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カースト最底辺の狼  作者: 睡眠戦闘員
二章:狼的な幸運
48/94

46.世界線バグ

ここからどんどんソラの周りの人物がブッ壊れていきます。お楽しみください。


2022.2.14:大幅加筆修正


 ◆現世◆



 車外で肉まんフェアののぼりが揺れている。それを無心で眺めることで内心を沈めた。


 あまたの武術を取得し、心を沈める術を知っている夜でも、この異常事態に適したものは流石に知らない。ただただ、心の中を無にすることでなんとか涙を堪えた。


「おかしいな。記憶ではそこまで泣くような人間ではないようだったが」

「……どういう、ことだ? というか、泣いてないからな」


 気がつかれないよう静かに鼻を啜って運転席を見た。


 名乗った通り、魔王のように横暴な態度でそこに存在する(そら)モドキは、ハンドルに肘をついて面白おかしいものを見るようにニヒルな笑みを浮かべている。あまりにも憎いその態度への反抗にと射殺さんばかりに睨みつけるものの、彼は全く意に介していないようだ。


「ショッピングモールという公衆の面前ですっころんでも何事もなかったかのように振る舞い、誰もが号泣する感動映画を劇場で見ても心が無いかのように平然としていたじゃあないか……なあ? いい思い出だろ~?」


 夜はただ目を見開いて驚いていた。今魔王が羅列した思い出は確かに夜の記憶にも残っている昊との思い出だった。


 しかし、それは昊本人しか知らないはず。急に異世界からやってきたと主張する魔王が知ることができる機会はなかったはずだ。


「……キモっ」

「驚いて第一声がそれか。ひどいやつだなあ」

「なんでお前がそのことを知っているんだ! ストーカーか!?」

「話のわからんやつだな」


 女子高生に拒絶反応を出されても、魔王はどこ吹く風だ。


「仮にももう一人の昊だ。少ないが、この世界で必要な最低限度の記憶は昊本人のものを受け継いでいる」

「さ、最低限度の記憶にあれが含まれているのか……?」


 愕然として、すっかり平静を失っていた夜はハッとした。気がつけば、夜はすっかり魔王と異世界の存在を受け入れ始めている。


 このままでいいのかと逡巡するが、もしその超常を受け入れなければ昊の無事を否定することになってしまう。そんな心の矛盾が魔王を否定することを拒んでいた。


「信用せんならしないでいいが……なんにしろ薄情なやつだってことはしっかり理解したぞ。お前も素直じゃないな」

「な……なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言え!」


 曖昧な物言いの魔王に痺れを切らし、半ばストレスをぶつける形で怒鳴った。


 魔王はその勢いに少し目を見開いて夜を見つめていたが、やがて、ゆっくりとその顔をにやけさせた。何か悪い予感がしたが、ここで引くと負けな気がしたため、夜は一層魔王を睨みつけた。


 魔王は、大袈裟に言葉を選ぶ仕草をしてから、口を開いた。


「――お前が猛烈に恋してる(・・・・・・・)オレ()が目覚めて、喜びもせず速攻掴みかかってくるんだからな~。本当に素直じゃないったら」

「×□○△~~~~ッ!?」




・ ・ ・ ・ ・




 ◇異世界◇



「×□○△~~~~ッ!?ごほぁッ! ゲホ、ゲホッ!」

「だ、大丈夫ですか、ヨル様!?」

「びっくりしたあ」


 フェルムに懇願されてテント横でゆっくりと夜食をとっていたところ、突然全身に鳥肌が立ち、口の中で咀嚼していた肉が喉に詰まった。


 ヨルは死に物狂いでまだ塊に近いそれを嚥下して事なきを得たものの、早鐘のように拍動する心臓が何故か止まる気配がない。


「い、いま、何かものすごくマズイ秘密を暴露されたような……気がした」

「ど、どういうことですか?」

「ヨル、しぬの?」

「死なない……おそらく」


 最初はこの仕事への不安感かとも思ったが、冷静に今沸き上がってくる感情を整理してみると、それは間違いだと気がつく。


 何かものすごく暑い、というか熱い。顔だ。顔が熱い。


 段々と、その感情の正体がわかっていくにつれて安心どころか戸惑い度合いが上がっていく。


 今、ヨルを支配しているのは“恥ずかしい”という感情。


 そしてもう一つ。何故か、ソラのことが(・・・・・・)頭から離れない(・・・・・・・)……!




