57.信用ゼロの協力者
本日十度目となる天命帳を眺める作業を終えて顔を上げると、神界の空にも月が登っているのが神殿の窓から見えた。
ゴシュベールからの叫び声は、今はすっかりおさまっているようだ。ホクトナントは長い長いカラメル色の髪に手櫛を通しながら伸びをした。
いくら暇な天命を司る神とはいえ、仕事が全くない訳では無い。三代目創造主から任されている仕事は着々と溜まっている。そろそろ消化していかなければ、新しい旅行にも出ることが出来なくなってしまうだろう。
ホクトナントはベッドを降り、着の身着のまま神殿を出た。現世の重力の概念が通じないこの世界の上下左右に曲がりくねった道を歩き、順番に神界にいるその他の神の天命とそれぞれの仕事の進行度をチェックして行く。
創造神が忙しい分、余計な仕事がホクトナントのところに集まっているが、特にどんな神よりも悠久の暇な時間を過ごしている彼(彼女?)にとってはたまに忙しいくらいが新鮮で楽しいものだ。
神界は現世の次元違いの遥か上空に存在しているが、その広さは人間の認知によって日々変わる。多くの人間に認知され、信仰されているユーリアシュ周辺の土地は特にしっかりとほぼ不変の形をとっている。そこから離れていくにつれ、土地や物体、またはほかの神の存在は輪郭、情報等といった存在が曖昧になっていくのだ。
そんな曖昧な世界へホクトナントは歩みを進めていく。
神界の果てもまた、日によって曖昧に存在している。今日は瀑布のように地が途切れパラパラと砂が果てしない世界の底へ落下し続けているようだ。
散歩をする老人のようにゆったりとその縁に沿って歩きながら、異常がないかどうかを点検していく。
この場所に異常があるということは、神界のみならず直結している現世にも悪影響が出かねない。逆も然り。
ここ数日まめに点検を繰り返しているが、やはり深刻な異常は見られない。
「……ふむ」
時空の歪みのせいでそう広くはない神界の外周を一周したホクトナントは、引き返そうとしてしばらく考え直した。
毎日回ってきた神界の外周であるが、いつもより少し短い気がする。
確かに神界の広さは日々少しずつ変わるものの、それとはまた別の――
おそらく何かが時空の狭間から侵入した後で、その痕跡を消すために痕跡の残った空間ごと切り取って無理矢理その端をつなぎ合わせたようだった。
「不干渉が吉か、干渉するが吉か」
一瞬、ゴシュベールの方に顔を向けるが、犯人の顔が思い浮かんで肩をすくめて一人首を横に振った。
「神パワーよわよわな我の力ではどちらにしろ何も変わらないか。天命を観測するだけのとるにたらない力では、彼奴に敵わん」
これでは毎日の点検の意味がなくなってしまったなと自分に笑いながらホクトナントは自身の神殿へ引き返した。
「ジャイアントキリングなら、やはりアルティメットウェポンに任せるしかナッシングだな」
・ ・ ・ ・ ・
◇異世界◇
「彼女は実家で虐待を受けていたんだよ!」
焦りのあまり思わずヨルは声を荒げたが、すぐにハッとして口をつぐんだ。
なぜなら、こちらに振り向かせたソラの表情があまりにも——
「そうかあ。クソってのはそういうことね〜」
しかし、ソラはすぐにその表情をいつもの飄々とした表情でパッとかき消してしまった。
ソラは軽くヨルの手を払い除け、こちらに背を向けて立ち上がった。尻尾がベッドの上を滑ってだらりと彼の腰からぶら下がる。
「……ソラ?」
違和感を覚えて、ヨルはフェルムと顔を合わせた。もちろんフェルムもピンときていないようで、首を傾げている。
「アノネちゃんがいないとヨルが勇者活動できなくて困るよね」
「あ、ああ……まあ、彼女は王国への報告役だしな。いや、そんなものがなくとも——」
「連れ戻すよな」
ソラはヨルの言葉を続けながら、微笑みながら振り返った。
どこか自信に満ち溢れたようなその表情は、既にいつもの雰囲気に戻っていた。
「ごめん、俺、事情も何も知らなかったのに勝手にアノネちゃんを行かせちゃって」
「い……いや、繊細なことだからと詳しいことを話していなかったオレたちも悪かった……」
深刻な話であることを察したのか、ずっと不機嫌な様子だったウィウィの膨れた頬が萎んだ。キョロキョロとソラとヨルの顔を交互に見ている。それに気がついたソラは、不敵に笑いかけながら彼女の頭をワシワシと撫でた。
