87.胎の内
唐突に現れた昊は、久々にあったせいか夕一には印象がだいぶ違って見えた。背景としてショッピングモール内の小うるさいフードコート、そのボックス席の中という環境を加算してもやはりなんだかいつもの昊ではない。
夕一が知る昊はいつもニマニマと常に笑顔でいた。今目の前でラーメンを啜る昊は、同じく笑顔ではあったものの若干大人びているように感じる。
久々といっても、最後に昊と会ったのはたかが一週間と少し前だ。大人びるほどの成長をする訳もないだろうに、なぜかそう思えた。
「……なに? お前、童貞卒業でもしたんか?」
「ん〜〜〜? してないように見えるか?」
「え、ま、マジ!? 誰と!?」
あまりの余裕っぷり。レンゲですくったスープを悠々と飲み干した昊の態度はなんだか輝いて見える。これは本当に本当かもしれない。
夕一がテーブルを乗り出して話を促そうとする直前、昊は隣に座っていた六堂夜に後頭部を叩かれた。
「いたっ」
「やめろ、食事中に」
「あ、す、すんません……六堂先輩」
男子高校生なら下ネタには誰でも食いつくと思っていたものだが、夜はその性格に違わず堅物らしい。
昊は年上でもタメ口で軽口を飛ばし合えるが、彼と同い年とはいえゲームや漫画、果ては同人誌についての語らいによって互いの性癖を暗唱できる程度にわかり合っている昊と同じ接し方を夜へ流用はできない。夕一は縮こまって自分のハンバーガーをもそもそと頬張った。
思いがけず合流した三人は学校からそう遠くはないショッピングモールのフードコートボックス席に場所を移した。
そこへ向かう道中、昊がデパート屋上から落下事故を起こしてこの一週間ほど意識不明で入院していたという事情を聞かされた。驚いて肝が冷えたが、同時にそんなことがありながらもピンピンして今ここにいることに呆れつつ安堵した。
その事故でバックごと無くしてしまったため、スマホを失いすぐに連絡が取れなかったそうだ。
「ま、まあ……まじでオレが引きこもりなせいで連絡手段ネットくらいしからさ。雑に縁切られた訳じゃなくてよかったよ、はは」
「昊はそんなことをする奴じゃない」
冗談のつもりで言ったが、夕一の言葉を強く否定したのは昊ではなく夜の方だった。彼は一人だけ何も注文せずに冷水機から紙コップに汲んできた水に口をつけている。
「そ、そういえば六堂先輩と昊はどういう……?」
「どういうってなんだ」
「あいや、か、関係性と言いますか……」
萎縮しつつ、夕一は勇気を出してずっと疑問に思っていたことを投げかけた。
昊に夕一以外の友人がいることはもちろん知っていたが、この堅物とふにゃふにゃな昊が仲良くなるきっかけが全く予想できない。しかし、話の流れや雰囲気を見るに、なんとなく友達というには親密過ぎるように感じる。
先ほどだって昊のラーメンは夜が支払いをしていたし、道中の道路では夜は頑なに昊に車道側を歩かせなかったりした。その他、さまざまな二人の所作の積み重ねが情報として夕一の中で組み上がる。
過ぎる。これは、よぎってしまう。
夕一の大好きなものを見せつけられては、疼いてしまう。
質問に対して少々言い淀んでいる様子の夜の反応からしても、期待が膨らんだ夕一は恐る恐るテーブル越しの昊の耳に口を寄せた。
「ま、まさか卒業相手ってこの人……!? ソラサン、いつの間に薔薇の園に入園したんだよ!?」
「ふっ、こいつはオレにくびったけだからな。ベッドの上じゃ結構素直――」
「どっちが攻め!? なあ、どっち!?」
「違う! やめろと言ってるだろ、低俗共! 誰がこんな奴ッ……!」
興奮したせいで声が大きくなり、夜の耳に届いてしまったようだ。今度は夕一も昊も合わせて頭を叩かれた。
しかし、夕一は引き上がる口角を止められない。心が腐りきっているため、強い否定が肯定にしか聞こえないのだ。つまり、「大嫌い」=「愛してる」である。
満面の笑みで気色悪い笑い声を喉から絞り出した夕一はハンバーガーの具が溢れ落ちるのも気にせず、妄想脳をフル回転させる。
「ふ、ふへ、最高……! 断然調子乗ってる方が右派だけど、これは決め難い……勇者と魔王論争以来の究極の選択……! あん時は勇×魔で決着がついたからなあ……今回はどっちがいいかなあ! ふひ……」
