勧誘
うん、ああ、なんだか暖かいな。
どうしてこうなったか、ああ、思い出した。
食われて斬られた。
ならばここは死後の世界か。
ん、痛みがある。
死んだら痛くないのでは?
ならここはまだ現実か。
生きていることになる。
あの男、下手くそか。
さて、この痛い体はどうなっているのか、目を開けてみてみるか。
暗いな、夜か?
いや、どこかわからないが室内だ。
まずは左腕。
ボロボロだな、指も腕も動かん、皮膚もズタズタで筋肉やら骨やらが見えてるな。
次は袈裟斬りにされた体。
服は切れてない?
お腹の方をめくってみると太い真っ直ぐのどす黒いアザが付いている。
峰打ち?
あの剣、峰なんてあったか?
戦闘不能は気絶を選んだのか。
もう動かない左腕いらんな、これ斬ってくれればよかったのに。
背中が暖かいな。
フワフワするものが下にある。
上体を起こして下を見るとあの男が言ったセイバーティグリスという生き物がいた。
肩と尻にもともとの体毛の柄とは違う痕がある。
これは血が流れた痕だろう。
しかしなんでこいつの上で寝ていたんだ?
耳がぴくぴく動いて猛獣が動き出した。
顔がこちらの方を向く。
顔を思いっきり舐められた。
猫舌、痛い、左腕とか袈裟斬りなんかよりも断然痛い。
「わかったわかった。」
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を瞑る。
痛みから解放してやったから懐いたのか?
単純なやつ。
何もすることがない、もう少し寝るか。
なんだ?痛い?
ベロベロ。
舐められてるな。
寝てしまったか。
「ん、どうした?」
ぼやける視界の先に人影が見える。
「あなた、誰だかわからないけど、早くここから出ていってくれないかしら。」
「言われなくとも出ていきますよ。出口はどこですか。」
「こっちよ。」
女についていくと、セイバーティグリス、もう長いから虎でいいか、虎がついてきた。
「お前も来るのか?」
もちろん答えなど返ってこないが、動き出すとついてくるから来るのだろう。
「出口よ。」
暗いな、夜か。
「ありがとうございます。こいつも連れて行っていいですか?」
「はい、もうそれも用済みです。襲い掛からないモンスターなどいりませんから。」
さいですか。
虎と一緒に捨てられたということか。
「ああ、お願いがあるんですけど。」
「何?」
「この左腕、切り落としてくれませんか?邪魔なんです。」
「そんな気持ち悪いことするわけないでしょ。そこまで酷ければ感染症とかで野垂れ死ぬんじゃない?」
なかなか辛辣だ。
この女、あの男と会った時のカウンターの奥にいたな。
ギルド、受付嬢、だろうか。
どうでもいい。
はれて異世界に投げ出されたわけだ。
虎と一緒に。
はあ、異世界でも拾ってくれるとこはなしか。
こんな腕で元の世界に戻ってもな。
この世界で何をするか。
なんの気無しに虎の頭を撫でてやる。
気持ちよさそうにしているな。
「食い物は自分で調達してこいよ。」
走ってどこかへ行った。
自分が腹は減ってるのかすらもうわからん。
道の外れに大きな木がある。
そこの下で少し休もう。
はー、ようやく死ねるかな。
「ぃ、ぉぃ、おい!」
「なんだ。うるさい。」
「あ、生きてたか。」
「誰だ?」
「目も見えなくなったか?回復してやろうか?」
「いや、いい、このままここで眠らせてくれ。」
「まあ待て、話をしようじゃないか。」
この声、決闘した男だな。
「斬るならちゃんと斬ってくれ。半端なことするなよ。」
「どうしてそんなに自暴自棄なんだ。」
「この世界の住人ではない。見た目でわかると思うが。元の世界で必要とされなかった。食べるものもなく。突然この世界にきて一日。気がついたらこうして木の下で虫の息。どうして生きる希望が湧いてくるのか。」
「異世界人か。噂で聞いたことがあるが初めて見た。何か意味があるからここにきたんだろ。俺が面倒を見てやるからとりあえず今は俺の治療を受けてくれ。」
「どうぞご自由に。」
「まずは腕からな。痛むぞ。」
何か液体をかけられている感覚はあるが、痛みなどとうに忘れたといった感じで何もない。
「飲め。」
この男のしたいようにさせてやろう。
「目薬だ。」
何かを点眼された時、急激な温度変化を感じた。
熱いやら冷たいやら、気泡が目から湧き上がるように瞼を押し上げる。
「終わったか?満足したか?」
「ああ、名はなんと言うんだ?」
「八百万準。でも前の世界の名前だから。こちらの世界では名無し。」
閉じた瞼を開いて、滲む視界に目を凝らす。
左腕は、傷だらけではあるが動く、治っている。
男はどんな顔をしているのやら。
「ならこの世界ではジュンと名乗るといい。ジュン、仕事があるんだが、やらないか?」
仕事・・・。
仕事か・・・。
ずっと追い求めてきたものだ。
