正確に速く回答する その180
物音一つさせずに全員が突っ立っていた。
富士見さんがマイクを持ち替えて、右手を上げて鏡を指したまま動かなくなっている。他のメンバーもマイクや照明、カメラを向けたまま動かなくなっている。
俺は顔を上げると、富士見さんと目が合ったので、笑顔で答えておく。
他のメンバーは背中しか見えないが、時間が止まっているようにピクリとも動かないでいた。
30分が過ぎた頃、俺は、勉強がひと段落ついた。巻末の試験が解き終わったのだ。
顔を上げると、六人とも先程と変わらない姿勢で固まっていた。文字通り、ピクリとも動いていないのだ。
(こいつら、何やってんだ?)
どう見ても異様な光景だった。
富士見さんは右手を上げて鏡を指した姿勢でいる。
栃原部長代理は、両手を上げて、マイクを差し出しているし、佐藤先輩は照明を富士見さんに当てたまま動かないでいる。
(こいつら、もう、鏡の中の自分に身体をコントロールされているのか?)
(まあ、この状況から言って、間違いないな)
俺は、周りを見渡し、状況を再確認する。
30分前と状況は同じで、変わっていない。
「ああ、お前ら、もう始まっているの?」
「で、もう、鏡の自分にコントロールされているのか?」
「しかし、30分程動いていないけど
何待ち?」
俺が喋りかけても、誰一人として返事をしない。いや、ピクリとすら動かない。
(あーあ、やっちゃったよ)
俺は、鏡の端から鏡面に直角に垂線を引いたラインまで進み、鏡を見る。
皆は写っているが、勿論、俺は写っていない。
俺は周りをまた見る。やはり、なにも変わったところがない。
何処かに、心霊か妖魔の類が隠れているはずなのだが、それが分からない。
俺には、全くそう言う能力が無いからだ。
鏡、拘束、体の乗っ取り、コントロール等、思い付くワードを並べて見るが腑に落ちるワードが無い。
寄生蜂に、蜘蛛に子供を寄生させて、子供が使う糸を吐き出させると言う事がある。しかし、この場合は寄生でもなさそうだ。
一体、体の自由を乗っ取って、何がしたいのか分からない。
俺は、鏡と6人との間を進み、顔を6人の方に向けている。
左手側に大きな鏡、右手側に6人が動けなくなって立っている。その6人の顔を見るように、やや振り返り気味で歩く。
そうすると、受け付けカウンターに、操り人形のピエロが座っていた。
俺は、鏡に背を向けてそちらの方に向かう。
カウンターに坐っているのは、全長30cm程の操り人形のピエロの人形だ。コントロールする十字の木の棒が横に置いて有り、そこから手足、頭に毛糸の糸が繋がっている。
身体をコントロールすると言うキーワードが一致する物は、このピエロの人形ぐらいだからだ。
俺はカウンターの前に立ち、ピエロの人形にデコピンをする。
もわっと埃が上がるが、何も起こらない。
「おいっ、分かっているだろうな。俺の仲間に何かあったら、ただじゃおかねぇぞ」
「お前の首を捥ぐなんて事は何時でも出来るのだからな」
俺は右手でピエロの胴を掴み、親指で顎を弾いた。
バン!
廊下の端の救急処置室の扉が開き、少女が走って出て来た。
「キャアァァー!」
悲鳴を上げて、走って来る。
両の眼には鋏とメスが刺さっており、血の涙を流している。
その後ろを、緑色のオペ着を来たドクターが追いかけて来る。帽子にマスクにプラ手、裸足にゴム草履まで再現されている。
俺は、ピエロの人形をカウンターに戻して、5、6歩程後ろに下がった。勿論振り向いたり、後ろを確認したりはしない。
左の廊下から走って来る少女は、向かって左に、この所にとって右に軌道修正して走って来る。
俺はさらに5、6歩下がった。もう、後ろに下がる余裕はない。
いや、後ろに入る余裕はない。
「キャアァァーーッ!」
「痛いよ〜!」
少女は悲鳴を上げて走って来る。
が、俺が後ろに下がったので、行き場を無くしたように止まってしまった。
俺は、黙って少女を見下ろしている。
「た・す・け・てぇ」
「痛いよ〜!」
「ふむ、俺にたすけて欲しいのか?」
「痛いよ〜!」
「たすけてぇ〜」
俺は笑いながら少女に話しかけた。
「まあ、俺に見えて、俺に聞こえていると言う事は、実体化してくれているんだな」
「そのLEDの電灯の可視光線の光がお前に当たって反射している訳だ。それに、どこで喋っているのか、この部屋の空気も物理的に振動させてるのだな。
おかげで、見る事も聴くことも出来るぜ。ありがとうな」
「ところで、この病院は、眼科は標榜していないんだよ。だから、お前のその格好はあり得ない。後ろのドクターは、外科のドクターの格好だしな。眼科のドクターとは違うのだよ」
「一体、誰の記憶の具現化なのだ?」
「たすけて〜」
「その金属に見える鋏は何で出来ているのかな?」
「抜いてやろう」
「た・すけ……て」
俺が、少女を捕まえようと手を出したら、2、3歩下がって消えた。
「チッ」
俺は、舌鼓を打って、右回りにカウンターの方を向き直りながら歩き出す。
「もう一度言っておくぞ、俺の仲間には危害を加えるな。分かったな」
「俺の仲間は、この娘と」
俺は後ろを向いている富士見さんの右肩を触る。
「こいつと」
次に、こちらを向いて、右手でカメラを持っている桜木の左肩を触る。
桜木は、俺を見ては、目を天井に向けて、何か合図している。
(何かの合図なのだろうが、サッパリ分からない)
俺は、桜木の合図を、全然理解出来なかった。
そして、そのまま歩いて行く。
「そして、この女な」
こちらを向いている栃原部長代理の肩に触れる。
「最後はこいつ。と」
「全員で四人だ」
葉月の俺と反対側の方を触った。
俺は、桜木が見ていた辺りの天井を振り向き、ゆっくりと見て言った。
「よく覚えておけよ。この四人だ」
そして、葉月の耳元に口を近づけて言った。
「な、俺は何もしていないぜ。これからもするつもりはない」
そう言うと、元のテーブルに着いた。
俺は、再度、参考書と問題集とノートを取り出して、勉強を続けた。受験勉強は、集中力をどれだけ維持していられるかが勝負だ。思考力の柔軟さや反転の思考力などいらないのだ。参考書や過去問を、どれだけ正確に、沢山覚えていくかが大切なのだ。
問題集を一科目終わって、我にかえる。時間にして約13分30秒経っているだろう。いつもそうなので、測る必要も無い。
「こいつはどうなってもいいのか?」
矢嶋先輩が上を向いて、左手の指を立てて左目に当てて叫んでいる。
俺は、つい振り返り、矢嶋先輩を見て、深呼吸をしてしまった。
「チッ! 3秒失った」
俺は悪態を吐いて、次の科目を解く。もはや、解くと言うより、記憶しているものを書くだけだ。
正確に速く回答する その180