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カースト最底辺の狼  作者: 睡眠戦闘員
三章:狼の生態
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77.フレンドリィファイア




 体の芯が勝手に震える。相手は史上災厄のゴーストだ。プレッシャーも凄まじい。しかしそれ以上に言葉を失って震えているアノネを見ていると、フェルムは少し冷静になることができた。


 廊下の先で佇む女ゴーストの両脇を固めるのは先ほどまでフェルムがテイムしていたゴースト二体だ。気を抜いた隙にテイムが解けてしまい、女ゴーストを呼びに行かせてしまった。


 片方は黒髪で耳と牙が尖った吸血鬼ゴースト、もう片方は貴族の装いをした男ゴーストだ。二人ともぼんやりと浮かべる憎しみの表情に、頭から血を流している。特徴的だ。姿がはっきりと認識できることからも、元から強力なゴーストだとわかる。先程の不意打ちで奇跡的に発動できた状況とはまるで違うため、テイムはもう望めそうにない。


 ではテイム対象を変えれば良い。


「“仔獣奏(クインテット)”! “黙って逃げろ”!」


 周囲を巻き込む攻撃魔法を放つ寸前だったアノネが無理やり口を塞がれたように詠唱を中止した。戸惑う表情のまま、ウィウィとともに揃った動きでくるりと方向転換し、廊下を駆け出す。アノネのレベルはフェルムより遥かに上だが、動揺している人間相手には、このスキルはよく響く。


 ここであんなものと戦うよりも、どうにかヨルと合流することに賭けて逃げた方が明らかに勝ち筋がある。本来竦んでいる足を無理やり動かしているため、危なっかしい足取りで走る二人の後ろを守りながらフェルムも走る。


 ふと冷気を感じ取り、振り返るとすぐそこに女ゴーストの顔があった。慌てて振り返ろうとし、廊下に敷かれた毛の長い絨毯の皺で足をもつれさせる。今でフェルムの頭があった場所に女ゴーストの拳が振り抜かれ、転んだフェルムにさらに足を引っ掛けて女ゴーストが床に転ぶ――と思われたが、ゴーストはありえない体幹と力技でフェルムを蹴り飛ばすことで転倒を免れた。


 ふっ飛んだフェルムはアノネたちを追い越して床に落ちてゴロゴロと転がってようやく止まる。痛み悶える暇なく、走ってくるアノネたちに貴族ゴーストが浮遊して上から飛びかかかるのが見えた。


「“魔法で応戦! 浄化魔法のみ!”」


 指示の直後、アノネは高速詠唱を終わらせた。正確な狙いで眩い光の球を貴族ゴーストに命中させる。撃った本人は勝手に動く体とゴーストの怖さに振り回されて涙目になっている。


 吸血鬼ゴーストが手を伸ばしてきたのを嫌ったのか、ウィウィが“チェルジ”を唱えてピンク色の煙に包まれた。そこから飛び出した小さな鳩が、腕を散らせて怯む貴族ゴーストの胴体をすり抜けてフェルムの方へ逃げてくる。


「だ、だめだ! 後ろ避けて!」


 フェルムは叫んだが、アノネに命令をした負荷で既にウィウィのテイムは解かれていた。垂れ出た鼻血が絨毯に滴る。


 鳩に化けたウィウィの動きを追って同じく貴族ゴーストをすり抜け、女ゴーストが手を伸ばしていた。やはり動きが早過ぎる。鳩は呆気なく鷲掴みにされて捉えられた。狼の紙に等しい防御力に加えて、今の体の大きさでは彼女は簡単に握りつぶされてしまうだろう。


「変身を――」

「チェルジ解除しろウィウィーーー!」


 焦ったフェルムが言い終えるよりも早く、声が飛んできた。鳩が白い煙に包まれ、元の姿、大きさに戻ったウィウィがゴーストの手のひらを押し開けて脱出する。


 それと入れ替わるように廊下の先からソラが全速力で走ってきた。吸血鬼ゴーストを背後からすり抜け、女ゴーストを突き飛ばした。そのまま勢いを殺さずに、地面に着地したウィウィを掬い上げ、アノネの手を引っ張ってフェルムの方へ走ってくる。


