65.万物は運の隷
今回も長い。
「気がついたのは結構早かったんだけど」
三ゲーム目。あり得ないことにアノネに配られた手札の中には最初から当たり前のようにジョーカーが居座っていた。
そして、またウィウィが先行となって一ターンで即上がりになるという二ゲーム目と、全く同じ流れになっていた。
「確信したのはヨルとかフェルムとかとババ抜きし始めた時かな〜」
「……なんの話ですか」
ディーラーに施した細工すら無駄となった意味不明さに、アノネは早々に今まで施していたイカサマの種を信頼することをやめた。
勝敗まで同じにしてたまるかという根性で必死に何が起こっているのかを考えている間、ソラはペラペラと喋り続けていた。
「俺の運の話」
「……運?」
与太話だと聞き流そうとしていたアノネは、その言葉に何かが引っかかって固まってしまった。
その間に、ソラはウィウィに指示してカードを引かせた。二ゲーム目とは違い、一枚だけをアノネの手札から引いていった。当然、ジョーカーは手元に残っている。
「この世界ってものすごく相対的……っていうの? 足し算引き算がちゃんとしてるんだね〜。まあ、皆が皆こうじゃあないんだろうけど」
「何が言いたいんですか」
用心しつつ、アノネは伏せられたソラの手札から一枚を引いた。ソラにジョーカーが行かない限り、互いの手札を減らすのは危険だと判断した。
「アノネちゃんは死ぬほどの努力の代わりに、天才になったんだよね」
言葉で言えば簡単だが、事実だった。ソラはどこまでアノネの過去を勇者たちから知らされているのだろうか。
「俺は、不幸の代わりに幸運が手に入るみたい」
また一枚、ウィウィが指示されたカードを一枚、ソラの代わりに引いていった。やはりジョーカーではない。
「地下に落ちた拍子に骨折った代わりに、その後すぐにヨルが助けに来たでしょ? アノネちゃんに空から落っことされて死ぬ思いした時も、その後人攫いの犯人のレデイに会えたでしょ? んで、このパーティーが始まってからゲームで負け続けたおかげで、アノネちゃんとの二ゲーム目は簡単に勝てた」
手をポケットにさえ突っ込んでいなければ、指を追って数えそうな雰囲気で根拠らしきそれらを列挙していく。
最後に挙げられた事項に対して、眉を潜める。やはり、引っ掛かるのは、“運”。ソラが、それに対して抱く絶対的自信に、微かな悍ましさを覚えつつ、アノネはソラの手札から一枚引いた。
いくら夢みがちな性格とは言え、人の人生の不幸運が都合よくプラスマイナスで収束するという迷信を信じているようには見えない。
「まさか、その幸運だけで、ワタシにジョーカーを引かせたとでも言ってるんですか?」
「んや、ゲーム開始時点で溜まってた分の幸運は、順番決めのコイントスで全部使いきっちゃったんだよね。てか、それでも足りなかったくらい。さすが最弱種だよね。消費パナイのよ」
「……は?」
さらりと告げられたソラの言葉で、ようやく彼の言っている幸運の話が“幸運値”の話であることを理解した。
幸運値とは、ステータス値の中で唯一、誰もが思うがままに操作できない値だ。
幸運薬のように人為的に引き上げる手段もなくはないが、それを使った者の末路は、得た幸運の大きさ分の不幸のしっぺ返しだ。碌な結果にならない。
このように「幸運を得た結果、不幸を得る」のは、愚か者に降りかかる事象としてよく耳にする。しかし、ソラのように「不幸を得た結果、幸運を得る」のは前代未聞だ。
不幸とは、本人に起きてほしくないことが起きるからこその不幸なのだ。「望んだことが起こる」のは不幸ではない。自ら不幸を起こしたところで、それは不幸ではなくただの自滅となる。
「戒めとか、禊っていうのかな〜。ニホン人はそういうのが好きでさ。俺もそれ出ちゃってんのかな」
聞き覚えのない単語が混じる。これもゲーム前に話してたように、ソラの母国語特有の名詞か何かだろうか。
「でも結構簡単でさ、死亡フラグ立てても負ける気がしないんだよね〜!」
「ちょ……ちょっと、待ってください」
当たり前のような顔で話を進めるソラが、またウィウィにカード引くようの指示を送ろうとしたので、慌ててそれを止めた。
それよりも先に確かめないとならない気がした。
「イカサマではなく、まさか……まさか本当にアナタがいう不幸の代わりの幸運とやらだけに頼って、ゲームをしているのですか?」
「ん? だからそう言ってんじゃんか〜〜〜?」
「そんなわけがッ……!」
否定したかったが、アノネがどれだけ考えてもソラのイカサマが思いつかなかった原因がこれだとしか思えなかった。
