コバヤシマル その160
その様子を、栃原部長代理と瀬戸山さんが数分間見ていた。
「藤波君、良いかしら? 疑って悪いのだけど、それで本当に準備できてるの?」
「ええ、遅れていますけど、今から準備しておかないといけませんから」
俺は下を向いたまま、床に座ってノートに書き込んでいる。
返事も半分上の空だ。
「悪いけど、何の準備しているか教えてくれる?」
「こちらにも準備とか、心算があるから」
「先輩には関係ありませんよ。もう、卒業していますから」
「卒業って、御免なさい、何の準備しているの?」
「勿論、再来年の大学共通試験ですよ」
「この騒ぎで、塾に行けてませんからね」
「ヴァカかぁー! お前はこの状況がわからないのかぁー!」
「蛟の祟り神がとぐろを巻いて、私達を閉じ込めて狙ってんだぞ!」
珍しく、栃原部長代理がキレて怒鳴った。
多分、ここにいた全員が、先輩のその様な姿は初めて見ただろう。
ひょっとすると、本人も自分が怒っている姿を見るのは、幼稚園の時以来、十数年ぶりだったかもしれない。
栃原部長代理は、流石にこの大きさの蛟に対峙し、総勢18人の命が自分の双肩にかかっている状況はストレスだったのだろう。精神が限界だったのだ。
「藤波君、何故手伝ってくれないの?」
「私が何かした?」
「…………ん? ……何?」
俺は参考書から目を離さない。
何遍も見直し、書き込みやラインを引いているので、もうボロボロになっている。
「聞いてなかったの?」
「どうして助けてくれないの?」
「ああ、聞いてたし」
「俺に 出来ることはなにもないからですよ」
「どうして?」
「あいつが、すっごく強くて能力が強いから」
「じゃあ、どうするのよ」
「え? それを話し合っていたのじゃないのですか?」
俺は栃原先輩に聞き返した。
「え? そう、……だけど」
なぜか栃原先輩の目が泳ぐ。
(こいつら、初めから俺を計算に入れていたな)
「藤波、俺達を助けてくれよ」
桜木が、栃原先輩の応援にやって来た。
「はあ、もう助かってるじゃないか」
「お前のトロッコの話に当てはめてみろ」
「何が?」
「暴走しているトロッコがあります」
「この先には、他人の見ず知らずの蛟の祟り神に狙われた女性と、今日初めてあった占い師の優子先生と受付の女性がいます」
「お、おおう」
「彼女らを助けようとポイントを変えると、その線路の先には、一年近く一緒に過ごしたクラスメート15人がいます」
「さあ、どうしますか?」
「放って置けば、俺達は助かるのか」
桜木が考え込む。
しかし、ニヤリと笑って言った。
「さっき言ったじゃないか。ポイントを中間で固定するんだ」
桜木のドヤ顔が感に触る。
「悪かった。後出しで悪いが、トロッコには少量のニトログリセリンが積んであるんだ」
「脱線すると、ポイントの切り替え器あたりまで吹き飛ぶぐらいの」
俺は質問の条件を変えた。
「えっ、両方助けたら、俺が死ぬのか」
「『多数の幸せは少数の幸せに優先する』だよ」
「気持ち良く死んでくれ。毎年、命日には花を供えに来るよ。二年間ぐらいは」
「二年って、毎年じゃねぇじゃねぇか」
「来年と再来年じゃねーか」
桜木が、少し考えて言った。
「この話、詰んでないか」
「コバヤシマルだからな」
「トロッコとかコバヤシマルとか、あなた達何を言ってるの?」
栃原先輩が、話が見えなくて聞いて来る。
「藤波君は何がして欲しいの?」
「どうしたら助けてくれるの?」
「この前みたいにキスしたらいい? 胸も触らしてあげるわよ」
「お願いだから助けて!」
栃原先輩が興奮して、半分泣きそうになっている。
「ダメよ! 勇人にはキスもさせないし、胸も揉ませない」
葉月が座っている俺の頭を前から抱え込んで来た。
柔らかい葉月の腹が顔に当たっている。
「藤波! 止めろ! 優希は俺の女だ!」
桜木が、俺と栃原先輩の間に入って来て、二人の距離を引き離そうとする。
(俺、何も言っていませんが……。ところで、葉月、俺のノートを踏んでるのだが、足を除けてくれないだろうか?)