夕一はありもしない目の前の二人の情事を妄想していたが、香ばしいステーキソースの匂いにはっと我に返った。
その時には、ハンバーガーの具が目の前に迫っていた。
「んぶ!?」
トレーに落ちかけていた夕一のハンバーガーの具が全て口に詰め込まれた。
窒息前になんとか飲み下して目を剥くと、据わった目の夜がソースがついた手をひらひらと振っている。
「食事中」
「あひ……」
「俺とこいつの関係だって、ただの友達だ」
「ひん……」
「悲しいことを言ってくれるじゃないか、勇者」
また暴走してしまったことを悟り、夕一はシクシクと肩を震わせながら残りのハンバーガーを平らげた。美味い。
「そろそろ本題に入らないか、勇者」
「……色々話すことがあってどれが本題かわからない」
「宝探しに決まってんだろうが」
「……タカラ探し?」
子供っぽい単語に反応して昊を見ると、彼はこちらに片手を差し出していた。何かを欲しがるようにくいくいと指を曲げている。
「お前、オレから何かを貰ったことないか?」
「も、貰ったこと?」
「それ、返せ」
「え、なに? どういう……?」
不躾に何かの返還を要求されても、戸惑うばかりだ。横の夜がため息をついて昊の顔をおしのけた。
「言葉足らずすぎるだろ……増間、お前昊とはそれなりに付き合いが長いんだよな?」
「はあ……まあ、四、五年くらい……アッ、と、友達としてですよ!?」
「知ってる。それだけの期間だ。昊から何かプレゼントされたりされなかったか? 事情があって、今どうしてもそれを返して欲しい」
「何かって……そんなんプレゼントした本人がなんでわからないんだよ」
「わからないものはわからんな〜〜〜」
昊は悪びれもせずに肩をすくめている。
仕方なく夕一は記憶を浚うが、すぐに「いや」と首を傾けた。
「お前とは漫画とかの貸し借りばっかりで、そういうのはあんまりなかったじゃん。誕生日とかも祝ってはもらったけど、プレゼントは全部食いもんだったし返せと言われても」
「じゃあ試しに胃の中身を出してみろ」
「なんでだよ、またお前の前でゲロんのやだよ!」
「冗談だ。しかし本当にないのか? 予想だと多分……黒い鞭とかをあげたり押し付けたりしたような気がするんだが」
「ムチ!? 何それ怖。ハードプレイはちょっと」
強く否定すると、昊はお手上げというように両手を上げて背もたれに寄りかかった。
夜も黙り込んでしまい、重い空気がボックス内にのしかかる。
よくわからないが、夕一が期待外れだと思われたことだけは痛いほどに理解した。また「すみません」と口の中でモゴモゴと謝罪をするが、誰の耳にも入っていないようだ。
「そ、そういえばさ! 昊お前大変なことしてくれたよな!?」
「なんだ藪から棒に」
「文化祭だよ、文化祭! 何勝手してくれちゃってんの!? 危うくゴミムシだったんだけど!」
「ブンカサイ?」
「ああ、そういえば……昊が勝手に申し込んだって話だったな」
そもそも昊が勝手に後夜祭ステージなどという陽キャの舞台に夕一という陰の者を立たせようとしたのがことの始まりだ。フェルマータは正体不明のカリスマ歌手。ステージに立つということはその理想像をぶち壊すことになりかねない。
とぼけているのか、首を傾げた昊はぐるぐるとこめかみを指で揉み、「ああ」と拳を打った。
「学校に直接出演の許可を取っていた昊の記憶が……いや、オレが取ったんだったな」
「……え?」
「なんでも校長もフェルマータとやらの大ファンらしくてな。当日をとても楽しみにしてると言ってたぞ」
「待てアホバカ何お前何お前何お前アホーーーーッ!?」
「おい、それオレも初耳なんだが」
さらりと言い放たれた重要発言には絶叫するしかなかった。
予行で夜が見せてくれた昊が出したという申し込み用紙はほぼ白紙。こんなふざけた内容なら取り下げてもらうことは容易だろうとかんがえていた。
しかし、昊は何をした? 学校に? 直接校長にフェルマータの出演許可をとったということか? しかもかなり期待されていると?