「こんななりだが薬師をしている。あまり人気の職ではない。この世界には回復師という者たちがいる。回復師がいれば薬師の作る回復薬はいらない、そう言われている。実際その通りだし別になんとも思っていない。回復師もその回復に使う魔力を回復させることはできない。だが我々薬師にはできる。そうして住み分けができている。」
「何が言いたい?」
「俺専属の薬草の栽培屋をやってほしい。このなりの理由は稀有な薬草を採取するのにどうしても危険な場所出入りするもんだから武装しなければならない。その時、持ち帰るのも必要な分だけ。薬の調合が終わったらまた次の採取に出る。薬は売れるが材料を取りに行くための遠征費を考えると決して良い稼ぎはとは言えない。それが手元で手に入るなど楽なことはないからな。」
「でも、栽培の経験なんてない。」
一応大学は農業系の学部を出ているが、もう十数年も前の話だ。
社会ではそれを生かす企業には入社できなかった。
もう忘れてしまっている。
経験はない、そう言っておいた方が良い。
「構わない、隠居した時にもしっかり稼ぎたいしな。」
「隠居とは。まだ若いのでは?」
「もうすぐ30になる。そろそろ立ち回りも辛くなってきた頃だ。確かに隠居するには早い気もするが、薬師は回復師ではない。負傷した者の近くで薬を使わなければならない。もし負傷者がモンスターの眼前となると薬での回復は難しくなる。体力と機動力が鍵だ。動けない薬師は誰も相手にしてくれなくなる。」
なるほど。
どれほど有能でも動けなければお払い箱か。
すると、もう37でこの体ではギルドとか言う場所で仕事を探すのは無理だろう。
何ができるかもわからないし。
「そうか。この世界の現役時代は短いのか。なら、とっくに隠居の身だな。」
「ん?20代前半とかではないのか?」
「もうすぐ40だ。」
そんな驚くことか?
確かに着ているものは20代でまだ金が貯蓄できた時の服装だ。
若作りをしているわけではないが、そう見えるのなら、少し嬉しいかもしれない。
「そう、なのか。」
「もう外で活躍することは不可能なようだから、謹んでその栽培屋の話、お受けします。」
「あ、ああ。そうか。その、怒らないのか?」
「何が?」
「口調やら。歳上だろう」
歳上を敬う世界なのか?
だとすれば少し面倒だ。
「歳上?関係ないな。ここに今日初めて来た。それは今日生まれた赤ん坊と一緒。話ができるだけで何も知らない、何もわからない。そんな赤ん坊を相手に敬語を使え敬えとは、言えないだろう。」
「そうか、助かる。これから俺らはパートナーになる。よそよそしい言葉遣いは無しでいいな。」
「まるでこれから同棲を始める男女のような言い回しだな。」
「やめろ、気持ち悪い。」
言った手前、確かに気持ちが悪い。
「ギルド、と言ったか。その時一緒にいたのは仲間か?」
「あいつらか?長年組んでるからそのよしみで使ってもらってる。回復師もいるから、もうすぐ呼ばれなくなるかもな。」
ドライな関係だ。
危険と隣り合わせで足手まといが切られるのは仕方がない。
もう眠気も飛んでいったな。
立つか。
「さて、案内してもらおう。」
「どこへだ?」
「ここまで粘り強く勧誘したんだ。自分の城ぐらいあるんだろう?畑やら何やら。」
「いや、無いな。これからだ。」
まじかよ。
「どこでやるかは決めてるのか?」
「ああ、ここから少し距離はあるが、ここだと決めているところはある。」
「じゃあそこに行こう。丁度、帰ってきたところだしな。」
虎が帰ってきた。
口元が赤く染まっている。
「お前は、よくそんな牙で獲物を捕らえられるな。邪魔じゃないのか。」
こちらに鼻を近づけ、すんすん匂いを嗅いだ後、撫でられようがなすがままにぐるぐる喉を鳴らしている。
可愛いやつ。
「おい、ジュン!」
「なんだ?」
「セイバーティグリスが、懐いてるのか?」
「そのようだな。」
いつ構えたのか、剣をこちらに向けている。
「怖いのか?」
「そりゃ、俺が勝てるか勝てないかの相手だ。」
「なら相当強いのだろう。」
薬師は、目を閉じてなすがままの虎にしばらく剣を向けていたが、構えを解いた。
「こいつも連れて行くか。栽培する作物の用心棒にでもなってくれるとありがたい。」
「・・・贅沢な用心棒だな。」
「あんた、名は?」
「おっとそうだな。チェインだ。その用心棒に名は付けたのか?」
「いや、まだだ。そうだな。おい、おい、そうだ、呼んでいる。お前に名前はあるか?」
虎はなんのことだかわからないといった顔をしている。
「気に入った名前があれば選んでくれ。いいか?」
トラ
タイガー
パンサー
ホイム
ポイム、がう
「お前の名はポイムだ。チェイン、行こう。」
「そんなでいいのか?おい、ポイムで。」
がう
「いいんだとよ。いいんだよこれで。お互いこの程度で。」
「お気楽なこった。行くか。あいつらに挨拶だけするから待っててくれ。」
チェインが建物の中に入っていった。
杖の女と槍の男のところへ行ったのだろう。
そういえばこんな夜に外を彷徨いていいのか?
