5.出会いなどなかった
俺は必死に冷静に冷静になった。何言ってんだ、落ち着こう。
気を失っている女の子をもう一度見下ろした。
胸が上下しており、息をしているのが確認できた。ちゃんと生きているらしい。
肩下までの長さの灰色がかった髪は少々荒れており、乱れている。そんな乱れた前髪から覗く閉じた瞼は長い睫毛に縁取られている。ちょっとかわいい。
着ている……というか、纏っていると言った方が正しいような服は、ほとんどボロキレと言ってもいいほど薄い毛皮だった。所々破れていていて、土色に煤けている。そのまま視線を下に動かして見える服からスラリと伸びる脚はとても細かった。脚だけでなく力なく横たわったその全身はひどく痩せていてなんだか痛々しい。
そしてなによりも俺が一番身を引いた彼女の特徴が二つ。
その頭に、獣の耳が生えていたのだ。そして、腰からは萎れたようにだらんと伸びるふさふさの大きな尻尾が生えていた。
俺はその二つの特徴がある動物のものだと確信した。だって俺とお揃いなんだもの。
だったら、このこの子も……そうだっていうのか?
この世界で最弱の種族である、狼族だって……
俺がその事実に驚いて固まっていると、女の子の睫毛が小刻みに震えた。一度力がこもったたかと思うと、ゆっくり彼女の目がゆっくりと開いていく。
開いた目の奥にあったその瞳が綺麗な金色をしているのに気がつき、俺は思わずそれをじっと覗き込んでしまった。
かわいい。
女の子は虚ろでまだ覚醒しきっていないその目の視線を右左に彷徨わせ、やがて俺にその焦点が合った。じっと俺の顔を見つめたまま少しの間ボーッとしていると、だんだんと女の子の瞳に光が戻っていく。
「――ッ!?」
すると、覚醒した女の子は、突然カッと目を見開いた。瞬間、飛び起きて細い手足を必死に動かして俺の腕を振り解いて立ち上がる。
「~~~ッ! ~~~~、~~!?」
なんだなんだ!?
突然女の子は早口で何かを言ったかと思うと、その瞬間その体がピンク色の爆発と煙に包まれた。先ほどのミミックが女の子になった時の爆発と似ている。
煙は一瞬で晴れたが、そこから飛び出したのは女の子ではなく、小さな白兎だった。
俺が状況が読めずに呆気にとられている間に、その白兎は大焦りといった雰囲気でまさに脱兎の如くぴょんぴょんと走り出した。その際に鈍色に光る何かを落としながら、ダンジョンの部屋の出口である通路の方へ行ってしまう。
に、逃げた!?
状況から考えてあの白兎は女の子と考えていいだろう。
でもなんで逃げんの!? 俺、そんな不審者フェイスなのか!? 不審者から一目散に逃げるとかめちゃくちゃいい教育受けてんな!
俺は急いで立ち上がって白兎の後を走って追おうとしてハッとして足を止めた。
あれ!? この感じ女児を追いかける変態みたいじゃないか!? 俺は彼女を追いかけていいのか!?
元の世界の倫理観に自分の行動が抵触しないか頭の中でぐるぐると考えている間に、あっという間に白兎はダンジョンの奥へと姿を消してしまった。
入り組んだダンジョンだ。今から追いかけても見つけるのはきっと難しいだろう。まあ、俺みたいなのが白兎追いかけて不思議の国のアリス状態になっても、誰も得しないからな。
あっという間の出来事だった……しかし一つ気がかりなのは、女の子のあの体のことだ。いやらしい意味じゃなくてね。
あの子、狼の特徴をしてたってことは今の俺と同族ってことだし、それにあんなに痩せて弱った状態で一人で大丈夫なんだろうか? そんな女の子がこんな(たぶん)深いダンジョンにどうしてミミックの姿になっていたんだろう……というかなんでミミックやウサギに化けられるんだろう。
いろいろ疑問はある。しかし、それは直接本人に聞く他ないだろう。
白兎が消えた通路を眺めて思考していた俺の視界の端で何かが川の光を反射して光った。そういえば、兎が逃げるときに何かを落としていた。それに歩み寄り小さなそれを拾ってみる。
すごく小さな鈍色に光る歪な菱形の板に、銀のチェーンの輪っかがついている。ネックレスだ。あの子の持ち物だろうか。
俺はそのネックレスをポケットにしまって、拳を強く握った。同時にある決意が胸に沸く。
よし、今後の方針決定。
ひとつ、俺は死なずにこのダンジョンを出る!
ふたつ、その道中でダンジョンを探索しながらあの女の子を見つけて話を聞く! その時にネックレスを返せたらヨシ!
