殺人事件編-1
「奥さん、元気になりました?」
書斎にこもっていたらいつのまにか昼過ぎになっていた。
常盤から電話がかかってきた。
文花は常盤の事などすっかり忘れていたので一瞬誰だか忘れていたが、声をじっくりと聞いて思い出した。
「ええ、すっかり元気よ」
「なんか無理してません?」
「いいえ」
無理などしてはいない。少なくとも文花に無理している自覚はなかった。
「あの『愛人探偵』の件何ですが……」
「どう? もちろんそんなの通らないわよね」
「いえ、非常に言いにくいのですが、先生に頂いた企画書が素晴らしく」
「あの人昼出版に企画出したのね」
「で、紅尾も面白いと言いまして、会議にも通りまして、是非ともうちで執筆してもうら事になりました…」
常盤は出来るだけ声のトーンをゆっくりにし、丁寧に聞こえるようの心がけた。
常盤は文花がモデルになる小説は反対だった。こんなトンデモ女が主役だとぶっ飛んでいて万人受けしない。しかし紅尾は大笑いして、その手があったかと喜び、トントン拍子田辺の次回作は、文花をモデルにした『愛人探偵』に決まってしまった。
電話口からは文花の返事がなく、常盤の首筋に冷や汗が流れた。
「そう……。そうなの」
意外と文花は、それは受け入れた。どうも声に元気がないようだと常盤は思った。浅山ミイの炎上騒ぎが影響しているのだろうか。
「夫は、しばらくミイの所に行ってしまったの」
「ああ、そうですか」
常盤はこれ以上この話題に耐えられなくなり、話題を変えた。
「そういえば、この前のご飯、美味しかったですよ。タッパーやランチクロスはどうしましょう。郵送で送りますが」
「いいえ、夫と打ち合わせにある時でも持たせてちょうだい、捨ててもいいわよ」
タッパーはよく見るとクマや花のイラストが印刷されていて、捨てる事は心情的に難しい。ランチクロスは洗濯しアイロンもかけてある。文花に返すために。
「いえ、じゃ田辺先生にお会いした時に返します」
「わかったわ」
文花はその後電話を切り、パソコンに齧り付きミイの炎上騒ぎを再び監視した。
ミイと夫が不倫するきっかけを作ったのは間違いなく常盤だった。あのミイの書いたノートを常盤が夫に渡さなければこんな事になってなかったかもしれない。
ただ、常盤を恨む気にはなれなかった。久々に料理を美味しいと言われた。夫が最後にそう言ったのはいるだろう。自分の作った料理を完食してもて貰える事自体あまりない。
書斎は、とても静かで窓の外から鳥の鳴き声さえしなかった。
窓の外から見える離れにあかりが付いている様子はない。
心にぽっかりと穴が空いたような気がした。とっくに捨てたと思っていた寂しいという感情は、波のように押し寄せた。