しかし同時に、超自然的要因である幸運を、完全にコントロールすることができるとは到底思えない。
「どうやって! それが本当なら、今アナタはどうやって不幸になってるって言うんですか! 何もしてないアナタが!」
思わず怒鳴り声をあげたが、ソラは動じている様子はなかった。むしろ会話の蚊帳の外であったウィウィがびくりと肩を震わせている。
そう言えば、彼女は先ほどから異様に静かだ。一ゲーム目に敗退した時でもめそめそしていたためまだ存在感があった。スポットライトの外にいるため、見えづらくはあったが、明らかに顔色が悪い。眉を八の字に下げ、ソラの方をチラチラと何度も見ている。何か大事な音を捉えようとしているように、忙しなくその獣耳が動いている。
それを不審に思いつつも、違和感の正体にはもどかしいほどに気がつけない。
「う〜ん……」
問いに対して答えあぐねている様子のソラは、椅子に預けている背をさらに逸らして天井を見つめた。
「誰にも理解されたことないよ、されるとも思ってないけど……でも同じことを思ってる人絶対にいる」
うわごとのようにぶつぶつと何かをつぶやいたソラは、天井から視線を下、アノネをまっすぐ見つめてきた。
「お姉さんが死ぬことになった原因は、多分アノネちゃんじゃないよ」
「――……ッは」
――あの脳筋勇者……
姉の事は彼にしかしていない。ソラが知っていると言うことは、彼は勝手にその話をソラに漏らしたと言うことだ。
両親の頭をおかしくしたアステラにまで手を貸した最低の勇者を一度でも信じていたことを後悔した。
一気に頭に血が昇る。一刻も早くその口を閉じて欲しかった。
「会ったこともないのに、もの凄くアノネちゃんのお姉さんの考えてたことがわかる気がするんだ」
「なんですか、部外者が知ったような口を聞いて!」
「俺、アノネちゃんになんか共感できないことが結構あったけど、俺らが似てるんじゃないかって思う事、結構あったんだ。でも違った。俺が似てるのはアノネちゃんじゃなかった」
「話を逸らさないでください、言ってみてくださいよ、アナタがそれほど自信を持ってる不幸を幸運にする方法を!」
「お姉さんは、自分を犠牲にしてでも家族を守りたいと思ったんだ」
「ワタシが負ける理由を言ってくださいよッ――!!」
もうわかっていた。アノネは負ける。
ここから勝つと言う方法が思いつかないと言うよりも、何を考えても無駄なんじゃないかと言う無力感が嫌と言うほど襲って生きていた。
でも、ただで終わるわけには行かない。
「……引いてください。ソラ、アナタの手で」
「え、俺? ウィウィじゃダメなの?」
まだソラの幸運のみで勝つと言う言葉が嘘の可能性がある。
ソラは一度も自らの手でカードを引いていない。一ゲーム目は引く間も無く負け、二ゲーム目から三ゲーム目の今までにかけて、全てウィウィにカードを引かせている。イカサマがあるとしたらここだけだ。そのほかはもう考え、見尽くした。
幸運戦法が嘘だとしたら、もう無力なアノネにはこれしか思いつかない。
「アナタの勝ち方がイカサマでないなら……アナタの手で」
「え~、やめておいた方がいいと思うけど……」
「いいからッ……!」
アノネのこれまでの努力と才能が、この男の企てよりも劣ると、ただのババ抜き三ゲームで証明されるなんてことはあってはならない。
「強情だなぁ」
証明されるのであれば、それ相応の納得のいく説明が欲しかった。
ソラの方へ限界まで伸ばした手札を握る手が、スポットライトの強い光に照らされて汗が滲む。
――ぐ、ちゃ。
「……でもわかるよ。誰にだって譲れないものはある」
ソラが、椅子に預けていた体を身じろぎさせる音がした。見ると、体を起こし、前傾姿勢になりながら腰を上げようとしていた。
アノネの願いは受け入れられた。そのことに一応の安堵をしたアノネは、すぐに表情を固まらせた。
「俺にもある」
ソラがどうやって、どのカードを取るかを見ると言う考えは早々に吹き飛んだ。
身を乗り出したソラが、薄暗いあちら側からスポットライトの下へ出てくる。その際、ずっとポケットに突っ込んでいた左手を出して卓に突いた。
ウィウィから小さく悲鳴が上がった。
その手は赤が異様に赤かった。赤らんでいるのではない、血に塗れていた。五本の指一本一本が潰れ、捻れ、爪が剥がれているものもあった。卓に押さえつけられて滲み出てきた血が、彼の手札までもを濡らしている。
――こんな状態でゲームをしていたのか? どうしてこんなことに? いつから? 何故?
