72.ヘイトシュプリーム
◆現世◆
全館禁煙のカラオケ店であるにも関わらず、夜たちが通された部屋にはわずかに煙草の匂いが染み付いていた。いつもなら客のマナーの無さと店員の適当な仕事に憤りを感じるところだが、今の夜は疲れているせいか、むしろ心穏やかなくらいだった。
室内には定期的に鼻を啜る音だけが響いている。一度ずぶ濡れになったことを考慮しても、夜はそれに沈黙を誤魔化すためのわざとらしさを感じていた。顔を動かさないように隣に座る音乃を一瞥する。
最初は互いに向き合って着席していたが、夜が延々と宣伝が流れるテレビの音量を切るために端末に向かい、戻ってくると音乃は今の夜と隣り合う位置に移動していた。直接顔を合わせずらい気まずさからだろうが、自身のアルバムを掲げて宣伝をするアーティストの朗らかな声と音楽を切ってしまったこの部屋の中ではほとんど無意味なのではないか、と思った。しかし、それを聞くのも面倒で、口を閉ざしたまま静かに時間が流れていた。
「ワタシはお前を許す」と「アタシもごめんなさい」は、小学生でもできる「ごめんね」と「いいよ」だ。今になって思い返すと、あまりにも幼稚なやりとりだったかもしれないと、夜は内心で頭を抱えた。
公園で思いをぶちまけ合い、互いを許し合った二人は冷静になって話し合うために、その足で最寄りのこのカラオケ店まで来た。
二人とも頭から靴まで生乾きで入店してきた時の店員の困惑顔が夜の記憶の罪悪感フォルダに付箋付きで焼き付いた。こんな格好だったから煙草臭い部屋に放り込まれたのだと思えば、多少気が楽になった。さすがにそのまま座ることは憚られたので、濡れた制服は脱ぎ、二人揃って学校指定のジャージ姿になり、ようやく落ち着いた。
ただ、場所を設けたはいいものの、冷静に話すとは何から話せばいいのか夜にはわからなかった。何度も謝罪をするのも違うだろうし、一度許したことを蒸し返すのも気だるい。
少し燃え尽き状態である夜は、深く考えることを放棄し、ぼんやりと想い人のことを考えた。
「本当に、オレには昊しかいなかったんだ」
久々に口を開くと、音乃が待っていたと言わんばかりに、もっと言うなら長時間水に潜っていてやっと息を吸えたような表情で俯いていた頭を跳ね上げた。しかし、夜の話の内容を聞くと、また気まずい表情に戻る。
「……デパートの屋上のことは、ややこしいこと言って、ごめん。でも、本当にアタシあいつがなんで飛び降りたのかは、わからないわ」
「そこだ」
ヨルは組んでいた腕からぴんっと人差し指を立て、音乃に向けた。
「子供だ」
「な、なに?」
「見ていないのか? 子供が壊れたフェンスと一緒に落ちようとしていた。アイツはそれを助けようとして、代わりに落ちた」
あの日に自分が見た光景を告げると、音乃はピンときていない様子で目を見開いた。
「見ていない?」夜がもう一度尋ねると、彼女は困惑した様子で頷いた。
「あの時は動揺してて、昊が落ちる瞬間しか見てないから確証はないけれど……子供は、記憶にない。どういう子?」
「それは……」
昊に助けられた子供の特徴を言いかけて、夜は口をつぐんだ。昊についてなら表情から動作から、何から何まで動画を見返すように思い出せたが、子供の記憶は自分でも驚くほど曖昧だった。男児か女児かも定かではない。
こんなこと言っておいて、子供を探す発想は今までなかった。落下した昊を追いかけてすぐさま階段を下ってしまったため、夜はその後の子供の行方を知らない。
「本当に、昊しか頭になかったんだな……」
正義を掲げておきながら、その全ては自分のためである行動原理は、もはや病気なのではないか。自虐気味に呟くと、音乃がなにか腑に落ちない顔になった。
「逆に、本人に聞いてみなかったの?」
「……子供に?」
「いや、ほら」と音乃は手を振り、その手を少し彷徨わせてから、最終的に自分の背後あたりを指した。方向にはあまり意味はなさそうだ。彼女の言わんとすることを察し、夜は苦味虫を噛み潰したような顔になる。
「昊に聞かなかったの、ってこと。自殺だの自殺じゃないだの言ってるけど、結局死んでないし、目覚ましたんだし。あの時何があったのか聞かなかったの」
軽々しく残酷な言葉を使う音乃からは、いつの間にか気まずさは消え去っていた。しかし、調子に乗っているような図々しさよりは、真剣に話し合いたいと言う意思を感じる。
