71.シンガー
明けましておめでとうございます。
三章開幕。お楽しみください。
お前は自己肯定感が低い、と言われれば、そうかもしれないと思う。
お前には才能がある、と言われれば、またそうかもしれないと思う。
しかし、どれだけ考えようと、自分に価値があるかはわからない。
いつだって、夕一の価値を決めるのは、周囲の人間だったから。
六弦琴を抱えて部屋の隅に縮こまっていても、PCを開いても、いつまで経っても彼を価値あるものにしてくれた彼からの連絡を告げる通知が来ない。
・ ・ ・ ・ ・
涼しいリビングが、一番古い実家の記憶だった。その部屋でゆったりと好きな漫画を読み耽り、夕方には飯を作り、夜遅くに帰ってくる父さんを迎える瞬間が一番幸せな時間だった。
近所の人、友人、学校の教師も、全員が俺のことを父親っ子だと口を揃えていった。俺も自分でそう思う。
父さんはは口数少なく、表情に出して笑う方ではなかったが、俺が父さんのために何かをするたびに微笑んでくれた姿が、今も目の前にいるように思い出せる。
幸せな記憶の中で俺を撫でていた父さんの手が離れ、突然目の前の情景が変わっていく。現世の証明に照らされていた室内から人工的な灯りは消え去り、薄暗い空間が広がった。
川の水底から青白い光が差すその空間のすみに誰かいる。そこがもう既に懐かしいサルギナダンジョンの最下層だと思い出すと同時に、銀色の髪と太い尻尾を振るわせている誰かがウィウィだと気がついた。
彼女と出会った時の記憶だ。危機迫った目を見たあの時。彼女をなんとしても守らなくてはならないという使命感に駆られていた。その時感じた使命感は、今も継続して俺の中に残っている。他人だろうと、小さな子を危険なことから守るのは当然だが、数ヶ月をともに過ごすうちに、さながら娘を守る親の様な愛着も芽生えている気がする。
それでもウィウィには本当のお父さんがいるのだと思い出すたびに少し寂しい。
ぼんやりとその記憶の中の景色が霞んでは暗くなっていく。そこでようやくこれが夢であることを自覚して、意識が浮上していくのがわかった。
瞼越しに、ぼんやりとした明かりが見える。手足の素肌に触れるシーツの感覚が戻ってきた。
体を起こそうと身じろぎをした。でも腕すら動かない。
氷のように体が冷えていて、ガチガチに固まった体が恐ろしく重かった。氷のよう、とは表現したけれど、寒さは感じない。昔から、暑いことよりも寒さへの耐性が強かったから。
しばらく身体中の感覚に意識を向けて、そばに寝ているはずのウィウィがいないことに気がついた。いつも同じベッドで肩を寄せ合って寝ているのに。
どこに行ったのか途端に心配になった。跳ね起きてウィウィを探したかったけれど、それでも体はうまく動いてくれない。
遠くからノックの音が聞こえた気がした。続けてフェルムの声が聞こえた。どうして俺たちの宿にいるのか、と疑問に思ってから、すぐに昨日は色々あってヨルたちと同じホテルに泊まっていたことを思い出した。通りで、シーツが埃っぽくないわけだ。
やっと瞼が言うことを聞いた。目を開くと、とっくに日の出の時間は過ぎていて、窓から差し込む日差しは強かった。
「ソラ?」
暖色の朝日を眺めていると、俺の視界に青色が入り込む。部屋に入ってきたフェルムが、俺の顔を覗き込んできたのだ。
「……具合悪いの? ウィウィが、ソラが起こしても起きないって、ボクのこと呼びに来たんだけど……」
いらない心配をかけてしまったらしい。何か言おうとして喉に力を入れたが、声が出ない。
そんな俺を見て、フェルムが眉を顰めて「風邪かな」と呟く。そして、熱を測ろうとしたのか、俺の額に手を伸ばそうとしたところで、遠くから別の人間が駆け寄ってくる足音が近寄ってきた。
「フェルム!」
名を呼ばれ、フェルムはビクッとして手を引っ込めた。見えないけれど、声からして少し息の荒いアノネちゃんが部屋に入ってくるのがわかった。
「ウィウィから話は聞きました。ソラはワタシが見ますから、もう戻って結構ですよ」
「え、でも」