「ソラ――」

「逃げろおおおお!」

「え、え?」


 フェルムの元に辿り着いてもなお速度を緩めないソラは、フェルムをスルーして廊下の先へダッシュして行ってしまう。ぽかんと口を開けて呆けてしまったが、そういえばと自分の主人のことを思い出した途端、後頭部に熱を感じた。


 脊髄反射で横にかっ飛び、直後に元自分がいた場所に高速の火球が螺旋の軌道を描きながら飛んでいった。その一球だけでなく、当たれば肌が持っていかれるだけでは済まない攻撃魔法が次々と後から飛んでくる。


「邪魔だ、退けェッ!!」


 ゴーストたちもまた攻撃源を振り返った。そこには新たな強力なゴースト――ではなく、ヨルが鬼の形相で魔法を放っていた。フレンドリーファイヤを考慮しない彼の行動はどう見ても正気ではない。フェルムは即逃げの姿勢をとり、慌ててソラの後を追った。


「な、何があったの! まさかヨル様に余計なこと言ってないよね!?」

「余計なことォ!? 知らんがな!」

「ゆーしゃまたうらぎったの?」

「またとか言わないであげて!」


 追いついたソラと肩を並べて叫ぶように話す。ウィウィを抱えているにもかかわらず、スピードを落とさず走り続けている。


「どうするんですかがどうするんですかこれ!」


 アノネの方もテイムが解けて口が動くようになっている。パニック要員が増えてしまい、場が騒がしくなった。


「なんかさあ、ヨル急におかしくなってさあ! なんか顔怖いし、変に距離詰めてくるから離れるの繰り返してたらいつのまにかおっかけっこになってさあ! あいつゴーストに取り憑かれちゃったんじゃないのォ!?」

「ひいい! ヨル殿もゴーストになったってことですかあ!?」

「うらぎったってこと?」

「違うと思う!」

「……あ、ああ、そうかもね、取り憑かれ……たのかもね」


 ソラの話で大体何が起こったのか把握したフェルムはとりあえず適当に同調した。十中八九ソラに何かしらの想いを募らせて暴走したな、と納得する。しかし、納得したところでこの状況を解決させる案が浮かぶわけでもない。


 走りつつ肩越しに後ろを振り返ると、既にゴーストたちはヨルという暴走機関車と接敵していた。貴族と吸血鬼のゴーストはすでに体の大半が千切れ飛び、煙のように消えかけていた。


 対して、女ゴーストは驚くべきことに勇者の力を使用したヨルの動きについてきているようだった。両者動きが速すぎて、フェルムの目には彼らの腕や足が何本にも見えるほど残像を引いて戦っている。


 ヨルは怒りの表情を隠すこともしていない。そもそもヨルがゴーストと戦っているのはソラへの突撃の動線上にいた障害を排除しようとしているからだ。最初に参加したスキートのパーティーでも、進行方向にあるもの全てを切り刻んでいた。その障害が簡単に壊れないことは、ヨルの機嫌をさらに損ねるということだ。


「なんかやばくねぇ!?」


 ソラが叫ぶまでもなくやばい。ヨルが雄叫びを上げ、魔力を展開しているのが気配だけでビシバシ伝わってきていた。


「あ、あれは、炎魔法最大最速の誘導弾を放とうとしているのでは!?あの人何やってるんですか!?」


 アノネの的確な分析は的中していた。ヨルは女ゴーストを足蹴りで牽制しつつ刀を掲げ、魔法を炸裂させた。あれならゴーストも滅びるだろうが、そもそもフェルムたちも消し炭になってしまう。


「頭引っ込めろ!」


 どんっと背中を押され、ソラによって廊下の曲がり角へ突き飛ばされた。その先では既にアノネとウィウィがいて、その二人へフェルムが倒れ込むと、支えきれず三人共々倒れる。


