75.暗闇のぱにぱに
きいきいと反響する耳障りな音が微睡を遮った。ぼんやりとした人格が焦点を合わせるように明瞭になるにつれて、音の反響も控えめに、より鋭くうるさく感じた。
あまりにうるさくて本能的に嫌悪する鳴き声だったので、たまらず寝ぼけ眼のまま拳を振るう。蛙を潰した方がまだ勢いのある声が出るほどの弱々しい断末魔の後、鳴き声はピタリと止んだ。拳に触れる温かい毛皮の奥から体温が消えていくのを感じながら、目を開けた。
それでも、暗闇は暗闇のままだった。目を瞬かせても目が慣れることはなかった。野犬の血が流れるその目で見えないと言うことは、この場所には一切の光源がないと言うことだ。空気の動かなさ具合から閉ざされた狭い空間だとわかる。
覚醒する意識とともに警戒をしながら体を起こそうとして、布が肌に張り付く気持ち悪い感覚に気がついた。全身が冷たい水で濡れている。尻尾を立ち上げると、たっぷりと水を吸っていて重たい。服の中を弄り、愛用している火薬、火打ち石、マッチ、マッチ箱の側薬等の様子を見たが、触れただけでも湿気って使い物にならないことはわかった。火を光源にするのは諦める。
ため息をつきたかったが、口元には口輪されていた。口は満足に開けられず、声も出せない。金具を引っ張っても引っ掻いても、口輪は取れない。非常に軽いことからしても、なんらかの魔道具かもしれない。しかし、口輪をして、手足に拘束がないというのは不自然さを感じた。既に、自分が何者かによって監禁されていることは理解していた。
周囲からはなんの音も聞こえない。しかし、静寂とはいえ気配を消すのはそう難しいことではない。暗闇なら尚更だ。すぐ隣に敵がいてもおかしくはない。
冷静に、目覚める前の最後の記憶を手繰り寄せた。すぐに頭を振り、自分が意味不明な連中に敗北したことを悟った。腸が煮えくり返る感覚が湧き上がってくる。覚醒時に叩き殺した小動物――仔狼を引っ掴み、癇癪を起こしたように何度も地面に叩きつける。強く握りすぎてそれの首と胴体がちぎれ、どちらかが手の届かないところに吹き飛んでいった。視覚が奪われた状態である今、ぬめりのある生暖かい液体の感触の情報が、より詳細に脳に伝わってくる。気色悪く感じ、湿った地面にそれなすりつけた。
すうっと息を吸う音を感知し、耳をそば立て、瞬時に膝立ちになった。
「そんなに怒る? 噂通り本当にオオカミ嫌いなんだね。ウケる」
女の声に向かって飛びかかる。“気配がある方向”ではなく、“声がした方向”だ。肘を当てたつもりだったが、闇の中で空振る。手を縦横無尽に伸ばして掴みかかっても、そこには既に声の主はいなかった。いや、そもそもそこにいたかすら怪しい。
「話しようよ。あんた負けた側だし、アタシらは勝った側。話の一つでも聞いてくれないと」
また声がしたものの、やはりその方向に生き物の気配はなかった。どれだけ神経を研ぎ澄ませてもどこに気配があるのかわからない。所有しているスキルは索敵向きだったが、あれは一度顔を合わせて対面した相手でなくては効果を発揮しない。つまり、今話しかけてきている相手は一度も会ったことがないということだ。
より胡散臭さが増したものの、女の言う通り捉えられた側がなす術もなしに怒り狂ったところで惨めなだけだと諦めた。相手はこちらの得意武器から、スキルの短所まで知り尽くしている様子だ。抵抗はほぼ無駄だろう。鼻からため息をつき、コツコツと口輪を叩く。
「まいどあり〜。今話せるようにするわよ。ただし一度に三単語程度だけね」
パチリと、クラップ音とも指を鳴らしたともとれる音がした。口輪に変化が現れたようには思えなかったが、口が開くようになった。ようやくまともに口呼吸ができるようになり、特大のため息をかましてやると、女はくすくすと笑った。
「じゃあ……ここは、どこなのかなあ?」
「サプリングデイにある屋敷の地下だよ。あ、アタシ初対面だと思うけど、あんたとアステラ仲間だから、よろしく。パンプ・マッドジャックさん」
パンプは再びため息をついた。アステラ仲間と聞いても、全く嬉しくない。非洗脳組のノラ派であるパンプにとって、気狂い集団のアズ派はもれなく話が通じない厄介な相手に変わりはない。
