50.制作者
2022.2.14:大幅加筆修正
○神界○
彼の来訪によって悩みの種が増えたユーリアシュが訪ねてきた時、数百年振りに天命帳を引っ張り出した。
この世界のシステム上、天命の変更など滅多にない。定期的に行っている天命会議も形式的に開いているだけで、各神の現状報告の場になってからは持参する必要性を感じなくなっていたため、天命帳はその存在を忘れるほどの期間は適当な引き出しの中で埃をかぶっていた。
しかし、ユーリアシュががっくりと肩を落として帰ってから、天命帳は引き出しの中に戻ることはなかった。
ホクトナントは天命帳を片手に、その中の一ページの内容を繰り返し読み返す。そして、より古い記録のページに戻り、その一ページと見比べる。そして、比較の結果に満足すると、薄く微笑みながらカラメル色の髪に手櫛を通した。
この一ヶ月弱、観光好き、または観光狂いの自称を覆すほど、一歩も神界から出ていなかった。そんなことよりも面白いことがこの世界にある。
お気に入りのクッションを撫でて悦に浸っていると、ホクトナントの家の外から甲高い悲鳴が聞こえてきた。それを聞いてさらに機嫌が良くなる。
一度だけでなく不定期に上がる「きゃー!」とか「危ない!」などの悲鳴が全て杞憂だと分かっているからだ。というか、知らないとはいえ、まあまあ距離があるはずの「ゴシュベール」からこの神殿までつんざく悲鳴を上げられる彼女がすごい。
あれだけ彼が見れないと嘆いていたのに、タフにも頭を使って下界の様子をマメに観察している。
それを微笑ましく思いつつ、それでも創造神を手伝うことはしない。
もう一度天命帳を開いて、間違ってもそのページの文字を汚してしまわぬよう注意しながら指を滑らせる。
天命帳にはこの世界の全てが載っていると言っても過言ではない。そして、それを唯一読むことができるホクトナントもまた、全てを知っていることと同義である。
ユーリアシュが求める情報を知っていたとしても、それが天命であるならば、彼女にその情報は開示しない。
・ ・ ・ ・ ・
◇異世界◇
「猫耳少女に変形する椅子を嫁にするとかやるな~スキート」
「何を言っている、ワタシの妻は猫足椅子のチェルシーだ。猫などではない!」
「いや、猫だったよあれは!」
「椅子だ! ワタシが愛したのはあの素晴らしい造形をした椅子だ!」
「……正気になってくださいよ、無機物と結婚できるわけないんですぞ」
「作者に了承はもらった!」
「本人は!? 椅子にはどうやってプロポーズしたの!?」
「あぁもう、移動中くらい静かにできないんですか……」
移動中だからこそ恋バナに花咲かせてるんじゃないか。
俺の目が覚めてから一時間半、スキートの提案に乗って早速馬車に乗り込んでから一時間。アノネちゃんの機嫌が最低まで悪くなってから四十分。フェルムが馬車酔いして三十分。それくらいの時間をかけてようやく生い茂る木々の間から見えてきたのは、昨日見たスキートの屋敷とは一風違った古い洋館だった。
いや~、「強制ジェットコースターbyアノネちゃん」やらされて、気ぃ失って、目覚めたら色々と運良く美味しそうな話があったから飛びついてみれば、思っていたよりも面白そうだ。
ここは広いサプリングデイの中でも、これでもかという密度で大木が生い茂った地域だった。
スキートの世間話によると、あまりにも木が多いかつ広大な土地ではあるが、かなりの年月関係者以外の手は加わっていないらしい。なんでも、大昔に資産家に買い取られたそうだ。その後は最低限馬車が一台通れる道と、洋館一軒を建てられる分の木を切り開いたっきり、森の方は手付かずとなっている、らしい。
全て聞いた話だけど、もう今体験してる。
俺、ウィウィ、アノネちゃん、フェルム、スキートが少々窮屈に乗った小さめの馬車でさえ、少し馬がよろければ馬車の屋根が道沿いの木につっかえてしまいそうなほどに道が狭い。
おかげで、ギルドからそこまで距離はないにもかかわらず狭い道をノロノロと小一時間かけてここまでやってきたというわけだ。
歩いたほうが早かったんじゃねーの?