 直後、一人曲がり角に入らず矢面に立たされたソラ目掛けて火球が飛んできた。


「久しぶりのクリティカル“反射ァッ!”」


 しかし、命中しつつもソラが傷つくことはなく、甲高い金属音を鳴らして反射スキルが発動。大量の火球は一斉にヨルの方へ帰っていった。


「あっ」


 フェルムが思わず声を上げた時には、出鱈目な攻撃力を秘めた火球の大群が、正確な狙いでゴースト諸共ヨルたちを飲み込んだ。

 

「あ、やべ。ヨルサン避けて~~~!?」

「遅いよ!」




 ・ ・ ・ ・ ・




 炎の爆発に巻き込まれてホワイトアウトした視界が回復しても、頭がクラクラと左右に揺れた。しかし正気に戻ったという自覚がある。


 ソラに何かを聞こうとして逃げられ、それを追いかけて……と一連の記憶はあるが、その時なぜあんなに衝動に駆られていたのか自分がわからない。今ならあんな詰め寄り方をしたらソラが逃げるのが当たり前だとわかるのに。


 半分起きた体を立ち上がらせ、ヨルは自分の体を見下ろした。服は燃え煤けてはいるが、肌は火傷すら負っていない。持ち前の防御力と勇者の硬さで自分が撃った火球の大群を受け切れたようだ。ソラとの廃墟での戦いでの反撃で負けた際に“反射耐性”と“自爆耐性”の身体スキルを得ていた甲斐があった。それでも衝撃は相当なものだったが。


 攻撃が跳ね返ってきたのはソラのスキルだろうが、また危ないことをしている、と少し憤りながらフラつく体を床と垂直に直した。まだ辺りには煙が立ち込めている。


 あの量の火球が逃げ場のない一本道である廊下に押し寄せたのだ。微かに足元に見えるゴーストの欠片から見るに、ゴーストは全て消滅したようだ。ヨルの霊感を使っても、すでにゴーストの気配はない。


 そう息を吐き、煙の先に人影を見た。仲間ではない。何事もなかったかのように先ほどまで集中砲火されていた場所に誰かが立っている。


 認識した瞬間、足の指を曲げた。勇者の力で硬い靴裏が足の指型に折り曲がり、毛の長い絨毯を掴む。そのまま脚力だけで長く重い絨毯をテーブルクロスのように容易く引いた。絨毯はそれの足元まで続いている。高速で引き寄せられた絨毯に乗って、よろける様子もなくそれは煙の中から姿を表した。


 上級霊の女ゴーストだった。憎しみの表情は引っ込み、うっすらと笑みを浮かべてヨルを見据えている。


 彼女の背後から絨毯に足を乗せていたらしいソラが転倒した音と悲鳴が聞こえてきた。そう、普通はそうなる。急に動き出した地面の上で体幹を保っていられる生き物はそうそういない。


 こいつはおかしい。ヨルは刀を握る手に力を入れた。


 このゴーストには質量がある。今も絨毯と連動して引き寄せられたし、その前にはソラに突き飛ばされていた。生者からはゴーストに触れないという常識を容易く破っている。


 そもそも本当にこれはゴーストなのだろうか。彼女からはゴースト的な気配を感じない。エネルギーの集合体であるはずのゴーストならばそれはあり得な――


「この災厄のゴーストが炎程度で消滅すると思ったのか」


 ゴーストが不敵に微笑む。それなのに、一層その佇まいに恐ろしい存在感と恐ろしさがまとわりつくようだった。


「ワタシの屋敷で暴れた罪、償ってもらおう」


 そうだ、とヨルは思い直した。これは間違いなくゴーストだ、何を疑うことがあるのか。上級霊だけでなく、強者はいつも他者の想像を超える。


 ならばやるべきことは一つ。このゴーストの(・・・・・)屋敷ごとでもいい。この危険な害虫を駆除するのみだ。


 女ゴーストが片足を上げた。それをドンッと突き下ろして地面を揺らすと、近くに落ちていた花瓶が反動で飛び上がる。それをヨルの方へ蹴り付けた。もうポルターガイストでもない。


