プロローグ
秋、一年の中で、一番いい季節かもしれない。夏の酷暑もなければ冬の厳寒もなく、ましてや春の流行病や花粉症の心配もない。きわめて快適な季節だ。
しかし、今の人々は、この清秋を楽しむ気分はなかった。なぜなら、人類は未曾有の災難から生き延びれたばかりで、秋のその涼しさからは、悲しみすら感じる。たとえ落葉で美しい金色になった公園であっても、通行人を引きとめることなどはできない。
公園には全く人気がないわけでもない。無邪気に遊んでる子供とその親、そして、公園後ろ墓地に行く通りすがりの人々が、確認できる。公園の後ろには、巨大な墓地がある。墓の数はこの前の災難の惨状を語っている。一部の墓には名前が書いてなく、一部はその下に、たぶん遺体が埋葬されていない。
夕方、墓参りの人々はほとんど帰った。残ったのは三人家族。
若き妻は車椅子を押し、その上に座っているのは旦那だ。旦那のほうは全く無表情で、虚ろな目をしている。たぶん戦争で脳損傷でもしたのだろう。娘のほうは、墓で花を置き、水をかけたらすぐさま両親の元に戻る。冷えるから、父の足に毛布を掛けようとする。
目の前に墓は二つある。夫婦の親友か、娘の本当の両親か、あるいは両方であろう。
墓地の静寂は、子供の騒ぎによって破られた。先ほど公園で遊んでいた子供たちは、ボールを追って墓地に来た。後についてきた親は緊張して、人に迷惑かけないようと見守っているが、子供たちはただ墓地を新しい遊び場として、走って、笑っている
いままでびくともしない旦那は、子供を見て急に立ち上がる。目を丸くして、口も大きく開け、何かを話そうとしている。
涙がボロボロと落ちる。
しばらくすると、子供たちはまたボールを追って公園に戻る。静寂が再び訪れ、墓地に残されたのは、十年ぶりに立ち上がった旦那、驚く妻、そして現状を全く把握できない娘、その三人だけだった。
巨大な災難の後、人々はまだ生きている。この先はどんな苦難が待っていても、希望を抱いて生きている。災難で死んだ同胞のためにも、人類という種族を存続させるためにも、努力して生きている。
西暦某年、病、災い、戦争、世界は終焉を迎えようとした。九割以上の人類は死亡し、地下に逃げた人々だけが生き延びれた。
その人たちは、再び地上にもどり、頑張って町を修復する。数年間の努力で、ようやく一通り直って、生活もそれなり正常に戻った。
人々はこの前の災難を大災と呼び、地上に戻った後の最初の新年を新元1年1月1日にした。誰もがこれは新しいスタートと願っている。
新元4年9月1日、ネオシャンハイ、かつて数千万人口の中国一大都市、今は数百万人しか残っていない。街の破壊は比較的に小さいためか、4年間で大分修復された。
しかし、これからくるのは、新元という名の新しい生活ではない。
すべては始まったばかりだと、人々はまだ知る由もなかった。