69.自覚と素直のすゝめ
『西の大地に海。キルト製薬協会、邪宗としての悪事を勇者に暴かれる。』
どこから情報が漏れるのだろうか。アノネの存在だけは一単語たりとも書かれてはいなかったものの、キルト夫妻がアステラであると言う事実、そして彼らの土地を消し飛ばして大陸を救った偉業は、全て勇者の仕業にされていた。そう言う記事の新聞や噂が、サプリングデイ中――いや、おそらく全国――で既に広まり切っていた。
喉が閉まり、奥で吐瀉物になろうと待機している胃の内容物を収めるため、ヨルは一度新聞から目を話し、ギルドの清潔な天井を見上げた。
吐き気と共にすでに収まりつつあるが、この号外が出回った本日は宿の外に出た時から町中の人間の視線を浴び、賞賛され、励まされ、「勇者様勇者様」と名ではない名を呼ばれることになった。
アノネを助ける過程でキルト夫妻をアステラとして逮捕することを決めてから、この展開は予想していなかったわけではない。しかし、大陸の中に“海”とも見間違う程の穴――湖を作ってしまうほどの大事になるとは考えなかった。
幸い、パーティー後の現地騎士団の調査では死者行方不明者ともに出なかった。出たとしてもそれは避難せずに爆発に巻き込まれたアステラ教徒のみと判明がついている。それらは皆幸せそうな死に顔をしていたか、嬉しそうに自分の怪我を眺めていたそうだ。
つくづく、本来魔王を倒すために立てられた勇者である自分がアステラとよく関わることになっているな、と気が付く。
今回の一連の出来事のきっかけとなった最初の依頼で調査した人攫いは、結局アステラが大元であった。
――ならば、魔王はアステラと一切の関係がないと言えるのだろうか。
パンプがパーティーにいた頃であれば、もう少し踏み入った情報を手に入れられたのだろうが、既にあの犬は敵に回してしまった。あの頃のヨルは原因不明で異常なほど心が病んでいたとは言え、もう少し焦らずタイミングを見るべきだった、と反省する。
しかし、まだツテはある。何しろフェルムはパンプより――
「ヨル様」
換金所に行っていたフェルムが戻ってきた。大量の金貨が入った大きな麻袋を抱えていたので、ヨルも新聞を近くのテーブルに置き、ソファから立ち上がってマジックバックの口を広げた。
「す、すごいですよ、金貨……アノネは世に出してはいけないイカサマ師です」
「そのとんでもない量のチップを溜め込むほど勝ってたアノネから根こそぎ巻き上げたソラが恐ろしいんだがな……本当に一体何があったんだ」
フェルムは無限に入るバッグの中に麻袋を押し込み、ようやく一息をついて額の汗を拭った。
今日の目的は、テロのせいで慌ただしくなったため数日間放置されていたチップの換金だった。もちろん、ヨルとフェルムはあれの参加者ではなかったので、チップはソラたちのもの。それを代わりに金に換えにギルドまで来た。
何故これ程稼いでいるのか不思議だったが、後日アノネからソラにチップを全て巻き上げられたと聞いて、そりゃああんなに心折れるわけだと思うと同時に納得した。
「元気なもんだよな。腹の穴が塞がったかと思えば、次は金の心配だ」
「創造神と知り合いって言ってたの、冗談じゃなかったんですね……」
いまだにあの日に目の前で起きた事が信じられない二人は、嬉しさよりもため息を吐いた。
「つくづくアイツがこの世界の住民じゃないって実感するよ」
突如絶命したソラ元に降臨したこの世界の創造主は、彼の体を完全に修復するとすぐに姿を消してしまった。その後すぐにひょっこりソラが何事もなかったかの様に起き上がったものだから今度はヨルたちがひっくり返った。
