愛は忍耐編-1
次の日からは近所では記者はいないようだった。ゴミ出しの時に隣人に会った。隣人は高里という名で、年齢は六十代前半ぐらいの歳とった女だった。夫とは死に別れたと昔言っていたが、近所の噂話が好きで文花が興味の無い事も話しかけてくる。
今日も一通りゴミ捨て場でくだらない世間話をした後、急に眉を下げて憐れみ深い表情をしてきた。それはとても芝居がかっていた。
「それにしても川瀬さんは大変ねぇ」
「何がですか?」
高里は少々勿体ぶってミイの事件を口にした。ミイの旦那が心労で入院中だとすでに知っている古い情報も教えてくれたが、不倫された女は可哀想だと薄ら笑いを浮かべながら言う。
「川瀬さんも可哀想だわ。あんな旦那様で大変ね?」
どう? 不幸だろう?とまるで悪魔のような顔だった。完全にこの事件を面白がっていた。文花はため息をつく。高里をこのゴミ捨て場に置いておきたいとすら思う。
「いいえ、私は全く困ってませんよ?」
「そうよねぇ。旦那様はベストセラーの大作家ですもんね。私も本持ってますよ」
つまり金目当てで結婚したのだと高里は言いたいのだろう。これ以上ここで話をしても無駄だと悟る。
しかし高里には一つ聞いておきたい事があった。
「最近このあたりで雑誌記者や怪しい人見た事あるかしら?」
文花がこのあたりに二人記者が張り付いている事は把握していた。
「記者? そうねぇ。おじさんを三人ぐらい見たかも?でも二十歳ぐらいの男もいたかしら?」
「若い男は何か特徴あった?」
「背が高かったかも。前髪がオシャレな感じだった」
「そう、わかった。ありがとう」
文花は足早にゴミ捨て場を後に自宅に戻った。
再びクッキーを焼く事にした。
昨日作ったものはもう量が少なくなっていた。おそらく夫は食べてしまうだろう。
小麦粉は安いものだったが仕方がない。このクッキーは特に夫に食べさせるつもりは無い。
小麦粉をふるいにかけながら、高里の言葉を思い出し、不快感が募る。
何も知らない他人は不倫された文花を面白がる。可哀想な妻だとレッテルを貼りながら、不幸だと決めつける。
ただ夫との結婚について、赤の他人から詮索され同情される気持ち悪さ。
夫の不倫が週刊誌に載りスキャンダルになった時も自分を叩く連中にも疲れさせられたが、内心は詮索して楽しんでいるのに上部だけ同情している人間にも憤りを感じた事を思い出す。近所のカルト信者が「この宗教を信じたら信じたら絶対浮気されない」と勧誘しに来た事もあり、それも毅然として追い払ったが、文花の不幸は食い物にされていると感じる。
いくら叩かれても、いくら同情されても結局夫の気持ちは返ってこないのだ。
結局他人は人の不幸を肴に楽しみたいだけ。まさに人の不幸は蜜の味。夫の不倫が週刊誌に載った時は思い知らされた。
そんな思考を振り払うため、手を動かす事に集中しているとあっという間にクッキーは焼き上がった。もちろんそれだけ時間は経っていたが、手を動かしていて少しは気持ちはおさまった。
焼けたクッキーの匂いにつられて夫が予想通り起きてきた。
「うまそう」
夫は文花に確認も取らず勝手に焼き立てのクッキーをつまみ口に入れていた。
「文花ちゃんの料理は基本的に不味いけれど、クッキーは上手いよ。ところでなんで毎日クッキー焼いてるの?誰かにあげてるの?」
ミイの事件を調べるために焼いているとはやっぱり言えなかった。
というか夫が文花の行動に興味を持っている事が珍しい。
「何故? 気になるの?」
「別に」
夫は釈然としない表情でまたクッキーを口に入れた。




