悪妻編-1
夫が恐れていた事が起きた。
週刊誌に夫の醜聞が載った。ミイと不倫していた事や警察が殺人犯として疑っている事など。
そして、文花の事も。
「これが一体どういう事かしら?」
客間に義姉の菜摘の刺々しい声が響いた。夫の姉だ。菜摘は週刊誌を読んで大変だと駆けつけてきた。いつもは旅行や趣味に忙しくて、何も連絡をしてこない癖に、こういう時には真っ先にやってくる人だった。
菜摘は六十過ぎ。
夫の歳の離れた姉だが、幼い頃に両親を亡くした夫にとって母代わりのような存在だったという。弟を目に入れても痛くないほど溺愛している。
以前、夫の不倫が週刊誌に載った時も家に乗り込んできたが、一方的に文花が悪いと捲し立てた。菜摘の中で、夫がどんな悪さをしようと法律も常識も関係がないのだ。
ただ今回は文花も負が悪かった。週刊誌には文花の写真も載っていた。目隠しはされているが、昼出版の前で常盤といる姿や常盤が自宅に入る写真も撮られていた。紙面はダブル不倫の悲劇と言ったストーリーで語られ、文花も浮気している設定になっていた。
ミイを殺した犯人などは書いていないが、人気作家の妻も含めたドロドロ不倫をおもしろおかしく書かれている。
もちろん事実無根だ。常盤がその不倫相手という設定になっているが、そんな事実はない。確かに彼は自宅に来たことがあるが、不倫しに来たわけじゃない。かなり前から記者が自宅の周りに張り付いていた事を知っているが、予想外だった。
「義姉さん、とりあえず落ち着いてくださいよ。クッキーでも食べます?」
客間のテーブルの上には文花の焼いたクッキーや暖かい紅茶を置いては見たが、菜摘は目もくれず、週刊誌を広げあらゆる罵詈雑言を発していた。
ヒステリックな言動にいちいち反論しても意味がない。文花はクッキーをたまに齧りながら、菜摘の言う事を全て右から左に受け流していた。
「それでこの編集者Aさんとは本当に不倫しているの?」
「してませんよ」
常盤については夫の取引先の担当編集者以上の存在ではない。正直顔も名前も時々思い出せい時すらある。
「不倫だったら貴方の弟さんの方が常習犯ですけどね」
口元にうっすらと笑を浮かべて言うと、菜摘は目をつりげた。
「それとこれとは話が別よ。どうせ女捨てたブスな格好しているんでしょう。不倫されて当然だわ」
文花はため息をつく。やはりこの人に常識は通用しないようだ。そもそも文花自身も常識人といえば嘘になる。菜摘の口の悪さも人の事が言えない。文花も自分の口の悪さには自覚がある。
それに菜摘は口が悪くて常識的ではなくても、あまり裏表もなく、「弟第一に溺愛」という行動原理さえ理解できれば筋は通っている。実際、ミイの事件についてはほとんど話題にせず、文花の不貞行為の噂を責めているばかり。
「ところで弟はどこにいるの?」
「週刊誌の記者に怯えて離れに閉じこもっています」
夫は記事になった事を知ると、怯えて離れから一歩も出てこない。文花について何か責めることを言ってきそうだと思ったが、予想に反して目に涙を浮かべて泣きそうになっていた。
夫に食事を作るのも馬鹿らしくなり、朝からそのまま放っている。夫はおそらく朝から何も口にしていないが、少しも可哀想だとは思えなかった。
「まあ、可哀想に! なんていう悪妻なのかしら」
「私にとっては、夫もかなりの悪い夫だと思いますけどね」
「何という口の聞き方でしょう!」
菜摘は再び文花に罵詈雑言を浴びせたが、文花は涼しい顔をしてクッキーを摘んで噛み砕いていた。
あまりの反応の無さにだんだん菜摘も息切れし始め、疲れて来たようだ。
文花がクッキーを食べ終えてし舞う頃には、すっかり疲れ果てていた。
「とにかく、このことは後で弟を交えてじっくり話し合いますからね」
「え? 何の事です?」
「聞いてなかったの!」
菜摘の眉が吊り上がる。
「菜摘さん、落ち着いてくださいよ。あ、近所のカフェで買ったバウムクーヘンとパウンドケーキ食べます?」
「いりませんよ!」
菜摘は立ち上がり、ハウンドバッグをつかんで帰って行ってしまった。
もう来なくてくれと思いながら、文花は菜摘の背中を見送った。