「具合が悪そうなんでしょう? ワタシは専門家なんですから。このアノネ大魔道士に任せてください。まあ、どうせ昨日の夜更かしのせいで寝ぼけているだけでしょうけどね」
多少強引に捲し立てたアノネちゃんに負け、フェルムは疑問を浮かべた顔で俺が寝ているベッドから離れた。部屋から出ていく足音がして、扉が閉まる。
アノネちゃんがため息をついて、俺の目の前まで歩いてきた。手には医療鞄のようなものが下げられている。それを開けて、小瓶を取り出した。
「あなた、昨夜“花粉症の薬”飲み忘れたでしょう」
指摘されてようやく体が重い原因が理解できた。そうだ、きちんと決められた時間に決められた薬を飲まないと、以前もよくこうなっていた。
狼男なのに、まるでトカゲとかの変温動物みたいに朝方は体が使い物にならなくなる。
「まさか、飲み忘れると毎回こうなってたんですか? 今までどうしてたのやら。たまたまワタシが早起きしてなかったら、今頃ヨル殿までが駆り出されて、シーツごとひっくり返されてますよ」
前にやった時は、どうやってウィウィに誤魔化していたっけ。思い出せない。
異世界に来てまで、こんな症状になるのは気分が落ちるから、いつも気をつけていたつもりだった。
申し訳ない気持ちになって、謝りたかったけれど、声はまだ出ない。
アノネちゃんは気にせず、俺から毛布をひっぺがし、左腕を出させた。彼女の右手には、いつの間にやら中身が入った注射器が構えられている。
「ちくっとしますよ」
注射は幼い頃から高い所の次に大っ嫌いだった。悲鳴をあげて抵抗したかったが、なにぶん全身が機能しないので、嫌だと主張する間もなく俺の二の腕に針が突き刺さった。
・ ・ ・ ・ ・
◇異世界◇
「結局さ~、魔王って何?」
ソラは、朝食のサラダを突き刺したフォークを正面に突きつけた。
ウィウィは、なんとなくその動作を真似してフォークを振り回したが、横に座るアノネに「やめなさい」と普通に怒られ、しょんぼりと耳を垂れさせた。
いつも日の出とともに起きるウィウィよりも早く起きて笑顔で朝食を用意して待ち構えているソラは、珍しく寝坊をした。
ウィウィは、ソラより早く起きたと最初は小躍りして喜んだものの、いくら待っても彼が起きる気配がなく、心配してヨルたちの部屋まで行って事情まで話したほどだった。
しかし、ソラは「ホンダソラくん、完全復活ゥ~!」とテンション高めにアノネとともにヨルの部屋まで来たので、あまり心配はなさそうだと安心した。
「何って……なんだ?」
ソラの正面。フォークを突きつけられたヨルは、困惑した顔でローストビーフのソースがついた口を拭った。確かにソースが口についても気にしていられない程、このホテルの料理は美味しい、とウィウィは思う。
ソラが教会の公開展示から解放された日から、ソラとウィウィはいつもの安宿ではなく、ヨルたちが利用している高級ホテルに宿泊していた。もちろん部屋代はヨル持ち。普段からソラはそれを断っていたが、今回は少しばかり事情が違う。
毎朝、その日の予定会議も兼ねて、ヨルの部屋にいつものメンバーが集まって朝食をとっている。フェルムはヨルの朝の支度の準備のために早く起きているため、すでに食事は済ませているらしく、いつもヨルの料理に赤いパウダーのようなものを決まった量振りかける仕事に専念していた。
そんな中、ソラから冒頭の疑問が飛び出したのは、ヨルが勇者活動を再開したいが、魔王の捜索に難航しているという話題の流れからだった。
「すみませんねぇ、俺っち異世界初心者で。魔王ってやばそう~~~って感じのイメージしかなくて、結局何をやらかすやつなのか全然知らないんだよね。あ、でも隣の大陸? を滅ぼしたのは知ってる」
ソラは首を傾げながらウィウィの方を向いた。
「そういや、ウィウィは魔王のこと知ってんの?」
「村にいた時、おばあちゃんがちょっとはなしてたから、ちょっと知ってる」
「うわ、俺だけじゃん知らないの」
ウィウィの村のおばあちゃん狼はよくウィウィの父と昔話をしていた。そこに時々魔王の話題が上がるたびに、父の表情が悲しげに曇っていたので、よく覚えている。