「じゃ、詳しく教えてくれる? アノネちゃんのこと」
ソラの反応という違和感は心の隅に残ってはいたが、彼のアノネを助けたいという思いは嘘ではないはずだ。
それはもちろんヨルも同じであり、だからこそ彼女と共に旅を共にしてきたのだから。
ヨルはもう一度フェルムと顔を合わせ、最も彼女に理解を示していた彼に説明を促した。
「アノネが……家出していたことは知ってる?」
そうして切り出された話をソラは黙々と聞いていた。
「――だから、一度連れ戻されたアノネを助けるのは……ものすごく難しいんだよね……一応、彼女は未成年で、家出していたところを連れ回していたのは僕らだし」
「だな。いや〜、俺戦犯じゃん」
そうしてフェルムの知り得るキルト家の事情を全て話し終えると、ソラは一度長く息をついた後、やはりいつものように笑った。
「――でも、ものすごく大変で周りくどいけど、アノネちゃんを連れ戻し返す方法があるって言ったら、乗ってくれる?」
フェルムはその言葉を聞いて呆けていたが、ヨルは「もちろんだ」と即答した。
・ ・ ・ ・ ・
愛しい嫁であるチェルシーの肘掛けを指先で撫でながら思考に耽っていたスキートは、名案が思いつくたびに机上の羊皮紙にペンを走らせていた。
スキートは、近場に一つしかなかった別荘が崩壊し、財産のほとんどがそこに埋もれた今、嫁を持ち運ぶためのマジックバックとその身ひとつで、街で一番安い宿の一室に寝泊まりしていた。しかし、その生活に不満はない。
妻さえいれば、どんな不幸の中に身を投じていたとしても、乗り越えられる。それが愛、と言うのがスキートの人生哲学だ。もともと、全てを失って精神がすり減っていた時に全てを支えてくれたのが、チェルシーだったのだから、これが運命の相手でなくとも愛さずにはいられない。
そして、今は、友人の愛のためにペンを走らせている。その友人とは他でもないソラのことだ。
つい先ほど深夜でありがなら、スキートの部屋を訪ねてきたソラから、アノネが実家に連れ戻されてしまったと言う事情を聞いた。キルト家の仄暗い噂は顔の広いスキートの耳にも入っていた。だから、その事実がどんなことを表すのかも彼には理解ができる。
愛する二人が親の都合によって引き剥がされる。ああ、なんとありがちでありながら理不尽で悲しい運命だろうか。あの熱い男のソラが、その運命に抗おうと言うのならば、スキートは喜んでその悲劇の物語を書き換える協力者となろう。
ソラが事情を話して要求するまもなく、自分から協力を名乗り出たスキートは、こうしてソラから頼まれた仕事を遂行するための計画書を書き連ねている。
このような計画書は、先日の『ラブラブデコボコカップルたちの親睦を深める会』のような自分が思い付いたパーティーを開催するために書く習慣が以前からあった。
しかし今回は、友人のために書く。なんと新鮮な体験だろうか。
ふと、スキートは興奮して止まらなくなっていた手を止めて、羊皮紙に書かれた文頭から文末までを改めて読み直した。
いささか興奮しすぎて、明らかに不必要な要素が詰め込まれている。普段ならそれも一興と必要経費を注ぎ込んでしまうのだが、今回ばかりは事情が違う。
規模が大きくなるほど出費がかさむのは当然だが、前述した通り今スキートの財産の大半は瓦礫の下だ。現在知り合いの業者に依頼して発掘作業中ではあるが、使えるようになるのはまだ先のことだろう。ソラに頼まれた仕事の期限はそれよりも前だ。
つまり、この計画を実行に移すための金がない。ソラに頼まれた仕事ではあるが、計画自体はスキートが考案した物。彼らに金を請求する気はスキートには一切ない。
機械のように休まず動いていたペンの進みが止まってしまった。
スキートは深く息をつきながらチェルシーの背もたれに体を預け、天井を見、再びこの問題を解決するための思案に耽ようとした。
しかし、それはできなかった。見上げた天井に、蜘蛛のように張り付くメイドがいたからだ。
「夫婦水入らずの夜を邪魔するのは感心しないぞ」
「やだ、見つかっちゃった。ごめんね〜、マナー知らずの未婚者で」
さほど焦っていない様子で、メイド――フォッサは天井からひらりと飛び降りた。