 ヨルは花瓶を蹴り返し、それを追い越して女ゴーストへ距離を詰めた。魔力を纏わせ、刀を振り切る。女ゴーストは棒立ち状態から、あり得ない柔らかさで背骨を曲げ、地面に頭がつきそうなほど反り返って回避。バク転の動きで足を振り上げ、ヨルの手を打ち払いにいったが、勇者の握力は刀を取り落とさない。ヨルは刀の軌道を急激に曲げ不意打ちで突いたが、痙攣のようにわずかな動きで回避され、女ゴーストは華麗にバク転を完了した。着地点に先ほど蹴り付けた花瓶が時間差で飛来し、あわや頭に直撃するところで、手のひらで難なくキャッチして手のひらの中で砕いた。中から水が大量に溢れ出、絨毯を湿らせた。


 高速で動く刀によるジャブ、フェイントを混ぜた二連三連の突きを女ゴーストが全て視認していることを確認し、ならばとテンポを崩してからさらに音速で本気の突きをお見舞いする。女ゴーストの鋭い目を真っ二つにする直前、刀の前に小さな壁が割り込んだ。それは壁に飾られていた十センチ四方程度の絵画だった。女ゴーストがポルターガイストで呼び寄せた。


 絵画は刀の切先を防ぐには柔らかく、乗せられた絵の具を割りながらキャンバスを貫かれた。女ゴーストは絵画の額縁を両手で掴み、刀を巻き込んでぐるりと捻った。刀を奪う動きだったが、そうはさせない。ヨルは刀を引くのではなく、絵画のひねりに合わせて動いてさらに距離を詰め、ローキックを放つ。脛を狙ったヨルの足はスカートがかかった脛で真っ向から受け止められた。


 硬い。しかし、衝撃が響かない程度には柔い。これは純粋な身体能力とスキルによる強化を合わせて得られる体の丈夫さだ。目の前にいる敵は、ヨルと同じように自分の体と能力を訓練でいじめ抜いてきた者だ。


 だがそれでも、勇者という存在は全てを超える。本当の意味で渡り合えるのは魔王のみだと言われている。


 刹那の間拮抗していた足と脛は、ヨルがもう一撃お見舞いした足の甲による打撃によって、女ゴーストの脛の骨が砕ける結果に終わった。


「やるな」


 黙って戦っていた女ゴーストが口を開いた。驚くことに笑っている。ゴーストだからなのか、痛みを気にするそぶりもない。女ゴーストの口に、彼女の頭から元から垂れていた血が入り込んだ。それを残さんと舌で綺麗に舐め取られる。


 途端、女ゴーストは素早く飛び退いた。刀を固定していたアドバンテージである額縁も捨て、廊下の中心に胸を張って立った。ヨルは警戒を解かずに刀から絵画を払い落とし、そして気が付いた。粉々に砕いた女ゴーストの足は、真っ直ぐ綺麗に完治していた。ゴーストの生態には詳しくないが、そもそもこいつは気味が悪い例外が多すぎる。


 女ゴーストは薄いロンググローブをつけた両手で拳を作り、肘の高さまで上げた。ぴょんぴょんと軽快に二度飛び跳ね、着地と同時に姿が消える。


 ――見えない!


 女を再び認知したときには、ヨルは脊髄反射でおこなった防御に命を救われた。


 女ゴーストは勇者の目でも見逃すほどの速度で距離を詰め、音速のハイキックをヨルの左側頭部に放ってきた。それを防いだ二の腕から、音速同士の物体がぶつかりあった甲高い音が響き渡る。それを至近距離から受けたヨルの左鼓膜が破れ、血が吹き出した。傍の窓ガラスが数枚まとめて外へ向かって割れ飛ぶ。


 これまで防御に徹していた女ゴーストから、それ以上の俊敏性と攻撃力が飛び出してくるなど想像できない。しかも、ゴーストなのに攻撃が物理的過ぎだ。対策もクソもない。


 間を置かずに、二撃四撃十撃とパンチキックの連打がヨルに襲いかかる。一撃一撃に死至らしめる致死性が込められ、さらに頭や頸動脈、鳩尾、脇腹など急所を的確かつ執拗に狙われていた。