・ ・ ・ ・ ・




 ◆現世◆



「な、な、な何を言うんだ! そ、そんなわけがないだろ! オレが昊に、こ、恋してるだなんて……!」


 唐突にも程がある指摘に、夜は憤慨した――が、その顔は真っ赤に染まっている。


 実際図星なのだから仕方がない。そうでなければあんな復讐などという生産性のない行為を実行するほど我を忘れない。それでも完全に自覚していたわけではないので、一見堅物に見える夜だって、改めて他人から指摘されると赤面を免れない乙女である。


「ソラのお前に関連する記憶は多い。振る舞いからどう考えてもこれはオレのこと好きだろ……と思ったんだが、図星か~」

「ぐ……ぐッ! い、言っとくが“お前”じゃないからな! “昊”だからな!?」

「ほお、認めるか! 自分が恋していると!」


 そう言われてさらに夜は顔の温度を沸騰させた。


 彼女にとって痛い真実しか突いてこない魔王は全てを見抜いている。というか、昊の記憶を持っているのだと改めて考えると一層羞恥心が湧き上がってくる。


 今までの昊のとの付き合い方を思い返してみる。自分では全くそんな素振りは出していないつもりだった。それでも、全くの他人から見てそう(・・)わかるというのなら……


 ――まさか、昊本人にもバレているのではないのか?




・ ・ ・ ・ ・ 




 ◇異世界◇



「ぐッ!? ……ガァァアアアァァぁぁぁーーーッッ!!」

「ヨル様ーーーーーッ!?」


 突然全身を謎の羞恥心に貫かれたヨルは、頭を抱えて叫んだ。


 手に持っていた肉の乗った皿を円盤投げの如く遥か遠くに投げ飛ばし、思いっきり海老反りになって悶える。


「ヨル、こわれた……!」


 失礼なこと言うウィウィも、心配どころか若干引いているフェルムも気にしている余裕はない。


 燃え上がっているかのように熱い顔面。黒板を爪で引っ掻いたような悲鳴が絞り出される喉。全身の穴という穴から血を噴き出せそうなほど激しく打ち付ける心臓。強烈な自害欲に飲まれて腰につけた(相棒)に伸ばされかかる手。