その時、冗談でも次また「貫かれちゃった」とか言ったら殺す、とヨルは思った。
「勇者様」
呆然とマジックバックを見つめる二人の背後から、声がかかった。
振り返ってみれば、ヨルとしては数日ぶりに顔を合わせる騎士団の女団長だった。相変わらずの凛とした表情を崩さないまま、そこに立っている。
「どうも、先日は助かりました。騎士団の――」
「アーデ・キルトは無事アステラ用隔離施設に輸送されました。傷が癒え次第取調べがなされるはずです。ヴェネノの方は森に本人のものと思われる血のついた衣服が発見されただけで未だ行方不明。報告は以上です」
「…………」
ヨルの笑顔付きの挨拶を食い、これまた相変わらずの滑らかな滑舌で捲し立てた女団長は、使い切った息を大きく吸った。
無視できないほどの敵意を肌で感じたヨルは、“ポーカーフェイス”を切って素の乾いた笑いを外に出した。
「わざわざアステラに味方をして得た知識を活かし、騎士団が長年調査を難航させていたキルト夫妻の逮捕を、数週間で成してくれて大変ありがとうございました」
アノネほどではないが強烈な皮肉を吐き捨てた女団長は、ただひたすらにヨルを睨んでいた。声量は落とされていたので、場は弁えられているようだ。
ヨルが一時期アステラに手を貸していたことは、一ヶ月前の王都で全てを告白した時、今滞在の拠地にしているサプリングデイの騎士団の上層部だけには知らされていた。万が一にも危険がない様に。
だからこそ、今回騎士団に協力をしてもらうのは本当に骨が折れた。やけになってパンプから聞き齧ったアステラの内部事情を提供することを取引に、ようやく計画に加わってもらったのだ。アノネを両親から物理的にも法的にも引き離すためには、法的権力がある彼らの協力がどうしても必要だった。
それでも、ヨルのやったことが許されるわけもなく、邪宗を討ち、民間の平和のために戦う騎士団には継続して嫌われることになっている。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
「今回大陸を救ったことは確かに偉業であるが、アステラに手を貸していた過去は消えることはない。……誤解しないことです」
もちろん自業自得だと言うことは自覚している。しかし、誰かから嫌われることはほとんど経験したことがないのにも関わらず、何故だか、自分がこう言う嫌われ役に慣れている様な気がした。
フェルムが緊迫した状況に、何か声をかけるか躊躇っている様子が見えた。しかし、騎士団が勇者を断罪できない可哀想な理由もわかっているため、その心配はなかった。
『勇者の元に創造神降臨。神殿に大量の寄付集まる。』
傍のテーブルに置いていた新聞、先ほど見ていた面とは裏の記事の見出しをチラリと盗み見た。
ソラを助けるために降臨した創造神の存在感と人気さは凄まじく、噂はあっという間に国内を駆け巡った。遠くの夜空に浮かぶ創造神の後光を実際に見た者は、数日間の間あらゆる者にその時の話をせがまれ続けた程らしい。
そして、その噂を聞いた民は信仰心を強め、記事の通り神殿に寄付をした。
「あー……誤解はしていませんが、国というか王都が……」
言いにくそうに顔を顰めると、女団長はわざとらしくため息を吐いた。理由は明白。
今回の功績、そして創造神に直接会った勇者を讃える民の反応を見た王都は、“勇者コハクト”の謹慎期間の解除に踏み込んだのだ。
