56.実家のような不安心感
蓋を閉じられたドラム缶の中にいるような感覚に気がつき、徐々に旭の意識は覚醒していった。
覚醒後も意識と体が直結していないようで、言うことを聞かない。瞼を開けることも難しい。金縛りにも似た現象に対してまどろみながらも焦りが浮かぶ。
しかし、徐々にこの金縛りの理由を察し始めた。原因はこの全身に刺すような視線に含まれる殺意だ。目が開かない今、その視線の主を確かめることもできないが、目を開けられたとしてもそちらを見る勇気はない。
というかピクリとでも動いた瞬間、何かしらの先の尖ったもので足→腕→頭の順に刺されそうだった。
どうしてこんな状況に自分が置かれているのか思い出せず、記憶の糸を勢い余ってちぎりながら手繰り寄せる。そしてズキズキと熱を持つ額の痛みに気がついた時、旭は自分が最後に会った人間の顔と共に今までのことを全て思い出した。
(し……死んだ……!)
そうなればこの殺気の主の正体も自ずと察しがつく。そろそろ首が落とされる頃かと、旭はたまらず死の覚悟をして身震いをした。
「起きたか。おはよう、魔法使い」
しかし、唐突に発せられた穏やかな声の挨拶が耳に飛び込んできた。その声に、旭は叶うなら最期にSNSへ投稿したい辞世の句を書き連ねる脳内の作業をストップさせる。
聞き間違いでないなら、今の声は――
頭から足先までをこわばらせ、たっぷり三十秒は逡巡を繰り返した旭は、やがてゆっくりと目を開けた。
旭が寝かされていた場所は、車の中の後部座席のシートだった。若干の煙草臭さと、薄暗いながらも目の前の滑らかで曲線的なシートの形状と狭い密室——という特徴は認識できた。
辺りを見回すまでもなく、体を起せば運転席に座る何者かがこちらを見下ろしているのが目に入る。
「あ、あんた……」
この顔を見間違えるはずがない。小学生の頃のあの短期間を加えれば、もう四年程の付き合いになる。
「そ、ら……?」
一切の茶色っけのない黒髪に黒目。若干内斜視気味にこちらを見つめ目を細めるその笑い方も何もかも見覚えがある。過去何度も旭が殴って鼻血で汚した顔だ。旭自身の業そのものを体現していると言っても過言ではない。
「お前、柱に頭ぶつけるほど馬鹿だったか? やっぱりあいつの記憶は参考にならんな」
「あんた……さっき病院に……目、覚めたの……?」
「おかげさまで。全快してるぞ〜〜〜!」
そんなわけが、と声に出そうとしたが掠れて声にならなかった。
夕方に病院で見た昊は、包帯だらけの状態でベッドに転がっていた。点滴やよくわからない装置の管も取り付けられていたというのに。若いからといって治癒力にも限界がある。
それでも、目の前にいるのは確かに昊だった。ありえない状況ながら心は徐々にそれを受け入れ始め、無意識にほっと息を吐く。それが誰の心配からのものだったかもわからず、旭は自分の足を見下ろした。
その時、突然車のドアが外からバンッと窓を叩かれた。
飛び上がって音がした方の車窓の先を見ると、周囲が暗いせいで気がつかなかったが窓の外に人影がある。それは車に寄りかかって車内を覗き込んでいた。それが最初の殺気の正体だと悟った旭の体がまた硬直した。
腕を組んでいて明らかに機嫌が悪いその人物は、鋭い眼光でじっと旭を睨みつけてくる。やがて視線が外されると、人影は屈んで助手席のドアを開け、バンに乗り込んできた。その手にモノクロの刀が握られているのを見て、間違いなくその人物が夜だと確信し、今度は震え上がる。
いつもは饒舌なはずの昊があれ以降全く口を開かなくなり、夜も、もちろん旭も何も喋ることができないため、密室の車内は重く冷たい静寂で満たされる。
「こんなに……」
最初に口を開いたのは夜だった。話出しから既に殺気を孕んだ声色だ。
「こんなに早くオレの前に現れるとはな……」