 ここら一帯を吹き飛ばすほどの威力で爆死でもしなくては、この羞恥は収まらない気がする。


「うっ、ぐおおおおおあああああああぁぁぁぁッッ!!」

「なっ!? だ、だめですヨル様! 抑えて!」 


 刀を構え、ヨルが使用できる中で一番威力が高く、有効範囲も広い魔法を発動させようとしていることに気がついたフェルムは焦ってその体に飛びかかった。




・ ・ ・ ・ ・




 ◆現世◆



「そ……そう、だとも! それの何が悪いッ!」

「おお~?」


 隠していたはずの恋心を昊に知られていたのは、死を選ぶレベルで羞恥心が襲いかかってくる。


 だが、そうだというのなら、恥ずかしがるなんて今更(・・)だ。


 思い切りの良さだけが生まれつきの取り柄だと自負している夜は、斜め上方向に突き進もうとしていた。


 全く昊と容姿が同じなため、しっかりと見れなくなっていた魔王を真っ直ぐに見据え、胸を張る。


「――お、オレは! 昊が好きだとも! それの何が悪いッ!」


 夜の渾身の宣言を聞いた魔王は、ケラケラと笑ってそり返った。


「ほお、臆病故に愛の告白できてないくせに威勢がいいな~?」

「なっ……臆病だと……そんなことはない! オレは銀行強盗をたおしたこともあるんだからな!?」

「武勇伝か? だがそんなの告白となんの関係もない勇気というやつだ」


 せっかく認めてやったというのに、なんと失礼なやつだろうか。


 魔王を捻り上げてやりたい。しかし、夜はそれよりも今まで他人から賞賛され、自分の自負にもなっていた勇敢さを簡単に否定されたことの方が気に障っている。


「オレを誰だと思ってる! その頭のなかの昊の記憶を掘り起こしてみろ! 度胸なら人一倍あるとも!」

「口だけならなんとも言えるな?」

「そういうなら言ってやる! やってやるとも!」


 口がうまいところだけは昊に酷似している。それに気がつかない夜は頭に血を登らせて、すっかり乗せられていた。


 羞恥心など何のその。すでに昊に想いがバレているのならば、簡潔に、かつ大胆に言ってやる。


 すうっと息を吸って思いの丈を胸の中に溜め込む。一瞬「あれ、オレ何してるんだろう」という気持ちになったものの、構わず突き進んだ。


「もし、本物の昊が目の前にいたのなら、どんな障害が立ちはだかろうと、どんなライバルが現れようと、躊躇わず『オレと付き合ってくれ』って言ってやるさ!もし本当に(・・・・・)昊に会えるなら(・・・・・・・)ばなァ!」




・ ・ ・ ・ ・ 




 ◇異世界◇



「…………」

「よ、ヨル様……? 落ち着きました……?」


 あと一歩でヨルが保有する全ての魔法を絞り尽くして爆裂魔法を直下に打ち込むところだった。


 ヨルは突然ぴたりと動きを止め、膨らみ上がっていた魔力を収縮させていく。


 尻尾を膨らませてテントの影に隠れていたウィウィもフェルムも、脅威は去ったのかとほっと息をついた。


「い……」

「い?」


 ふと、石のように静止していたヨルがスッと刀を横に構えた。次の瞬間にはそれは振り切られており、遥か遠くに霞む巨大な山の頂きが斬られ、消し飛んだ。


 返ってきた衝撃波が、するっとヨルの前髪を揺らす。


「ぇ」


 何が起こったかはわかる。それでも意味がわからないフェルムは、間の抜けた声を出した。


「いかなくては………」


 ぼんやりと呟く。


 ヨルは今、巨大な感情に突き動かされていた。それがなんなのかはよくわからない。


 しかし、どんな障害が立ちはだかろうと、どんなライバルが現れようと、ただ“それ”を実行しなくてはならない。そんな使命感がある。


「ヨル様!?」


 フェルムの声が後方へ飛んでいく。


 気がつくとヨルは走り出していた。もちろん方向はスキート邸のある方向だ。




 ・ ・ ・ ・ ・




 冷たい風と頬の感触で意識が浮上した。


 肩が出ているドレスなんかを着させられたせいで、体が冷えているのだ。裏切り者の勇者が見繕ったドレスなんかを着るんじゃなかった。


 アノネは全身に意識を向けて、痛みがないか確認しながら目を開けた。どこも痛まないが、とても綺麗とは言えないざらついた地面に頬がベッタリと接触していたことに対しての不快感が湧いてくる。


「あ~~~のねちゃん、気がついた~」


 アホっぽい声が聞こえた。体を起こすと大方予想通りの表情をした昊が近くの壁に寄りかかって座り込んでいた。


 パサリと何かがずり落ちる音がして、そちらを見る。そこにはアノネの体に沿って昊が着ていたジャケットが落ちている。彼女が目覚めるまでその体にかけられていたらしい。いらない気遣いをされたことに気がついて、歯軋りをする。怒りのままにジャケットを昊の方に投げ返した。


「元気そうだね~!」

「はいはい元気ですよ……ここはいったいどこですか」


 呑気な昊から視線を逸らして辺りを見ると、床と同じように煤けた石壁が三方を囲んでいた。残りの一方は、太い鉄柵が嵌め込まれている。どう見ても檻の中だった。


 何が起こったのか、記憶を呼び戻してみるが、頭が痛くなるだけだった。椅子が喋ったかと思ったら、探していたカップルが見つかって。かと思ったら、そのカップルに嵌められてこの檻の中に放り込まれた……という一連の流れだが、まったく一貫性がない。


