爺さん再び その188
「孝」
呪文と言うほどの事は無い。玉の中に書いて有る文字を読むだけだ。
全長4.5mのくまさんカットのポメラニアンが現れた。
頭や体の上部は部屋の天井板で見えない。
これは、あくまでも犬の格好をした結界なのだ。現実に有る訳じゃないので、俺や佐藤先輩には見えていない。
「ああッ? へっ?」
霊能力者のおばさんが変な声をあげた。
「何を?」
喜美絵と呼ばれている子は、驚いて動かない。
「ウワアァ!」
信者達は、悪霊と結界犬「クー」を見て、腰をぬかさんばかりに驚いている。
「クー! 奴らを全て喰え!」
富士見さんはそう言った。
結界犬は、あくまでも犬の形をした結界に過ぎない。知能も掃除機ロボット程度しか無い。俺が組んだプログラムなので間違いない。
「ガウッ! ガウッ!」
結界犬は、その悪霊達に襲いかかり、一瞬にして大半を食っていた。
続いて、溢れたもの、逃げた者たちを追い掛けて食っていた。
そこに、朱雀と言われていた小鬼が立っていた。一瞬だった。抵抗もさせてもらえず、食われたのだ。
「あ、朱雀!」
「ダメ! クー!」
二人の少女が同時に声をあげたのだ。
「クー、その子はダメ。出して」
悪霊を追いかけて、庭に降りている結界犬は、全てを食べ尽くして、こっちを振り向いて尻尾を振っている。
除霊を行なっていた部屋は、障子がしまっており、その向こうが廊下になっている。いわゆる縁側だ。その廊下は雪見障子、ガラス戸、雨戸と三重の扉が設けられており、季節や時間によって使い分けるようだ。
ただ、悪霊や結界犬にとって、なんら障壁にならず、自由に行き来しているのだ。
食ったものを出すように言われた結界犬は首を傾げて、
「クーン」
と鳴いた。
「クー、その子は食べちゃダメ!」
「出して、返しなさい」
富士見さんは、確かにそう言った。
そして、命令を受けた結界犬「クー」はグルグルとその場で回り始め、背中を丸めてお尻を突き出して中腰になる。
そう、ウンチのポーズだ。
そして、ポトポトと長い(自主規制)ブツが出て来た。
「矢嶋先輩、大丈夫ですか?」
栃原部長代理は、矢嶋先輩の頭を抱き抱えてお茶を飲ませている。
「鼻を洗って下さい」
矢嶋先輩はティッシュに鼻の中の物を洗い出そうとして、のたうち回っている。
「藤波ぃ、何かキラキラしたものが混じっているぞ」
クーの排せつ物を撮影している桜木が、報告している。
「お前がとどめを刺したと思っていたら、栃原先輩がまだ刺しているな」
「え? 何言ってるの?」
「ああ、矢嶋先輩か」
「あれは助けてると言うんだよ」
「お前じゃねぇーぞ」
「この間の蛟や、さっきの小鬼じゃ無いの」
「ところでさ、どうでもいい情報なんだけどさ」
「なんだ?」
「辛子の成分のカプサイシンなのだけどな、水溶性なんだよ」
「で?」
「水やお茶で洗うと、余計に溶けて嗅神経を刺激するんだ」
「わさびには、あれで正解なんだけどさ」
「何?」
「油で洗うのがいいと、世界の常識になっているんだよ」
と、俺は借りて来てあるサラダ油を指差した。
「お前! 馬鹿! ワザとやっているだろう」
「しらねぇよ」
桜木が、介抱されている矢嶋先輩の元に、サラダ油を持って走っていった。
栃原先輩は、桜木に何かを言われて、こちらを見てサラダ油を鼻や口に注いでいる。
「藤波、どうしよう。クーがちっちゃな小鬼を食べちゃった」
「大丈夫、腹なんか壊さないよ」
「違うの、他人の式神を殺しちゃった」
「死んで無いし、殺していないから」
「だって、ミンチになって、出て来ちゃったよ」
俺には、ミンチの小鬼どころか、クー自身が見えていない。
「他の悪霊を処理したら、小鬼だけ残るだろう」
「そうなの?」
「いや、知らん」
喜美絵と言う子が、庭のミンチを見て呆然としている。
「霊ピンセットとか霊トングとか無いのかよ」
俺は富士見さんに聞いてみる。
「無いわよ。幽霊をピンセットで摘むことなんて無いもの」
「じゃあ、あれだな。例の爺さんに頼むか?」
俺は振り返って、葉月に頼んで見た。
葉月は、矢嶋の介抱が終わった栃原部長代理を連れて出て来た。
「あ、ごめん。いつもの爺さんを呼んで欲しいんだよ」
「悪霊と言っても、元は人間だから、行くべき所に送ってやってあげたいんだ」
「御使よ。そんな呼び方しちゃダメよ」
二人は呪文を唱え出した。もう慣れたものだった。二人の息もピッタリ合っている。
ギイイィ、ギイイィ、ギイイィ。
櫓を漕ぐ音が近づいて来る。
本来、俺には聞こえない音だ。それが聞こえると言うことは、何かを物質化させて空気を振動させているのだ。
そして、俺は耳をすませて、音のする方向を探した。結果、音の発生源は、多分、建物の奥の方、あるいは、建物の向こう側だった。
縁側に栃原先輩と葉月がこちらを見ている。後、霊能力者のおばさんと信者達だ。何が起こっているのかとこちらを興味津々と驚愕の顔で見ている。
富士見さんと喜美絵と言う子は庭に降りて来ている。
俺は、見えない敵に構えた。
腰を落とし、手を前に出して構えている。いつ、空飛ぶ船が実体化しても良いように用心した。
ガンッ!
右側頭部に何かが当たる。
鋭角に尖った形に板を組み合わせて有るもの。上部は、より俺の方に反り返っている。
船も舳先だ。伝馬船だが、川舟なので船底が平らだ。いわゆる、時代劇でよく見る川の渡し船だ。
その川の渡し船が、1mほど浮いて突然現れたのだ。
船の舳先が、揺るぎない力で右から左に押して来る。
身体の向きを変え、舳先を押し返すが止まらない。庭に降りるのに、下駄に履き替えていたので、踏ん張りが利かず仰向けに倒れてしまった。
「きゃあぁぁー!」
喜美絵という子が悲鳴を上げて、腰を抜かしている。
「なっ! なっ!」
霊能力者のおばさんが何かを言っているが、言葉になっていない。
「クソジジィ! 毎回、毎回、俺にぶつけないと気が済まないのかよ」
「藤波君、御使よ」
「フォ、フォ、フォ、フォ」
「バルタン星人かっ!」
「お前達、何を呼び出しているのじゃ」
俺達がいつもの掛け合いをしていると、霊能者のばあさんが驚きの声を上げているが、誰も聞いていない。
三途の川の渡しの船頭は、舟を俺にぶつけた後、実体化を辞めて、姿を消している。
「おい、爺さん、この辺に悪霊のミンチの山が有る筈なのだが、元は人間なので連れて行ってやって欲しい」
「無理なら言ってくれ、こっちで消滅させておくから」
「野に放つ訳にはいかないので」
俺は、悪霊のミンチの山が有る辺りを指さして言った。
「藤波、右、右、ウンチは後ろだよ」
「お前、覗きレンズを使えよ」
「ああ、この辺か?」
「ああ、別に見えなくても困ってないし」
俺は身体の向きを少し変える。
ブックマークが一つ減って、一つ増えました。
増やしてくださった方、ありがとうございます。