか?」
「終わったのか?」
思わず出た言葉が桜木の言葉と重なる。
「勇人?」
葉月が聞いてくる。
(いや、なぜ疑問形?)
「腰のポーチの中に、先月の残りのハイポスプレーが入っている。
ちょっと打ってくれ」
俺は腐った身体で、腰を葉月の方に突き出す。
「勇人! どれ!」
「ほれ。 サザンから打ってくれ」
葉月が俺のウエストポーチの中を探す中、俺はポーチを開けやすいように腰を動かす。
あった! あった! 勇人、あった!」
「あるよ。入れてあるからな」
「サザン、外に出て、治療をしてもらってくれ」
ニュルと色の変わったスライムが俺の身体から滲み出て来た。
プシュ!
プシュ! プシュ! プシュ!
葉月がサザンと俺に再生の魔法のハイポスプレーを打ってくれる。
急速再生の魔法なのに、ゆっくり回復して行く気がする。
後で聞いた話だが、この時の俺の体は、腐った組織から血膿が噴き出して、相当臭くてグロかったらしい。
「勇人、休んで! もう寝て頂戴! 治療するわ」
葉月が背後から抱きついてくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「もう少し用事があるから、少し待っててね」
葉月の泣いている顔が、破顔して言った。
「死ね。クソ勇人!」
(死ねって、それにクソって)
俺は、戻ってきた頬の肉を収縮させて、ニタリと笑う。
顔の表情を動かすと、皮膚が張って痒い。
俺は、数歩歩いて右手を上げて指を指して言う。
「お前ら! 自分の願いを叶えるのに、他人の命を使うとは何事かっ!」
「他人の命より、男と引っ付くことが大切か!」
「男や女は、自分の魅力で振り向かせるものだ」
動くと、腐った肉が体から剥がれて行く。ズボンの中に組織が剥がれ落ちて行くし、シャツの中の腹の前に溜まって行く。
これが中々気持ち悪い。
「そんなこと、そんな事、解っているわよ」
「出来たら、していたわよ」
「出来ないから、こんな事を頼んでいるのよ」
「そうよ」
「そうよ」
願い事を叶え様としていた女性が、口々に反論して来る。
「じゃあ、自分の命を使え!」
「自分の命で、叶えたいと思う願いだけに、一生に一回だけ、願い事を叶えてもらえ!」
喋ると、口の周りの皮膚が張って、痒い。
左手で、顔を掻くと、顔の組織と皮膚がズルッと落ちた。
「ぎゃー!」
「来ないで!」
「ごめんなさいっ!」
グクッ。
「ウオォ」
その時、司会の男と女性達が悲鳴を上げた。ただし、一人だけ、悲鳴を上げずに黙って倒れた。
目の前に立っている人の顔が崩れ落ちたら、まあ、普通の反応だろう。
もちろん、下から再生の終わった新しい顔が出て来るのだが、まだボンヤリと光っている。再生中なのだ。
「おい! こいつらは貰って行くぞ!」
俺は、四角い箱に掛けてある布を払って、蓋を開けた。
そこには、四方を鉄格子で囲われた、小さな檻が有ったのだ。天井に開けるようになった蓋がついていた。妖精の力では、鉄製の蓋は持ちあげて開けられなかったのだ。
ふたを開けると、中から妖精達が飛び出して来た。
「ギギギギィギィ」
「ギュギグわひひギュわ」
カナブンとてんとう虫とチョウチョの恰好をした妖精達が、飛び出して来て、多分何かを言っている。
「捕まっているところを助けて頂いて、助かりましたわ」
そらそうだろう。最後に出て来たアゲハチョウの妖精が、二度重複した日本語を話している。
「ギギギギィギィグウワギュわ」
「ぎぎぎぐぐひゃぐり」
フローラが、仲間のところにパタパタと飛んで行き、なにかを喋っている。
多分、会話だと思う音を立て合っている。
「おい、一緒に連れて来られたやつは、他には居ないのか?」
「私達だけよ。他には見なかったわよ」
俺の質問に、フローラが振り返って答える。
俺は司会の男にも聞いた。
「他には、妖精達は召喚して居ないのか?」
「ああ、今居るのはこいつらだけだ」
司会の男は、恐怖心で顔を曇らせて答えた。隠し事をしているのではなく、単に、腐り落ちた顔の下から、まだ暗く光っている普通の顔が出て来たことが怖いのだ。
この司会の男だって魔城は使う。しかし、それは魔法陣を床に書いて、しっかりと下準備をしての事だ。
