ラビット星人 その163
小一時間ほどで二人は帰ってきた。
栃原先輩が財布を返しに来た。
「瀬戸山がどんな下着を買ったと思う?」
「え?」
「内緒だよ。今度見せてもらうと良いよ」
「だいぶ攻めてるよ。内緒だけど」
俺は、つい妄想してしまった。
俺の加わらない緊急会議が開かれて、蛟本体に説得し、納得して諦めて貰う事になった。
「如何して行こうか?」
「今急げば、最寄駅には十一時前に着けますよ」
誰かが、スマホで調べて言った。
「そこからどうするの?」
「雪の中だし、バスも電車もないぞ」
「白馬までなら、新宿からスキーバスがあるぞ」
「そこから雪山登山か?」
「おい! 藤波ぃ」
桜木がこちらに話を振って来た。
「俺は行かんし、葉月も行かさん」
「第一、長野か富山の方から伸びていたぞ。どれだけ遠いんだよ」
「あの距離であの強さだぞ! 近づいたら勝てねぇよ」
「如何してだよ?」
「お前は良いのだけど、あれだよ、あれ」
「相手が強すぎるのだよ」
「また、捕まえたら良いじゃん」
「遠く離れた触手でこれだ。本体は捕まえられるかどうか分からんよ」
「お前なら捕まえられるって」
「自信が無いから言ってるんだよ」
「じゃあ、もう良いよ」
「どうせ、瀬戸山さんが危なくなったら出てくるのだろう」
「葉月も行かさん」
「ところで、お前さぁ、あれ貸してくれよ」
「何だ?」
「シャトルだよ。みんな足が無くて困ってるんだ」
「お前、何言ってるんだ?」
「あれだよ、あのシャトルだよ」
「はじめ!」
二人の会話を聞いて、栃原先輩が桜木を注意する。
「なんだよ。あのシャトルだよ」
「はじめ! 言わない約束でしょ!」
(そんなに大きな声で「言わない約束でしょ」も無いものだ)
「してないよ。みんな困ってるのだし」
「しただろ! もうお前とは付き合わないよ」
「はじめ!」
「おい、藤波、ケチケチするなよ」
俺は荷物をまとめて、部屋を出て行こうとする。
「藤波!」
「勇人!」
と、扉の前に蘇我さんと瀬戸山さんが、俺を通さない様にしている。
「何を隠してるの? 出しなさいよ」
「勇人、許してあげるから、出しなさい」
(いったい、何を許してくれると言うのだろう?)
「何もしていないし、何も隠していないよ」
「嘘! 嘘を吐いても分かるのよ」
瀬戸山さんが、俺を問い詰めてくる。
部屋の隅で、「男なら約束を守りなさい」と桜木が栃原先輩に絞められている。
「シャトルって何?」
「機織り機の縦糸を交互に上下させている間を、横糸のリールが左右に走らすのだけど、その横糸のリールを入れる器具」
「違うでしょ」
「出しなさい」
瀬戸山さんは、何か小さいものだと思っているのか、手を出して来る。
「葉月、お前は行かさない」
「一緒に帰ろう」
「何言ってるの? 困ってる人が居るのに、助けに行くわよ」
「無理だから、相手は強すぎるから」
「だから、お願いしに行くのよ」
「お願いって……。」
(言っておくが、エンタープライズは居ないんだぞ。いざとなっても、惑星の反対側の惑星周回コースや恒星の陰に逃げられないんだぞ)
「お願いだ。無理なんだよ。ドラゴンとは訳が違うんだ」
「大丈夫よ。きっと」
(何を根拠に『大丈夫』だなんて言えるのだ!)
「藤波、出しなさい。早くしなさいよ」
「今なら、まだスキーバスが間に合うよ」
パシーーン!
瀬戸山さんが俺の左の頬を叩いた。
「しっかりしなさいよ。情けない」
(「情けない」って、どうして?)
「はい?」
「勇人には、困ってる人を助けようと言う気概がないの?」
「自分や自分の大切な人の命をかけてまで、助けようとは思わないよ」
「あいつの力を見ただろう」
「一万六千メートル上空まで、普通に追いかけてくるんだぞ。空気が薄くて、葉月は息ができなかっただろう。マイナス七十度の世界だぞ。飛行機も飛んでいないところだ」
「ええ? そんな所まで」
葉月自身が、移動した場所を聞いて驚いている。
「それに、葉月も先輩もおばさんも蘇我さんも、誰もどうにも出来なかっただろう」
「それが現実なんだよ」
「行くわよ! 準備しなさい」
瀬戸山さんの心の何かに火がついた様だ。
「後悔するよ。何人か死ぬかもしれないよ」
「貴方の判断は間違っていないか、再考した方がいい」
「誰が死んだって、それは君の責任だ」
「かまわないんだね」
「構わないわよ」
瀬戸山さんは、ちょっとしてやったりと顎を突き出した。
(全然、分かってないじゃねぇーか!)