勇者の汚職を隠したい一方、こう人気が出ては勇者としての活動をこれ以上休ませると、不審がる人間が出るかもしれない、と言う理由だった。本音はおそらく神殿に集まる寄付の量をキープしたい一心だろう。
と言うわけで騎士団――正しくは聖騎士団の大元である神殿も王都と結託し、勇者を更なる英雄として持ち上げることにした。だから騎士団でも憎い悪徳勇者にも手を出せないのだ。どこもかしこも腹黒で世も末だな、と当事者のヨルでも思う。
(可哀想に……)
「まさか悪を断罪できない我々を嘲笑ったり、憐んではいませんよね?」
「いえ」
何食わぬ顔で否定すると、女団長は携えた剣の位置を直した。その顔は何もかもに腑に落ちていない顔をしていたが、すぐに取り繕う様に無表情に戻った。
「では結構です。これ以上若気の至りでは片付けきれない問題は起こさぬよう……ワタシが一支部の団長の身であるが故、あなたを斬り捨てないだけであることをお忘れなく」
「もちろん――」
「――その気があるのでしたら」
ようやく説教も締めに入ったかと思ったが、最後の警告だと言わんばかりに女団長はヨルに詰め寄り、耳に口を寄せた。
「身元のわからぬ獣やアステラの子を庇うより、早急な魔王の討伐に労力をお使いください。いつか痛い目を見るのは勇者の名誉ではなくコハクト様の方ですからね」
現実を突きつけた彼女は、そう言ってギルドの奥へ去っていった。その背中を見送り、今の会話を誰にも聞かれていないことを確認すると、ヨルはうんざりした様な呆れた様な顔で息をついた。
「……できたらやってるわ」
「だ、大丈夫ですか、ヨル様?」
心配するフェルムの言葉には、さらに深いため息で返事をした。
「今回のことでかなり注目を浴びることになってしまいましたね……世間からも騎士団からも」
「いっそアステラと組んでたことバラして世界中から嫌われた方がマシだ」
「それはちょっと……」
謹慎が解除されたことで再開する勇者業には憂鬱のみしか感じられない。それでも、いざとなれば皆が望む勇者像を演じて活動してしまうのだろう。ヨルとはそう言う人間なのだ。
「まあ、アノネを解放できたし、創造神様のおかげでソラも助かって収拾できたのだから、高望みはしないけどな」
「愛する人が目の前で死ぬのは嫌ですもんね」
その言葉には若干の強がりも含まれていたが、ほとんど本心だった。それすらを読み取って優しい声をかけてくるフェルムはどこまでも主人のことを理解している様だった。今更になって、自分が従者に恵まれていると感じ、ヨルは照れ臭くなった。
気持ちを切り替えようと、その場で伸びをする。
その時、唐突に覚える違和感。
今のフェルムの言葉を何度も反芻し、段々と冷や汗が流れる感覚が背筋を伝う。
「…………え。今、なんて……」
「え? ……好きなんですよね、ソラのこと……あ、あれ? 違うんですか」
ヨルは目を丸く見開いて体を伸ばした体勢のまま固まった。
「……な、に、えッ……そ、そ……」
――好きなんですよね――好きなんですよね――……好きなんですよね、ソラのこと?
フェルムの言葉が頭の中を反響し、その他全ての思考が押し出されてついに頭の中が真っ白になった。やがて、しばしの間を置いて一番最初に戻ってきた感情は“納得”だった。
その後に、あの屋上でソラに言おうとした“伝えたかったこと”を思い出す。それ以前の原因不明の動悸、むず痒さ、容易に高ぶる感情。それら全てが組み合わさり、さらに大きな“納得”がヨルの中に産み落とされた。
数秒後、ギルドのど真ん中から、全てを自覚したヨルによる渾身の絶叫が響き渡った。