 戸惑いが大きかったが、ヨルの体はなんとか冷静に攻撃から身を守り、裁き、流していく。そもそも勇者が防御一点に集中させられることが前代未聞だ。


 鳩尾を突こうとした拳を膝で叩き、続いて飛んできた蹴りに対して曲げていた足をバネのように開いて払った。片目を潰さんと振り下された親指を頭突きで応戦して逆に潰してやろうとして回避された。それを囮に迫ってきていた耳を狙ったトーキックを刀で牽制し――そうしていくうちに、“集中”と“並列思考”のスキルによって思考が追いつき、体と連動することによって女ゴーストの動きに慣れ始める。反撃も可能だ。


 ヨルが攻撃に対応できるようになっていくほど、女ゴーストは楽しそうに攻撃の勢いを増していく。その分隙が大きくなった。ヨルはあえてこちらも隙の多い横振りの構えを取り、相手の攻撃を誘う。誘うと言っても一瞬だったが、女ゴーストは目ざとく踵落としを放ってきた。その足に垂れていた血の飛沫が飛んでくる。


 ヨルは横振りに見せかけた納刀から踏み込み、最適な距離まで詰めた。女ゴーストは蹴りのために片足のみしか地面についていない。ヨルが使える技の中で最速である居合から逃れるには無防備すぎた。


 ひけらかされたゴーストの脇腹へ抜刀する。その直前、ヨルはつんのめった。転んだように高速で地面が近づいてくる。


 一瞬何が起こったかわからなかったが、引き伸ばされた思考時間の中で視線を巡らせ、原因を見つけた。強く踏み込んだ足が、絨毯諸共凍りついていた。そして、先ほど浴びた血の飛沫もまた刀のツカと鞘の間で凍り、抜刀を許していない。


 誘われていたのはヨルの方だった。物理的攻撃で誤魔化し今まで一度も見せなかった魔法をここで発動し、まんまと湿らせた絨毯の上にヨルを移動させた。女ゴーストの回し蹴りはそれを見越しての動きだった。


 まだヨルは地面には倒れきっていない。しかし、それよりも早く女の踵によって頭を叩きつけられるのは明白だった。体を捻ってどうにか倒れまいと近くの何かに捕まるために手を伸ばす。柔らかい何かに触れ、それを思い切り引いた。自分の体をゴーストの足が届かない場所へ引き寄せることを期待したが、抵抗もほとんどなく引き寄せられたのはその掴んだ物の方だった。


「あっ」


 女ゴーストから間の抜けた声が聞こえてきた。


 ヨルは衝撃を覚悟して身構えたが、ゴーストの踵よりも先にヨルに触れたのは柔らかな絨毯だった。ヨルは掌中の何かを投げ捨てながら瞬時に氷を砕いて飛び退き、立ち上がって刀を構えた。


 前を見、左右を見回し、最後に後ろを振り返ったが、そのどこにも女ゴーストはいなかった。煙のように消えた。姿を隠しているのかと全身をそば立てて気配を探ったが、いつまで経ってもゴーストが襲ってくることはなかった。


 ふと、先ほど自分が掴み取り、投げ捨てた何かを地面に見つけた。一瞬それが黒猫のように見え、直後に正体に気がついてギョッとした。改めてつまみ上げてみると、黒髪――長い人毛の塊だった。女ゴーストの髪色と長さと酷似しており、一層気味が悪い。


「……かつら?」


 ヨルにはそれがそう見えた。


「よ、ヨルサン……」


 恐る恐るといった声色のソラの声が脳内を貫き、ヨルは瞬時に顔を上げた。十数メートル先の曲がり角から、顔と手だけを出したソラがいる。続いて、同じようにフェルム、アノネ、ウィウィが順々に顔を出した。戦っている間、すっかり彼らのことが頭から抜け落ちていた。