 土埃を払いつつ、檻に取り付いて外を見てみる。薄暗い牢屋には窓は無く、檻の外にある少ない松明のみが光源だ。陰影の濃い通路を見ても、通路を挟んだ対面に同じ牢屋があるのが見えるだけで有益なものは見つからない。当然だが、檻にはしっかり鍵がかかっていた。


「俺も確認したけどガッチリ閉まってんね~……あれ? もしかしてふたりっきり!? ぐへへ」


 ツッコんだら負けな気がしたアノネは何も言わないことにした。


 意識を失う前、最後に覚えていることはあのカップルの憎たらしい笑顔だ。


「アナタ……いつから起きていたんですか?」

「起きてた? いや、俺は別にアノネちゃんみたいに気絶してないけど」

「一言多いんですよ……」

「モノマネ選手権みたいに床開いて落っこちたの覚えてる?」

「その例えは全く覚えがありませんが……まあ、はい」

「そっから直でここに落っこちてきたよ。最初は天井に穴空いてたんだけど、すっぐ閉じやがった。カラクリ屋敷かよって」


 答えたソラは、ゆっくり瞬きをして、呼吸で胸を上下させている。いつもよりどこかテンションは低いのが、違和感がある。


 へらへらしているが、微かな記憶の中で落下していた時間はかなり長かったように思える。罠の中に魔法的な落下ダメージ軽減が施されていたというのならばそれまでだが、それにしてはソラの服の乱れがある気がする。しかし、アノネは無傷だ。


「アノネちゃん~。お話ししようよ~~~。俺ひま~~~~~!」

「ああもう、うるっさいですね!? 」


 違和感の正体を掴みかけた思考はソラの戯言によって簡単に遮られた。


 そして――


「うるさいよお」


 ソラの無駄話も、粘着質で間延びした声に遮られた。自身の悪意、害意を前途受け入れ何も疑わない声。


 二人は同時に肩を跳ねさせた。アノネは声にした方を振り返る。檻の外。柵越しの向かいにまたある檻の中で何かがみじろぎした。松明の光が届いていないせいでよく見えないが、嫌な予感だけが全身に降りかかってくる。


 檻の中の何かは、丸めていたらしい体を伸びをするために体を起こした。動きまで間延びしているようで、それが松明の灯りが届くところに出てくるまでかなりの時間がかかった、ように思えた。


「あっれえ。いいねえ。こんなところで会うなんて、運命だねえ」

「ぱ、ぱぱ……パンプ!」


 こちらの檻を眺める糸目がさらに細まり、パンプは歯を見せて笑った。


 その姿は、頭に少し包帯を巻いていたものの、一ヶ月前とほとんど変わらぬままだった。


 初対面から変わらぬ邪気を孕んだ顔以外、ローブによって露出の控えられた体を動かして、パンプをこちらを振り返った。犬人族を示す垂れた耳が挨拶するようにひょこりと動く。


 騎士団の調査では、あの教会の下からパンプの死体は出てこなかった。おそらくどこかで生き延びているだろうと警戒はしていたが、一ヶ月以上動きがなかったため、すっかりとその脅威を忘れていた。


 あの時の幼女にまで殺気をぶつける気狂いの猛攻。全身が潰れてもウィウィを巻き込もうとした執念深さ。


 あの時のアノネとパンプのせめぎ合いは、結果的に命は助かったもののほぼ戦いには負けていた。あの最後の爆弾はアノネ達の方へ投げることもできた。そうなったら、きっとアノネとウィウィは爆散していた。でも、相打ちはしないというパンプの冷静な思考があったから今のアノネは生きている。生かされたのだ。


「……と、怖がってみたものの、おまえも捕まってるんかーい」


 アノネは信じられないものを見る顔でソラを睨みつけた。よくあんな恐ろしい体験をさせられた相手によくそんな軽口を叩けるものだ。パンプも同じことを思ったらしく、ピクリと眉を痙攣させた。