「――そういうことかーーーーーーーーーーッ!!!!」
「気がついてなかったんですか!?」
・ ・ ・ ・ ・
極楽である。一人ぼーっとしながら湯に浸かれる温泉は極楽である。
まあ、厳密に言うと温泉じゃないらしいんだけど。
異世界に来てから、今までギルドの隣の冒険者専用の銭湯みたいなところしか利用してこなかった俺としては、最上級の至福の時間を過ごしている。
どうも、土手っ腹ぶち抜かれたのになやかんや助かって、真っ昼間からぬるま湯生活してる本田昊です。
ここはサプリングデイ内にある方の協会。ありがたい女神の加護でお湯が勝手に湧き出るお風呂の中から中継してます。
白い大理石を基調とした石造の風呂は、高級というよりも協会らしく神聖な雰囲気。だけれど、大枠の天窓から取り入れられる日光が室内を暖かく照らしていて、緊張どころかリラックスできる空間に出来上がっていた。
創造神様を象ったらしい彫像が部屋の隅に数体設置されていたので、最初は若干視線が気になっていたけれど、もう慣れた。
浸かるお湯を手で掬って肩にかけると、疲れが吹き飛ぶ様な爽快感が駆け抜ける。温度は熱すぎず冷たすぎず。正にぬるま湯の様な心地よさだった。
何故しがない狼男の俺がこんなところにいるか。それは俺が、ありがたい創造神様の加護を受けているから、らしい。
きっかけはアノネちゃんの実家を吹っ飛ばした直後。喜んでたらひょっこり変な奴がヨルを狙ってて俺は飛び上がった。避けさせようとしたら俺が被弾したし、しかもそれで腹に大穴が空いて一回死んだらしい。
後から不用意に行動するなってしこたま怒られたけど、だって俺の最強のスキル“反射ァッ!”がさ、発動しないなんて思わないじゃん。魔法全部跳ね返してくれるはずなのにさあ。
俺が怒られんのは、大変遺憾の意である。仕事サボったスキルに怒って欲しい。
閑話休題。俺はその後のことはほとんど覚えていないので、周りから聞いた話。
俺が死んで大陸どころか今度は世界の危機が訪れようとしてたところに、ユーリアシュ様が空から降臨。俺の怪我を全て綺麗に直してくれたそうだ。神様サマサマ。
潰した指も、ナイフを刺した足も全てツルッツルに完治している。パーティー以前にヨルと戦った時に折れて曲がったまま治っちゃった尻尾すら真っ直ぐに治っていた。心なしか毛並みまで良くなっている。もふもふ。
こんな感じで俺を治すために降臨したユーリアシュの噂はその晩のうちに全国まで広がり、そのうち神殿という創造神信仰の本拠地の耳にも届いたらしい。一晩かけたパーティーの収集が終わり、ヨルから説教を食らっている時に突然神殿から数名の使者が来た。
その使者は、ユーリアシュの治癒を受けた俺はありがたい存在なのだと語ったかと思うと、有無を言わせず俺を最寄りのサプリングデイの協会に連行した。
血塗れの全身を洗われ、なんか美味しい水飲まされて、パン食わされ、トーガに着替えさせられ。
気がついたら俺は、女神の加護を受けたありがた~~~い狼男として教会にて公開展示されていた。
創造神だけあってユーリアシュのファンは多く、公開初日から協会は俺を拝みに来た人たちで溢れかえった。その中にはギルド知り合った冒険者とかフェルムとかがいて、俺の尻尾と耳をモフっては満足そうな顔で帰っていった。
大体それが五日間くらい続いた。どう考えても教会の寄付を増やすための客寄せパンダ扱いされててどうなっちゃうのかと思ったが、特に教会の人間が俺を雑に扱うこともなく。
