勉強中 その179
「はじめ、手前から4つ目のベッドの枕元付近の天井を撮って」
「ああ」
そこには、煌々と輝く光の粒子の塊が大きく映っていた。人のサイズより遥かに大きく明るい。
「何体も悪霊が集まっているのよ」
「わかりやすく言うと七人ミサキの病院版かしら。次に弱って、死にそうな人を待ってるのよ」
「取り憑かれるとどうなる?」
「元気が無くなって、いずれ死ぬわよ。現実的には、病気になって、死んだり、鬱になって自殺したり、事故に遭うわよ」
「近づいちゃダメよ」
「怖いのなら、俺が撮ってきてやろうか?」
栃原部長代理は桜木を見て首を横に振っている。
「お子ちゃまなら無理だろうけどな。男なら、怖がってたらダメな時もあるんだよ。はじめちゃん」
「矢嶋、止めとけって」
矢嶋先輩の煽りを佐藤先輩が諌めているが、ここで桜木の欲が出た。
「すみません。俺には怖くて撮影に行けないので、撮ってきてもらえませんか?」
「おい、桜木ッ!」
「はじめ、危険よ。藤波君とは違うのよ」
桜木は、何も無ければ無いで良いのだが、何かあったらあったで儲け物だと思ったのだ。
しかし、藤波の名前が出たのがいけなかった。矢嶋は、勉強だと言って参考書を読んでいるだけのモヤシ男を、皆が一目置いているのも気に食わなかった。
「ああ、俺が撮って来てやるよ」
「こんなの何もねぇじゃねぇか。何が『タチの悪い霊がいます』だよ」
矢嶋先輩は桜木から、予備の普通の高感度カメラを借りて、撮影に行った。
矢嶋先輩は、何も見えていないので、ヅカヅカとICUの中に入って行った。
一応、ナースセンターやらひっくり返った床頭台などを映していたが、件のベッドの前で振り向いた。
「このベッドの天井の辺りか?」
「何も無ぇぞ!」
右手でビデオカメラを構え、左手で天井を指している。
桜木は、矢嶋先輩のカメラのパンが速いことが気になった。あの映像は見難いだろうなと思っていた。
自動扉の入り口の方から、佐藤先輩が照明を当てているし、桜木の持っているカメラのライトも点いている。ましてや、自分のカメラのライトも点いているので、明るいのだ。
そこには、実体のある者は何も居ないのは、誰の目にも明らかだった。
その時、矢嶋先輩の背筋に悪寒が走った。
(チッ! あいつらが、あんな事を言うから、気持ち悪いじゃねぇか!)
彼は、そう思っただけだった。
ビデオカメラのモニターを見ながら撮影していた桜木は驚いた。
光の粒子の塊が、矢嶋先輩の頭の周囲に集まって来たと思ったら、鼻と口から、呼吸に合わせて体のなかには入って行ったのだ。
エクトプラズムが口から出て来る写真は見た事があるが、現実に口から憑依するとは知らなかった。
「憑依されちゃったな」
「だから言ったじゃない」
「矢嶋の奴、取り憑かれたのか?」
「ええ、多分」
佐藤先輩は、矢嶋先輩が悪霊に取り憑かれた事を心配している。しかし、他のメンバーは大して気にしていないようだった。
通常のビデオには何も映っていないが、桜木のビデオカメラには、憑依する瞬間が映ったのだ。
本音を言うと、桜木は矢嶋先輩の体の心配より、映像が撮れた事を喜んでいた。
「矢嶋先輩、もう良いっすよ」
「戻って来て下さい」
「何処も異常ないですか?」
桜木の心配をよそに、矢嶋先輩が笑いながら帰って来た。
「何も無かったよ」
「お前ら、ちゃんとしろよって事だ」
「なんとも無いし、幽霊なんていねぇ〜んだよ」
全く何も無かったように、矢嶋先輩は桜木にカメラを返して来た。
佐藤先輩が、栃原部長代理に小声で聞いている。
「このまま、矢嶋を放って置くとどうなる?」