「ここの家主は、いつも馬車で来てくれると嬉しいというんだ」
来てほしくないくらい嫌われてたりしないよね?
これから会うあの洋館の家主は、噂のスキートの嫁“チェルシー”を作った張本人らしい。スキートの古くからの友人だそうで、どんな変人が出てくるやら。
期待しちゃうな~~~。とんでもないド変態だったらどうしよう。共感しちゃう。
――と、浮き足立つ俺とは裏腹に、アノネちゃんとフェルムの表情は硬い。
まあ状況的に、スキートが無実になってしまったからには、俺たちが人攫いの現行犯を見た(というか体験した)あの椅子しか怪しいものがなくなる。その作者に会いにいくというのだから、もしかしたらそいつが今回の首謀者かもしれない。
そんな人物に、勇者の代わりに合わされるんだからフェルムたちの内心はたまったものじゃないだろう。フェルムは馬車酔いも合わさって、さっきから生きた人間じゃない顔色でぼーっと窓の外を見ている。木しか見えないだろ。
ちなみに、何でそんな重要人物を騎士団ではなく俺たちに紹介してくれるのかとさっき聞いてみたら、俺たちがスキートのお気に入りであるヨルの仲間だからだそうだ。さすが変人と呼ばれるだけの度胸はある。
いいの? 国家反逆罪とかにならない?
「そういえばずっと気になってたんだけど、ヨルに嫁を破壊されたのにそのことについては怒ってないわけ?」
恐る恐る問いかけると、スキートは「破壊?」と首をかしげた。
「彼が破壊したのはそれは猫人族に変形する他の椅子と家だけだろう? 私の本物の妻はきちんと私のマジックバックの中に収まっているよ」
さっきからうたた寝しているウィウィを膝の上に乗せて黙りこくっていたアノネちゃんの肩が跳ねた。明らかに「は?」という顔をしている。
「さっき言い損なったが……やはり諸君らはパーティー中何があったか知らんようだな。地下に閉じ込められていたのだったか」
「よく知ってんね」
そういえば、スキートのいう通り罠にハマって地下に落ちた俺たちは、その後の地上の出来事を何も知らない。たまたまそこでパンプにあって重要な情報が手に入ったから気にしていなかった。
けれど、よくよく考えてみれば、ヨルが屋敷を俺たちの救出だけのために破壊したことがそんなに問題になっていないことがおかしい。
「パーティー中――正確には、君たちと話した数十分後だ。次の催しの準備も終え、マジックバックに収納していた妻と会場に戻った時、屋敷内で爆発がおこった」
パンプじゃん。爆発といえばパンプじゃん。
予想が当たっているかはともかく、爆発で騒然としている会場に現れた首謀者と思われる男の指示で、一人でに動き出した大量の会場の椅子にスキート含むパーティーの参加者は取り囲まれて逃げ場を失ったらしい。
そこにたまたま現れたのが、俺たちを救出しに屋敷の外壁をぶち抜いて侵入してきた勇者。包囲していた椅子の一部がその際瓦礫に押し潰された隙に参加者は勇者に感謝しながら屋敷から避難した、らしい。
「……不思議だったんだけど、アイツは何であのベストタイミングで俺らのこと助けに来たわけ?」
「……はは」
返事を期待してフェルムの方を見たけれど、グロッキー無表情で窓枠に寄りかかる彼から返ってきたのはよくわからない笑いだった。
まあ、その口からゲロが出てくるよりはいいか。
だいぶ長い話が一区切り付き、フェルム越しに窓の外を見ると、ちょうど洋館の前で、馬車が停車したところだった。進むスピードがあんまりにもゆっくりなものだから、減速したことすら気がつかなかった。
アノネちゃんが不機嫌なまま膝の上のウィウィを突いて起こし、俺はその手を折れてない方の手で撮りながら馬車を降りた。
レベルアップさえできれば怪我も治るんだろうけど、最近は経験値の貯まる戦闘もしていなかったから我慢するしかない。
「うぷッ……」
「フェルムはく?」
振り返ると、馬車に降りた拍子に吐きそうになっているフェルムが口を抑えていた。