協会の朝飯は美味いし、展示時間以外自由行動だし、昼飯は美味いし、風呂は入り放題だし、晩飯は美味かったので、もう俺は文句ない、もうしばらくこれでいい。
しかし、そんな生活も今日で最後だ。流石にヨルが抗議したらしく、三ヶ月の展示予定は大幅に削られた。まあ、ウィウィもフェルムたちに面倒見てもらってたし、そんな長いこと怠けるつもりはなかったからいいけどね。
完全に終わるまでは、しっかりとこのすばらかしい生活を一人で思いっきり堪能し――
「~、~~~~~~~?」
突然背後から声をかけられ、飛び上がってそちらを向いた。そこには髪を下ろしてタオル体に巻いただけのアノネちゃんがいた。入り口に背を向けていたせいで全く誰かが入ってきたことに気がつかなかった。
驚く俺に構わず、彼女は俺の隣に腰を下ろし、肩までお湯に浸かってくる。
「~~、~~~~――」
「ち、ちょっと待って!」
俺は何か言おうとするアノネちゃんに手のひらを向け、慌てて湯船から上がった。そばにタオルを置いておいた自分を褒めながらそれを腰に巻いて、入り口付近に置いておいたカゴの中のズボンのポケットからスマホを引っ張り出した。
翻訳機能を立ち上げながら俺が湯に戻ってくると、アノネちゃんは呆れた様な感心する様な笑みを浮かべていた。
「大変ですねぇ、神に愛された異世界人は」
翻訳を通して、ようやく彼女の声が言葉となって俺に届いた。
ユーリアシュがわざわざ降臨して俺を治した現場にはもちろんアノネちゃんがいた。のちにそのことで説明を求められ、その過程で、ヨルたちと同じ様に俺が異世界から来たことを明かしていた。
頭硬めのヨルたちとは違って、アノネちゃんは案外あっさりとそれの事実を受け入れてくれた。彼女曰く、スマホや薬など、見たことのない文明の痕跡も、異世界の代物だと考えれば納得がいくからとのことだ。
って言うか、そう言うことじゃないよこの状況。なんでアノネちゃん俺とお風呂入ってんの?
「えーっと……な、なんでここに?」
「おや、あなたでも見通せないことがあるんですか。やっと意表を突けましたね」
「なんの話?」
「あなたのその阿呆面が見たかったんです。トランプ勝負中にできれば完璧だったんですが」
随分と面白いものを見る様な顔で笑うアノネちゃんの方へまともに目を向けることができない。前述した通り、彼女はタオル一枚しか体に巻き付けておらず、目のやり場に困る。
かろうじて視界の隅に入った彼女の頸に垂れた髪の色は、すっかり元のオレンジと青の強烈なグラデーションに輝きが戻っていた。茶髪期間一瞬だった……可愛かったのに。
「一応言っときますけど、ここ混浴ですからね。痴女と話す様なその態度やめてくれます?」
「アッハイ」
「で、なんの話でしたっけ」
「なんでここに? ここの風呂って一般の人は入れないよね?」
「アノネちゃんは年下、俺の好みは年上」と心の中で唱えて自分を落ち着かせる。多少失礼な内心を察されたのか、俺の胸を肘で突いてきたが、その表情は明るかった。
「忘れました? 途中で放り出していたとはいえ勇者のお目付役だったんですよ」
「ああ、そういえば」
「何にも知らない王都は、ワタシがこの一ヶ月ほど勇者を支えたとしていろいろと報酬を出してきたんです。ここの利用許可もその報酬の一つです」
「お風呂って報酬になるんだ……」
国の安寧が不安になるくらいの適当さに逆に感心する。何も知らないどころか全て知った上で見てみぬふりをしている可能性も否定できない。
ヨルとは違ってそれを受け取っちゃうところも、アノネちゃんはちゃっかりしている。
