7.駆けずる
狼少女は、無意味ながらとっさに腕で顔を庇った。
俺は、目の前に立っている彼女の肩を掴んで思いきり引き寄せた。寸での差で、狼少女が今までいた場所に爪の攻撃が振り下ろされる。
アッッッぶなっ!
こんな敵地で立ち止まっちゃあダメだろ!
少女は、俺の行動に驚いて俺を振り返った。その金色の瞳をまん丸に見開いて俺を見つめている。その目には大きな涙の粒が溜まっていた。
……のこのこ俺だけ逃げてこんな可愛い子を見放して、熊の餌にするのはもちろんあり得ない。
掴んだままの肩をさらに引き寄せて、狼少女の体を自分の後ろにまわし、俺が熊の魔物の前に立ちはだかる。
空振りした熊の魔物は突然狩の邪魔に入った俺を睨みつけてまた唸っている。どうやら動きはあのデカ狼より数倍トロいようだ。
一度デカ狼の飛びかかりから逃げ切った俺の実力、見せつけてやるぞ!
スマホ、鑑定!
熊を刺激しないように、手首のスナップだけで持っていたスマホのカメラを熊に向けた。その瞬間一瞬で脳内に情報が流れ込んでくる。
【アネモスベアー:熊型の魔物。風属性の魔法を得意としており、鋭い爪と魔法を組み合わせた攻撃をしてくる。動きは遅いがその豪腕から出る攻撃力は他の熊族よりも郡を抜いて高い。鋭い嗅覚で暗闇でも獲物の居場所を察知する】
“風属性の魔法”を辞書引き! なるべくわかりやすく、あと早く!
熊――アネモスベアーは、また鈍い動きで腕を振り上げ始めている。狼少女と共に部屋の中心部へと後ずさって距離を取る。
俺は狼少女の体を押して壁際に行くように促した。言葉に出さなくてもその雰囲気を感じ取ってくれたのか、そろそろと彼女の気配が離れてくのを感じる。
可愛い上に素直なのか!? こりゃ余計死なせちゃかわいそうだ。
やっぱり俺が頑張るしかないな!
【風属性の魔法:風を操る魔法。難易度が低く、発動するまでの時間が短いため、初心者向き。発動後も、素早く着弾する】
情報が縺れ込むように高速で頭の中に流れ込んできた。
こいつが案の定魔法を使う魔物でよかったと安堵すると同時に、アネモスベアーの腕が振り下ろされる。
鑑定に攻撃力が特別強いと書いてあるくらいだ。この熊の攻撃は、どんな攻撃であれ防御7のヘタレの俺に対して必ず致命傷になるはずだ。対して俺の技能の“反射”は、一日二回致命傷に届く攻撃を反射するはず。
つまり、この熊野郎自身の攻撃でこいつを倒す。あのデカ狼と同じ目に合わせると言うことだ!
のこのこ攻撃しやがって馬鹿め! この俺に爪を向けたことをあの世で後悔させてやッ――
バキィッ!
視界が大きく揺らぐ。刹那前まではっきりとしていた思考が乱れて途切れる。
一瞬暗褐色に暗転した視界の中、肩、背中、腕と連続で各部位に衝撃が走る。ようやく、その断続的な衝撃が落ち着いたところで視界が回復する。
あっれ……世界滅んだ?
目を開くとフィルターがかかったような赤い視界が広がり、困惑する。何故か、少し目が痛い。
たぶん……俺はアネモスベアーの腕に薙ぎ払われた。多分俺の左二の腕あたりに命中して吹っ飛んだんだと思うが、今は全身が鈍痛に包まれていて、もう何がなんだかよくわからない。
ぼやけていた目の焦点が回復してくると、自分が埃っぽい地面にうつ伏せで倒れ伏しているのがわかった。口の中に砂利が入っている。
顔の近くに落ちていたスマホに、整い出した思考で呼びかける。
す、スマホさーん? これどう言う状況? なんで攻撃反射されていないん?
【今の攻撃は物理攻撃であり、反射する条件である魔法ではない】
持ち主が窮地に陥っていると言うのに、スマホの機械音声は淡々とした返事を俺の脳内に響かせた。
で、でも! それだとおかしいだろ!? ブツリだったとしても致命傷はあと一回反射できるはずじゃ……
【加えて、スキルが発動しなかったのは、自動発動の条件である致命傷に届く攻撃ではなかったためである。致命傷にならなかったのは、アネモスベアーの知能から考えて、弱い敵に対しての狩りに無駄な力を使わないよう手加減をしたからと推測できる】
手加減するくらい賢いってことか!? あのトロトロクマサンが!? トロトロって言うとなんか別の意味に聞こえるな! こんな時でも男子高校生脳は正常に働いてんじゃねえよ!
痛みが走る体を少し動かして拳を握る。
く、クッソ……人間は勝ち誇った瞬間に油断するってことを忘れてた! 漫画世界じゃ赤子も知っているような常識なのにッ!
