第百十三話 『無限地獄』
目を開けたら、食卓の前に座っている。うまそうな朝食の匂いがする。トースト、ベーコンエッグ、コーヒー。いつも通りだな。
でも、先、悪夢を見たような気がする。内容は覚えてないが、妙にリアルだ。
「あら? 食べないの?」
「いや、なんか、今日はベーコンを食べる気はないんだ」
妻が、代わりのコーヒーを持ってきたが、全然食べてない俺を見て、不思議そうな顔で聞く。今日はちゃんと化粧したな。コンタクトも使っている。
「そっか。これも仕方ないわね。あの仕事をやって、肉も嫌いになるわね」
「仕事? 俺の仕事は、なんだ?」
「え? なに? 若いのにもうボケてるの? チョーウケる」
「お前のほうが年上だろう? ボケるのならお前が先だ」
いて!
耳が引っ張られた。でも、おかげて眠気が覚めた。素早く食事を済んで、妻と一緒に外出する。いつも通りに、すぐわかれて、俺一人が地下鉄に行く。
またのいつも通りだ。全然変わらない。いつもの風景、いつもの駅、いつもの蠢く黒い影。毎日通っているのに、見覚えのある顔は一つもない。しかし、今日はちょっと変わった。一人の男が、疾走して俺にぶつかった。
二人とも尻餅をくらって、そして追いかけてきた警察らしきものが、すぐ男を抑えた。
強盗か何かか? 一瞬疑問したが、俺には関係ないことだ。
しばらくしたら、職場に着いた。会社やスタジオなどではなく、裁判所や警察局でもない。審判所だ。罪人を審判して、そのまま処刑する場所だ。
俺はその死刑執行人だ。本当は漫画家になりたかったが、これもまた、俺に最もふさわしい仕事かもしれない。
今日の審判所も、相も変わらず人が多い。俺を含め、その場全員が黒いフードを被っていて、顔が見れない。
どうやら今日の罪人は、一人の少年のようだ。ガタガタ震えて、おびえている。
「汝、己の犯した罪を、認めるか?」
審判官に問われ、頭が黒い袋に覆われている少年は、しばらく沈黙する。そして、小さい声で、審判官に何かを語っている。
「汝、幾多の命を奪ってしまった。よって、直ちに死刑を執行する」
すると、少年は、俺のところに連れられてきた。子供に手を下すのは不本意だが、子供だろうと大人だろうと、人殺しなら、罪を償いべきだ。どんな理由があってもな。
深く考えず、俺は大きな鉈を振り下ろした。
しかし、どういうわけか。目の前に、倒れていく死体は、少年ではなく、大人の女性だ。しかも、この体つき、見覚えがある。俺のよく知っている人だ。
俺のよく知っている女なら、あいつしかいない。
うそだろう。いつ、なぜすり替えられたのか?
震えながら、俺は切り落とした頭を、黒い袋から取り出そうとする。
ヒトコロシダ
下の人々は、一斉に叫び始める。
ヒトコロシダ! シケイダ! ヒトコロシダ! シケイダ! ヒトコロシダ! シケイダ!
耳を塞いでも、機械みたいな声が直接頭に入ってくる。なんども、何度も繰り返して。
違う、違う、俺は、ただ、言われたままやったんだ。わざと、殺したんじゃない。あんな結末になるとは思わなかった。
「果たしてそうかな?」
審判官の声、いや、あれは、俺の声?
「お前は、私利私欲のために殺してないか? 何かが失うのが怖くて、これでいっぱい殺したのではないのか?」
審判官や、下の人々は、フードを脱ぐ。そこから現れたのは、腐敗の死体と、異形の骸骨だ。
「ひぃ……!」
思わず無様な悲鳴を上げ、俺は逃げた。どこへ逃げればいいのかはわからないが、とにかく逃げた。何キロも、なん十キロも走った。しかし、無我夢中で走ったら、一人の男とぶつかった。
すぐさま、追手が俺を抑え、頭に黒い袋を被り、元の審判所に連れ戻された。
周りが見えなくても、あの恐怖な姿はいまだに瞼の裏に浮かぶ。ブルブルと、俺は震え始める。そして、審判官の声が聞こえる。
「汝、己の犯した罪を、認めるか?」
「僕は……」
あれ? 俺の声が変わった。昔の声だ。そうか。これで、理解した。すべては罰だ。俺がやらかしたことの、天罰だ。なら、ここで潔く、罪を認めて、死ねばいいわけか。あいつともう二度と会えなくなる。あの小娘にももう会えなくなるのは惜しいがな。
小娘って、誰なんだよ。そういえば、俺は確かに、まだ小娘のために、何かをやろうとしたっけか。でも、もうどうでもいい。
「僕は、罪を認めます」
「汝、幾多の命を奪ってしまった。よって、直ちに死刑を執行する」
これで、すべてが終わる。俺は、もう二度と……
いや、ちょっと待って、もし俺があの罪人の少年なら、今処刑されるのは! すぐ全力で振りほどいて、俺は頭の袋を解いた。思った通りだ。処刑台で跪いているのは、女性だ。俺のよく知っている女だ。
「や、やめろ、やめてくれ。あいつに手を出さないでくれ」
バサ!
死刑執行人の大きな鉈が、彼女の頭を切をとした。そして、案の定、発狂したのように、叫びながら逃げ出した。本当に情けないやつだ。
残されたのは、目の前の、どんどん冷たくなっていく、あいつの、妻の死体だ。いや、まだ彼女だと決まったわけじゃない。べ、別人かもしれないじゃない。
俺は一歩一歩前進して、地面に落とされた女性の頭を拾う。
な、なんだ。マネキン? 人じゃないのか。あいつじゃないのか。
「これで、天罰が終わると思って?」
後ろから、審判官がやってくる。しかし、声はまた変わった。俺の声ではなく、あいつの声だ。審判官はフードを抜き、そこに現れたのは、あいつの顔だ。
無事だったのか。でも、なぜここにいる? まだ、俺のことを憎んでいるのか?
まだ疑問しているその時、無数の剣が彼女の体に刺さる。美しい顔も、腐れ、ひび割れ、やがて白骨化になる。
なぜだ。俺を咎めるのだろう? 俺に罰をするのだろう? なぜ彼女に? これは悪夢か。悪夢なら、頼むから、早く目覚めさせてくれ!!! 俺は、思わずに目を閉じて、すべてから逃げようとする。
目を開けたら、食卓の前に座っている。うまそうな朝食の匂いがする。トースト、ベーコンエッグ、コーヒーか。いつも通りだな。
でも、先、悪夢を見た気がする。内容は覚えてないが、妙にリアルだ。
「あら? 食べないの? 仕事、遅刻しちゃうわよ」
妻が、代わりのコーヒーを持ってきた。




