82.突撃準備
起き抜けに感じた最初の違和感は、朝、ヨルの起床と共にフェルムが部屋に入ってこないことだった。
従者として主人の朝の支度を手伝う仕事がある。フェルムがそれをすっぽかしたことは今まで一度もない。
昨晩はサプリングデイ外周を三周走ってきた後ホテルに戻り、部屋に用意されていた夜食を食べてすぐ就寝したため、フェルムの姿は見なかった。
ヨルが食べた跡の食器は昨日ヨルが置いたそのままになっており、飲み干されたスープの成分が乾燥してこびりついていた。
「ヨルバッピアオヴォアヒタラァーーーッッッ!!」
ヨルが首を傾げていると、謎の奇声と共に部屋の扉が外からバンバンと激しく打ち付けられた。それを嗜めるようなアノネの声もわずかに聞こえる。
驚いて部屋の扉を開くと、全身真っ青になったソラが四肢をわちゃわちゃバタつかせていた。アノネが羽交い締めにしてそれを抑えようとしていたが、彼女の表情もどこか良くない。
「ソラ!? 何事だ!?」
「ゔぇおすあおくふぉびあ『翻訳不能:すみませんよく聞こえませんでした。もう一度マイクに向かってお話しください』」
「おいどうした!」
「落ち着きなさいソラ! 慌てすぎですぞ!」
いつも完璧にソラの言葉を訳してくれるソラのスマホが機能不全を起こしているほどまともに言葉を話せていない。彼の両肩を掴み、深呼吸をさせて落ち着かせ、もう一度話させた。
「う、う、うちのウィウィ知りませんか!」
「なに?」
「し、身長はこのくらいで銀髪で可愛いオオカミの耳としっぽが生えていて瞳は金色で愛嬌のある顔しててうちの父さんに似て」
「お、落ち着け! ウィウィのことくらい知ってるに決まってるだろ!」
真剣な表情でウィウィについて話し出したソラはやはり落ち着いてはいなかった。
「朝起きたらウィウィが見当たらなかったそうです。昨晩はワタシと夜中まで一緒にいた後ソラが迎えに来ましたし、間違いなくソラの部屋で寝かせたそうなんですが……」
会話にならないソラの代わりにアノネがこの発狂の理由を説明した。
ウィウィはいつもソラかアノネについて回っており、その精神年齢的にも一人で出歩くことはまずありえない。もし一人で歩き回ったとしても、このホテル内までだろう。
「クローゼットの中も! 他の客の部屋も凸したし、ゴミ箱の中も飛び込んだのに! ホテル中探したのにいない゛ぃ〜〜〜ッ!」
「落ち着けって! ホテル中見たってことはフェルムを見なかったか? あいつも昨晩から見当たらない」
「フェルムも? いや、いませんでしたが……」
「――フェルムなら」
アノネが眉を顰めたところで、後ろから声がかけられた。騒ぎを聞きつけたキャラが、寝室から出てきたところだった。
「昨晩、夜食を作った後にふらふらと部屋を出ていくのを見ましたが……帰って来てはいないようです」
「……まさか、話したんですか?」
「え? ええ、何かありましたか?」
特に何も思い当たる様子のないキャラに「いえ」と首を振り、思考を巡らせた。
二人が同時に消えたのが偶然だとは思えない。昨晩、ヨルがいない間の時間にフェルムがウィウィを連れ出したのだろうか。それなら、その理由はなんだろうか。
「ホテルにいないなら、外しかない。街に行ってギルドで話を聞けば何かわかるかもしれない」
「そ、そうか。ギルド、ギルドギルド」
今までにないほど真っ青になって取り乱しているソラは、早く行こうと急してくる。
緊急事態じみた状況ながら、ソラから全面的に頼られている優越感を感じたヨルは気分が上がるのを感じながら部屋を出ようとした。しかし、すぐアノネに呼び止められる。
