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カースト最底辺の狼  作者: 睡眠戦闘員
二章:狼的な幸運
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42.真夜中の朝日




◆現世◆ 



 現実は小説より奇なり。この言葉は、六堂 夜の中でやや否定的な位置にあった。


 オタクを極めたような人間である本田 昊との出会いで、数々の娯楽的コンテンツの中にある不思議な現象の存在を知った。しかし、それらが現実に存在するとは欠片も思っていなかった。何しろ、そうし得ないからこその“ファンタジー”なのだから。


 それが彼女の中の絶対的定義だったのだから──存在されては困る。


「結構速度が出るじゃないか。そりゃあ、馬車が無くなるわけだ」


 この世にあるどんな軽自動車よりも、速度が出ているであろうバンの中。夜はシートベルトごと助手席のシートに張り付き、流星の如く高速で流れていく窓の外の風景を眺めて、死を覚悟していた。


 視線だけで右側――運転席を見る。そこにはハンドルもアクセルブレーキにも一切触れず、背もたれにふんぞり帰る少年が一人。それなのに、なぜか車は勝手に動き、ハンドルを切り、スピードを調節して一切の建物や公共物との接触なく突き進んでいる。


 ――数十分前。目覚めないはずの昊がベッドから起き上がり、夜に張り手を喰らわせたあの瞬間から、何かが狂ったに違いない。


 あの時、直感的にこの昊は“昊”ではないと確信した夜は、すぐさま彼をベッドに押し倒して取り押さえた。過去に遭遇した銀行強盗への一撃よりも強い鳩尾への一撃は確実に彼に突き刺さり、シーツに押し付けられた彼から呻き声が漏る。


「だ、誰だお前ッ!」


 殴るよりも先に問うべきだったかと後悔するが、こんな怪しい人物にそんな配慮は必要ないとすぐ思い直した。そんな動揺する夜を面白がるように、偽物の昊は喉の奥で笑った。


「あはは。誰って、何言ってんだよ? オレはお前のお友達のソラだぞ~?」


 声まで昊そのものだった。しかし、やはりその身に纏う雰囲気が全く違う。


 昊の名を謀るふざけた存在に一気に頭に血が上った夜は、怒り、吠えて片手を振り上げた。その昊に似た顔を似なくなるまで、できるなら原型も留めない程ボコボコにしなければ気が済まないと思った。


 しかし、その拳は偽の昊ではなくシーツを殴った。偽の昊は、蛇のように体をしならせて夜の拘束をいとも簡単に振り解き、スルッとベッドの上から病室中央へ移動したのだ。


 夜は目を見張る。今の動きには“技”があった。無駄な力を込めずない――つまりは戦う術を知っている者の合理的な動きをしようという意志がそこにはあった。本当の昊は、こんなことはできない。


 偽の昊はまた笑って体を半身に回転し、肩を傾けた。直感で頭を下げる。寸でのところで、頭上を偽の昊の爪先が通過した。攻撃された、と夜が認識し処理する時間を与えず、空振った蹴りの勢いを利用して体を回転させ、追撃が飛んでくる。


「いい勘をしてる。ジュウドウ、ケンドウ、カラテ……そんな武術の心得があるのか。名前だけわかっても何もわからんな。それでもさすが勇者という他ない」

「何をッ……」


 狭い病室で次々と軽快な攻撃が夜を襲う。動揺しつつも、持ち前の反射神経と身に染み付いた体術で回避し、捌く。それしかできない。反撃の活路が見出すことができずにいる。


 口角を釣り上げた偽の昊の病院着の下の筋肉が強張ったのを感じ取り、大きな一撃が来ると察知した。夜は腕で急所を庇い、防御を行ったが――


「あっ」

「え」


 偽の昊は大きく踏み込んだ瞬間にベッドに足をひっかけ、顔から床へとすっ転んだ。顔を抑えて床で蹲って悶絶している。


 夜は複雑な表情をして、情けない状態になった偽の昊を見下ろす。唐突なことで殺意が萎んでしまい、なんだか馬鹿らしくなって構えを解いた。夜を支配していた戦闘意欲が消え去ったことで、心の中には再び最初の疑問だけが残った。


「……お前、いったい……何なんだ?」


 痛そうに。しかし、不敵な笑みは浮かべたままで、彼は鼻を押さえつつ体を床から起こした。


「何って……」


 ふと、その視線は夜から外れた。ベッドの下。そこでは窓から差し込む月光を反射して、鏡のような何かが光っていた。


 偽の昊は手を伸ばし、それを手に取る。数時間前、夜が家の倉庫から無断で持ち出し、真っ二つに叩き折ってしまった刀の破片だった。「へぇ、これが……」と何か感心したような声を出した彼は、もう片方の刀のツカ部分も取り上げた。


「ちょ……触るな!」


 慌てて彼の腕から刀を奪い取ろうとしたが、その手は途中でピタリと止まった。


 刀は彼の手によってパズルのように断片を組み合わせられていた。ヒビの表面をなぞり、スッと片手を離した時、折れた刀の先は直立を保った。ヒビは消えていた。


「だから、最初に言っただろう? オレは、昊だ」


 刀は軽く振られ、それでも折れたはずの刀は元の形で空気を割いている。撫でただけで、真っ二つに折れた刀が元どおりに直った。


「そして世界を滅ぼす……と言われている、“魔王”だともな」


 あり得ないはずの魔法が、あっさりと夜の目の前で存在を証明されてしまった瞬間だった。


 偽の昊――魔王は、昊が絶対しないような静かな笑みを浮かべ、夜に笑いかけた。


 そうして、スッと夜の横を通り過ぎ、病室の窓から外へ飛び降りた。


「ぇ…………え!? ち、ちょっと待てッ!」


 あまりにも当たり前のように振る舞うので反応が遅れた夜は、慌てて窓枠にとりついて外を見下ろした。三階に位置する病室から地上に着地した魔王は、何事もなかったようにスタスタとどこかへ歩いて行ってしまう。かなり躊躇った後、やがて夜も魔王に続いて窓から飛び降り、病院沿いに林立する一つの木に飛び移ってから地上に着地した。