こればっかりは避けてはいられない。異世界で生き抜くためには情報を得ることが必須だ。だからこそ、今回の辞書アプリのパワーアップが大きな俺の武器になることになる。うまく使っていくために、さらに機能を知り尽くす必要がある。今度はただテンションを上げるだけではなく本気でやる。
俺はその場に改めてあぐらをかいて座り、愛着あるスマホを睨みつけた。こいつを現代人らしく華麗に使いこなしてやる。
―――数十分後。
ちょっと長いスマホとの格闘の末、大きな収穫がいくつか合った。
まず、アプリを使い倒しているうちに辞書の操作をスムーズにできるようになった。それごときかと思うかもしれないが、予想外の大型アップデートにより結構操作方法が変わっていたので改めて機能を調べようとしていたら結構てこずったのだ。しかし、今ではいざという時にもたもたするなんて事態が起こることはなくなった。
そうなるのに大きな一因として活躍したのは、なんとこのスマホの人工知能だ。あまりに操作が難しいのでもたもたしていたところに『人工知能による操作アシストを実行できます』と“おしらせ”が来た。
これによって、俺が自ら画面操作する手間が大幅に減った。なんて言ったって、この人工知能も辞書同様に異世界マジックなアップデートされたおかげで、俺が頭の中で命令するだけで思った通りの操作をしてくれるのだから。それに、鑑定したときの文章を自動で読み上げてくれたりするのだ。
なんて人をダメにする最高の助手だろう。
そしてこの機能によってさらに分かったことがある。
鑑定したものの中にたまに意味のわからない単語があったりすると、その意味をさらに辞書引きできた。さすが元辞書。アップデートはこの世界の常識がさらに追加していたらしく、俺に様々なことを教えてくれた。
まず、床や壁を鑑定したときに出た“サルギナ大迷宮”というなんとも心躍る単語。辞書引きしてみると、詳しい情報が判明した。
サルギナ大迷宮とは、この世界の三大迷宮に入る大型ダンジョンの一つということ。フロアが硬い鉱石で覆われており、未だ踏破者の出ていないほどのとても難易度の高いダンジョンらしい。
まず、俺が今そんなところにいるっていうことに戦慄したよね。“じょばんのまち”すっ飛ばしてラストダンジョンに放り込まれた気分。
ちなみに、ダンジョンの中の通路ではない開けた大きな部屋のことをルームと呼ぶそうだ。この世界の豆知識。
つぎに気になった単語が、狼やミミックを鑑定した際に出た“魔物”ね。
この世界の魔物は、食用と否食用の二種類がいるらしい!
……なんか食いしん坊みたいなこと言ったな。
他には、魔力を持っていて魔法を使えるものもいるとか進化することができるとかのラノベ通なら簡単に想像できるような情報しか載っていなかった。やはり魔物について知るには、魔物自身を鑑定した方が早いようだ。これは後でやるつもり。
そして最後に鑑定したのは“俺”。自分を鑑定したらどうなるんだろうと思い、実行してみるとちゃんと鑑定結果が出てきた。
ユーリアシュは、俺は狼になってしまったとしか言っていなかったが、鑑定結果にはこう出た。
【ウェアウルフ:狼族の一種。人間の姿に加えて狼の耳や尻尾、歯などの狼の一部が出ている。時にスライムにも負けるほどの非常に低い戦闘能力が特徴。獣人の姿をしているが、進化をすることができる】
うっせーよって話よ。
ユーリアシュに話を聞いても信じ難かったけど、辞書に載ってるってことはこの世界の常識レベルで本当の話なんだろうな。狼がクソザコってのは。
こんなにかっこいい雰囲気の漢字してるのに……狼。
それにしても、狼族の一種ってことは、俺である“ウェアウルフ”以外にも狼にはたくさん種類があるってことだよな? 進化できるってのもかいてあるし……これは今後に期待だな。
そして、サラミ……さらに!
テンションを上げないと誓った俺のテンションが爆上がりした大発見があったのだ!
俺は抑えられないニヤケを浮かべながら、いったん辞書アプリを閉じてスマホをホーム画面に戻した。
そして数回横にスワイプして目的の画面までいくとあら不思議。元の世界でインストールした覚えのない一つのアプリが追加されてたのだ。
そのアイコンの下に書いてある文字は『STAT』……そう、ステータスッ!!
異世界特有、自分の能力や状態を数値化したり文字にしたりして見れるアレ!
大好きですユーリアシュさん!
それより俺! なんで最初にスマホいじった時に気がつかなかった俺! 普通に一番求めてたやつあったじゃねーか俺ェ!
これ見つけた時に俺が無意識に取っていたのは、またガッツポーズだった。すぐに恥ずかしくなってやめたけど。
最後に取っておきたくて、まだ一瞬開いただけでよく見てないんだ。ショートケーキの苺も最後に取っておくタイプだから。だからこれが初見……
俺は意味もなく慎重に人差し指でSTATアイコンをタップした。
アプリはスムーズに動作し、瞬時に画面が開かれる。そこに現れた文字の羅列は、まさに俺の求めていたものだった。
―――――――――――――――――――――
種族:人間・ウェアウルフ Lv.12
攻撃:29
魔力:26
防御:7
俊敏:68
知能:21
幸運:25
【技能】
ポーカーフェイスLv.1・反射ァッ!Lv.1
【身体情報】
殴打耐性Lv.7・衝撃耐性Lv.3・精神的苦痛耐性Lv.9・溺没耐性Lv.4・腐食物消化Lv.3
【称号】
ユーリアシュの使者
フィフティマの被害者
――――――――――――――――――――――
いろいろツッコミを入れたいが、いったん自分が異世界に来たことを改めて実感できたので、いったん深呼吸。
――ああ、嬉しいッ!!