次々と湧いた疑問は、アノネ自ら段々と答えを導き出していく。
潰れた指は、全て明らかに自傷行為によるものだった。ゲーム前の会話時点ではソラの指は正常だった。と言うことは、ソラはゲーム中、自らの手で、自らの手を、ポケットの中で潰していた。
――戒めとか、禊っていうのかな。
何故。それは、幸運を手に入れるための不幸を被るために。
指が潰れた不幸の代償に、アノネに勝つための絶対的幸運を手に入れるために。
ただそれだけのために。
ゆっくりと、アノネの手札に伸びてくる右手もまた、左手と同じく全ての指が潰れていた。
驚いて顔を上げると、視界の隅に光る金属を見つけた。それは立ち上がったことで初めて直接見えたソラの左太もも。二ゲーム目のコイントスの際に飛んできたナイフだ。それがそこに刺さっていた。
どうしてそんな状態で平静を保っていられるのか、理解できない。
その指先はとうとうカードにたどり着き、親指を支えに血塗れの指が、カード一枚一枚をつまんでいく。ジョーカー以外のカードに、染み出した血が垂れて汚されていった。
勇者が負けた理由がわかった。
この全身全霊で犠牲になってでも敵のためを想って敵を潰しに行くと言う行動原理。捨て身の覚悟が決まりすぎて、倒しても無駄なのだと思わせる説得力がある。
端的に言うと、狂っていた。
「あ、ああ……あなた、なんなんですか!? いったい――」
「俺? 俺は……」
出血のせいか血の気がなかったが、声色も表情も何もかもがいつも通り。少し考えるような顔して、彼は口を開く。
「アノネ大魔道士なんかには魔力も、頭の良さも、可愛さも、何もかもが指先すら届かない……この世界のよわよわなカースト最底辺の狼だよ」
真っ青な肌とは裏腹に、頬を赤く染めて笑ったソラはカードを引き抜いた。
・ ・ ・ ・ ・
◆現世◆
小学生時代の級友との再会を喜ぶにも、病院の待合室ではなんだということで旭としおりは病院を出て、隣接している公園へ場所を移した。ベンチに座り、院内のコンビニで買ったアイスを二人で開封する。
正直旭には何を話せばいいのかわからず、とりあえずチューブ型アイスに口をつけるだけつけて間を保っていた。
「中学校別々になったから、本当に久しぶりだね」
「ウン……」
しおりの方はそう言うわけでもなさそうで、まだ硬いアイスをもみほぐしながら会話をしてくれている。ちらりと横目で確認すると、彼女の制服は通学途中によく見かける近隣の他高校のものだった。当時の風の噂では中学受験組だったため、順調にお嬢様高校への受験をパスしたようだ。
このまま互いに知らない期間の話で終わってくれないかと、旭は少し願っていた。逆に知っている互いの過去を無駄に掘り起こさず、穏便に帰路につきたかった。
「あの……昊くんって今、旭ちゃんと同じ学校なんだよね?」
「う……ウン」
「今日はたまたま噂で昊くんの事故のこと知って、お見舞いに来たんだ」
しかし、旭の願いは叶うことはなく、しおりの方から切り込みを入れられた。これでは会話をせざるを得ない。
「昊……とは、最近でもよく会ってたの?」
「ううん。あっちが転校しちゃってからは、一回も会ってなくて」
「え……? じゃあ、なんで今更」
口に出してから、聞かなきゃよかったと後悔した。旭にはなんとなくその理由がわかる気がしたからだ。
しおりは旭に問われてアイスを揉む手を止めた。「えっと」と言いづらそうに言い淀んだ後、観念したように口を開いた。
「やっぱり謝りたくて。旭ちゃんは覚えてると思うけど、ワタシ酷いことしちゃったから」
案の定の理由だった。しおりもまた、旭と同じようにあの時のことを忘れることはできなかったようだ。
「あれは……はは……しょうがないよ、子供だったし。きっかけになったとはいえ、しおりちゃんがいじめに加担したわけじゃないしさ」