悔しがるソラから視線を話してヨルの方を見ると、少し目を丸くしてウィウィのことを凝視していた。しかし、すぐに我に返って、「異世界には魔王はいないんだな」と漏らした。
「正直、最近のこと以外詳しいことは判明していない。昔の話となるとほぼ神話レベルだ」
「スクールで学ぶ歴史上にも、魔王の存在は登場するものの、なぜ存在するかは詳しくは教わりませんからね」
「必修科目ではあるんだ」
「これは、オレが勇者に選ばれてから提供された情報や、学者の説が混じっているが……」
簡単な前置きをしながら、ヨルは空いた皿を下げ、フェルムからおかわりの皿を受け取った。
「魔王は二千年以上前から存在が確認されている」
「長っ。え、魔王って襲名制? 何人もいる?」
「いえ、確証はありませんが、使用する魔法、スキルから同一個体とされていますよ」
それを聞いて、ソラは「寿命なげぇ〜!」とのけぞった。
一方ウィウィは、二千年と聞いて時の長さがよく測れず視線を宙に彷徨わせた。ウィウィが生きた時の何倍。さらには、村のおばあちゃんのおばあちゃんが二百歳ほどだったはずだが、その何十倍だろうか。
「長いように思えるが、実際活動している期間はかなり短い。初代の勇者に討伐されたのをきっかけに、数百年に一度程復活してはその世代の勇者に討伐されて……と言うのを繰り返している」
「あ、勇者の方は襲名制なんだ」
ふうん、含みを持たせて頷いたソラは、口に運んだトマトを咀嚼しながら何かを考え、飲み込む前に口を開いた。
「何回も倒されてる魔王案外弱いなって思ったのは置いといて……そんな何回も復活して、何が目的なの?」
「それがわからないから謎なんだ。それに、前回の復活で隣の大陸を滅ぼしてから、姿を眩ましている。滅ぼすだけが目的なのか、滅ぼすことに何か意味があるのかなんなのやら」
「一説では」と、とっくに皿を空にしたアノネが人差し指を立てた。
「魔王は創造神が生まれる時、そのパワーの残り滓を吸収し、莫大な魔力を手に入れた存在だそうです。だから、魔王は更に強い力を求めているのではないかとされていますぞ」
「そうなんそすか〜」
久しぶりに聴く古めかしい口調で話すアノネの表情は得意げだ。でも、やはり肝心なその行動の理由が分からないのは、ウィウィだけなのだろうか。そう思ってソラの顔を見たが、やはりピンとは来ていない様子だった。
ソラはトマトをやっと飲み込んだ。視線と、大きな狼耳がひょこひょことしわせなく動いている。やがて、妙案を思いついたような顔で、耳の方向を真後ろに向けた。
「じゃ、さ。本人に聞いてみれば?」
「……魔王に?」
怪訝な顔をしたヨルに、ソラは「いや」と手を振り、そのまま親指を立てて、自分の背後を差した。ウィウィが振り返ってその方向を見てみると、一枚の閉ざされた扉があった。その先に誰が泊まっているのか、ウィウィでも知っている。
「あなた……」
アノネが呆れたような声を出して笑みを作った。ヨルも、フェルムまでもが信じられないような顔で固まっている。
「あれだけ叱られといて、命知らずだな」
「そろそろ機嫌直してくれるといいんだけど」
「お前がちょっとでも自分の安全に気を配ればすぐ済む話だったんだ、馬鹿」
それはウィウィとしてもソラに対して切に願っている。何度も命を落とされては、心臓が持たない。
「創造神サマに甘え過ぎたかな」
ソラは不思議そうな顔で首を傾げる。ウィウィから見ても、甘々だった。
・ ・ ・ ・ ・
堕天した時のことは鮮明に覚えている。
神界の服を奪われることは、神威を奪われることに等しい。かと言って、ユーリアシュが創造神たる神通力を全て失くしてしまったわけではないが、大幅な弱体化は見逃せない。神界にいなければできないことがたくさんある。
偶然か、はたまたあの邪神の悪戯か。ユーリアシュは神界を追われ、狼男になった異世界の男子高校生のいる街のギルドに不時着した。彼と、そしてその友人の勇者の取り計らいで、“創造神の堕天”が公の騒ぎになることはなかったが、ギルドの屋根と床をダメにしてしまったことを直接謝罪できないのは心苦しかった。のちに聞くと、隕石の落下による事故と処理させたようだった。
