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カースト最底辺の狼  作者: 睡眠戦闘員
三章:狼の生態
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80.ネタバレ




 増間(ふえるま) 夕一(ゆういち)は引きこもりを継続してはいるが、昊という他人と話す訓練相手が見つかってからは、トラウマは多少軽減された。


 おかげで同性のコンビニ店員や教師くらいなら深刻な吃音や過呼吸は発生させなくて済むようになった。年上女性には相変わらず全身が拒否反応を示すが、だからこそ一番仲のいい友人は彼だけだった。一番、と言ってもそもそも他に友人がいないのだが。


 そんなことがあったからこそ、夕一は昊がネットで出会ったことを誰にも公言したことはなかったが、結果的に夕一の人生にいい影響を与えたことは否定のしようがなかった。


 それにしたって、リアル初対面の彼の女装には肝を冷やされた。


 昊本人曰く、当時はsorami(ソラミ)というハンドルネームからもわかるようにネカマを――つまり女のふりをしているつもりだったらしく、相手がネットで知り合った人間ということで素性が簡単にバレないように女装をして待ち合わせ場所に現れたらしい。化粧まで施して、良い迷惑だ。あれだけチャットで運営が設定したNGワードを貫通する下ネタ文字列を発明しては送り合っていたのによく相手が女だと認識すると思ったものだ。


 あの後すぐ昊はゲロを処理して夕一をファミレスまで連れて行った。一瞬席を立ち、戻ってきた時には昊は白いヨレヨレぶかぶかのTシャツに短パン姿になっており、化粧も落とされていた。その言い訳も夕一の女嫌いを一瞬で見抜いたところも全てが胡散臭く、そもそも女装をするという大変理解し難い性癖の持ち主を信用する気にはなれなかった。


 隙をついて逃げようかとも考えたが、チャット内と変わらず昊の話は面白く、お詫びの全品奢りで餌付けされ、三十分後不信感は吹き飛んでいた。ファミレス内でドリンクバーをお供に小一時間アニメトークと下ネタで盛り上がり、気がつくと自分でも驚くことに自宅に昊を連れ込み、一晩中オタク談義に花を咲かせていた。不用心にも程があると自分でも思う。



 

 学校に到着する頃には平らげていたたい焼きの包み紙を昇降口のゴミ箱へ投げた。狙いが外れ、ゴミ箱の縁に当たって跳ね返ってくる。


 ため息をついてゴミを拾い上げようとすると、廊下の奥からトーンの高い話し声が聞こえてきた。身体中に鳥肌が立ち、考える間もなくゴミ箱横の掃除ロッカーを力任せに開け、その中に飛び込んだ。


 どうしてこんな奇行に走ったのか。考えつつ息を潜めているうちに、答えが向こうからやってくる。話し声はだんだんと近づいてきて、ロッカーの空気穴から声の主たちを確認できた。


 女子生徒が三人、ジャージ姿で朗らかに話しながら林立する下駄箱の一つに近寄って行くのが見えた。ジャージのデザイン、上履きの色、何よりも纏う雰囲気が彼女たちが上級生――高等部の人間であることを表していた。夕一が苦手な年上の女だ。


 夕一たち中等部生徒の下駄箱があるこの昇降口には、高等部生徒の下駄箱はない。そもそも中等部と高等部は玄関が別れている。本来の彼女たちの靴は正反対の場所にあるはずだ。


 微かに聞こえる彼女たちの会話から、大方次の体育の時間のために外へ出るために、校庭に近い中等部玄関にあらかじめ外履きの靴を置いておいたのだろうとわかった。時たまそれを注意する生徒会からの手紙が授業プリントに混ざっていることがあるため、迷惑だなあと把握はしていたが、まさかこういう害があるとは予想していなかった。


 仲の良さげな声が外へ外へと遠ざかる。完全に声が聞こえなくなってから、ようやく感覚が戻ってきた。夕一と共に鮨詰めになっていた箒の先にこびりつく埃の匂いが鼻につく。しかし、ゲロよりはマシだと納得し、ロッカーから出た。


 なにも変わっていない。でも変わらなくてもいいと思う。嫌なものに立ち向かわないといけない吹聴は、アニメの世界であっても広まっている。無理をして、恥を晒すなら死んだ方がマシだ。


 誰に聞かせるわけでもない言い訳を連ねつつ、夕一は歩き出した。気分が沈んだ時はとにかく腹を満たす。これが一番効く。


 人気のない道を選んで食堂に着き恐る恐る様子を伺うが、昼休みが終わる五分前という時刻であることもあって、人はほとんどいなかった。見えるだけで、金髪の男子生徒が一人のみ、ラーメンを啜っているだけだ。


 ほっと息をついて、そそくさとジャンボカツカレーの食券を購入し、シフトインしていることを前もって調べておいたキッチン内の男性店員に「おねがいします」と引き攣った愛想笑いと共にそれを渡す。ルー多めで、という願いも込めて。


 数分と待たずに夕一の食券番号が呼ばれる。願い通りにはならずおそらく規定量の出来立てカツカレーを受け取り、席に着いた。キッチン・提供口から近すぎず視線が通りにくい場所かつ、トレー返却を円滑にするために遠すぎないベストポジションだ。