昊の病室から追い出された夜は、たしか「二度とオレの前に現れるな」だの「次は殺す」だの言っていたはずだ。その宣言からわずか数時間でまた再会することになるとは、互いに思っていなかっただろう。
夜はシートに座ってただ正面のフロントガラスの向こうを見ているため、旭の位置から彼女の表情を見ることはできない。夜は今何を思ってここにいるのだろう。
「病院でのことはもうどうでもいい。早く終わらせよう」
妙に気が急いている様子の夜が、腕を組んでぶっきらぼうに「出せ」と一言そう言った。その時もまた、首をこちらに向けもしない。
出せ、と言われても主語も何もないのでは何を出せばいいのか検討もつかない。まさか命を差し出せというわけでもあるまいに、あまりにも説明がなさすぎる。
久しぶりの再会をしたソラに助けを求めたいところではあったが、彼はやはり口を閉ざして成り行きを見守るだけに留まっている。
心臓を跳ねさせ、どれだけ頭に血を送ろうと、夜の言わんとすることは旭には全くわからない。
「な……なにを?」
「お前の宝だ」
旭の疑問に答えたのは昊だった。ニヤリと笑っている。昊はこんな風に笑う人間だっただろうか。
「ほら……何かあっただろ? オレはうろ覚えなんだが、オレがお前に何かをやったか……もしくはなにかオレとお前に関わるもので思い入れがあるものがあるはずなんだが。それが今欲しい」
びっくりするほど曖昧な要求が続き、旭はさらにぽかんと口を開けるしかない。それでも旭は真面目に考えた。
昊との四年の付き合いは、長いようで実際は短い。旭は昊をいじめる自分が好きではなかったし、周りの人間に見られていないところでは極力自分から彼に会おうとはしなかった。時々昊から会いにきたときは二人きりになることもあったが、それもほんの数えるくらいだ。
そんな時間の中であったことといえば、くだらない会話をしたり、むしろ旭から拳の四、五発を与えたりしたくらいで、共に出かけた経験もろくにない。もちろん、昊から何かをもらったことも無い、はずだ。
「いや……あんたが一番わかってるでしょ。何もないって。アタシ……アンタから何か受け取ったことなんてない」
困惑気味に旭が言うと、昊は「ふむ」と顔に似合わないため息のようなものを出しながら唇を若干尖らせた。
そもそも、何故そんなものが欲しいのだろうか。疑問はいくらでも湧いてくるが、助手席から放たれる殺気がそれを問うことを許可してくれるとは思えなかった。
「コイツがあると言ってるんだ……何かしらあるだろう。とっとと出さないと終わらない」
「そ、そんなこと言われても、アタシ……」
夜の苛立ちが募っているのがわかる。
「オレより昊と付き合いが長いんだ……なあ? 小学校からの知り合いなんだろう?」
彼女の口ぶりから数時間前の病室でのやりとりが思い出される。彼女がどうでもいいと話を終わらせたはずなのに、苛立ちからか、また蒸し返している。
何と返答するのが正解なのだろうか。きっと今の彼女なら旭が何を言っても――
「だから……そんなのないって……」
「随分付き纏っていたそうじゃあないか……それに、貰わずとも昊のものを手に入れる方法はある」
「な、なに……? 盗ったって言うの、私が? そんなことしたことない……ッ」
「お前の言葉に信用はない。昊の思想をおかしくしたのも酒臭いお前くらいしかいない」
「何度も言ってる! 昊から何ももらったことはないし、アンタのいう昊に変なことを教えたのもアタシじゃない! そんなことする理由もないッ!」
ヒートアップした旭が叫ぶと同時に場の空気が固まった。
「黙れ」
ずっと腕を組んで微動だにしていなかった夜が目を見開いて振り返ると同時に、旭の視界が暗くなる。ガクンと首が後ろにのけぞった。
「ンッ……ぐっ……!?」
顔面を夜の掌で掴まれているとわかるまでそう時間はかからなかった。力が入った指先が旭の頬に食い込む。指の間から、彼女がゆっくりと体を動かして助手席から身を乗り出してくるのが見える。