「その口静かに閉じてないと、そっちの檻に爆弾放り込むよお」

「ヒェ」


 脅しは効果覿面らしい。睨みも効かせていないのに昊は両手で口を塞いで小さくなった。


「ぱ、パンプ……あなた、どうしてこんなところにいるんですか?」


 一ヶ月前のことについて何も思うことがない訳ではないが、この状況だけに構っていられない。


 問いかけると、パンプは素直に敵意なく、薄くアルカイックスマイルを浮かべながら口を開いた。その手は尻尾の毛並みを整えている。


「困りものだよねえ。アステラ本部からの依頼で応援に来てやったのにさあ。狼と間違えられて味方に捕まっちゃったあ。絶対に粉砕してやるよお、あのふぁっきん家具う」


 たくさんのワードが出たが、アノネはその中から重要な言葉を拾い、考え、そして絶望した。パンプはアステラの応援でこの会場に来て、さらに味方に誤って捕まえられた。アノネたちがここに来たのは、人攫いの組織を調査するためだ。つまり……


「ひ、人攫いの組織は……アステラが大元だったんですか?」

「わあ。さすが自称天才。理解だけは早いねえ」


 絶望を肯定され、アノネは表情を歪ませる。いまいちこの世界の事情に疎いソラはピンときていない様子だ。


「あ~。こんなところに落とされた腹いせに……完全に契約違反ではあるけどお、ちょっとばかり誤解しないでほしいことはバラしちゃおうかなあ。うん、それがいいよねえ。人の不幸がアステラの幸せだもんねえ」


 「何よりも、君たちの絶望が見たい」という意味が込められた独り言をぽつぽつと繰り返し、パンプはニヤニヤ笑って続ける。


「まず間違えないで欲しいのはあ、ボク()は気狂い集団の“アズ派”じゃないってこと」

「……一般的に“アステラ思考”と呼ばれる、特に思考がアステラの主の思想に完全に染まった集団のことですね」

「そお、気持ち悪いよねえ」


 カラカラと自分の組織を嘲笑ったパンプ自身は、アステラの中でアズ派より下の階級とされている、所謂雇われとしてアストラに協力している集団の中に位置している。


 だから、正直なところ彼はアステラが滅ぼうと痛くも痒くもない。金と狼の情報を報酬に仕事をしているだけだ。


 パンプのように、ただの仕事としてアステラに協力しているような、比較的思考がまともな者は一定数いる。そちらは、“ノラ派”と区別されている。


 アノネがこの知識を持っているのは、けっして珍しいことではない。エレメンタリースクールから大学まで、果ては冒険者ギルドに加入する際の契約書や説明会でも、アステラの脅威についてこれでもかというほど叩き込まれる。それほど、全世代に注意喚起をしてもしたりないほどの存在だということだ。


「あなたの言動からアステラの主への信仰がないことはとっくにわかっています。勘違いなんてしてないので、ご心配なく」


 いつもの調子で、若干強がりもあったかもしれないが、小馬鹿にしたようにアノネは言い捨てた。それが面白くなかったか、パンプはにやけ顔を真顔に戻して少しの間思案していた。


「――青春を犠牲に過酷な教育課程を経て聡明な頭脳と知識を得たキルト魔法製薬の令嬢さあん。その賢さと見聞の広さならこのことは知ってるのかなあ」


 ビクリとアノネは肩を振るわせる。何も言えない彼女の姿を見て、パンプは満足そうに笑った。


「魔王によって滅んだ隣の大陸のことは、当然わかるよねえ?」

「え、ええ……」


 脈絡のない話を振られ、戸惑いながらアノネはうなづく。


 この世界に住む者なら、伝説のような実話としてその話を聞いた事があるはずだ。親から子に伝えられ、学校の教科書にだって載っている。


 大きな大陸だった。それだけに人口も多かった。人が豊かなら商業業も盛んで、化学というものもこの地よりも進んでいたそうだ。そんな大陸は魔王軍の侵攻を受け、わずかな短期間で人口の五分の一以外(・・)の命が全て奪われた。方法すら、今でも明らかになっていない。