「あれから、どれくらい、経ったのかなあ」
「アンタがアタシらに負けてから?」
揶揄うような上擦った声に対して舌打ちすると、一際大きく女は笑った。律儀に三単語ルールを守ってやっている自分が馬鹿らしくなる。
「大体……一ヶ月弱くらい? パンプ、アンタが氷漬けになってる間に、色々と面白いことがあったのよ」
氷漬け、と聞いてパンプの嫌な記憶が刺激された。
給料のために指令を受け、サウザリーフで開かれたスキート氏主催の『なんちゃらカップルの親交をなんたらする会』に潜入し、人攫い仕事のサポートをするはずが、突然喋る奇妙な椅子によって拘束され、何故かパンプの方が地下牢に投獄された。
ソラとアノネと再会してから簡単に地下牢を抜け出したかと思えば、地上出口直前で怪しい獣人の男女二人組とかちあった。彼らの素性も知らないままに出会って一秒で攻撃をされて、パンプは不意を突かれた。手持ちの爆弾がなかったと言うのもあるが、獣人なのにあちらがバカスカと魔法を撃って攻撃してきたため、後手に回ったパンプはあっという間に打ちのめされた。とどめに男の獣人が放った氷魔法をまともに食らい――そこから記憶が途切れている。
怒りが先行したものの、思い出すといよいよ不自然で意味不明な部分が鮮明になる。
女がパンプを負かした二人組を含んで“アタシら”と言っている以上、彼らもまたアステラ派閥なのだろう。それなのに、言葉通りアステラ仲間であるパンプを攻撃する理由はないはずだ。
そもそも、あの日の人攫いの指令も妙だった気がする。今思えば、まるで誘き出されたかのようだと感じる。暗闇を睨みつけると、「アタシより頭回りそうね」と女が困ったように漏らした。
「お察しの通り、あん時の指令はアンタに用があったアタシらのボスがね、アンタに出したニセ指令だよ。パンプさんはこの大陸は珍しい“あっちの大陸”の出身者でしょ。他にもいないわけじゃないけど、色々と条件をクリアしてんのはアンタだけだから。その知識をお借りしたくてさ」
端的に当時の雑な捕縛を謝罪されつつ、パンプは自分のプライバシーが女に対して無いことを悟った。
「ま、こっちが上の立場である以上従ってもらうつもりだけどさ。心配せずとも、アタシらはかな〜〜〜りアンタと利害の一致があるはずよ。先に言ってみな、アンタの望みは?」
「狼を、殺す、ことだよお」
間髪入れず即答してやると、暗闇の向こうで女が笑顔になる気配を唯一感じることができた。
「オーケー。アタシらも、狼は集めて殺さなきゃらならない。ああ、もちろん主のためにね? しかもアンタには朗報なことに、最近なりを潜めてたお告げが頻繁に降りてきてる。狼を積極的に殺すようにってね。神からのお許しだよ」
ほう、とパンプは感心した息を漏らした。ろくでなしのフィフティマも、たまには良いお告げをする。
「どうよ、素直に協力してくれる? それともうちのボスに躾けられたい?」
躾けて学習できるのは犬が狼とは違って賢いからだ。しかし、パンプがパンプであるためには、やはりアズ派の思考に当てられるわけにはいかない。変質した思想は、狼への殺意を鈍らせる。
答え合わせを避けられ、残る疑問は多々あったが、ここでつっぱるのは賢い選択では無い。
パンプが「協力する」と頷くと、再び起こったぱちりという音で視界が白く飛んだ。
光源が現れたことに気がつき、徐々に目が慣れ、世界に色が戻ってくる。岩肌が剥き出しの円形牢屋の内装が目の前に現れる。声の主である女が見当たらず左右を見回した後、光が頭上から降ってくるのに気がついた。
見上げると、そう高く無い天井に蜘蛛のように張り付いたメイド服姿の猫人族が、カンテラを揺らしながら笑っていた。
・ ・ ・ ・ ・
メインストリートを通ればさほど遠くない目的地だったが、ソラがちんたら食事を腹に詰めたせいで時間が押した。屋敷の屋根越しに見える西日は今にも沈みかけている。
依頼の目的地は、メインストリートから少し外れた金持ちたちが所有する住宅街の一角。周りよりも一際大きな赤と黒を基調とした派手といえば派手な屋敷だった。