「ヨル殿。その前に着替えてください」
「ん?」
「ん? じゃないです。寝て起きたままですよね、どう見ても。落ち着いたほうがいいのはあなたでは?」
ヨルは自分を見下ろし、下着一枚しか履いていないことに気がついた。無言で部屋の扉を閉め、全員からの視線を遮断する。
「あ、わ、ワタシも出ていきましょうか?」
「……すみません。次からソラたちと同室になってもらっていいですか。いや、パーティ的に」
完全に人目が消えたかと思いきや、振り返るとそういえばキャラが同室だったことを思い出した。
失態を記憶から消去しようとしながら自分の寝室の方の方を向いた時、足の裏に違和感を感じた。
床がわずかにベタついてることに気がついたが、すぐに歩き出したことでそのことは忘れてしまった。
適当な服に着替えて外に出てきた時には、ソラは変わらず爪を噛んで落ち着きのない様子を見せていた。
「まさかマジックバッグまでなくなっているとは……」
「だからそんなに適当すぎる服なのですか?」
着替えのために部屋へ戻った時、ヨルはすぐ愛用しているマジックバッグが見当たらないことに気がついた。なんせ大体の道具、日用品、装備、洋服、食料は全てあの中だ。刀だけは肌身離さず持ち歩いていたことが幸いした。
おかげでヨルはいつものベストや鎧ではなく、昨日脱いだままバッグにしまっていなかったトレーニング用の軽装を着てサプリングデイの住民たちの視線のまとになることになってしまった。
ここまでくると流石に最悪の可能性も見て見ぬ振りができなくなってくる。
「ソラ。大丈夫ですか?」
「……今考えてる」
キャラに付き添われながら歩くソラにはいつもの笑顔はどこにもなかった。真剣な表情で爪を噛みながら思考を巡らせている。
過去ウィウィがパンプに攫われた時も、安全よりリスクを取る方法でパンプの行方を追ったということをフェルムから聞いていた。よっぽどウィウィが大切な存在らしい。
羨ましく思いつつ、彼女がいない状況はソラが危険な行動に出る可能性が高いため、相棒という関係の名以上に必要不可欠な存在だということを理解していた。
「コハクトくんじゃないか! ご機嫌麗しゅう! この間は屋敷のゴースト退治大変助かった!」
「スキート? ……さん。まだ昼間ですよ」
ギルドに入ったと同時に、遮光性の分厚いローブを纏ったスキートが満面の笑みで寄ってきた。ローブの裏地の緋色と彼の金髪とのコントラストが眩い。
ソラとアノネにも情熱的な挨拶をしていたが、二人共に無視されていた。
「礼も兼ねて丁度会いに行こうと思っていた! 素晴らしき運命だな!」
「すみませんが、今日は都合が……」
「いや、アフタヌーンティーの誘いではなくてな。……これだ」
スキートを押しのけて進もうとしたヨルの足はそこで完全に止まった。彼が懐から取り出したもの――フェルムの名が刻まれたネームタグに目が奪われたからだ。
「これ、どこで見つけた?」
何かを言う前にソラがヨルを押しのけて問いかけた。驚いている間に、ソラの様子を訝しげにしながらもスキート答えた。
「ああ、見つけたのはワタシ自身ではないのだ。先程ギルドに来た時に近くを通りかかった冒険者が落とし物として受付に届け出ていたのを見かけて代わりに引き取ってきた――」
「どこに落ちてたッて聞いてんの!」
「ソラ!?」
「……サルギナダンジョンの三十階層の階段付近だそうだ。どうした、ミスターホンダ? 従者くんはコハクトくんの従者だろう。キミが一番慌ててどうする?」