 そう、これは“魔王”に関わる話。アステラとは関係ない。


「とても住める状態じゃなくなったその大陸は、どうなったと思うかなあ?」

「……歴史書では、生き残った人はこちらの大陸に逃げてきたとありましたが」

「違うよお、そんな昔のことじゃなくてさあ。今だよ、()あ。人のいなくなったアッチの大陸は、アズ派が占領して、有効活用してるらしいよお。人攫いを運営してるのは、大陸にいる連中だってさ」

「は!? あッ、あの大きな大陸を……占領!?」


 アノネは表情を呆然とさせつつも、頭は回転していた。いつか読んだ書籍の記録が蘇ってくる。


 近年、滅んだ大陸を再利用して領土拡大を図った国が調査団を結成して現地に行かせたところ、二度と帰ってこなかったそうだ。同じ試みをした団体も、同じ結果に終わった。


 魔王軍の進行後、大陸を囲む海の天候が悪化していたため、今までは調査団の船は嵐に巻き込まれたものとされてきた。しかし、今の話が本当なら話が変わってくる。


 苦労して海を越えて隣の大陸に辿り着いても、そこで待ち構えていたアステラに捕らえられていたとしたら。しかも、殺されるのではなく、洗脳されて仲間に引き込まれているのだとしたら。


 当然、帰ってこられるわけがない。


「最悪すぎるよねえ、こんな事実はさあ」

「たしかに……最悪、ですね……」


 お前がいう感想か、とも思ったが、まだ話はこれで終わりではないらしい。パンプがまだ言いたいことがあるのだと言いげに尻尾をブンブン振って盛り上がっていたからだ。


「……なぜ、こんな話をワタシたちに提供したんですか」

「“ワタシたち”? 違うよお、ボクが親切にここまで説明したのはあ、そこの最弱種に聞いて欲しいからだよお。アノネちゃんはただの解説役だよお」


 自分に用は無いと言われたように感じ、眉を顰める。


「一ヶ月前、アステラの主からの信託があったんだってさあ。内容は『全ての狼を処刑し主に献上すること』。だからアズ派――人攫いどもは狼族の捕獲に躍起になってるんだあ」

「何故そんな何の価値もない最弱種を」


 言い放ってから、アノネはハッとして口を押さえた。無意識のうちに出ていた。


「“なんで”かなんて誰も気にしてないよ、あの気狂いたちはさあ。神が言ってんだからそれに従うのが至上の幸福なんでしょお」


 パンプは今まで見たこともないとびきりの笑顔で固まったままのソラを見た。


「大陸に連れてかれた狼はねえ、祭壇に祀って斬首されるんだってえ! ボク、キミが処刑される日は特等席で見てあげからねえ」


 むごい。それを笑顔で期待しているパンプの正気も疑う。


 ふと、そんなアステラの虐殺対象であるソラが静かなことに気がついた。振り返ると、彼はまだ口に手を当てたまま、壁に背を預けて無になっていた。


 声をかけようとしたところで、ジュッと擦るような音と焦げた匂いがした。振り返るよりも早く嫌な予感を察知して牢屋の奥に飛びのいた。


 直後、パンプの牢屋から閃光と煙が押し寄せる。爆弾によって破壊された壁と檻の破片が追って降りかかった。こんな地下で爆弾を使うなど、崩落の危険性を考えていないのかと、アノネは信じられない気分で砂塵が舞う先を睨みつけた。


 煙の中からパンプが何事もなかったようにふらりと現れた。彼を閉じ込めていた牢屋の柵は悲惨にもひしゃげて、彼の行く手を阻むことはできなくなっていた。

 

「満足したからもう行くねえ」

「ちょっと! あれだけ一方的に話しておいてここで終わりですか!? ワタシも出してくださいよ!」


 振り返ったパンプは耳をひょこっと動かした。その糸目の奥の視線がどこに向いているのかわからない。


「ざんねえん、爆弾はもう在庫切れだよお。捕まった時に取り上げられたから今のは即席でつくったやつだもおん」


 パンプは「じゃあねえ」と外套の裾をひらひら振りながら、松明の灯りが届かない通路の奥へ消えてしまった。




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