葉月が息をするたびに、柔らかい腹が俺の顔に当たる。上手く背筋を伸ばすと、胸に当たらないだろうか?
そんな事を考えていた。
「誰か、その水晶を持って来て!」
「ちょっと、それは売り物よ。何をするの」
葉月と優子先生が言い合いをしている。
「おばさんは黙ってて、後で、その女から代金を請求しなさいよ!」
「勇人は勝算がないと動かないの」
「無駄な努力をしないし、やるだけやるとか、参加する事に意義があるなんて考えないの」
「そして、敵対したら、他人の命を虫けらとしか見ないの」
興奮した瀬戸山さんがまくし立てる。
(葉月、俺、そこまで酷くないだろう)
誰かが水晶を箱ごと持って来たので、小さな水晶玉を十個と大きな水晶柱を一個貰った。
「先輩、代金は貸しですよ。今度、葉月と桜木が居ないところで話を詰めましょう」
俺は葉月に頭を抱えられ、葉月の腹に顔を埋めて言った。
パチィーーーン!
葉月の平手打ちの音が、マカロニウェスタンの銃声のように響く。
因みに、マカロニウェスタンとは、イタリアで製作された西部劇で、ハリウッド製作の作品とは区別される。
特に、当時、電子音の銃声に驚いたものだ。「ドキュウウゥゥーーン!」と言う銃声だ。本来の銃声は「パン!」と短く聴こえるのだ。
「勇人、あんな女の何処がいいの?」
「ちょっと綺麗で、ちょっと胸が大きくて、ちょっと細いだけじゃないの?」
「ちょっとじゃないよ。すごく綺麗で、すごく胸が大きくて、すごく優しいだろ」
パチィ! パチィ! パチィ! パチィパチィパチィパチィパチィパチィパチィパチィー!
葉月は両手で平手打ちを連打して来る。その手は、まるでザ、ライフルマンのウィンチェスターライフルの様であった。
(葉月、お前はルーカスかよ)
「瀬戸山さん、あまり親しくないのにこんな事言って何なんだけど、男はバカだからそんなジョークをいつも言うのよ」
「それでいて、面白いつもりなのよ」
「面と向かって、好きとか、可愛いとか、綺麗だとかは絶対言わないものよ」
「まあ、面と向かって言う男子がいたら気を付けた方がいいけどね」
「瀬戸山さん、手を止めて聞いて」
「あのね、瀬戸山さん、聞いて」
オカ研の藤谷部長に付いて来た、剣道部の高安先輩だ。迷宮の時に藤谷部長と仲良くなったらしい。
もちろん、スポーツマンで筋肉質で無駄な脂肪が付いていない。
「分かってるけど、許せない」
「特にあなたみたいな綺麗な人に言われても、全然納得できない」
「葉月、もうやめなよ」
蘇我さんが、見かねて言ってきた。
「真里亞だって、私より可愛いじゃん」
「嫌い。勇人が真里亞を見るから嫌い」
「勇人が、真里亞とは仲が良いから嫌い」
泣き声で、興奮した葉月の言葉が止まらない。
「葉月、良かったら、手を止めて話し合ってくれるかな? そろそろ、頭がクラクラして来たよ」
俺は弱気ながら、葉月に頼んでみる。
「え?」
「だから、そろそろ平手打ちを止めてくれないか? 痛いんだ」
「勇人が悪いんでしょ。なんで怒られてるか分かってるの?」
「俺は何も言っていない。大体想像はつくが、葉月に悪い事は言っていない」
「言った!」
「言っていない」
「言った!」
「言っていない」
「良い? お二人さん、今、スっごく緊急事態なの。解る?」
「生きるか? 死ぬか? の瀬戸際なの」
「ちょっと、藤波君を貸してくれるかな?」
栃原先輩の無力な支援射撃が撃たれる。
「ダメ! 絶対、先輩には貸さない」
(結局、話が一周してるよね。ねえ、ねえ、結局、話が一周してるよね)
結局、俺を一人にして、皆は離れていった。栃原先輩と真里亞が葉月をなだめている。
藤谷部長が、こちらを可哀想な小動物を見る目で見ている。
お前は良いよ。あんな可愛い女性をゲットしたのだから。
ありがとうございます。
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これ、投稿する時に数字が変わってるとお礼を言ってるのだけど、ブックマークしている本人はここを読んでいるとは限らないんだよなぁ。ブツブツ