そう、おかしいのはしおりではない。あのしおりの一言で標的をまるっと昊に変更していじめを続けた周囲と、その流れに巻かれるしかなかった旭の方が、数倍おかしい。
自分で言えた立場じゃないなと自虐しながら、旭は彼女から目を逸らした。
大昔のことですら、きちんと本人へ謝罪しようと決意できる彼女が羨ましい。本当に謝るべきは旭なのに。
「アイツは、なにも思ってないと思うよ。恨まれるなら……アタシでしょ」
そう言いつつ、不思議なことに現在進行形で昊のいじめっこをやっている旭ですら、彼に恨まれていないという謎の確信があった。旭の勘違いであって欲しかったが、少なくとも昊にはどこかそう思わせる雰囲気があった。
それでも、暴力を振るう後ろめたさが消えたり軽減されるわけがない。
この“罪悪感”だけは、もし直接昊から赦しを得ようと、一生消えないという自信があった。
「……あのね」
旭の励ましを聞いてから、しおりは罪悪感を孕んだ声色で切り出した。
「――ワタシがいじめられてた時、昊くんが『全部自分のせいにしていいよ』って言ったんだ」
予想もしていなかった事実を告げられ、旭はただ口をぽかんと開けた。
あの時のしおりの言葉が、全部昊自身による指示だった。彼がしおりを庇っていた。その事実だけで、ほとんどの辻褄が合う。
しおりの嘘の告げ口の真偽を他のクラスメイトに確かめられた彼は、当然その全てを否定しなかっただろう。いじめを教師に相談せず結局発覚しなかったのも、自分からの行動だったらなら何も不自然ではない。
現状の彼を見ても、恐らく黙って殴られているのは旭の学校での立場を守るためなんだろう。どこまで、自分のことに執着がないのだろうか。
全てを理解していくと同時に、鼓動が早まる。しおりにとって旭は、恩人をいじめた仇だ。同学校であった以上、旭が昊をいじめるグループにいたことは当然知っていただろう。
「事故のこと聞いた時、最初はいじめが――旭ちゃんが原因なんじゃないかって……思ったの。同じ学校だったことは知ってたし。それに昔……いじめてた、から。周りでもそう噂されてたの」
「……だよね」
諦めと自虐を含んだ精一杯の返答をした。
そう疑われても、恨まれても仕方ない人生を送ってきた。最悪の過去は、忘れ難く、そして誰かが覚えているものだ。何を言われてもいいよう、覚悟を決める。
「でも、違うんだよね」
しかし、予想していたものとはだいぶかけ離れた言葉が続けられた。
「そんなこと思って、ごめん」
驚いて、逸らし続けていた顔をしおりの方に向けた。彼女は旭へ深く頭を下げていた。
「本当にごめんなさい。ワタシがあんなこと言わなければ、昊くんはいじめられなかったし、旭ちゃんも彼をいじめることになんてならなかったのに」
「え……え? え?」
謝られる理由が全く理解できなかった。戸惑い、彼女の肩に手をかけて必死に体を起こそうとする。しかし、彼女は断固として頭を上げようとはしなかった。
「ごめんね。本当はワタシ知ってたんだよ。旭ちゃんがいじめなんてしたくないって思ってるの。周りの目が怖いの、ワタシにもすごくわかったから。でも、また何か言って変なことになるのが怖くて、見てるだけだった」
そんなことを他人から言われたのは初めてだった。手にこめていた力が抜けおちる。
「アタシ、こそ……いじめられてたの知ってて、何もしてあげられなくて、ごめん」
「いいんだよ」
旭の謝罪を即答で受け入れたしおりはようやく顔を上げ、旭の手をとった。直前までアイスを握っていた手は冷たかったが、旭の手よりも暖かかった。
「ワタシは、あの時までワタシの悪い噂に触れないでただ仲良くしてくれた旭ちゃんに救われてたんだ。あと、昊くんにも」