「すまん。怪我ないか」

「いやいや、めちゃくちゃ危なかったんだが!? 」

「屋敷もあっちこっち燃えてますよ!?」

「本当に何考えてるんですか!!」

「うらぎりゆーしゃ!」


 非難轟々だった。


 頭を掻きながら周りを見渡すと、フェルムの言う通りあちこちの壁や絨毯、カーテンが炭になりかけて燻っており、床にはヨルの足の大きさ大の窪みが点々とつき、廊下に飾られていた美術品の数々はもれなく砕けて瓦礫と化していた。


「いや、まあ、この程度は大丈夫だろう、たぶん」

「何が!? 怒られない? 大丈夫?」

「怒られる? 誰にだ。だって、この屋敷はあのゴーストの……屋、敷……」


 ヨルは自分で言いながら矛盾に気がついた。頭の中のモヤが晴れていく感覚と同時に、汗が滲む。


 この屋敷は女ゴーストの屋敷ではない。スキートの別荘だ。当たり前の事実を忘れ、今の今まで何故かこの屋敷がゴーストの所有物だと思い込んで、それを一度も疑わなかった。あの怨霊の所有物なら破壊してもいいだろうという思いから躊躇いなく刀を振ってしまった。


 口元に垂れてきた汗を舐め取り、ヨルは天井を仰いだ。


「まずい……よし、始末書だ」

「潔っ」


 人生には時に諦念も必要だ。勇者も過ちを犯す。


「まあ、ボスっぽいゴーストも退治できたようですし、これで依頼完了ですよね? もうこの幽霊屋敷から立ち去ってもいいんですよね?」

「いや、最後のあの上級霊には――」


 震えるアノネに「逃げられたんだ」と言おうとしたところで、窓の外から強烈な光が一瞬降り注いだ。視界がホワイトアウトすることに関してろくにいい経験をしていないヨルは身構えたが、回復した視界は光がくる前とは何も変わりはなかった。ソラの腹に穴が空いていることもない。


「あっ」


 ソラが窓の外を見て口をぽかんと開けた。ヨルも割れたガラスで手を切らないようにして窓の外を見てみると、庭園にキャラが見えた。彼女だけでない。もう一人背の高い白髪の男がキャラと何事かを話し合っていた。目を細めて崇めていると男は建物内にいるヨルたちに気がつき、優雅な所作で手を振ってきた。


「……誰だ、あれは?」

「あれはねぇ〜〜〜……」

「レデイ・ハンドメイド! 賢者様じゃないですかあ!」

「テンプレか?」


 ソラが語尾を伸ばしているうちに、飛び上がったアノネが颯爽と駆けていってしまった。ヨルたちもそれを追って屋敷を出た。道中の部屋や廊下を見て回ったが、わずかに感じていたゴーストの気配はいつの間にか消え去っており、解錠できなかった鍵も全て開くようになっていた。


 すんなりと玄関から外に出ると、キャラと満面の笑みの白髪痩身の男に出迎えられる。アノネが目をキラキラさせて彼に質問を繰り返していた。彼はこちらに気がつくと、興味を含んだ目でじっとヨルを見つめてきた。居心地が悪くなりつつ、会話ができる位置まで歩み寄る。


「愛されてるなあ」

「……え?」


 会話が可能な位置に入る直前、彼は笑顔で呟いた。声量的に自分に向けて言われたのかヨルには自信がない。数歩進むうちに聞き返すタイミングは消え失せ、レデイの視線も逸らされて聞き間違えかと納得できるような空気になった。


「ええと。レデイ、さんでよろしいんでしょうか」

「うん、うん。好ましい。勇者様はとても覚えが宜しいのですね。野郎皆はボクの事をレディと言うのですよ、最初は」


 近くで見ると彼の驚くべき美貌に驚愕を禁じ得なかった。作り物であるかのように美しかったが、作り物ではあり得ないしなやかで流動的という生命のいぶきを感じる所作から目を離せない。「野郎」という棘のある言葉を除いて人当たりの良さそうな性格が声色に滲み出ている。