ここがまだ踏破されていないダンジョンの最下層にいるという意味を完全に履き違っていたようだ。相手は倍以上の格上。そして自分がド平和ボケした日本人だと言う自覚も足りてなかった。
賢く、魔法に強い俺に対して物理をうまく使いこなす敵とはなんと相性の悪い。まあ、俺が狼として転生してきた時点で、この世界との相性は最悪なわけだが。
とにかく、今歯向かっている敵は、チュートリアルどころか名前入力すらろくに完了してないような段階の俺にはもっと頑張らにゃ勝てなさそうな相手だ。
低い唸りが近くで聞こえた。ハッと状況を思い出して重い体を起こすと、すぐそこにアネモスベアーが迫ってきていた。またあの豪腕を俺に叩きつけようと腕を振りかざしているのを見て、俺は慌ててスマホを掴んでからゴロゴロと地面を転がり、命中する寸前のところで回避する。
攻撃を受けていけばいつかは致命傷になるからって言って、その攻撃を反射してもアイツを倒す威力だとも限らない。もしも下手に攻撃を受けてショック死or大量出血すれば死ぬのは俺だけでなくこの世界の生物全て。クソザコの俺がこの世界を滅ぼす魔王になるわけにはいかない。
だってまだダンジョンっていうテンプレしか見てないんだぞ!? 俺異世界ライフまだ満喫してないんだからな! 絶対にこの世界で美女の猫獣人と黒いドラゴンを見るまで俺は死なない!
転がる勢いを消して地面に手をつきながらそんなことを考えた俺は、より一層生きることへの執着を高める。
そ、それにしても、地面を転がったときものすごく左腕に激痛が走ったんだが……
痛みが少し引いた俺は体を起こしてから、唯一痛みがひどい左腕にふと目をやった。
――血塗れでした。
情けない悲鳴をなんとか喉の度の奥へ押し込み、耐える。
左腕の二の腕付近にはパックリと切り裂かれた傷が三本あり、止めどなく血が流れてすでに血塗れだった制服をさらに濡らしていく。腕まくりすらしていない腕を切られたので、もちろん制服はバッサリと割かれている。
アァ、高かったのに……
血は派手に飛び散ったらしく、目まで入っていた。通りで視界が赤いわけだ。
【アネモスベアーの鋭い爪により左腕の皮膚に裂傷。叩きつけられたことにより骨に大きなヒビが入っている模様。出血が著しいため止血を推奨します】
ヒビィッ!? そんなこと聞いちゃうと箸より重いもん持てなくなっちゃうよ!
俺はスマホを胸ポケットに入れて右手を開けると、激痛を我慢して左腕の傷を手で覆って強く抑える。苦痛に耐えかねた俺の尻尾が勝手にビクビクと震えた。いまだにコントロールの仕方がわからない。
ボトボトと地面へ滴る血の匂いに興奮したのか、アネモスベアーはこれまた鈍い動きでこちらを振り向いて、走り出す予備動作のためなのか一瞬かがむ。時間がない。
スマホって、アドバイスとかしてくれるんだよな……? 魔法の威力とか、発動前に分かったりしないか?
【アネモスベアーが対象であるなら、カメラによって術者が目視できる状況であれば可能です】
オーケー……じゃあ、アイツが魔法を発動しようとしたらすぐに教えろ。そしたら今度こそ魔法を反射してやる!
【了解――】
―――ガアァアアァァァッ!
頭の中に響く機械音声すらかき消すほどの大きな咆哮を上げ、こちらに走ってきた。熊は足が早いと聞いていたがこいつは思っていたほどではない。
俺は片腕を押さえながらアネモスベアーの爪を走ってかわす。スマホが反応しないからまた魔法を使ってないらしい。
お前が魔法打たないとこっちが勝てないんですけど!?
俺はキレ気味になりながらさらにクマの後ろに回り込んで体力回復の時間を稼ぐ。
魔法を打ってこないのは、スマホが言ってた通りならあいつはまだこっちを弱い獲物だと認識して手加減してるからだ。だから動きもトロいまま。あいつは一生俺に“致命傷”を与えてこない。
だから、危険を承知でアイツに俺のことを強者だと思い込ませ……いや、思い知らせてやらなければ。そうして、確実に反射できる“魔法”引き出すために。
だから俺は、のそっと振り返ろうとしているアネモスベアーの尻に思いっきり蹴りを入れてやった。
―――ガァアッ!?
途端に、今までトロトロ動いていたアネモスベアーはグルンと首だけをこちらに向けた。さらには腕ではなく、俺に近い足を後ろに蹴り上げ俺の体を狙った。
熊もとっさの行動だったのと、俺も一瞬早く後ろに飛び退いたので神回避。やはり、こうして死角の敵も攻撃できるくらいには賢いようだ。
激昂した様子のアトモスベアーの鼻息が荒ぐ。堂々とスローだった体を震わせて動きが早まる。挑発は成功したようだ。とてつもない殺気を感じて思わず後退りかけた足を、あえて前へ押し出す。敵から離れすぎていては意味がない。
その瞬間、当然無風のはずのルーム内に微かな風を感じた。
【アネモスベアーの風魔法発動準備検知。威力:中】
きた!?
スマホの警告が飛び込んできた。
瞬間、今までの動きの重さが嘘のように一瞬で起き上がり、二本足で立ち上がったアネモスベアーは、威嚇するように両手を広げた。その両腕の先にある爪が渦巻く銀色の風に包まれているのが刹那の間だけ見えた。
俺は慣れないながらもアネモスベアーの動きに集中した。腕が振り下ろされ、銀色の旋風が飛ぶ――
今か? いまか!? 今でいいか!!
「――反射!!」
【主人公】
テンションも防御力高いんじゃないか系男子。
調子に乗りやすい。
【狼少女】
ちっこくて可愛い狼の少女。怖がりらしい。
キリがいいので上げました。文字数が少ないので九時にもう一話上げます。
2020.12.28:修正