「待ってください、本当にダンジョンの中で発見されたのですか? フェルムのネームタグが?」
頷くスキートを見て、ヨルはアノネと顔を合わせた。
本来冒険者のネームタグがダンジョン内で発見されることはほぼ死亡扱いということになる。
「死んでいるかどうかは別に、たかが十六レベルのフェルムがサルギナの三十階層まで到達するのはほぼありえないのでは?」
「……いや。アイツならできないことはないだろうが、そもそもどうしてダンジョンなんかに行くんだ。それも、ウィウィだけを連れて?」
最後にフェルムに会ったらしいキャラに縋るように理由を求めて視線を寄越す。
すると、彼女はソラに両肩を掴まれて詰め寄られていた。
「お願いしますダンジョンの最下層まででいいんでマジ、テレポートお願いします。なんでもします、足舐めます!」
「舐めないで下さい!? ど、どうしてダンジョンの最下層なんか……」
「ミスターホンダ。そういうプレイが好きなら良い相手の猫足椅子を紹介するぞ!」
「カミサマなら知ってるでしょ! ウィウィはその先に絶対いる! ウィウィとダンジョンの共通点なんてそれしかないんだから! 足でも地面でも毒でもなんでも舐めるのでお願いします!!」
「だから舐めなくて良いですよ!?」
「落ち着けバカ! 何を言ってる!?」
力尽くでキャラから引き剥がそうとすると、ぽこっと威力のない拳がヨルの顎に当たった。
「ぐずぐずするなァ! このままじゃウィウィが隣の大陸で処刑される!」
「そ、ソラ落ち着いて、それをこの場で言っては……!」
「は!?」
「俺ァダンジョン行くんだあ!!」
慌てた故の暴言かと思い、キャラと共にギルドのど真ん中で騒ぐ彼を鎮めようとした時、逆にヨルの口が塞がれた。スキートが後ろから手を回してきたことに気がついた時には視界が一面黒いコウモリの群れに覆われていた。
「何をッ……」
思わず攻撃魔法を放ってしまうところで、パッとコウモリの群れが掃け、視界が開けた。
「すまない、静かにしてくれると助かる」
目の前に座るスキートから視線を巡らせ、ここがギルド奥の接待用の部屋の中であることがわかった。
ヨルと同様、スキーとの向かいのソファに、アノネとキャラが座らされている。ソラだけは口に張り付いたコウモリと格闘して床を転げ回っていた。
スキートの顔からは先程までの上機嫌な笑みは消え、真剣な顔でコウモリを従え、部屋の鍵を閉めている。
「……これは一体、どういうつもりですか」
「彼の発言に少々問題が……いや、間違ったことは言っていないんだが」
「ソラの?」
珍しく歯切れの悪いスキートは、眉を下げながらソラに視線を寄越した。
ヨルは先程のソラの妄言まがいな発言を思い出し、何が問題なのかと首を傾げた。
「ッはあっ! だ、ダンジョンの最下層の扉の奥は隣の大陸に繋がってるんでしょ!? そうだよね!? 俺、お前が言ったこと忘れてないから、スキート!」
口のコウモリを引き剥がして飛び起きたソラの叫び声が接待室に響き渡った。キャラが横で息を呑むのを感じる。
「……嗚呼、君は本当に……」
あまりにもスキートに似合わない絞り出すような声と哀しげな表情は、ソラの言葉が真実であることを表していた。
隣の大陸というのは、この東の大陸の誰もが知っている“魔王によって滅ぼされた大陸”のことだろう。しかし、そこへ行く方法は海路も空路も確立されていない。
それがどうしてダンジョンの底に繋がるか――ヨルは記憶を遡らせ、先日のカジノパーティーの騒動の時のことを思い出した。
――サプリングデイのダンジョンに潜れば海の向こうの大陸に行ける! 不可能では無い!
