藤波死す! その139
勇人は、暗がりの中で寝ている記憶しかなかった。映像としての記憶も音声としての記憶も残っていなかったのだ。
瀬戸山さんは、栃原部長代理と話していた。
狩に参加しない瀬戸山さんを栃原部長代理が心配して声をかけてきたのだ。
「あっ!」
遠目に、薄暗い中で子を抱いたゴブリンが突き飛ばされて倒れるのを見た。
彼女は、夏の合宿を思い出していた。
しかし、ここは迷宮で、狩に皆で来ているのだ。ゴブリンやオークは狩の対象で殺すべき者だ。或いは、「殺すべき物」かもしれない。
ゴブリンが気になって、栃原部長代理との話が疎かになり、生返事で返している。
その時、瀬戸山さんが見ていたゴブリンを、オークが踏んで行ったのだ。
足が明後日の方に曲がり、彼女は自分の足の膝の辺りを右手で抑えている。左手は、庇うように我が子を抱いている。
体が咄嗟に動いた。瀬戸山さんは、頭で考えるより速く体が動いていた。
体が先に動いたと言っても冷静さは忘れていない。
走り出す瞬間に、左膝を深く曲げ足を高く上げて、左手で左外踝を触っている。所謂、腿上げを高くし、左手で左足首を触ったのだ。「俊足」の呪文だ。もちろん詠唱はしていない。一見、フッと払った様にしか見えない。
元々が文科系の運動とは無縁の生活な為、身体が作られていない事もあり、走る速度は速くない。それでも、全国大会の陸上部程度の速度は出ている。
ゴブリンの倒れている位置まで数秒と掛からない。
瀬戸山さんが走っている位置からすると、左後ろから左前に火球が飛んで行く。秋山さんが左後ろにいるのだ。
また、右から左に光弾や矢が飛んでいる。魔法部や弓道部の仲間が右側にいるのだ。
瀬戸山さんは、魔弾飛び交うその中に駆け出していたのだ。辺りは薄暗い。真里亞が照明弾の魔法を上げているが、急激に明るくすると視力を失う為、照度を調節しているのだ。
この照度でも、普段、闇の中で暮らす魔物にとっては明るすぎるぐらいだ。
しかし、人間にとっては薄暗く見難いのが現実だ。
走りながら、瀬戸山さんは右側に光の塊を二つ見た。魔法部の誰かが詠唱を行なって、光弾の準備をしているのだ。
左手を横から前に出し、倒れた親子のゴブリン達に魔法障壁をドーム型に張る。続いて右手を下から回して、前に突き出す。物理障壁を、やはりドーム型に張る。魔弾だけでなく矢も飛び交っているからだ。
手の動きは単純に走っていた時のタイミングで、特に意味は無いが両手を前に突き出してしまったので、体が泳ぐ形になってしまってバランスを崩していた。
視界の右端に、光の粒子のきらめきを見た。「瞬間移動」の魔法だ。
こんな大技を使うのは、彼女の知る限り勇人ぐらいだ。本人は「転送」と呼んで遊んでいるが、れっきとした魔法だ。
突然、体の左側が焼ける。着ている外套が燃え出して髪の毛も焼けてチリチリになっている。
左後頭部、左腕、左脚が痛い。パッと熱を感じたかと思うと激痛が走る。自分のすぐ側を、秋山さんが放った火球が飛んで行ったのだ。
(ぎゃあ〜! アツッ! 痛い! イタいぃ!)
身体が反射で防御姿勢を取り、弾け飛ぶ。火傷した所を庇い、火球から離れる為に、反射で丸くなり飛び退いたのだ。
初めから身体が泳いでいた為に、右側を下に転げ倒れた。
その時に、実体化した瞬間の背中に光弾を受けている勇人が見えた。
両手を広げて、大の字になって自分を庇っている勇人のシルエットが見える。
迷宮内の空気は湿っており、今、散々トロールと闘い、見物に来たオークやゴブリン達によって、水蒸気や塵が舞っているため、光弾の光が乱反射し、勇人の姿をシルエットで現している。
勇人が両手を広げて、自分の体を盾にして光弾を受けている。
(え? 勇人? 当たってるじゃん?)