全部ポイムの飯にでもなるか。
だいぶ体の具合も良いようだ。
「ジュン、待たせたな。」
「こんな夜更けに。夜這いかと思ったわよ。」
「そしたら俺は男同士か。そんな趣味はねえよ?」
「もう、肌が荒れてしまいます。チェインさんの美容薬を見返りに所望します。」
「ふあぁあ。眠い。」
杖の女、槍の男、杖の女の子?剣の男の子?
見たことがある二人と見たことがない二人がいる。
「こいつらが俺のお得意さんだ。話をしたらついてくるってよ。」
「なかなかの人望だな。素直に尊敬するよ。」
「よせよ。」
「そいつは、ギルドでキョロキョロきょどってた怪しいやつか。チェインのそれじゃあ斬れないから生きてんのか。」
「ただの鉄の棒だものね。」
「本当に、こいつに任せるの?チェインさん。」
「んぐー。」
「ああ、俺の夢の道連れだ。ジュンだ。みんなよろしく頼む。」
「どうも、初めまして、ジュンです。よろしくお願いします。」
「どーも。」「・・・顔は悪くないわね。」「こちらこそ。」「ぐー。」
さっきから寝ている男の子、器用に立ったまま寝るもんだ。
「あんた、自分の身は自分で守りなさいよ。」
「そうですね。いくらチェインさんの連れでも、今日会った人をすぐに信用できませんから。」
「俺の槍の間合いに入ってくんじゃねーぞ?見たところ俺よりも若そうなど素人っぽいからな。」
チェインがこちらを向いて、ほらな、と言いたそうに微笑む。
「ええ、ご心配なく。このポイムがそばにいてくれますので。ですか、そんなに若くはありませんから、逃げ遅れることがあるかもしれません。」
「はあ?若くないだあ?」
「ええ。チェインよりも10歳上です。」
三人、驚きのあまりに凍りついてしまったな。
「は、はあ?!ジジイじゃねーか!!」
「そうですね。」
「・・・どうなってるの?」
「いつまでも若さを保つ秘訣がきっと・・・。」
日本人は実年齢よりも若く見られるというのは聞いたことがあるが。
槍の男と杖の女は同じ歳くらいでチェインよりも歳下だろう。
「んぐー。」
それにしても剣の男の子はよく寝るな。
ポイムに乗せてあげようか。
肩に手を触れようとすると、男の子の素早い動きに何をされたのか一瞬わからなかった。
どうやら斬りつけられたらしい。
「僕に触るな。」
「寝てましたからポイムの背中に乗ってもらおうかと。腕、飛んでしまいましたね。」
伸ばした手は左、ギルドの女に頼んだことがここで果たされるなんて。
「おいおいおい!俺の大事な連れを斬るなよ!切断面は綺麗だな、相変わらず剣技だけは目を見張る。」
治すなら感心してないで早くくっつけてくれ。
「そいつの背中で?いいの?」
「ええ、少しゴツゴツしていますが寝心地はいいはずです。ポイム、乗せてあげてくれ。」
男の子がポイムに一礼して背中に乗ると、すぐに背中に抱きつくようにして寝てしまった。
ポイムから向き直ると槍の男が後退り明らかに異質の者を見るように、驚きと焦りをみせる。
「あ、あんた!痛くないのかよ!腕、飛ばされたんだぞ?!」
「え?ああ、痛いですよ?でも痛みが遅れてやってくるというか。それに一度死んだようなものですから、腕が飛ぼうが足がちぎれようが今更驚きませんね。」
自分の顔は見えないが、きっと目の前の人たちよりもよっぽど生気がない、表情のない冷たい人形のような不気味な顔をしているのだろう。
彼らの顔は初見よりも警戒の色が強まっている。
「よし、しばらく動かすなよ?はあ、こんなまだ出発する前から貴重な薬を使うことになるとは・・・。」
「悪いなチェイン。素晴らしい攻撃をするのだな、あの子は。」
「ああ。ノエルだけじゃない。ここにいる全員、俺は優秀な奴らだと思っている。じゃあ、行くぞ。」
チェインを先頭に歩き始めた。
最後尾からポイムと一緒について行く。
異世界に初めて来た場所からついに移動することとなった。