正面玄関を守る大きな門から左右に伸びる柵には手入れをされた赤いバラが棘を隠しもせずに絡みついている。その茨越しに見える屋敷の大きな窓には、全て抜けなく分厚そうなカーテンがかかっており、ヨルが“遠見”のスキルを使っても中を覗くことはできなさそうだった。屋敷の手前に視線を移せば、チェスの駒や猫足の椅子をモチーフにして切り揃えられた植木アートがなんの脈絡も法則性もなく並んでいる。ユニークといえなくもない。
「なんか不思議と家主の顔が浮かぶなあ」
「スキートだ」
「でしょうね」
表札もついていないのに、スキート・ランドリューの屈託のない笑顔と自己紹介が聞こえてくる気がした。ここは見間違いようがなく、スキートが全国各地に所有する別荘の一つだった。
先日の一件で家と財産を失った際、何故この家を使わず安宿に泊まったのかと言う疑問は、今回彼から“お願い”をされる際に解消された。
「ん……いるな」
とあるスキルを発動し、屋敷全体からその気配を感じ取ったヨルは、早速門を押し開けた。屋敷全てで使えるマスターキーは事前にスキートから預かっている。
「何がいるん?」
「駆除対象だ」
「魔物の駆除か何かが今回の依頼なのですかな?」
「くじょ?」
背後から続け様に飛んでくる質問に、ヨルは足を止めて振り返った。
勇者パーティはヨル、フェルム、アノネ。狼パーティはソラ、ウィウィ、キャラ。半分に分けてもやはり人数が多すぎる気がする。そもそも、狼パーティメンバーは全員保護対象だ。戦闘要員とはいえない。
改めてどうして同行を許してしまったのか、自分の神経を疑った。しかし、今回の依頼自体、そもそも一時間もかからない予定の簡単な依頼だ。おそらく大丈夫だろうと高を括りながらも、こう言う時の自分がとことんついていないことを知っているヨルはため息をついた。
「すみません、ワタシはお留守番している方が良かったですよね」
「いえ、邪魔というわけでは……」
敏感にヨルのため息に反応したキャラが眉を下げた。正直、彼女は戦いの場に連れていきたくない。
「ワタシは外で待っていましょうか?」
「え、いや……いや。いいんですか?」
「え!置いてくの!!」
ソラが非難するような声を出した。確かに一人創造神を一人外に置いておくのは危険と思わなくもないが、依頼内容的にはあまり人数がいても無駄なだけだ。正直外にいる方が楽かもしれない。
「気にしないでください。屋敷の軒下で待っていますから」
「すみません。すぐに終わる予定なので……ウィウィも待ってたらどうだ。安全だぞ」
「やだ!」
元気な否定が狼少女から上がる。正直ウィウィの何もやることはないと思うが、ソラからは離れないつもりなのだろう。
にこやかな顔で手を振ったキャラは、そのまま玄関の柱の前で柱にあしらわれた彫像のように動かなくなった。神は噂通り気が長いらしい。
申し訳なくなりながらも、ヨルは屋敷の方へ向き直った。
「とにかく安全のためにオレから離れないように……ソラ、お前に言ってるんだぞ」
「なんで!?」
「そ、ソラは誰も死んだところがないところで死にそうだから……」
「ファーストデッド……ってコト!? 称号かトロフィーが欲しい」
フェルムの言葉に大きく頷きながら、ヨルは辿り着いた屋敷の玄関扉に手をついた。
「アノネ」
「はい?」
「叫ぶなよ」
「は?」
忠告してから、鍵を開け、扉を押す。つい最近まであのまめなスキートによって手入れはされていたはずなのに、蝶番から黒板を掻くような耳障りな音がした。
扉の隙間から冷気が雪崩れ出てきた。それまで勝ち気な顔をしていたアノネがびくりと肩を震わせた。ようやく何があるのか勘付いたのか、段々と青ざめていく。
屋敷内には冷気だけが満ちている。しかし、耐寒スキルのあるヨルにまで背筋を震わせるのは、寒さではない。
内装は外以上にユニークだらけだった。蝋燭の一本もつけていないのに、扉から差す僅かな夕日だけでそこら中に飾られた家具が派手な色であることが認識できた。静かなはずなのに、視界がこれでもかと言うほどうるさく、気が散る。
「何もいなくない?」
「いや」
「こっ、ここ、これは、この依頼は、まさか」