自分の被弾よりも勇人の被弾の方を気にしてしまっていた。
地面に落ち、デコボコと言うより、角が鋭利な石が転がってる地面を転がって行く途中に、糸の切れたマリオネットの様に崩れ落ちる勇人が見えた。
勇人にしたら異常事態だ。ドラゴンと戦っても笑ってる様な奴が、魔法部の女子の光弾ぐらいにやられるはずがない。この時瀬戸山さんは、以前に勇人が真里亞にスリープを掛けられた事を思い出した。
普段は、サザンを憑依させていない時は、魔法に滅法弱いのだ。
(あ! あの馬鹿、準備なしで助けに来たんだ)
首を回してゴブリンを確認すると、足の怪我以外は、特に問題がない様子だ。反対側を確認すると、倒れて動かない勇人がいる。
身体中が痛い。左半分は焼かれて痛い。まだ、熱さを感じている様な痛みだ。右半分は、落下した時に、鋭利な石の上を転がったからだ。
勇人が起き上がって来ない。倒れたままだ。ピクリとも動かないのだ。
「止めろ! ストップ! ストップ! ストップ! 止めろ!」
遠くで、栃原部長代理の声がする。
勇人がまだ動かない。
瀬戸山さんは、這って勇人の近くまで行き、鑑定の魔法を掛けた。
「気絶」
「意識消失」
「呼吸停止」
「心停止」
様々な情報の中に有る、現在の状態を示すパラメーターが、勇人が極めて危険な状態をしめしていた。
「イヤァーーッ!」
側まで這って、うつ伏せの勇人の身体を仰向けにする。
小柄の女性が、大柄の意識の無い男性の身体を仰向けにするのは難しい。
力の抜けた手足が残るから、重心が残るのだ。
勇人を仰向けにした瀬戸山さんは膝立ちになり、胸骨の下端に手の平の手首付近を置く。そのまま、手の平を胸骨に当て、体重をかけて圧迫する。
「イチッ」
「ニッ」
「サンッ」
学校で、保健の授業で習った方法だ。
「サンジュウ」
「アゴを持ち上げて、気道を開く」
瀬戸山さんは、何かを確認する様に、いちいち口に出して行動していた。
言葉通り、右手でアゴを上げて、勇人の頸部を後屈させていたのだ。
「鼻をつまみ、空気が漏れない様にする」
左手の親指と人差し指で、強く鼻をつまんだ。
「口を大きく塞ぐ様に重ね。息を吹き込む。その時、胸郭が動いているのを確認する」
瀬戸山さんは、キスの様にではなく、コーラスの時の様な口の開方をして、勇人の口を塞いだ。
息を吹き込み、胸郭が大きく動いているのを確認している。
この時に呟いているので、本当は、「縁がふふhsつ・・・」と言葉にはなっていなかった。
瀬戸山さんは口を離し、勇人の胸郭が下がる時に出る呼気を頬に当て、確認していた。
「もう一度」
「イチッ」
「ニッ」
「サンッ」
瀬戸山さんは、もう一度同様の人工呼吸を行い、胸部を圧迫し、心臓マッサージを行なった。
2回目の人工呼吸と3回目の心臓マッサージが終わった頃には、みんなが駆け付けてくれた。
「どうした? 藤波、死んでるのか?」
桜木が笑って聞いてきた。
栃原部長代理が恐い顔で目配せをしている。
「えっ? あいつが?」
嫌な空気が流れ出している。
ゾロゾロと、周りに人が集まって来る中、瀬戸山さんは何度目かの人工呼吸を行なっていた。
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おっさんの愛情を受けと……。え?要らないの?