湯を掌で掬っては肩にかける彼女は、俺と温泉に入っていることを全く気にしていない様だった。その姿を見ているとだんだん俺も落ち着いてきた。
俺だってウィウィと銭湯毎日行ってるし、今更恥ずかしがることなかったか。
「腑に落ちないことがあるんです」
アノネちゃんは一層体を沈め、首元まで湯に浸かってこちらを見上げてきた。
「なにが? なんで俺がラッキーボーイかってこと?」
「あんなまやかしの幸運は幸運と認めません。あなたの幸運の型がただの不幸運消費代償型ってだけでしょう。全員が同じと思わないで欲し……って、そのことじゃなくて」
アノネちゃんは俺に向かって人差し指を差し、続いて浴室の出口――おそらく正確にはギルドの方向――を親指で差した。指の先から小さな雫が垂れた。
「結局のところ、ヨル殿もあなたも、どうしてワタシのことを信用していたのか、わからなくて」
真剣な顔から案外可愛い疑問が飛び出してきた。照れ隠しなのか、彼女の指は湯船に浸かる毛先を弄び始める。その様子を見てニヤけたのを見られ、胸のど真ん中に親指を突き刺された。暗に真剣に答えろと言う圧が来たので、赤くなった胸元を押さえて思考を巡らせる。
「の、ヨルの考えることはわからんけど、死ぬほど優しいからねアイツ」
「優しくてアステラ教徒の子供に肩入れするなら、世界に優しい人間いない方がいいですよ」
「自虐がすごい」
「ワタシが知りたいのは理由ですよ、リユウ」
そう言われても……人を信じるだのなんだのに理由をつけるのも馬鹿らしい。と俺は思う。実際の所、勇者を引き受けちゃう様なあのお人好し正義マンは、きっと深い理由は考えてないんだろう。そう言う俺もそうだ。
「勝手な立場で何も言えんけど……」
「何も聞いてないんですか?」
「聞いてない。ま、あり得る理由としたら、『自分に似てた』とかそんなとこじゃね」
「この大魔道士のワタシに向かって喧嘩売ってますか」
「いや脳筋部分とかじゃなくてね? ほら、アイツ屋上でお前んこと説得する時に出たクサいセリフからしてもありそう」
「やめてくださいよ。そのクサいセリフに説得されてしまったのは、ワタシなんですから」
「あん時のアノネちゃんチョロかったね」
「おや、消し炭になりたいですか?」
アノネちゃんは額に青筋を浮かべて髪の毛を弄っていた手を掲げた。しかし、すぐ我に帰ったような顔になり、肩をすくめてその手をお湯の中に引っ込める。もう彼女の手にあの魔法杖が呼び出されることはない。あの時の素直で必死に大陸を守ろうとしていたアノネちゃんは、罰されるべき人間なんかじゃなかった。
「あなたにも随分迷惑かけましたね。ワタシを連れ戻すために一番動き回ったのはソラだと聞きました」
「俺だけじゃないって言ったでしょ〜」
「その……えっと、そのことへのお詫びというわけでもないですが」
モゴモゴと急に口もごったアノネちゃんは、握りしめた手を湯の中から引き上げた。その手が開かれるとそこには何もない。しかし、瞬きの間の後、そこには中に半透明の液体が入った小瓶が手のひらの上に乗っていた。
「前に貴方に頼まれていた薬の副製品です。試作段階ですが……」
「ま!? じ!? 作ってくれたのお!?」
「うるさっ」
怪訝な態度をとりながらも、顔を赤らめたアノネちゃんは、俺に無理矢理小瓶を押し付けた。
俺の命綱の薬! 錠剤から液体になって帰ってきたけど、そんなの全然気にしない。もう手持ちの薬が一昨日くらいに切れたからギリギリだった。
本当は毎日飲めってせんせーに言われてたんだけど。ほんの数日くらいは大丈夫だろ。これでようやく夜眠れる!