「何も理由がなかった分際で……昊を殴っていたのか……あんなに……なんの罪も無いような……良い奴を……その手で……」
聞き覚えのある金属音がして、旭は塞がれた口の奥から悲鳴をあげた。同時に夜が何をしようとしているのかが見える。
旭を捉えている方とは逆の手で刀の鞘を握っていた。親指で刀の鍔が持ち上げられ、ほんの数ミリ刀身が見え出す。
このままいけば、病院で回避した運命の皺寄せのように、旭は切り捨てられるのだろう。
暗闇で爛々と光る夜の目に力が入る。こんな時でも、旭の頭にはどうすれば自分が助かるかの思案に支配されていた。
夜の手が刀の柄の方に持ち替えようとした寸前、旭の顔を握る夜の手に一際力が入った。ここまでかと身を縮こませて目を閉じたが、想像していた痛みはやってこない。
それどころか、旭は夜の手のひらから解放された。
「がァッ……!」
苦悶の声が耳に飛び込んできた。旭が目を開けると夜は助手席で腕を抱えてうずくまっていた。背中が震えて、痛みに耐えているような小さなうめき声を上げ続けている。
「若いな……誓いを破るとどうなるか警告したろう」
昊が呆れたような口調で言い、悠長に夜の様子を眺めている。
何が起こっているのわからなかったが、旭の臆病な体は勝手に行動を起こしていた。
車内から飛び出した旭は、なりふり構わず走り出した。現在地がどこなのかもわかっていなかったが、とにかく安全なところへ向かうために、ただひた走った。
・ ・ ・ ・ ・
◇異世界◇
久しい実家の自室は、アノネに幼い頃の懐かしい記憶を呼び起こさせた。
努力して完成させた高度な魔法が完成し、年上のライバルの膝を挫してやった大学時代。
血反吐を吐いて努力し、兄弟の学年すら追い抜いて飛び級することが決まったジュニアハイスクール時代。
学校のテストの順位、スコアが悪いと何日も水以外を口にできなかったエレメンタリースクール時代。
当時全ての努力の記憶が、このアノネの部屋には残滓として残っている。
机にこびりついた唾液の跡、岩剥き出しの冷たい壁、天井から床まで嵌め込まれた細かい目の柵。そして、アノネの足につけられた太い鎖は、当時の記憶と同じ壁の位置に繋がれている。
努力が実るようになってからはこの勉強部屋に閉じ込められることもなかったが、いた時間のトータルで比べてみれば実家の本館にある方のまともな自室よりも、この檻の中のほうが愛着があるような気もした。
「どうしてあんなことをしたんだ」
檻の外、この地下から出る唯一の階段の脇の松明の下に男が一人寄りかかっていた。アノネをサプリングデイで見つけ、この実家に連れ帰った兄その人である。
彼とは実に一年半ぶりの再会となったが、アノネによく似た憎まれ口は変わっていない。
「あんなこととは?」
「忘れたとは言わせない。あれはアステラでもなかなかしないテロ行為だった」
アノネはこの場所に戻ってきた今、もう何もかもがどうでも良くなっていた。この世の終わりが確定したような気分。逆に冷静で、しかし鈍く思考が回転している。
同じく落ち着いていながらも、冷ややかな苛立ちを隠そうともしない兄は、近づいてきて檻の柵に手をついた。
「何故大学を爆破したんだ」
「わからないでしょうね。あなたはあの時あそこにいませんでしたし」
「そうだな。代わりにあの場にいたお父様とお母様は重傷だったよ」
自社の魔法薬ですぐに治したくせに——とアノネは口の中でつぶやいた。
一年半前のアノネの家出は壮絶だった。
当時、弱冠十三歳のアノネは飛び級で入学した大学で開催された魔法決闘大会に参加していた。事件はアノネが進出した決勝で起こった。アノネが一発目の魔法を放った時、膨大な魔力が暴走を起こし、大爆発によって大学の決闘場が焦土と化した。
優秀な魔法士の揃う大学だったおかげで防衛魔法や防魔システムが駆使され、死人は出なかったが、運悪くアノネが放った魔法の方向で大会を観覧していたキルト夫妻は一時全身火傷によって重体になった。