神にも関わらず神界に帰ることもできず、着る服もなく呆然とするユーリアシュに、最初は周囲も動揺していたが、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。
「神殿はダメでしょ。今寄付すごいらしいし、創造神堕ちちゃったって知ったらパニックんなるし」
ユーリアシュの下敷きになって負傷しつつも打たれ強かった狼男の意見が考慮され、ユーリアシュはとりあえず勇者一向に保護されることになった。
ありがたいことに寝泊まりできる場所を提供されたが、自分の堕天に予想以上のショックを受けていたユーリアシュはただただ途方に暮れるばかりだった。
瞼を開くと、薄暗いホテルの寝室がそこにある。秒単位で全てが移り変わる神界と違って、数年以上は物がそのままの形で確かに存在し続ける感覚にまだ慣れていない。念じても簡単には床や壁の材質は変化しないのだ。
瞑想のために床で組んでいた足を崩し、立ち上がる。神器の衣がなくては、瞑想にも雑念が入って集中できなかった。
ふと自分の体を見下ろし、トーガではなく下界では汎用的に用いられる黒シャツを着ていたことを思い出した。とりあえずと提供された物だ。少しサイズが大きいが、着るだけなら何も問題はない。
憂鬱な気持ちで寝室の出口に視線をやった。微かに話し声が聞こえてくる。その中でも一際聞き取りやすい大声が、あの狼男のものだった。
瞑想を始める前のことを思い出し、彼に対して怒りが湧いてきた。しかし、同時に仕方がないじゃないかと怒りを嗜める自分もいた。意を決して歩き出し、扉の前で心を落ち着かせた。
「おはようございます」と口に出す準備をして、ドアノブに手をかける。かけようとして、空振った。驚いて前を見ると、扉は既に件の狼男によって開かれていた。ユーリアシュと目が合うと、途端に人懐っこい笑みを浮かべる。
「あ、神サマ、おはざ〜す」
「ノックは!?」
「しなかったっけ? ごめん」
ユーリアシュが何か言う前に、勇者が「ソラァッ!!」と何事か叫びながら飛んできた。スパァンッと気持ちの良い音をさせて狼男の頭をはたき倒した。
「あいたっ」
「申し訳ございません創造神様! とんだご無礼を……」
「ま、まあまあ、頭を上げて。ノックくらい誰でも忘れますから」
「いや、こいつがやったことそれだけじゃないですし」
本当に申し訳なさそうにして、勇者は頭を下げた。片手では、狼男を床に押し付けて無理やり頭を下げさせている。勇者のいうことはもっともだったが、会話にならないので頭は上げさせた。
狼男は、先ほどよりは申し訳なさそうな顔をして上目遣いにユーリアシュを見てきた。異世界で授かった狼の耳までもを垂れさせている。それとはチグハグに、尻尾が振られているのは何故だろうか。
隣の勇者がそんな彼を肘で突き、「ほら、言うことあるだろう」と促した。
「……ユーリアシュのザオリクにはいつもお世話になってます」
また狼男の後頭部が叩かれた。
「ふざけてんのか……?」
「お前FF派!? アレイズの方が良かった!? あえてのリザレクションは!?」
今度は彼の首に勇者のラリアットが叩き込まれた。
「お前ってやつは!」
「ごめん、MP消費気にする感じならレイズにするから!」
「真面目に謝れェーーーーーッ!!」
もみくちゃになって床に倒れ込んだ二人が口論を始めた。地上最強の勇者と最弱種の狼族が争う姿に、「下界は意外と平和なんだな」という感想が浮かび上がってくる。床から視線を上げると、申し訳なさそうに立つ青髪の従者と、食卓についたまま二人の争いを面白そうに傍観する狼少女と魔法使いがいた。
段々と自分の中の怒りが萎んでいくのを感じたユーリアシュは、小さく息を吐いた。彼らが何を謝ろうとしているのかは当然予想がついていた。
「立ちなさい」
権威を声色に込めて命ずると、床を転げ回っていた二人はビクッと体を反応させて固まった。動きは勇者の方が速く、狼男の腕を引っ張って共に立ち上がった。
狼男は、今度こそ本当に申し訳なさそうな顔だ。スキルの効果ではないといいのだが。