 燃費の悪い体にスパイスの匂いが染み渡る。自分が犬でも絶対に「待て」は習得できないだろうな、という我慢のなさに引きつられて、がっつくようにすぐカツにかぶりついた。


 食す幸せにハイになり、脳内で孤独なグルメ語りがとまらない。そばにベタ起きしたスマホは夕一の推しカプがいるアニメの神回のオープニング映像を流し、イヤホンを通して音が耳に届けられる。


 そんな上機嫌の中、ふと視線を感じてモグモグと咀嚼しながら顔を上げた。

 

 夕一がいる食堂の端とは逆側の壁側からだ。そこに、黒髪の男子生徒が夕一に背を向けて座っている。


 しばらくその背中をぼうっと見ていたが、違和感に気づく。その黒髪の男子生徒が座っていた席は、先ほどまでは金髪の人間が座っていなかっただろうか。


 彼のジャージを纏った腕は、既に食後であるためかもう動いていない。動いていないが――いささか動かなすぎではないだろうか。


 ピクリとも動かず、自分の前にあるトレーの両端に腕を置いて息を潜め、まるで耳を澄ませているような――


 石のようだった男子生徒が、突如無造作にこちらを振り向こうと動いた。夕一はぼうっとしていた意識から一変して慌て、目が合わないよう視線を手元のスマホに戻した。


 スマホの中ではオープニングが終わり本編が始まっていたが、頭に入ってこない。意識すればするほど、あの男子生徒がこちらを見ているように思えてならない。


 理由がわからない。夕一は何もしていない、多分。


 冷や汗が止まらず、居心地が悪くなった夕一は視線を上げないままとにかくカレーを掻き込んだ。白米一粒までスプーンで掬い切り、完食した。


 おかしなことに巻き込まれる前に立ち去ろう。そう心に決め、荷物をまとめて立ち上がる。男子生徒はまだ動いていない。


 できるだけ足音を立てないようにトレーを返却口まで運び、振り返って、飛び上がった。


「お前」


 あの黒髪の男子生徒だった。夕一以上に音もなく、そして素早く背後に立たれていた。


「ひッ……!?」


 恐る恐る視線を上げ、ジャージのデザインを見て高等部の人間だとわかった。そしてすぐ、さっきまでは見逃していた、その腕につけられた腕章の存在に気がついた。


 「生徒会」と、そこには達筆な文字で書かれていた。その情報で、夕一の脳裏に入学当初の記憶が蘇る。


 入学初日に校門で抜き打ちの持ち物検査を実施し、夕一のカバンの中から昊に返す予定だった成人向け同人誌を見つけ出し、ついでとばかりに夕一の髪に入った青色のメッシュの髪を引っこ抜く勢いでしばき回した生徒会の人間。


 ――六堂(むどう) (よる)。その人だった。そいつが、目の前に立っているではないか。


「す、すす、すっ、すんま、せ……ッ!」


 喉の奥から絞り出した謝罪は声になっていなかった。夕一の体は震えるのみで逃げ出すという発想すらない。


 目をつけられていた。今度こそ夕一の髪は引っこ抜かれる。ついていないことに、今日の夕一のバックの中にも昊に借りていたフルカラー成人向け同人誌が仕舞い込まれていた。終わった。終わったのだ。


 六堂夜がまた一歩すり足で近づき、夕一の腕を乱暴に掴んだ。いよいよ終わりだ。


「――お前、フェルマータだな」


 六堂が何かを言った。単語は知ってる、音楽記号。意味はなんだったか。フェルマータ、フェルマータ――

 

「す、すみま――……え」

「声が同じだ。やはりお前だな」

 

 言葉が出ない。声が一緒? この男は一体何を言っているのだろう。


 今まで一度もそんなことを言われたことがない。フェルマータは動画サイトで鬼才の歌い手だと謳われるアーティストだ。


 ネットの動画にあるフェルマータの声は、自信のない夕一と違って堂々としていて、情けない夕一と違ってクールなアウトサイダーで、友達が少ない夕一と違って頼まなくてもファンが集まり崇拝してくれる。


 こんなに違う。あいつ(フェルマータ)は夕一ではない。こんなにも共通点はないのに。

 

「――なんでッ……!?」


 リアルでフェルマータの中身(夕一)がバレたのは、これが初めてだった。


 図星をひけらかしたも同然の一言を漏らした瞬間、彼が夕一の腕を掴む力が強くなり、ぐんっと引っ張られた。


 あれよあれよと言う間に食堂を出て廊下を引きずられるように歩いた。授業開始のチャイムがうるさく鳴っている。廊下に人気はない。


 抵抗してもまるで手錠でもついているかのように六堂夜の手は離れてくれない。


 人気のない方へ方へと進み、六堂は「生徒会室」と書かれた教室の前で立ち止まり、扉を開いた。


「な、なん、なにを……!?」


 声を絞り出すと、六堂は目線だけを寄越してきた。


「本人確認だ。歌ってもらう」

 

 その言葉に肯定と否定のどちらかも思考に浮かび上がる前に、夕一は教室の中に引きずり込まれた。




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