「お、おわ、おわった。おわ……へ、ヘイシリ、当日使える仮病の言い訳考えて……」
「待て早まるな、大丈夫だ」
「む、六堂先輩……!」
助けを求めかけたスマホの画面に差し込まれたのは夜の手だった。
そうだ、と一縷の希望が差し込んだように夕一は彼を見上げた。
夜は生徒会。演目の決定権は彼にあるようだった。彼なら校長だろうとこんなふざけた申し出は、校長の許可という名の期待があろうと却下するはず。
そういうルールや規則を重んじる人間が六堂夜なのだから――
「当日までもう一週間もないが、オレも全力で協力する。音楽には疎いが、当日までにオレにできることは協力しよう」
「ちょちょちょちょちょちょ」
「そこまでの期待をされているなら、やはりお前の出番はトリだな」
「いやいやいやいやいやいや」
「文化祭委員とも協力し、最高の後夜祭スケジュールを組む!」
「待ってェェェぇえーーーーーッ!?」
フェルマータ後夜祭出演に全力で乗り気の夜は全く希望の光などではなかった。裏切りだ。まさかの敵兵だとは。
バンっとテーブルに手を叩きつけると、バーガーのセットでついてきたポテトが数本飛び上がった。
「六堂先輩よく考えてください、言ってたじゃないですかオレはゴミムシですよ!? そんなやつを文化祭の出演者にしていいんすか!?」
「言ってない。そう自分を卑下するな」
「卑下とかじゃなく事実なんです! カスカスのカスなんですスミマセン! オレはまるで靴の中に入った小石」
「謙り方が著しい」
「てかオレ、フェルマータ引退したいなって最近思ってて」
「知らん、続けろ」
「ウワーン話が通じない」
夕一の訴えは全く持って夜に響かなかった。全ての元凶である昊はケラケラと笑ってこの地獄を傍観している。
この後絶対昊が苦手である長ネギをスーパーでお買い上げした流れで口にぶち込んでやると心に決めていた時、夕一の手に何かが触れた。
「夕一……」
この氷のように冷たい手は夜の他にいない。驚いて顔を見上げると、テーブル越しにこちらをに真剣な顔を向ける夜がいた。
「恐らくだが、あの後夜祭のステージは昊が何か意図があってお前のために用意した舞台のはずだ。昊が期待していたのが、お前……つまり、オレにとってお前は昊の忘れ形見みたいなものだ」
「え、なにその死んだみたいな……ここにいますけど、昊」
「オレにとって昊は何にも変えがたい大切な存在だ」
入ったツッコミもスルーして飛び出してきた告白にも近い夜の言葉に、夕一は喉の奥を詰まらせて黙るしかなかった。
「あいつは文化祭を楽しみにしていたし、もしかしたらこのステージの成功を楽しみにしていたのかもしれない。それならオレは……絶対にそれを成功させたい。させてやりたいんだ。だから……」
やはりダメだ。夜に手を握られては、夕一は何も逆らえなくなる。ただただ彼の御言葉に耳を傾けることが使命のように体が動かない。
ゴクリと唾を飲み込み、彼の次の言葉を待つ。
「だから……オレがお前を自分を卑下できないほどの真人間に叩き直してやる」
「はいっ!?」
麻痺して停止しかけていた脳が、彼の言葉を受けて嘘のように飛び起きた。
否定するまもなく握られた手が引き寄せられ、口の中を噛む。
「見ただけでわかる。その隈、お前規則正しい生活を送っていないだろう。コミュニケーションにもかなり苦手意識があるようだな。朝は早起き夜早寝。程よい飯に程よい運動。近所の人に会ったら元気に挨拶。全てルーティーンをこなせるようになれば自分に自信もつくだろう。その状態で自信満々にステージに立たせる」
「い、イヤーーーーー!!」
「安心しろ、オレのこの特訓法であの昊が五割ほどマシになった」
「半分治ってないーーーーー!」
「ちなみに三年かかった。お前にはそれを一週間パックに圧縮して叩き込む」
「うむ。どう考えても無理だな、勇者よ」
取り消しだ。手を握られていようがいまいが夕一は夜には逆らえない。そして分かり合えない。
夕一は惨めな自分を卑下してはいるが、別段真人間になりたいわけではない。現状維持一番である。なぜなら面倒くさいから。
しかし、このままでは暴走機関車の如き夜に真人間という名の廃人にされてしまう気配がした。そんなのは御免被る。
真人間改造パックを三年食らったという昊に味方をしてもらおうとSOSの視線を送ったが、やはりこいつは笑っているだけだった。殺すしかない。
「さっそく今日から開始だ。そうだ、他に苦手なこととかがあればそれも潰せるように特訓に組み込もう」
「ないですないですないですないで」
「――あ、いたいた。お待たせー」
ボックス席から逃げ出そうとしていた夕一はぴたりと動きを止めた。
飛び込んできた声はショッピングモールのガヤではない。はっきりとこちらに向けられていた。
そんなことよりも、何よりも、どう聞いても。この声の主の性別は――
「ごめぇん。ステーキ食べたくなっちゃって。合流より先に買ってきちゃった」
「音乃。お前そんなガッツリ食べる気なのか」
「誰かさんと違って自分の食費くらい出せるからね」
ジュージューと肉の焼ける音がするトレーを持つ誰かがボックス席の中へ、夕一の横に滑り込んでくる。脂っこい匂いに紛れて、甘い香水の匂いが漂っていた。
「で、フェルマータ探しはどうなったわけ? こいつ誰よ?」
「聞く前に隣に座るな」
机の油汚れ一点を見つめていた夕一は震える体を押さえながら声の方へ顔を向けた。
「お、ん……な……ッ!」
長い髪、化粧、短いスカートから伸びる足。
全ての要素が隣に座る人物を夕一が世界で一番苦手である“女”だと表していた。
途端、吐き気がする口を抑えテーブルの下に飛び込んだ。
そのまま潜り抜け夜たちが座る椅子の方へ移動。昊に飛びつき、抑えられなくなった胃の内容物を口と鼻からぶちまけた。