葉月は危険性が理解していないと思うが、俺にはどうしようもない。
「行く人は?」
「全員よ」
蘇我さんが割り込んできた。
「無理だよ。乗りきらない」
「詰め込めば良いのよ」
「もう好きにしろ」
「おばさん、屋上を借りますよ」
俺は、全員にコミュニケーターを渡す。
「胸に付けておいてください。貴女たちの位置を割り出すのに必要なので」
「準備が出来たら、上から呼びますので」
「すいません、屋上までの行き方を教えて下さい」
俺は、残っている者にコミュニケーターをつける様に指示を出して、受付の事務員に屋上への行き方を聞いた。
俺は部屋を出て行き、エレベーターで屋上に出ようとしたら、葉月と蘇我さんが追いかけて来た。
「どこに行くのよ」
「何しに行くの?」
「シャトルを出しに、屋上に行く」
「おい! 待てよ」
龍山部長が追いかけて来た。
「????????????」
「俺?」
「待つけど、俺?」
「何?」
「待て」と言われて困った俺が聞いてしまった。
「俺も行く」
(えっ? いや、まだ、蛟の本体を退治に行くんじゃなくて、屋上にシャトルを出しに行くだけなのだが……。)
「なぜ?」
「えっ? 辛い作業なのだろう」
「俺でも手伝える事が有るだろう。任せておけ」
「暑い。ウザい。迷惑。一人にしてくれ。付いて……。」
「勇人!」
俺が思わず呟いた心情を葉月が止めて来る。
「いや、龍山先輩は危ないから、待っていてください」
蘇我さんが、龍山部長を断っている。
(多分、部長の狙いは、蘇我さんだろう)
エレベーターが来て、扉が開いた。
「誰だ? お前、乗るぞ」
「勇人、先輩よ。サッカー部の部長さん」
「確か、龍山部長。ちゃんと敬語を使いなさい」
エレベーターの扉を、(閉)の釦を押して閉める。
「ん? いらね」
俺は、本心を口に出す。
「龍山部長、危ないですから、向こうに着いたら、私から離れないでくださいね」
蘇我さんが自分から離れるなと言っている。
「えっ?」
龍山部長は、真里亞の側に居ろとの発言に対し驚いた様だ。
「多分、全学年通して、一番強いのですよ」
「彼女がやられたら、俺達には対処できる人は居ません」
「なのに、さっきは蛟に太刀打ちできなかった。つまり、そう言う事だ。先輩、死なないでくださいね」
「絶対、彼女の側にいてください」
俺は生き残る方法を伝授しておく。
がくんと揺れて、エレベーターのゴンドラが止まる。
最上階の6階に着いたようだ。ビルの上の方は、貸事務所になっているようだ。エレベーターの隣に給湯室とトイレが並んで有る。
給湯室の向こう側が階段になっているが、この階段は六階のこのフロアー迄だ。
屋上へ行くには、廊下の突き当たり、外階段になるそうだ。
下の方が錆びて来ている扉を押し開らくと、床が鉄板むき出しの外階段があった。
隅には灰皿が置かれてあり、このフロアーの勝手喫煙所になっている。
カンカンカン
鉄製の階段を上っていった。手摺も鉄製で、床同様、何度も重ね塗りをされている。
踊り場で向きを変えて階段を上がっていくと、遠くに夕日が見える。
薄くたなびく雲の向こうに夕日が落ちている。日が沈む山のシルエットの中で、一番高いのが富士山だ。その左側の影が大室山になる。
空は赤く染まっているが、雲が無いので、オレンジ色に染まっているだけだ。その反対側、東側はグレーに色が抜け落ちて来ている。
夜の帳が下りる直前、トワイライトゾーンの入り口だ。
「寒いのよ。もう良いでしょ」
「早く出しなさいよ」
「蘇我さん、何だと思ってるの?」
「え?」
「シャトルって、何だと思ってるの?」
「スタートレックのエンタープライズに搭載されているシャトルポットだよ」
「再現したら、でかいスタジオセットがいるの」
「何言ってるの?」
「スタートレックって、こんな宇宙人が出て来るの」
意味が分からず、聞き返す蘇我さんに葉月が両手を耳に当てて、バルカン人の真似をする。
(葉月、それじゃあウサギだ)