「ありがとう! チョー助かる〜〜〜!」
「……そんなに大事なんですか、その“花粉症”の薬は」
「大事大事!」
「その薬の成分から得られる効果、どう考えても花粉症に対してのものではなかったんですがね」
彼女の声色が少し落とされた。なんだか冷ややかな空気に俺は口を尖らせた。
そうか、そりゃ効果のこと考えて製薬しますよね……
不審に思っているわけではないようだったけれど、俺を見るアノネちゃんの目は、こちらの内心を探ろうとしているようだった。
「……ウィウィとかヨルには黙っててくれる?」
「まあ……言いふらして下がるような溜飲はあなたに対してありませんしね」
素直になったアノネちゃんの理解は早かった。なんでもない顔で承諾してくれて、思わず嬉しくなる。
「じゃあ、俺らだけの秘密ということで」
「変な言い方しないでくれます? フェルムじゃないんですから、情報漏洩なんてしませんからね。わかってますよ、秘密です」
……素直すぎて、可愛い。
ストライクゾーンからはみ出した年下だからとても微笑ましく思うが、この内心を察されるとまた不機嫌にさせてしまうだろう。
誤魔化す様にして、俺は「のぼせるわ〜」と言って湯船から立ち上がった。
その瞬間、目線が高くなり、視界の端に金色の何かが見えた。今まで見えなかった湯船の中に立った柱の後ろに、明らかに人がいる。
「す、スキート……?」
「は?」
声をかけると、その金髪はピクリと反応し、少々気まずそうに立ち上がった。
「すまん、夫婦の秘密を図らずとも盗み聞きしてしまった」
「夫婦じゃないです。ついでにカップルでもないです」
「ツッコミ入れる所そこ!? なんでスキートまでここにいんだよ!」
完全に立ち上がったスキートの腰にタオルが巻かれていたのを安心するのも束の間、変態吸血鬼はただの仮面だった気まずい表情を速攻脱ぎ捨てた。それだけではなく満面の笑みでざぶざぶ波を立てながらこちらに近寄ってくる。
本当になんでここにいんだよ! もしかして俺が風呂に来る前からいたんか!?
「アノネ嬢と同じく、勇者の偉業に貢献したと言うことで王都から直々に謝礼を得たんだ!」
「そんで風呂かよ〜〜〜」
「これまですれ違っていたようだが、何回かここには湯浴みに来ていたんだぞ?」
「マジか」
その情報は初耳だが、スキートは俺が展示されてる間、一日一回は俺をモフりに来ていたので、近況は聞いていた。
旧スキート邸に埋まっていた財産は完全に掘り起こされ、新たな別荘に住まいを移したそうだ。貴族生活完全復活。
カジノパーティーはアステラ以外の死傷者は参加者からは出ず、テロさえなければ盛り上がっていたし、俺らの最後の勝負も見せ物として参加者からだいぶ評判が良かったらしい。もともと信者も多かったので何故かパーティーは大成功扱い。
パーティーを開いた本意を知らない参加者は、ほくほく顔でチップを換金し、大負けした者もスキートがお詫びを兼ねた参加賞のチップをばら撒いたので、想定していたほどの騒ぎにはならなかったようだ。
巻き込んだ張本人の俺が言うのもなんだけど、騒ぎの矢面にどころか的のように立たされていたのに、ほぼ無傷で生き残るスキートは本当に何者なんだと震える。
「そんな不審者を見るような目で見ないでくれたまえ。せっかくなんだ、裸の付き合いで仲良くなりたいじゃないか!」
「その発言が若者たちに対して不審者なんですよ」
「オメ〜、テロのどさくさで変なこと口走ってたの忘れてないかんね」
「念押ししますけど、ソラは恋人ではないです」
「スキートが変に持ち上げるからアノネちゃんに嫌われちゃったじゃん」
「まだ主治医の方がマシです。これからそれで認識してください」
「あれ、それはそれでいい気がしてきた。主治医か〜〜〜」
「うむ、最近の若者は気難しいな」
やはり打たれ強い。カラカラと笑ったスキートは、訝しむ俺らに構わず肩を組む勢いでさらに詰め寄ってきた。
「ちょっと」
「そう邪険にしないでくれ!当日できなかった カジノ風パーティーの優勝者への表彰代わりにプレゼントまで用意したんだ。受け取ってくれないのか?」
演技がかった動作でスキートは出てもいない涙を拭い始める。
おいおいと泣き出しそうな雰囲気だったけれど、彼の人当たりを知っているせいで、胡散臭いと言うよりもあざといと言う感想が湧いてくる。
「……プレゼント?」
耐え切れず、俺は気になるワード食いついた。彼はやはり、すぐに笑顔を浮かべて牙を輝かせた。