爆発を起こした本人であるアノネは爆発の直後に失踪し、爆発の調査のために騎士団にはアノネの捜索願が出された。
事件の一連の流れから、アノネはアステラの手に落ち、爆発のテロを起こしたのでは無いかと地元では噂されていた。そのため騎士団動きも、行方不明者と言うよりも容疑者の捜索という雰囲気であったが、半年ほど前に捜査の打ち切りが決まったのをアノネは把握している。
それからは、どこから情報を入手したのか、冒険者ギルドに登録されたアノネのタグ情報経由で兄から手紙が送られてきていたのみで、キルト家どころか地元にすら近づいていなかった。
それがどうして、今になって兄はアノネを見つけたのか。サプリングデイでの出会い頭の言葉からすると、たまたま見つけたという風でも無い。
「この一年半ひとつもなかったのに、一昨日突然お前の目撃情報が入って驚いたよ。てっきりもうのたれ死んだものだと思っていたからな」
「そんな情報で……よく信用してあんな遠い街まできましたね」
「最初に情報を耳に入れたのがお父様でな……オレも信憑性はないと言ったが、結局オレが確認しに行けと問答無用で命令されたよ」
自分たちが決めたことは他人の意見を一切取り入れないのがキルト夫妻の特徴だ。その判断が間違っていることは稀であり、その証拠は彼らが運営するキルト魔法製薬の成長拡大具合から伺える。現にアノネの目撃情報もデマでもなんでもなかったわけだ。
「これから両親が来る。多分その後、騎士団の取調べも」
アノネはぼうっと床を見ていた顔を上げ、兄の顔を見た。一年半前の彼はこんなに喋る人間だっただろうか。こちらも両親と同じように実力至上主義でアノネに対しては全く関心がなかったはずだが――
「その後は……」
冷ややかな表情は変わらないままだが、一瞬口をつぐんだ彼の額にわずかに汗が滲んでいるような気がした。
「お前……殺されるぞ」
「それがわかっていてあなたもこの家に連れ戻しにきたんですから、お優しいことですね」
兄からの手紙は、そのほとんどを燃やして処分していたが、過去に一通だけ読んだことがある。内容は「冒険者ギルドなんかに登録してないで、西の大陸に逃亡しろ」といった内容だった。自分を捉えるための罠だと思ったアノネは、こうしてまだこの狭い大陸にとどまっていたわけだが……
今思えば、あれは罠などではなく純粋に兄がアノネの身を案じた結果だったのだろうか。
その疑問をアノネが口にすることは無いが、兄もまたそれを問いかけたとしても答えは返ってこないだろう。
「オレをコケにしたほどのお前が、易々と尻尾を出したことが腹立たしい」
「じゃあ、良かったですね。もうすぐいなくなってあげますよ」
あれだけ逃げ回っていた期間がありながら、捕まってしまってからはそんな気力もすっかりなくなってしまっていた。アノネの技量ならばまた逃げようと思えば逃げられるのに、それを行動に移さないのはこの体に染み付いたキルト家の偉大さと恐ろしさの記憶のせいだ。
どれだけ抗っているつもりでも、結局は親の言いなりになってしまうところが、アノネには呪いじみた運命に思えた。
もう口角もまともに上がっていない顔で皮肉混じりに笑いかけられた兄は、アノネから目を逸らし、階段に向けて歩き出した。
話はこれで終わりだろうと床に目線を戻したアノネだったが、「ああ、あと」と兄が振り向きもせず続けた。
「逃げる時に一緒に持ち逃げしたあの魔法杖。失くした言い訳も考えておけ」
今度こそ歩みを早めた兄は地下牢から去っていった。
ぼんやりと兄の言葉を頭の中で反芻し、ソラに押し付けて置いてきた貸し出し用の魔法杖のことを思い出した。それから自分の元々持っていたあの特注の魔法杖を思い出す。
すっかり存在が頭の中から抜けていたが、サプリングデイの修理屋に出したまま、あの街に忘れてきてしまった。