「……反省、してますか?」
「ん゛っ……し、してます」
してないんだな、とユーリアシュは察した。
堕天して二日しか経っていないが、それでも彼が極端に嘘を下手なことを学習していた。それでも謝っているのは、ユーリアシュに貴重な神通力を使わせてしまったことを申し訳ないと思っているからだろう。
そう、このたった二日間。その短い期間でこの男はユーリアシュに二度も蘇生魔法を使わせた。
一度目は事故だった。ユーリアシュをギルドからホテルへ連れて行く際に、急足で突き進んでいた馬車の前に平民の女児が飛び出す現場に遭遇した。狼男はそれを庇って身代わりになり、馬に蹴られ馬車の車輪の下敷きになって絶命した。それはもう肝を冷やし、急いで蘇生させた。
二度目は昨日のことだ。ギルドから受けた薬草取りの依頼に行った彼についていった勇者の従者が血相を変えて帰ってきて、ソラが毒見に毒草を食べて倒れたことを告げた。慌てて駆けつけると既に泡を吹いた狼男の息はなく、やむを得ず蘇生魔法をかけた。
あまりにも軽率な行動の数々は、ユーリアシュの堪忍袋の緒を引きちぎり、昨日は夜通し命の大切さについて説教をした。それでも彼に反省の色が見えないので、頭を冷やすために今の今まで部屋に閉じこもって瞑想をしていたのだった。
唇を尖らせる狼男を改めて見る。こういう人間だということはもともとわかっていた。
神界から鏡の神器で他者の目線から彼を見守り続けた。全てが誰かのためである行動原理は完全には理解できないが、それが彼なりの思いやりだと思うと頭ごなしには否定できるわけがない。だからこそ、ユーリアシュは邪神の警告を無視して彼を生き返らせたのだから。
「……くれぐれも、命は大切になさい。世界の滅亡だけが起きる問題じゃないのですから」
「はあい! ゆーりん先生!」
「ゆーりん」
「アッシュの方がよかった?」
赦しを与えた途端、狼男は表情を輝かせた。すっかりいつもの調子に戻ってしまった。その口は即座に勇者によって塞がれ、無理矢理食卓に座らされた。
それに続いて、ユーリアシュは空いている席に座った。
「神界に連絡を取ることはできませんでした」
「やはりそうなのですか」
現世に落ちてしまった経緯は、この部屋にいる人間だけに既にあらかた話していた。
瞑想中に神界との連絡を試みたが、おそらくフィフティマの妨害か、全ての手段が無効になっていた。ユーリアシュ由来の力を問答無用で弾いているのかも知れない。
すっと魔法使い――アノネが静かに手を挙げたので、視線を向けると発言の許可を貰えたと判断したのか、口を開いた。
「本当に神殿に保護してもらわなくて良いのですか?」
「下界でフィフティマの眷属の活動が活発になっているのは把握していました。そんな情勢の中で、万が一ワタシの堕天が民に知られれば……」
「大パニックですね」
アノネは頷いた。彼女は特にユーリアシュに対して強い信仰はないらしく、ヨルなどと比べるとフランクに接してくる方だ。狼男の馴れ馴れしさとは比べ物にならないほど礼儀正しいが。
「ちな、気になってたんだけどユーリアシュが神界にいなくて、この世界は大丈夫なの? 滅亡しない?」
「……神界には、ワタシ以外にも様々な事柄を司る神がいますから。大丈夫なはず、です」
そのように優しく接してくれる彼らに対して、隠し事をすることはかなり心苦しかった。ユーリアシュはまだ、重要で深刻な問題を彼らに伝えることができていない。
「ではやはり、神界に戻られる見通しが立つまでは、我々が創造神様を保護いたします」
ヨルが忠誠や信仰を表すように、手を膝の上に置いて発言した。落ち着いたその様子からは、先程の狼男に振り回される年相応の少年らしさは感じられない。ユーリアシュの方から縋る暇も与えず、自ら当たり前のように創造神に協力してくれるのは、泣きそうなほどに嬉しかった。
「神ながら面目ないです……」
申し訳なさそうに肩を窄めると、狼男が「よっしゃ」と気合を入れながら立ち上がった。
「それなら俺らと行動しようよ! ユーリアシュとウィウィと俺のパーティー完成だ~~~」