人が出来すぎている。しおりに対し、怖いくらいの尊敬を感じた旭は、ただ頷いた。旭も彼女も、二人同時に笑顔を浮かべる。
すっかり柔らかくなりすぎたアイスの容器に気がつく。残念そうにそれをつまみ上げたしおりは、結露のついたそれをハンカチで包み、カバンの中にしまった。
「なんか、よくわかんなくなっちゃったね。話したかった事、とっ散らかっちゃった」
しおりはカバンの中からアイスと入れ替わりにスマホを取り出した。ふと気がつくと、公園の木々の隙間に隠れるほど、太陽が傾いている。
「提案されたとは言え、あんなことを言っちゃったのはワタシ自身だから、やっぱり昊くんにも直接謝りたい気持ちは変わらない。だから……昊くんが退院したら連絡してくれないかな?」
「えっ」
しおりはトークアプリのQRコードを表示したスマホを差し出してきた。旭はそれに驚きつつも、反射的に片手でスマホを取り出し、アプリを起動していた。
「アッ……」
あまりにも早く無駄のない動き。同年代でなければ見逃してしまうほどの脊髄反射が身に染みている自分のJK根性に、旭は途端に恥ずかしくなってスマホを少し下げてしまう。
ひとりで恥ずかしがっている旭のことを笑いながら、しおりは旭のスマホのカメラ下に自分のスマホを差し込んでQRコードを読み取らせた。
「連絡……するわ。ちゃんと」
「お願いします。それ以外にも、また小学校の時みたいにどこか遊びに行く約束とかもしようね」
「……うん」
清廉で邪気のかけらもない彼女の言葉を聞いて、旭はまたただ頷いた。
そのまま数年ぶりに再開した友達との対話の時間は終わり、ベンチから立ったしおりを、旭は手を振って見送った。
彼女の姿が見えなくなってからようやく手を下げ、その手を口に当てた。
「あ……」
ひとりになった途端、心臓を吐き出してしまいそうなほど鼓動が早くなった。目頭が熱くなり、混みあげてくる感情を必死に抑え込む。
小学校の時と比べると、もうずいぶん自分を誤魔化すのが上手くなっていた。
カーストばかり気にしていた高校生活ではボロを出すことはできず、罪悪感すら感じれど、だれにもそれを悟られないようにしてきた。それを、彼女には知られていた。あんなことを言われたのは初めてだった。
嫌だった。自分の弱みを握り得るものを蹴落とすのも、気の置けない友人を作れない臆病な自分も、保身のために周りに流され続けた自分も。
本当に嫌だった。変われないことが、本当に。
押さえ込んでいた涙が溢れた。口を押さえていた手に、滴が垂れてはその表面を伝って地面に落ちる。
「クソヤロー……ッ」
それでも、そんな最低な旭を肯定し続けた旭以上の馬鹿がいた。そしてその馬鹿は、誰よりも優しかった。
いっそ恨んでいて欲しかった。
しかし、デパートの屋上で彼と最後に交わした会話だけで、昊が旭に対して“何も”思っていないことは、わかっていた。
「ごめん……昊」
贖罪にもならない謝罪を呟く。
「――その謝罪は、罪を認めたということか?」
返ってくるはずのない返事が聞こえ、何度向けられても慣れることはないその殺意を全身に浴びた。
ベンチから転がり落ち、即座に立ち上がり振り返ると、ベンチの裏にはやはり刀を携えた六堂夜が立っていた。
・ ・ ・ ・ ・
◇異世界◇
降りかかる強酸の液体を避け、毒の霧の中を息を止めて突破し、ヴェネノに肉薄する。
彼女に近づくにつれて周囲の毒が濃度を増し、目すら開けていられなくなる。狙いを定め抜刀し、居合いを試みるが、アーデによる局所一点強化の防御壁によって防がれた。
吐き気を催し、空気中の毒が肌から入り込み体内を侵していることに気がついた直後、後ろにピッタリ張り付いて背中を守っていたスキートがヨルの首根っこを掴んだ。力任せにキルト夫妻との距離をとりながら、纏うマントを翻す風圧で霧を払った。