「そうね、その内、衰弱して死にますね」
「衰弱する前は?」
「自然と気付かぬうちに自ら悪い方の選択をして、二進も三進も行かないようになって、気付いた時にはどうにもならないようになります」
「明日にでも、知り合いの霊能力者の所に連れて行くわ」
「その方が良いですね」
小声の会話が、全てマイクに拾われていた。
モニターしている桜木がほくそ笑んでいる。
桜木は、階段を昇る富士見さんを前から撮っている。
次は、三階の様子を見に行く。
富士見さんがレポートしながら階段を登って行く場面を、桜木が後ろ向きに昇って撮っている。
勿論、スタッフも全員桜木の先に上っていて、後ろ向きに昇っている。
三階、四階は、中央部にナースステーション、隣が重症者の部屋、向かい側がトイレ、汚物処置室、左右に病室が広がっている。右側が個室、二人部屋、左側が四人部屋だ。
荒らされて散らかっている各病室を覗くが、特に変わったところは見られなかった。
変わったところと言えば、何人かの、未だに入院されている霊体が住んでいるぐらいだ。
ただ、何体かのたちの宜しく無い霊体は、矢嶋先輩の事が大好きな様で、自ら寄って来ては取り憑いて行った。
それらは、モニターを覗いていた佐藤先輩と桜木にも見えていた。
「桜木、矢嶋に取り憑いている幽霊が増えて行ってるぞ」
「そうですね」
佐藤先輩は、矢嶋先輩に取り憑く霊体が増えて行くことを心配していたが、桜木は内心喜んでいた。
この後、一悶着起こしてくれたら、ネタになるからだ。
「まだ元気そうですし、心配ないでしょう」
何の根拠もない、適当な返事だった。
一行は、全病室を巡り、全員で一階まで降りて来た。
「この病院は、特に不思議な点は有りませんでした」
「あの一階の鏡を除いて」
「ぶっ! 止めて、もう」
緊張感を増していく富士見さんの喋りが途中で壊れた。
皆が一斉に振り返ると、その件の鏡の前で、何事もなかった様に受験勉強をしている藤波がいた。
皆が撮影に出発して、一時間は経っているのだ。その間、ずっと、そこに座っていたのだろう。
廃病院の待合室だ。長椅子やテーブルは隅に積み上げられており、壁は落書きだらけ、そこで、白いLEDライトに照らされて、ずっとテーブルに座って、勉強をしているのだ。知り合いだから笑えたが、知らない者なら、あまりにもシュール過ぎて恐怖しただろう。
「藤波ぃ、何してるんだよ」
「写り込んじゃってるよ」
「オウ! お帰り」
「何か撮れたか?」
桜木が声を掛けてきたので、俺は一瞬だけ顔を上げて、右手で挨拶をする。
「ああ、面白い映像が沢山撮れたぜ」
桜木が右手親指を上げている。
入り口側から、俺がいる側から見て、左手に件の鏡があり、右手に各科受診受付のカウンターがある。
そこを、左手側手前に瀬戸山さん、奥に栃原部長代理がマイクを持って後ろ向きに歩いて来る。
右手側手前に矢嶋先輩、奥に佐藤先輩が照明とバッテリーを持って後ろ向きに歩いて来る。
中央を桜木が、カメラを持って後ろ向きに背を向けて歩いている。佐藤先輩が桜木の影が映らないように、照明の位置を加減している。そこは、経験者の腕の見せ所だ。
その後を、本日のMCの富士見さんがレポートをしながらこちらを向いて歩いて来る。つまり、視聴者には富士見さんしか見えていないのだ。
「鏡に姿を写すと身体を乗っ取られると、噂のある鏡 が有る病院ですが、他の部屋では特に異常が有りませんでした」
「では、一番怪しい件の鏡を調べて見ましょう」
「こちらの鏡が、その…………。」
………………。
俺が勉強していると静かになった。