フェルムばりに吃るアノネは、一度屋敷内に踏み入れた足を後退り始めた。しかし、それを遮るように何かを叩きつけるような大きな音が鳴った。アノネが悲鳴を上げて振り返る。開きっぱなしになってたはずの扉が閉じていた。既に誰も扉に触れられる距離にいなかったと言うのに。
アノネの目がこわばる。ようやく観念してスキルを発動したらしい彼女の瞳孔に今回の駆除対象が映る。
ウィウィが尻尾を膨らませてすぐそばにいたアノネに抱きついた。いつもなら振り払うふりくらいするアノネは、青ざめて固まっている。
何が起こっているのかわからず、キョロキョロと周囲を見回していたソラに、フェルムが急いで“霊感”スキルを発動させながら触れてスキルを共有すると、さすがの彼の目も恐怖で見開かれた。
「ひ……い、ぎっ……」
アノネが喉の奥に溜めている悲鳴のかけらが漏れる。
「この幽霊の縄張りに入るとは、死の覚悟ができていると見える」
ヨルを含め霊感、及び、それに準ずるスキル等を持つ者の目には、入口正面の階段の上に立つ何者かの姿が映っていた。血だらけの全身で、ワカメのようにうねる髪で隠れていてもわかるほど鬼のような形相に歪めた半透明の女が、巨大な壺を不可視の力で持ち上げている。
あれがスキートが言っていたゴーストだと、ヨルは確信した。
この別荘を使っていなかった数ヶ月の間にゴーストが住み着いてしまったのだとスキートは語った。今回の依頼はそれを駆逐してくれとのことだ。そんなの自分で追い払えばいいじゃないかとヨルが言うと彼は、大真面目な顔で「ワタシは死者が怖いのだ」と言った。どこまで本気なのかわからない。
「ポルターガイストだ! 伏せろ!」
「ぎゃああああぁぁああぁッ!」
アノネから特大の悲鳴が上がるのと同時に、女ゴーストが手を振りかぶり、宙に浮く壺をヨルに向けてぶつけてきた。抜刀し壺を真っ二つに切り捨てると、中に溜まっていた水が溢れ出す。それを刀で撫でるように振り払いながら階段をかけ上がる。
「シッ……!」
鋭く息を吐き、”天変地異”によって魔法を纏わせた刀をゴーストの横っ腹に叩き込んだ――と思ったら素手でそれを受け止められた。ヨルは目を見開いた。全力ではないとはいえ、それなりの力で振るったはずの刀の側面を指で軽く挟んだゴーストは、勢いに任せて簡単にそれをいなす。
再び刀の切っ先を上げた時には、ゴーストはぴょんと背後へ宙返りしつつ、再び不可視の力で浮かせた壁の絵画をヨルに叩き込んできた。ゴーストに対して強烈な違和感を感じたヨルは、それを安易に切り捨てず、同じようにバク宙によって回避し、元いた階段下で着地した。
時間にして一秒に満たない間だったが、目を話した隙にゴーストは階段上から掻き消えていた。刀を鞘に戻す。
「あ、あ、あれは、おばけっすか! 俺初めて見た! ホラゲーで心臓鍛えててよかった〜〜〜!」
ソラが興奮しているのか、怯えているのかわからない表情で上擦った声を出した。大量に汗をかいているので、怖がっていたのは間違いないだろうが、テンションが高い。
「興奮してる場合じゃない! 何かおかし……」
ふと、違和感に気がついて周りを見回す。
「他の奴らは?」
「えっ」
ソラとともに、ヨルは再度周囲を見回した。ソラ以外の人間と狼少女の姿がない。薄暗い室内とはいえ、夜目が効く勇者の目で家具の裏や階段の影を見ても、彼らを見つけることはできなかった。
「う、ウィウィがいねぇーーーッ!!」
単純に考えて、ゴーストに連れ去られたか。しかし、あの女以外に強いゴーストの気配はなかったように感じた。しかし、死んだものに気配があるというのもよく考えるとおかしな話だ。
いよいよ簡単とはいえない幽霊退治になってきた。やはりヨルはついていない。
困惑していたソラがばたりと突然床に倒れた。何事かと見下ろした時には、彼は半透明の手だけの存在――ゴーストに足を掴まれ、もの凄い勢いで階段の上へ引きずられていった。ジタバタと抵抗しているうちに仰向けになったソラは、ゴンゴンと階段に後頭部をぶつけまくっている。
「逆エクソシストォ〜〜〜〜〜!」
ヨルは慌てて刀を抜きながらその後を追いかけた。