「いささか捨て身がすぎるぞ、コハクトくん」
「そうか、毒耐性スキルが……」
アーデがナイフのように飛ばしてきた鋭く小さな防御壁を刀で打ち砕きながら、ヨルは自分が大幅な弱体化を受けていることを思い出した。
仮想現実の世界では、製作者が自由に条件を付与できる。いわば夢の中のようなものだ。ゲーム開始直後にキルト夫妻から告げられたゲームルールは、その力によって本当に実現されていた。
ヨルがここまで戦って把握したのは、魔力、攻撃、防御などの戦闘面で重要なステータスが大体戦闘職50レベルの平均値に全員が調整されていると言うこと、普段無意識下でも使用できていたスキルですら一切使用できなくなっていることなどだ。
ヨル獲得していたスキルの中には、高レベルの毒耐性や魔法攻撃耐性などのキルト夫妻の対策になりうるものがあったため、彼らが無闇に勇者へ戦いを挑んだわけではないことがわかる。
さらには世間的にはプロのレベルと言われる50レベルのステータスとはいえ、そもそものヨルのレベルが60を超えていること、加えてこの世で最強の名を冠する勇者のステータスがなかったことになっているので、今の状況は大幅な弱体化を受けていると言える。
「毒は大丈夫か?」
「もともと免疫的なものはあるので問題ないです。しかしやりずらい……」
「……本当か?」
と言いつつ、返事もそこそこに、飛来してくる雷風氷というあらゆる魔法攻撃を片手剣で弾きまくるヨルの姿を見て、スキートは「素の戦闘能力が高いのだな」と納得した。
「さすが英雄ヒガナの息子」
「……父とまともな面識あるんですか」
「兄弟くらい中のいい大親友だ!」
多分スキートの一方的な思い込みだろうなと思いつつ、ヨルは戦いの方に意識を戻した。
ここでは確認できない時間を気にして、ヨルは徐々に焦っていた。既にソラはアノネの保護と説得に成功しているだろう。
ヨルは今回こそアノネの保護を確実にするため、騎士団と今回だけの協力関係を結んでいる。
騎士団は数年前からキルト製薬協会のアステラ堕ちを怪しんでいた。しかし、どうやっても尻尾を出さないため、彼らは唯一キルト家から逃げ出したアノネをこの一年半ほど必死に探していたのだ。彼女からの証言、もしくは彼女自体がアステラであることの確認を求めて。
今、彼らはパーティー会場の外に待機させている。当初の作戦では、ソラがアノネを説得し、証言を録音用魔道具に確保できた瞬間、パーティー会場に騎士団を踏み込ませ、夫妻を逮捕する手筈だった。
勇者の名の下夫妻の逮捕に協力する代わりに、アノネが夫妻の悪事に加担していたことや、その他の罪を不問にすることを条件にしている。だからこそ、早くこの空間を抜け出すか、彼らを拘束しなければならないが、うまくいかない。
ヨルの戦闘センスは、弱体化を経てもこの中でずば抜けている。それでもキルト夫妻を押し切れていない。既にアーデに四回、ヴェネノに二回と致命傷を負わせているが、互いにサポートが厚く、効果不明の魔法薬によって容易く復活してくるのだ。
「勝利条件を満たす他に、ゲームを終了させる方法はないですか」
「本来はワタシの管理者権限でディーラーに指示できるが、既にそのシステムは破壊されているようだ。他には現実世界の方でディーラーゴーレムを破壊するとか……できそうな仲間はいるか?」
「いるにはいますが、連絡手段が無い」
即答したヨルの頭に浮かんだ一番の最善策はアノネだったが、ソラがいらぬ挑発をして説得に失敗している可能性も捨てきれない。