「大丈夫か? 酔い止めある?」
「い、いや……おかしいな……普段は……こんなに酔わないから」
フェルムに肩を貸そうと差し出す。フェルムは手をかけようとした寸前で俺の腕の怪我を思い出したのか、手を引っ込めてしまった。別にいいのに。
「薬が必要なら心配ない! きっとすぐに手に入るさ」
なんとか自立したフェルムの肩を代わりに抱いたスキートはローブを翻して目の前に立つ洋館を指した。
確かに、頼めば酔い止めくらいは貰えるんだろうか。
昼間でも薄暗い周囲の森と、その外壁に分厚く這う蔓も合間っていかにもな雰囲気を放っている。黒を基調とした扉を一歩越えれば、一人でにものが動き出して来館者を襲いそうな――そんなホラーゲームに出てくる定番のような建物だった。
これは変人というよりも、マッドサイエンティストが住んでいてもおかしくない。それか幽霊。
「……出迎えなし?」
馬車を降りても、洋館から誰も出てくる様子はない。
「ここの主人はそういう方針の人間だ」
人間。スキートのように吸血鬼仲間とかではないようだ。
ふふんと鼻を鳴らしたスキートはノックもなんの合図もなく洋館の入り口を勢いよく開け放った。この世界には親しき中にも礼儀ありといかいう諺はないらしい。
「やー、レデイ! 大親友が貴様の血をもらいに来てやったぞ!」
ズンズンとその奥へ行ってしまうスキートとは裏腹に、残された俺たちは顔を見合わせて、その後に続いて洋館の中に入った。
鉄枠で飾り気のないシャンデリア吊るされたエントランスに立つ。それ以外は清潔な白の壁紙が貼られ、シックにモノクロで揃えられた柱時計やソファがぽつぽつと置かれてる、外見の幽霊屋敷とはまた違って洒落た感じだ。
これじゃあ、幽霊は住んでなさそうだ。
スキートを先頭にそのまま正面の階段へ進もうとしたとき、手を繋いで歩いていたウィウィが立ち止まった。
「どうした?」
顔を覗き込むと、うたた寝からの起き抜けで開ききっていない目の代わりに、スンスンと鼻を鳴らして周囲の空気を嗅いでいた。若干眉間に皺が寄っている。
「……くさい」
「え!?!? ごめん!!!」
「ソラじゃなくて……えと、アノネのにおいをもっともっとすごくつよく? したみたいなへんなにおいがする。ツーンって」
「そう?」
ご存知の通り俺の鼻が花粉症が原因で詰まって使い物にならない。無駄だと分かりながらも深く息を吸い込んでみる。結局何も感じなかった。
・ ・ ・ ・ ・
ウィウィに遠回しに「薬品臭い」と言われ、アノネはさらに不機嫌になった。しかし、苛ついたというわけではなく、どちらかといえば気落ちしたと表現する方が正しい。
ソラを地上四百メートルから落としたことを、まだ根に持たれているのかもしれない。ウィウィに懐かれていたという自覚はあったため、逆に嫌われたのかもしれないと思うと不思議と心にダメージが来た。
実際、さっきの馬車の中では膝の上を占領されて彼女がうたた寝するまでソラを落としたことを何度も拙い言葉で叱られていた。これで相手が学校の教師だったら、大の大人でも半泣きになるまで反論してやるが、ものの道理が曖昧な女児(年齢的には同年代だが)相手にはどんな理論をぶつけても空振りをするだけだと分かっていた。
そんな気落ちした気分と、多少の罪悪感から馬車の中では大人しくしていたが、当の被害者になりかけたソラは何事もなかったかのように目を合わせてくるし、話しかけてくる。怒るでも大丈夫と強がるわけでもないなんて、どんな神経をしているのだろうか。
ソラの性質と考えを計りかねているアノネとしては、彼がさらに接しづらい存在になってしまった。完全に自業自得ではある。
ため息の後に息を吸うと、確かにウィウィのいう通りのキツい薬品臭が一気に押し寄せてきて、思わず途中で呼吸を止めた。臭いからわかる薬草や薬品の成分が頭の中で勝手にリスト化された。