 レデイと言う名に聞き覚えがある事から記憶を引っ張り出した。現在キルト魔法製薬に変わって薬学業界を取り仕切っている魔法薬ブランドの創設者だったはずだ。その名を知らないものはいない。一時期アステラ候補だとソラが喚いていた。一応騎士団の取り調べは彼らにも手が及び、調査がされたが特に何も出なかったと報告を受け、ソラはころっと意見を変えた。


「なんでここにいんのレデイ? てか、普通に会話できてね? 耳遠くなかったっけあんた」

「ちょっとバッティングしちゃっただけさ。ここの厄介な霊については前からスキートに相談されていてね。君たちの声は、最近開発した集音機のおかげでとってもよく聞こえるよ。流石に日常生活に支障をきたし始めてね」


 レデイは耳たぶについた小さなピアスをつんっとつつき、そして屋敷を見上げた。つられて振り返ると、外から見てもわかるほど、ヨルたちが暴れ回った形跡が割れた窓や穴が空いた外壁から見て撮れた。


「様子見に来たらこの子がいて、可愛いなと思って話していたのだけれど」

「え、ええ……勇者様が除霊中だと説明していたのですが……」


 キャラが困ったように微笑んだ。外で依頼完了を待っていたキャラとしては不安で仕方なかっただろう、この屋敷が倒壊しないかどうか。すぐ終わるとヨルに言われた以上、キャラは手出しが邪魔になってしまうのではと考え、待ちに徹するしかなかっただろう。

 

「ちょっと苦戦していたみたいだったから、外から浄化魔法をかけたんだ。逃げ出した上級霊も、ちゃんと仕留めたつもりだけれど」


 レデイは「邪魔だったかな?」と口では言ったが、表情には自信がある。もしかしてあの女ゴーストが急に消えたのは、レデイの魔法のおかげだったのだろうか。それにしては消え方があっけないようにヨルには思えた。


「邪魔なわけありますか!助かりましたよ、ね、ね!」

「そう言ってくれるとやりがいがあるなあ」


 アノネの尊敬は過剰な気もするが、レデイは気も悪くせずに頭をかいた。


「すげぇ……」


 横にいるソラから驚愕したような感心したような声が漏れたのが聞こえた。足元に風を感じて視線を落とすと、ソラの尻尾が触れている。それを見られたのに気がつき、ソラは慌てて尻尾を丸めて足の間に挟んだ。


「ま、まあ遅かったけどね! ヨルなんてこの屋敷をゴーストのだって勘違いしてぶっ壊しちゃったわけだし!」

「言うなバカ」


 照れ隠しか負け惜しみなのか滑り出したソラの口を押さえたが遅かった。


「勘違い?」

「ああ、いや……上級霊の相手をするのに集中しすぎまして」


 ヨルは苦い顔をして言い訳をしたが、なぜかレデイの方も苦い顔をしてメガネのブリッジに人差し指の第二関節を添えた。


「……のバカ……余計な……そをついて……」


 ボソボソと何かを呟き、しかしすぐ開き直るように眼鏡のずれを直し、ヨルに向き直った。


「えっと……何か?」

「いえ、何も。確かに手を貸すならばボクも早く判断するべきでした。申し訳ないです」

「そんな」


 いえいえと社交辞令の否定をしようとしたが、レデイはパンっと手を打ち合わせ、最初顔を合わせた時と同じ満面の笑みを作った。


「ですから、依頼も完了ということで疲れたでしょう。勇敢な若人たちを労って今日はボクが奢ります。ああ、この屋敷の修繕もボクの方で修繕をしておきますので、ご心配なく」


 レデイの魅力的な言葉に、ピクリとヨルの耳が反応した。ソラとウィウィとアノネも漏れなく続く。


「修繕費持ってくれるのですか!?」

「奢り!? 奢りって言った!?」

「ごはん食べられるってこと!?」

「食事を共にできるのでしたら是非パーフェクトポーションの制作秘話をお聞かせ願いたいです!」


 盛り上がる場の中、なぜか一人吐きそうな顔胸を押さえているフェルムにキャラが背中を撫でる様子が視界の端に見えた。




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