切羽詰まったあの瞬間、スキートは確かにそう言った。
「そう、そういうことですか。隣の大陸……! パンプから聞きました。隣の大陸はアステラに占領され、攫われた人々や狼がそこへ集められていると。もしかしたらフェルムとウィウィは人攫いに攫われたのでは?」
「それしかねぇよぉッ! フェルムのタグがダンジョンの中に落ちてたんなら確定演出! ウィウィがわかってないだけで、アイツの村は隣の大陸にあったんだ多分!」
アノネの仮説はソラと同意見だったようで、二人は熱くなってさらに意見をぶつけ合っている。
少ない情報からそこまで気がつく彼らに舌を巻きつつ、ヨルは静かにスキートに向き直った。彼の気まずそうな顔が、既に答えを表しているようだった。
「……真実なのですか? サルギナダンジョンの最下層の扉――その奥が魔王に滅ぼされた大陸に繋がっているのですか?」
「あ、ああ! その通りだ、まさかワタシがいうまでもなくその事実に気が付いてしまうとは、さすが」
「何故?」
「あ……わ、ワタシがこれを知っているのは、不審に思うだろうが消してワタシがアステラだからではなく――」
「何故黙っていたのですか?」
「――え?」
タジタジになって言い訳がましく話すようになり始めたスキートに対して、ヨルは鋭く言い放った。スキートは目を紅い目を丸くして固まる。
この反応であれば、スキートは知っていたのだろう。ヨルたちにとってはパンプの証言で初めて判明した、アステラの大陸侵略を、スキートは知っていた。
「何故隣大陸の状況を騎士団や然るべき機関に情報提供をしなかったのですか。どうしてあちらへ行くことのできる方法をいままで黙って……」
「コハクトくん」
「今まであなたが黙っていた期間分、人攫いやテロによって被害を被った人が増えたのが分からないのか?」
「こは……」
「もっと早く判明していれば、いくらでも国が対処方を考えられた。アンタのせいで――」
これ以上は必要以上に熱くなりそうだったヨルは自制し、そこで口を閉ざした。
今自分の口から飛び出した綺麗事が全てヨル自身のためでもある自己中心さに自己嫌悪をしつつ、その冷水にも似た感情で冷静になった。
深く息を吸い、まるで目の前の出口への梯子を外された遭難者のような顔をしたスキートを睨みつけた。
「アンタがアステラかどうか、そんなことはもともと微塵も心配していない。オレはアンタが中立的立ち位置であることも知っている。事情があるかもしれない。それでも黙っていたことは恨みます。そのせいで、自分の従者と友人が一人また被害を被ったんだから」
「ち、違うんだ、ヨル君……! これはワタシの口からは到底話せない――」
「昔から思っていましたが、随分とオレのことに詳しいんですね……何故ですか?」
親しい人間しか知らないはずの“コハクト”の本名を口走ったスキートは、思わずと言ったように口を押さえた。
「す……すまない……今は、話せない……」
輝くような明るい態度の吸血鬼の面影は今はどこにもない。力なく項垂れた彼の表情は、すでにヨルから信用を失ったことを悟っていた。
その金色のつむじに向かってさらに言葉を浴びせようとした時、くいと服の裾を引っ張られた。
「ヨル……!」
そのソラの声を聞いた途端、脳に甘い痺れが駆け巡るのと同時に怒りの感情が吹き飛んだ。
「ダンジョン――いや、アステラの大陸までついてきてくれるよな? な? ウィウィに何かあったら、オレ……!!」
「当たり前だ! すぐに出発する!」
振り返ると同時に懇願するソラの姿を見て即答していた。
張り切ってソラと、ついでにアノネとキャラを小脇に抱え、危うく床を踏み抜く勢いで走り出す寸前で静止の声が上がった。
「いやいやいや! 落ち着けって何度言ったらわかるんですか!? バカなんですか!?」
「そ、そうですよ! いくらあなたが神源の力を持っていると言えど、アステラ教徒の本拠地となっている大陸に乗り込むのは危険すぎます!」
「マジックバックないんですよね!? 装備も、お金も、食料もないのにどうするつもりです!? まさかその軽装で殴り込むつもりじゃないですよね!?」
「それもいいだろう」
「良くないんですが!? なにも良くないんですが!?」
「早よいけ〜〜〜! ウィウィを助けに行くんだあ!」
「うるさいソラ!」
いつかの光景のリメイクのようなやりとりが喧しく飛び交う中、コンコンコンと小さなノックの音がその場の耳に入った。
その場の全員が一斉に黙り、いつの間にか開いていた部屋の扉の方を見た。
一つに括られた透明感のある白い長髪にメガネの男。見紛うはずもなくレデイが微笑みながらそこに立っていた。
「盗み聞きしてごめんね。昨日の宴会の支払いをしにホテルを訪ねていなかったからギルドを訪ねたのだけれど……お困りならボクが力を貸しますよ?」