対して夜は、その質問に真剣に答えることを憚られていた。
あの昊は、昊じゃないのだ。と言ったところで信じてもらえるだろうか。そもそも、このことを音乃に話してもいいのだろうか。
逡巡の末、考えもまとまらぬまま口を開こうとしたところで、それよりも前に部屋の扉が開いた。途端に静かだった部屋に他の部屋から漏れ出す歌声や、店内BGMが雪崩れ込んでくる。それに一拍遅れて、何者が意気揚々と入ってきた。
「お前……!?」
「え、昊?」
確認する必要もなく、その男は昊――の姿をした魔王だった。なぜか、夜たちと同様に全身がずぶ濡れだった。この部屋に窓はないが、外で雨が降っていないことだけはわかる。
そもそもまだ病院では“昊”はまだ退院したことにはなっていないではないか。
溢れ出る言いたいことが喉で詰まって言葉が出ない夜を察したか、魔王は軽い調子で「今回もバイタルなんちゃらだの心電図だのには頼み込んだから病院にはバレていないと思う」と問題しかない気がする弁明をしてきた。
「お前何をして……と言うか、どうしてここがわかった?」
「路上で主人に待たされてる車とか、あと犬とかにも聞けばすぐだ」
「お前はいつも何と会話しているんだ……?」
魔王は犬のように頭を振って、跳ねた髪の先から滴る水を払った。そして、ジャージ姿の音乃を見とめると、口の端を釣り上げる。
「仲直り(笑)はできたんだな〜〜〜?」
問いかける口調だったが、声色から面白がっているのがわかった。そもそも公園で音乃に接触したのは魔王に強要されたからだ。魔王はあの時は病室に戻ると言っていたが、どうせどこかで会話の様子を盗み見ていたに違いない。
「昊……じゃない。誰?」
戸惑う声が聞こえた。振り返ると音乃が心底不思議そうな顔で魔王の顔を凝視していた。魔王は一瞬表情を消し、その後すぐに「アタリだ」と指を立てた。
「わかるのか? でも、お前、昨日は確か……」
夜も驚く。昨夜拉致した時、音乃は間違いなく魔王のことを昊だと思い込んでいたはずだ。少なくとも先ほどまでそうだった。
「何かしらのきっかけで認知が変わったか、写しに影響されたかしたんだろうな。珍しいことじゃない」
「アイツひとりっ子のはずじゃ」
「ひとりっ子?」
「お前も勇者と同じで理解が遅いな〜。ややこしいのは、共感するが」
魔王を昊によく似た兄弟だと思ったらしい音乃の考えは、即座に馬鹿らしいと一蹴された。
魔王は濡れたままの病院服で、強引に夜の隣に腰を下ろした。咳払いをして、喉の調子を整えた。
「オレは異世界人だ。お前らから見たらな」
魔王は前置きもなしに切り出した。音乃の表情が眉を寄せた状態で固まるのを見て、夜は天井を仰ぐ。魔王の説明の訳のわからなさは覚えがある。音乃には同情した。
大方、昨日魔王が夜に説明したのと同じ内容を告げ終えると、音乃は夜に視線を合わせてきた。ついで、人差し指を頭の上に持ってきて、クルクルとやり、パッと開く。随分古臭いジェスチャーだな、と思いながら夜は首を横に振った。
「残念だが、こいつは正気なんだよ」
「ガチで言ってんの。見た目は昊だし、記憶なくなったって言われた方が現実味あるんだけど」
「残念なことに」
夜が繰り返すと、音乃は口を半開きにして固まった。しかし意外なことに、すぐ「いや、もういい。一旦受け入れる。めんどくさい」と納得するような様子を見せた。
「納得したか、魔法使い」
「六堂はそういう冗談一番言わないタイプでしょ。てか、魔法使いって何。アタシのこと?」
信頼とは違うが、自身の性格を納得の材料にされ、夜は複雑な気分になった。音乃は数十分前まで自分を殺されそうになっていたことを覚えていないのだろうか。疑問が浮かんだが、彼女の変わり身の早さ、良く言えば切り替えの速さは元からだったと思い出した。そうしないと彼女は生き抜けなかった。
「……で、お前はずぶ濡れになって一体何をしでかしてきたんだ」
「ああ、これだ。これ」
一番気になっていた疑問を投げかけると、魔王は懐から何かを取り出した。指でつままれ、ぷらぷらと細かく振り子の運動を繰り返すそれは、キーホルダーだった。琥珀色の石が、白と青の装飾に絡み付かれているデザインとなっている。
「それ、昊の……」
キーホルダーは昊の通学バックについていたもので、昊が好きなアニメのグッズだと夜は知っていた。