「ぱーてぃ!?」
「そこで組むのですか? ヨル殿のいるワタシたちのパーティの方が、創造神様には失礼がないし、使い勝手が良さそうですぞ」
「それ、俺が失礼って言ってる?」
「まさか。言うまでもないじゃないですか」
「こいつぅ」
アノネの意見に頷いて、ヨルが不安そうな顔でユーリアシュに確認してきた。
ユーリアシュは狼男を視線だけで一瞥した。この男は理由不明でフィフティマに目をつけられている。そもそも、彼がこの世界に来た原因がフィフティマなのだから。
先日のパーティーで、彼がスキルを貫通して魔法で致命傷を負ったのは、フィフティマの仕業だ。天命を司る神の協力を得て彼の寿命を伸ばしたが、それは下界に存在する事象によって定められたこと。そこに神の手が差し込まれれば、容易に予定は崩れ去る。
再びそのようなことがないように、ユーリアシュは狼男を見守らなければならない。
「いえ、せっかくですから、彼らの一員として扱ってください。もちろん、何かあれば勇者パーティへの協力も致しますので」
「やったーーーー! よろしくユーリアシュ~~~!!」
自分たちが選ばれたことに、ソラが歓喜の声をあげて狼少女――ウィウィを抱き上げ、振り回した。ぼんやりと話の流れを聞いているだけだった彼女は目を目を白黒させて驚いている。
微笑ましくその光景を見ていたが、「名前」と呟く声が聞こえた。振り返ると、従者のフェルムと目が合った。彼はひどく動揺したように目を逸らし、手で顔を隠した。
「どうしました?」
「あ、い、いえ……その、そ、創造神様が堕天したことはしばらく、ひっ、秘密なんです、よね……」
随分と吃音がひどいフェルムは、喘ぎ喘ぎ声を振り絞った。それを聞いて、ヨルが「ああ」と手と手を打ち合わせた。
「“創造神”様はもちろん、“ユーリアシュ”様と呼ぶのもまずいですね。その名は世間に浸透しすぎてます」
「あだ名だな!? 俺そういうの得意!さっきのアッシュは!? ユーリンは!? ユリちゃんは!」
飲み込みの早いソラが早速挙手してユーリアシュの新たな呼び名を列挙してくる。勢いに飲まれかけたが、少し考えた後、わざわざ捻らなくてもいいことに気がついた。
「実は、“ユーリアシュ”は苗字なんです。もう下界の文献にも誰の記憶にもないでしょうし、ファーストネームで呼んでいただけますか?」
「ふぁ……?」
アノネがその言葉を聞いてわずかに身を乗り出した。神話にも文献にもない情報。知識に貪欲なものなら知らずにはいられないのだろう。
「ワタシの名は、キャラクティカ。気軽にキャラと呼んでください」
「か……カワイーーーーッ! ファーストヒューマン! 銀河っぽい! キャラね、キャラ!」
狼男はただの名前だけで飛び上がって喜んだ。彼の傍にいるウィウィが不思議そうな表情でユーリアシュ――キャラを見上げている。彼女には、だいぶ前にお世話にあなった。その時のお礼もしてあげなければならない。
微笑みかけると、照れたのか視線を逸らされてしまった。
「そう言えば、こんなに話しているのに、あなたの名前だけお聞きしてませんでしたね」
「あれ、そうだっけ? おかしいな、俺の人生の楽しみの一割は自己紹介をする瞬間なのに。異世界最初の会話相手にしてなかったか」
あの時は状況が悪かった。夢の中に啓示として現れた懐かしい記憶が蘇る。
この世界の生き物の名ならまだしも、異世界の人間の名までは流石の神でも把握はしていない。
「では、あなたのお名前は?」
キャラは微笑んで問いかけた。彼曰く人生の楽しみらしい自己紹介に張り切って、狼男は嬉しそうに胸を張った。
「本田 昊デス! ソラは、日に天って書く方の昊デ~ス!」
狼男――ソラは、意気揚々と握手を求めて手を差し出してきた。しかし、それを握り返す余裕はなかった。
「……へ?」
瑠璃鏡越しに見る景色には基本的に音はつかない。不思議なことに、初めて聞いた彼のフルネームには、奇妙なことに聞き覚えがあった。
その名は魔王の写しの人間の名として、神界にあった“写しの帳簿”に記されていたのではなかっただろうか。