ソラとウィウィは論外だ。パーティーにプレイヤーとして参加している以上、ゴーレムに危害を加えようとすればルール違反として問答無用で追い出される。弱いので反抗もできないだろう。フェルムは別の要員として会場の外に待機している。言った通り、幻覚世界からあちらへ連絡する手段がないため、いずれも望み薄だ。
「やはり勝利条件を満たすしかない……なッ!!」
ヨルは踏み込みから高く跳び上がり、体を回転させながら落下してアーデが展開していた魔法攻撃の術式ごと彼の体を縦真っ二つに斬った。おさまらない回転の勢いに乗せ、彼の右後方に控えて魔力を練るヴェネノへ刀を投擲した。
刀は彼女胸に命中したが、それを確認する前に瞬時に腰に巻いたマジックバックから一本、また一本とナイフや包丁などの刃物を引き摺り出しては彼女へ投擲する。刀のツカにヒットした刃物たちは、まるでトンカチで釘を叩くようにヴェネノの骨を砕きながら深く刀を押し込んでは弾かれていく。
ヴェネノはそれを意に介す事もなく、冷静に魔法薬の瓶を取り出し、アーデの方へ投げた。その間にヨルは彼女の元に辿り着き、地面へ落下中だった刃物を全て掬い上げ、瓶の中身を浴びて復活しようとしていたアーデへ投擲し、その四肢に突き刺すことで地面に固定した。
そして、ヴェネノの胸に突き立った刀のツカを掴み、横薙ぎに振るって彼女の体を斬り裂く。薬を呼び出そうとする手元を跳ね飛ばし、徐々に彼女の体はバラバラになっていくが、そんな状況でも恐ろしいほどヴェネノの表情は冷静だった。
「コハクトくん」
スキートの呼び声に応じ、体が瞬時に飛び退いた。見ると、動かない手足を自ら切り落として立ち上がったアーデがヨルに向けて火球を放っていた。
「アンデットか……貴様ら!」
「違いますわ、勇者様」
半身で火球を交わし、彼らから距離をとってから振り返ると、既に二人は切り刻まれた全身が回復していた。
少しでも隙を与えると、こうして一人倒したかと思えばもう片方が復活しているという、“敵を二人(同時に)殺す”という勝利条件を一向に達成できない。
「素晴らしい効果でしょう」
「ほう、まさかその薬が噂の蘇生薬か!」
スキートが問いかけると、嬉しそうにキルト夫妻は笑顔を浮かべた。確かに、自分たちが開発した薬に寄せる絶対的な自信が、一度二度は死んでもいいと言う戦い方に現れていた。
「……アノネは薬を完成させる前に家を出たんだろう」
「いえいえ、完成していましたとも、完璧に。本人は知らないでしょうが」
「そもそも、死者を蘇らせるだけならば、ずっと前に。うちの長女が五歳の時に完成させてますから」
アノネなどから姉は優秀だったと聞いてはいたが、そこまでとは知らなかったヨルは驚く。改めて、そんな姉と同じ領域の才能を持っていたアノネの凄さがわかる。
しかし、彼ら夫婦がいつからアステラに堕ちていたかは知らないが、邪の思考を持つ者としてみると、蘇生薬にそれほど執着する意味が見当たらない。
「ですがその時点ではまだ出来損ないでした。死んだ直後の肉体にしか効果はなく、生き返った体の老化は止まり、生前の意思を持っていようが、もはや生物としての機能はほとんど果たしていません。それはそれで、使い所はありますが」
「キミたちの見た目が変わっていないのは……なるほど、さては自分に未完成品を使用したな」
やむを得ない事故があったか、それとも自分たちを実験台にしたのかは定かではないが、蘇生薬という魔法薬の名前の希望具合とは裏腹に胡散臭い何かがあるのは感じ取れた。
「アレにはそれを改良させました。期待も託して。そして、それは応えられた」
「……期待?」
幻覚世界にも関わらず、吹き付ける風の感覚にヨルは身震いした。そうでなくとも、おぞましい思想を持つキルト夫妻は丁寧に丁寧に語り続ける。
アノネの作る魔法薬には、必ず無作為に人智を超える様々な効果を起こす副作用が付属していた。これは本人の天性の才能のようなもので、例外はなかったらしい。