「ああ、魔法使いの話を聞いて、もしやと思った」
音乃が「あ」と声を上げ、それを呆然と指さした。自身のポケットあたりを叩き、自分がジャージを着ていることを思い出すと、自分の通学バックを開いた。
「魔法使い。お前がこれを持っていたんだろう。水に落ちた時、一緒に池の底に落としていたぞ。拾いに行ったおかげでずぶ濡れだ」
「どう言うことだ? なんで音乃が昊の荷物を持っていることになる?」
「その……屋上で最後に、本当の昊? と話してた時にさ……」
音乃はまるで腫れ物を扱うように、顔を歪めつつ話し出した。
「アイツが急に走り出すもんだから、思わず鞄を掴んで引き止めようとしたんだけど……その時に、キーホルダーを掴んじゃって、ぶちっといっちゃって」
「……それから、今日までこれを返しに来なかったのか? 一週間も?」
「そ、そんな怖い顔しないでよ! タイミング逃しちゃってたの! どう考えてもアタシが見舞いに行けるような状況じゃなかったでしょう!? 昊の病室は常にあんたがいたし!」
音乃の弁明を聞いて、夜はそれもそうかと眉間に寄せた皺を伸ばした。しかし、その皺はすぐに戻ってきて、今度は魔王への訝しみへと意味を変える。
「お前、なんでわざわざ回収しに行ったんだ? 池の底まで?」
「今か」
魔王の口に笑みが浮かぶ。ふと彼の体を見下ろすと、濡れていたのが嘘のように全身が完全に乾いていた。柔らかそうなくせっ毛の先まで、サラサラと揺れている。これも魔法か、と夜は目を見張った。
魔王は唐突に夜に体を寄せた。ギョッとして拳が出かけたが、魔王の手が夜の背後にある荷物に回ったのに気がつき、間一髪で自分を制した。体の位置を戻した魔王の手には、夜の刀が握られていた。
「オレは、宝を集めていると言ったな。この宝石と刀がその一部だ」
「宝石って……刀はまだしも、キーホルダーはガチャガチャでも出るような安いやつじゃないの」
「馬鹿、これは数量限定の千円以上するやつだぞ。オレが昊の予約抽選まで手伝ってやっと当たったやつだ」
「あっそう」
「宝と言ったが、この世界での価値は関係ない」
魔王はテーブルの上のデンモクを乱暴に退け、空いたスペースに丁寧にキーホルダーと刀を並べた。
「宝……正確には、“神器”と呼ばれている。こちらの世界をコピーして創造されたオレの世界には、時折、不思議な道具が地上に現れる」
魔王は御伽噺を語るように、少し声を潜めた。彼がパチンと手を叩くと、ひとりでに部屋の照明が絞られた。それに驚き、天井に気を取られていると、無音のテレビの映像が宣伝ではなくなっていることに気がつくのに一拍遅れた。
液晶には、二人の人間が写っていた。いずれもぼんやりとしたタッチの人相画のようで、淡く色がつけられている。一方は夜であることがすぐにわかるくらい、特徴を捉えられていた。もう一方は金髪の男であったが、その顔立ちは夜によく似ているように思えた。音乃も同じことを思っているのか、チラリと横目で映像と夜を見比べている。
「神器は、アースに住む誰かが所有する“物”が、異世界に顕現したものだ。だいたいそいつのコピーが所有していることが多い。全てが仰々しい名ほど役に立つものではないが、魔法的強化をされているものもある」
映像の中の夜が刀を携えた。それに連動するように、金髪の男――異世界にいる夜の写しも刀を携えた。
「じゃあ、アタシが昊から引きちぎったキーホルダーも、異世界とやらに同じものがあるの?」
「そのはずだ。ただ、魔法的強化されていると同じ形状だという確証はないが、そこを気にする必要はない。重要なのは、この世界の“神器の元”の方を集めることだ」
受け入れると言ったとはいえ、音乃は人智を越える現象を目の前にしてあまり動揺していない様子だ。自分の頭が硬いのだろうかと、夜は隣の彼女を盗み見た。
「こんなただのモノを集めて何になる」
「望みが一つなんでも叶う」
率直にそう言った魔王の顔には、彼の横暴さに似合わないとびきりの笑顔が浮かんでいた。昊の笑顔とは微妙に違った。
「……結構、安直な効果なのね」
「魅力的だろう」
満足そうに頬を緩める魔王を見て、夜は「こいつの望みを叶えるための手伝いをしないといけないのだ」と自分の役割を振り返った。