最近、ネットに上がっているような、大量のゾンビを一瞬で倒したり、迷宮でトロールを倒したり、箒で空を飛んだりする事など全く胡散臭い話で有る。
少なくとも、自分が教えて貰った先輩や教師の中には、魔法陣も描かず、詠唱もせずに魔法を使う者などいなかったのだ。
それがこの男達は、一切の詠唱も唱えずに、せっかく召喚した悪魔を打ち殺して、尚且つ戦いで傷付いた身体を再生中なのだ。
それが、姿形は自分より7、8歳も年下の高校生だ。
自分たちを殺す気はなさそうなので、直接の恐怖は無いが、どちらかと言うと畏怖の念に近いものがある。絶大の力を持った魔法使いが目の前に立っていたのである。
「よし。もう二度と他人の命を自分のために使うなよ」
「え? 悪魔の召喚は構わないのか?」
横から桜木が効いて来た。いや、ツッコミに近い質問だ。
「他人が、どの様な魔法を使おうが知った事じゃ無いよ」
「ただ、他人に迷惑をかけなければ良いのだよ」
「ましてや、人の命を使うなど許される事じゃ無いさ」
「ただそれだけさ」
俺たちの前を、その司会者の後ろを、先ほどの女性が、馬や羊のマスクを被った裸の男に担がれて通って行った。
俺もだが、桜木もそれを目で追っていた。
「何を見ているのよ。スケベ!」
「勇人って、したいだけじゃないの」
葉月が、俺の腹にグーパンチをして、左手を引いて教壇を降りていく。
(したいだけって、だけじゃ無いよ)
「はづキィ~、怒ってるノォ?」
フローラが、パタパタと飛んで来て、葉月に聞いている。
「全然! 怒ってなんかいないわよ!」
「ふ~ん」
言葉の端々がとんがっている。角が立つと言うレベルでは無い。
「勇人ぉ、また、怒られてるのぉ?」
「怒られてねぇよ」
「でも、葉月がおこってるよぉ~。」
「お仕置きよぉ。お仕置き」
ヒラヒラとアゲハチョウの妖精が飛んで来て話に入って来る。
「俺は何もしていねぇよ」
「また正座させられて、お仕置きされるの」
「お仕置きって何だよ。どこで日本語習って来たんだよ」
「私は、一万九千年前に、人間と話した事があるのよ。その時に覚えたのよ」
「え、一万九千年前に?」
アゲハチョウの言葉に、後ろからついて来ていた桜木が驚いている。
「こいつらの一月はこっちの一時間だよ」
「つまり、こっちの720倍の速度で時間が流れているんだよ」
「え、お前何言ってるの?」
「一万九千年前と言ったら、こっちでは約26年前だ。26年前と言ったら、俺生まれてないわ」
「『月に代って』か?」
「ああ、多分そうだろう。見てたのだろうな、その人間が」
「第一、一万九千年前って言ったら、縄文時代かな。今の日本語が通じないよ」
「なるほどなぁ」
桜木も誤解が解けたようだった。
階段教室の机と机の間の通路を葉月に引かれて登って行く。
「帰るわよ。こんな所にいると、勇人が裸の女の人ばかり見るんだもの」
(いや、連れて来たのは君達ですけど)
葉月が怒っている原因が分かったのだが、そこは反論しないでおく。
「お仕置きよ。お仕置き。お仕置きするのよ」
「勇人、正座してお仕置きされるの?」
「正座もお仕置きもないよ。帰るんだよ」
「お前達も、もう帰れよ」
「あら、私達は帰られないわよ」
「え? どうして?」
「え?」
「え? 帰らないの?」
三人が一斉に驚いて、聞き返した。
「だってぇ、無理矢理呼ばれたのですものぉ、帰るのにも準備がいるわよぉ」
「そりゃ、そうか」
俺は妙に納得してしまった。
カバンを元いた机に回収に来ていると、栃原部長代理と甲虫の妖精達が追いついて
来た。
周りの見学客達も、折角の悪魔の召喚術が中止になってしまったので騒ついている。
そこで、栃原部長代理とその周りに飛ぶ妖精達を奇異の目で見ているのだ。
「早く荷物を持ちなさいよ」
「帰るわよ」
「はい、はい」
俺はかがんで、机の足元に置いていたカバンを拾う。
「さっ、帰るか?」
「お前らも、一旦、俺の家に来るか?」
俺は妖精達に問いかける。
「おう、ちょうど良いな」
「寄って行くな」
「あら、お邪魔して、迷惑じゃ無いかしら?」
桜木達が返事をして来る。
(どうしてお前らが答えるのだよ)
俺は、鬱陶しそうに二人を睨む。