はい。おちついた。
さて、俺が俺を把握できるこのステータス画面。思っていたよりも細かく自分の能力の数値が分かるらしい。しかし、この世界の平均は知らないが、ほぼ二桁というところと自分が狼だということからかなり低い数値なんだろうな。
……知能21だけが解せない。確かに元の世界で受けてた定期考査はいっつも平均より下の点数とりまくってたけど、もっとあるから! 決めつけんなよ!
とにかく、この数値の欄で一番高いのは俊敏の68か。動きが早いってことだろう。確かにさっきのデカ狼に追いかけられた時に逃げた時に追いつかれない程度には速かったからそれは自信ある。わかってるじゃねえの。
……で、一番気になってた技能のトコロ。
さっき“技能”を辞書引きして見たら、技能は、特技の延長。そして魔力を使わない魔法とは別の別の自分をサポートする特別な力のことらしい。人間や魔物関係なく、同じスキルが出たり、一人にしか発現しないものがあったりと、個人個人に合ったものが身につくらしい。
それにしてもなにこのよくわからない単語の羅列。『反射ァッ!』ってなんだよ。なんでただの文字のくせにちっちゃい『ッ』入るくらいテンション高いんだ。これが俺にあったスキルだというのか。
俺は今日一首を傾げた。これが異世界の普通なのだろうか。
とりあえず……解説頼んだ、スマホ!
俺が脳内でお願いすると、スマホは従順に動作して画面を辞書画面にを切り替え、解説を機械音声で読み上げ始めた。
【ポーカーフェイスLv.1:表情を全く変化させないようにして、他人に感情を読み取られないようにできる才能。たとえ突然街中で他人にビンタされても声ひとつ上げないようにできる】
上げるわ。知らない人に急にビンタされたら叫んで倒れるよ俺。
名前がかっこいいから期待してたけど、表情変えないスキルがなんの役に立つんだ!?
クッ……と奥歯を噛み締めた。次は一番期待できなさそうなふざけた名前をしている。
オオトリとしての頼りにする気も失せるが……一応見ておこう、次!
【反射ァッ!Lv.1:自身を攻撃する悪意を持った魔法を跳ね返す。タイミングよくスキルを唱えることで魔法を使用したものへ確実に反射して命中させることができる。一日二回まで、魔法に限らず致命傷に届く攻撃を全て自動で反射する】
はああああッ!!
なんだなんだこのちょっと強そうなマホーは! いやスキルか! 一番ふざけた名前のスキルが一番チートっぽいぞ! 俺有能か!
地面に横たわる勢いで崩していた体勢を、一瞬でバネのように伸ばす。
喜びと同時にユーリアシュに言われたことの記憶が湧き上がってきた。俺を助けるために何か防御系のスキルを引き出した、というようなことを言っていたはずだ。間違いなくこの“反射ァッ!”だろう。いいづらっ。
防御系どころか無敵じゃないのかこれ。魔法を跳ね返すということは……
そこまで把握したところで、俺の頭の中で確信が走った。さっきユーリアシュと出会う前に俺を襲ったデカ狼が死んだ原因は間違いなくこれだ。
アイツは俺を押し倒した時、火球のようなものを放とうとしていた。アレは確実に魔法だ。それを跳ね返す特性を持っているのが俺のスキル、“反射ァッ!”である。これがデカ狼の火球を跳ね返した。
つまり彼は自分自身の炎で死んだのだ。そう考えると、デカ狼の腹部にあった大きな焼け焦げた跡の説明がつく。
なるほど、理解。
弱っていたとはいえ最強の狼が一撃で死ぬほどの威力の魔法をあの時自分に向けられていたことに、ちょっと戦慄する。
でもアイツも腹減ってたらしいししょうがないよな。俺が美味しそうなのが悪い。
俺はもう一度、息絶えているデカ狼に向かって手を合わせた。
お前の死因、今判明したよ。
……さて、この俺にこんな便利&無敵スキルがあると判明したわけだが、これはものすごく使える。だって、これがあればほぼ戦わずして勝つことも可能になるだろう。
これは少し使い方に頭を使わなきゃあな……
【主人公】
脳内テンション高い系男子。
今は一生懸命生きるのが目標。
【女の子】
灰色の髪の狼人間の少女。変身能力のようなものを持っている?
主人公を見て走り去った。出会いなどなかった。
2020.12.28:修正