胡散臭くも契約まで交わした。夜は魔王が満足する結果を出さなければならない。全ては昊をこの世界に取り戻すためだ。そのために、魔王の言うことには従わざるを得ない。
テレビの映像が切り替わった。ロープのような何かが映し出される。全身が細く、黒一色だ。ロープの片方の端が金色の金属的光沢を放っていた。
「これから、また一人神器の元を持つ奴を探す。昊の記憶から手頃に見つけられそうなやつを見繕ってみたんだが……」
映像がまた変化した。ロープの隣に男が現れた。先ほどよりも不鮮明で抽象的なタッチで描かれたその男の顔は、ぼんやりとしている。辛うじて短髪だとわかるくらいだ。
「こういうやつだ。見覚えはないか」
「顔どころか全身曖昧過ぎるじゃないか」
わかるわけない、と夜は鼻を鳴らした。魔王は「記憶を頼りに絵を描くのは専門外だ」と漏らし、唇を尖らせた。拗ねるようにテレビの映像を消し去り、部屋の照明を戻す。
薄々勘づいていたが、神器の所有者を、昊の記憶を頼りに探しているということは、つまり、全員が昊の知り合いということなのだろう。
「記憶があるなら、名前はわからないのか?」
「わからない。その記憶は非公開にされてる。オレは便宜上、従魔術士と呼んでいるが」
「お前がつけたあだ名が何の役に立つんだ」
本当にこいつは人探しをさせる気があるのかとため息をついた。魔王はその反応に対して少しムッとしたのか、「情報はまだある」と続けた。
「よく歌を歌っていた。ここに来る途中でも店の中で同じ歌が聞こえてきた」
「歌なんて誰でも歌う」
ここがカラオケなら、なおさらな。と付け加えた。どこが「手頃に見つけられそうなやつ」なんだ。という意味を込めて。
「違う。従魔術士の歌声がそのまま流れていたんだ。スピーカーっていうんだろう? 知ってる。この建物に入った時から、天井から流れて来てたんだ。だからこの建物内にいると思ったが、全部の部屋を覗いてみてもいなかった。あれはどういう仕組みなんだ。この世界にも録音用魔道具に似た機械があるのか?」
夜は音乃と顔を見合わせた。ムキになった魔王がまだ何か言っているが、一気に出てきた情報が、互いを同様に混乱させていることはわかった。
先に整理を終えたのは、音乃だった。
「ち、ちょっと待って。本当に、同じ声だったの? じゅうまじゅちゅ士と、そこらへんで流れてた曲の歌手と?」
「ああ、そうだ」
「まさか、ヘイトスクリーム?」
「何だそれは」
魔王が眉を顰める。音乃は唐突に立ち上がり、部屋の扉を開け放った。途端に、カラオケ店の廊下に流れる店内BGMがまた雪崩れ込んでくる。
「これ! この曲!?」
音乃は興奮した様子で廊下の天井のスピーカーを指さした。魔王が静かにその曲に耳を澄ませている様子だったので、夜も意識してみる。
その曲には聞き覚えがあった。先ほど入口で受付した時も廊下でエンドレスにこの曲が流れていた。
それだけではない。テレビ、ヒットチャート、ゲームセンター、服屋、CDショップ、教室の誰かのハミング。最近で夜が行ったことのある場所のどこかしらで必ず流れている曲だった。
爽快な高音とシャウト、強烈なパンチライン、心地よいメロディラインの数々は、音楽にさほど興味のない夜の中にも浸透しており、サビくらいだったらハミングできる。至る所で賞賛と共に連呼されるこの曲『ヘイトスクリーム』の作曲者の名前さえ、わかる。
「……フェルマータ?」
「そう!」
音楽記号の一つを冠したアーティストの名を挙げると、音乃はこれまた高揚した様子で人差し指を夜に突きつけた。
フェルマータ。二年前ほどに動画投稿サイトに自分の歌声でオリジナル楽曲を投稿する活動を開始し、瞬く間に人気を爆発させたアーティストだ。代表曲の『ヘイトスクリーム』は投稿から時間が経っても人気が衰えず、街中の有線で流れ続け、カラオケで歌われた曲総合ランキングでも常に上位に食い込んでいる。
それだけの人気がありながらも、CD以外グッズは出さず、ライブも行わない。ネットでただただひたすら曲を投稿し続けている、ストイックにも思えるアーティストだ。
「そうだ、この歌声。間違いない、こいつだ」
魔王は何度も頷いた。その表情には自信が宿っている。
「で、どこにいるんだ、こいつは。有名人なら居所くらいわかるだろう?」
「「わかるか!!」」
最高に嫌いなお前のこと。