「何をしに来た?」
「夜這いではないわよ」
「当然だ! キミにはレデイがいる」
「あン人は別に伴侶とかじゃないんだけどね」
フォッサは笑みを浮かべながら足音を立てずにスキートの机に歩み寄り、その上の計画書を覗き込んだ。
「今度はどんなパーティーを開くのかしら」
白々しくそう言ったが、おそらくソラが訪ねてきた時からフォッサはこの部屋のどこかで話を聞いていたのだろう。
大方レデイの指示なのだろうが、残念ながらスキートはレデイの古き友人でありながらも、彼の思想はよく知らない。
しかし、先日の一件で多少なりとも仄暗い企みがあることがあるとわかって、流石のスキートも一時は騎士団へ通報するか逡巡していた。しかし、すぐに彼の立場上、通報しても全て無かったことになるだろうということを考えると、勝手にしてくれという気分になる。だから、特に何をするでもなく彼らのことは放置していた。
しかし気になるのは、今までスキートを鬱陶しがっていた彼側からこうして接触があったのはほぼ初めてだということだ。過去に一度あったかもしれないが、覚えていないということはそれだけ数が少ないんだろう。
変わるきっかけといえば、先日ソラたちをレデイに会わせたことくらいだ。勇者に会わせたならば典型的な動機は透けて見えるものだが、昨日の面子的には、特筆すべき情報があるのはウェアウルフという希少な存在であるソラとウィウィくらいだ。
レデイらが人攫いの一派であるならば、あの二人組に近づくのは理解できる。しかし、その方法が周りくどくも感じる。
人攫いとは、問答無用で誰にも気が付かせず誘拐を起こすからこそ、“人攫い”だと恐れられていたのではないのか。
「な〜に疑ってんの?」
ふと、思考に没頭していたことに気がつき、頭を振ってフォッサを見る。スキートの考えていることなどお見通しだとでも言いたげに、机の縁に腰掛けて、こちらを見ていた。相変わらず、メイドだとは思えないほどに態度がでかい。
「こっちは親切で来てやったのに」
「親切?」
フォッサは後ろに倒れ、机の上に寝転がった。給仕服の裾から猫特有の細長い尻尾が立ち上がり、机上の蝋燭に当たりそうだった服を器用に避けさせた。そのままごろりと体を転がし、スキートの計画書をつんと指す。
「どう考えてもあんた、お金足りないでしょ」
「ああ」
「貸してくれるって。必要なら、コネも」
にっこり笑ったフォッサに対し、スキートはあまりのあからさまさに吹き出した。
「ははは! どうした、やけに親切じゃあないか! これが誰のためのパーティーかわかってるのか?」
「昨日屋敷に来た魔女っ子ちゃんのためでしょ? あとあの狼男」
「そんなに彼らを助けたいか! 一体何のために?」
ここまで直球な質問もないだろうと、スキートは自分で思う。
しかし、フォッサは痛いところを突かれたような反応をするどころか、笑みを絶やさず「聞かれると思った」と溢した。
「聞かれたらこう言えって、ちゃんと言われてるんだからね〜」
「ほう。では、その心は?」
問われ、ひらりと机から降りたフォッサは、すっと姿勢を正す。
そして、給仕服の裾際のフリルをつまみ、左足を引いて腰と頭を下げた。
「——全て、我々の世界平和のためです。……ヴァンパイアロード、ヨルア・スキート・ランドリュー様」
口角が無意識に上がり、牙が外気に触れるのがわかった。久々に心から笑い転げたい程の上機嫌になった。
子供のようなその動機から最もかけ離れていると言っても過言ではないあのレデイが、そう言っているところを想像するだけで面白い。
スキートは心の中でソラに謝った。レデイを怪しんでいた彼にとって、この協力者の手を取るのはありがた迷惑以外の何物でもないだろう。
しかし、ここでその手を跳ね除けるのは、“変人スキート”あるまじき好奇心の喪失だ。
スキートとは誰の敵でもなく、全ての味方である。ある種の孤独を好んでいるとも表現出来る。だからこそ、こうして自由であることが出来る。
創作意欲が心の底から湧いてくるのを落ち着かせるように、妻の肘掛をカリカリと掻いていた手を止めた。
「実に面白い! 是非に!」
手を差し出すと、フォッサはかしこまった微笑みを崩して「毎度あり〜」と呟いた。