家主が椅子の作者と聞いていたため、大工やデザイナーを想像していたが、この様子だと医者の方が合っている気がする。
スキートは誰の案内も無しに館の中を突き進む。先程の言葉からすると、長い付き合いの友人なのかもしれない。変人と名高いスキートの友人と想像するだけでうんざりする。
長い廊下を進み、扉を開け、また階段を上がってすぐの部屋の扉を開けた。
「あっ」
アノネが部屋の中を見る前に、室内で誰かが声を上げた。家主か、それとも使用人かと視線を上げ、予想通りエプロンドレスの裾が見えた。
「ヤバ、客来んの忘れてた」
「いや、いいんだ! それよりも奥に通してくれるか?」
使用人らしからぬ言葉遣いに引っかかり、その顔を睨みつけた――途端、アノネは反射的に使用人に向けて予備の杖を具現化させていた。
「え? うわっ!」
「ひぇっ」
遅れて気が付いたソラとウィウィも驚き、とっさに身構えている。フェルムは、目を見張るだけで精一杯のようだ。
「……何よ?」
武器を向けられ、柳眉を曲げた使用人の女は恐るでもなく笑うでもなく不審そうにした。
その女には見覚えがあった。何度も見た、というよりは何体も同じものを見せられたせいで頭に焼き付いていた。
「すげぇ! 猫耳黒髪美少女ゴーレムにメイド属性が追加された!?」
ソラの余計な一言のせいで、鮮明に思い出すことができた。
肩口までの毛先の跳ねた黒髪、三角の耳、腰の付け根のまさに尾骶骨から伸びる長い尻尾。紛れもない猫の特徴ではあったが、アノネは彼女を猫人族とは思えなかった。
その特徴の全て、昨日のパーティーを引っ掻き回した“椅子ゴーレム”そのものであったからだ。
「飽くなく燃やし尽くす大地の――」
敵の排除のために魔力を練り詠唱を始めると、フェルムが制止の意味を込めて腕を掴んできた。真っ青な顔でブンブンと顔を横に振っている。声には出さず、口が「やめて」と動いていた。そして、「あれはホンモノ」と続いた。
本物も何も、敵なのは分かっているから止めるなと手を振り払い、女の方を振り返り、今度は何もできずぽかんと口を開けることになった。
「この子に敵意はないから、どうかその杖を私の愛人に向けるのをやめてもらえないかな?」
アノネは驚きすぎて杖を持つ手の力が抜けてしまい、意図せずかけられた言葉に従うことになった。
猫人族の女の後ろには、また新しい人間がいた。そう、ただの人間。女よりも頭ひとつ半ほど大きい高身長ではあったが痩身。雪よりも透き通った白い髪がまっすぐ首筋に沿って流れていた。細い白枠の眼鏡が、同化するほどに、肌までもが白い。全身が彫刻のようだった。
深窓の令嬢――という言葉が浮かぶほどに儚い雰囲気を放っていたが、その体格と顔立ちからかろうじてそれが男であると分かった。
「…………????」
アノネはただただ首をかしげた。目の前の――正確に言えば四メートル離れて、かつ猫人族の女の後ろにその男はいたが、あることについての理解が追いつかなかった。
素直に言うことを聞いてくれたアノネに対して、眼鏡の男は微笑んだ。その顔は、恐ろしく美形だった。
いや、美形なんて野蛮で抽象的な言葉では片付けられないほど、その顔は完璧の整っていた。
「すげーイケメン……」
ソラからも呆然としているところから見ると、あれはアノネの幻覚ではないようだ。
イケメンという言葉すら、アノネからすると当てはまっていない。
ヨルが「思わず見惚れてしまうような“イケメン”」だとするならば、この眼鏡の男は「憧れを抱くのもおこがましいほどの“神の芸術品”」と形容できる。もはや人間の表現には当てはまらない。
「ありがとうお嬢さん。さあ皆、奥へどうぞ」
「ハーブティーを頼む!」
「貴様はただ静かに座ってろ、スキート」
猫人族の女の肩を抱いたまま、眼鏡の男は踵を返して部屋の奥のドアを開いた。
これまた調子の変わらないスキートの後に続いて、アノネは口を半開きにしたまま足を進めた。