彼女が四つの時に作った魔法薬には、夫妻の期待を膨らませる最高の副作用がついていたと言う。
本来どんな効果になるか予想できない副作用。人為的に、もう一度その最高の副作用を起こすため、夫妻は彼女を研究し続けた。副作用の効果が選ばれる法則性を発見し、それをコントロールするのに必要な薬品の調合比まで、彼女が家を出る直前に全てが確立した。
そうして、秘密裏に完璧なコントロールをされながら蘇生薬の改良をしたアノネは、ついに完成させた。
「完成した蘇生薬は、肉体が残っているならばどれだけ腐敗していようと完璧に生前の通りに生き返らせるのです。老化が止まることもない」
「そして、この世に蘇った人間は、副作用によってアステラの主の僕となるのです! もうすぐ、もうすぐ皆が彼の方の素晴らしさに気がつく……!」
「……何?」
最高の瞬間だと言わんばかりにヴェネノが自分の体を掻き抱く。
不穏な流れを感じ取ったヨルは、刀を握る手に無意識に力が入った。焦らなければならないのは分かっていたが、それ以上に彼らの企みを先に把握した方がいいと判断した。
「もう時期です。日付の変更とともに、この大陸は変わる」
「皆が言葉通り、生まれ変わるのです」
「貴様ら……あの最悪の大虐殺を今世に甦らせるつもりか……!」
彼らの言葉は、この世界の誰もを絶望に陥れたある事件を彷彿とさせた。
かつて、魔王軍の侵攻によって、わずかな時間で世界最大の大陸の人口の五分の一以外の命が全て奪われた。
それが今度は、アステラの教徒の手によって引き起こされようとしてる。
「もう止めることはできない。時がくれば協会の本部で自動的に召喚術式が発動します」
「召喚された嵐から生成される毒雨はこの大陸全域に振りそぎ、地表の生命を奪い尽くすのです」
「そして、皆が蘇生薬によって蘇れば……最高の世界が完成です」
嬉しそうに誰かの死と服従を願う夫妻に堪忍袋の緒が切れたヨルは、いよいよ斬りかかるため踏み込んだが――スッと既視感のある手に制止され、思わず足を止めてしまう。
「黙れ」
低くスキートの喉が鳴った。
あっけに取られたヨルが見上げると、彼は夫妻の方へまっすぐ向いていた。表情は、見えない。
「他者の健全な思想を自身の思想のために潰す邪は、ワタシが一番嫌いな種族だ」
彼の纏うマントが風に逆らって蠢く。カサカサと、中で何かが音を立てている。
「目的を聞けばもう用済みだ。消えたまえ。お前たちはアノネ嬢の親としても必要ない」
マントの中のスキートの質量が消えた。
くたりと萎んで地面に堕ちかけたマントは、次の瞬間内側から爆発するように弾け飛ぶ。中から生地を引き裂いて溢れ出してきたのは、無数の黒い蝙蝠だった。
スキルは使えないはずだとこの光景を疑ったが、すぐにヨルは考え直した。
これはスキルではなく、この場唯一の吸血鬼が古から当たり前に使える力。スキルとは違い、この場において何者にもその力を剥奪することはできない。
止まることを知らずマントの中から溢れ続ける蝙蝠の群れは、蛇の胴のようにうねり、そしてキルト夫妻を飲み込んだ。
何もできないまま大群の中で切り裂かれ、肉を抉られ、血を啜られたふたりは、やがて散り散りになった四肢を地面に落とした。
☆よくわかる幸運値早見表☆
0以下:とにかく不運。あなたに都合の悪いことばかり起きる。
1~20:小さな不運が続く。些細なラッキーはほとんど起こらない。
21~80:普通。いいことも悪いことも起きる確率は同じくらい。
81~240:度々幸運な出来事が続く。
241~665:あなたの望む幸運な出来事がたくさん起こる。
666以上:世界があなたの味方をする。代わりに失う幸運は大きい。