 周りを見渡すと、駐車場入り口近くに停まる白いバンの前に立っている魔王の背中を見つけた。


「一体何のつもりだ!?」

「着いてくるか。いいだろう」

「話を聞け!?」


 いつまでもいつまでも一人で話を進めている。この部分まで昊と似ているせいで腹が立つ。


 魔王は夜を一瞥すらせず、白いバンに向かったまま動かない。少しの間考え込んだ後、スウッと静かに息を吸い込んだ。


「いい体だ。主人がいいのだろうな。手入れが行き届いている。この良さなら、主人はお前のことを誇りに思っているだろな」

「は?」


 突然意味のわからないことを話し出した魔王。夜は思わずドン引きの視線を送る。しかし、「お前には話していない、勇者」と吐き捨てられた。


「……その傷ひとつ無い体は、なかなか保てるものではないだろう。そんな素晴らしい体を持つならば、きっとその走りも素晴らしいのだろうな。ぜひ一度、ワタシを乗せてはくれないか」


 まさか、車に話しかけているのかと気がついた直後、突然無人のバンの車内に明かりがつき、静かにその車体が揺れ、エンジンがかかった。


「は!?」


 魔王は「感謝する」と一言いうと、なぜか鍵のかかっていない運転席のドアを開けた。


「おい!? これお前の車じゃ無いだろ、強盗する気かッ……ってそもそもどうやった!?」

「さあ、いくぞ。観光だ」


 倫理観と現実感が混ざり合ってツッコミ切れない夜は、突然魔王に腕を掴まれた。あっと思った時には運転席から助手席へ無理やり引き摺り込まれ、座らされていた。勢い余って押さえつけられたドアを開けようとするが、鍵がかかっている。ボタンを押して開錠しようとしたが、できない。


 はっとして窓の外に視線を移すと、外の風景が後ろへ後ろへと流れているでは無いか。


「おい……」


 運転席を振り返る。魔王は余裕顔で腕を組んだままハンドルに手をつけていない。


「ちょっと……!?」


 スルスルと駐車場を出たバンは、左車線など知らぬと言いたげに車道のど真ん中で停止した。嫌な予感しかしない。夜は身の危険を感じ、シートベルトを着けた。


 そして冒頭に至る。


 なぜ歩行人がいないのか、なぜ警察に目をつけられないのか。実際そうなったらそうなったで困るのだが、それが不思議になるほどの速度が出ていた。恐ろしいため、あまり外を見ていないのではっきりとわからないが、体感ではすでに町内を半周はしている。


「ん、なんだあれは。停めてくれたまえ」


 延々に続くかと思われた爆走ドライブは、魔王が外の何かに気を取られたことによって唐突に終わった。


 血の気のない顔で車窓から外を覗くと、そこには暗い夜道には頼もしい、店内から眩しい光を放つコンビニが見えた。しかも、車体の運転席側が自動ドアすれすれのところで停車している。店内のバイトの青年は死んだ顔をしてレジで直立していたが、まだこちらには気がついていない。


「あの白いものはなんだ。うまいのか?」


 魔王は店前にあった肉まんフェア宣伝ののぼりを指差した。挙げ句にはドアに手をかけたので慌てて止め、頼むからきちんと駐車場に停めてくれと懇願し、肉まんを購入することを条件に魔王は素直に駐車場に車を移動させた。


 車を出て、態度の悪いバイトを叩き起こして百四十円の肉まんを購入。深夜に制服姿なのを突っ込まれる前に他人のバンに戻った。まだ罪悪感がある。


「悪いな」

「本当にな」


 全く悪びれずに肉まんを受け取った魔王は、すぐさまそれを頬張った。夜はその様子をため息をついて眺める。この数十分のみでどっと疲れた。いや、夜の戦いが始まったのはもっと前からだ。その時からの心労までもが、今の夜を一気に襲っている。


 昊がデパートの屋上から落下し、その原因となったと思われる音乃への復讐をするために父の部屋に侵入。倉庫の鍵をくすねて六堂家の家宝である刀を持ち出し、しかし結局復讐は果たせずに刀を叩き折ってしまった。


 思い返すと、夜は結局何もできていない。唐突に現れたこの昊モドキに振り回されている結果は、いいものなのか、悪いものなのか。


 魔王は黙々と肉まんを腹に詰めている。その横顔、たまに見える八重歯、短く跳ねた髪。その特徴のどれもが昊そのものにしか見えない。それでも、やはりどうしてもこいつを昊だと思えない。


「お前は……なんなんだよ」


 今日魔王と出会って、何度も何度もした質問をもう一度した。夜に納得いく答えはまだ得られていない。魔王は、残りの肉まんを全て口の中に放り込んだ。ハンドルに片手を乗せ、脱力しながら笑った。


「オレはオレだ。さっき言った通りな」


 ため息をついた。やはりそれは彼女が納得できる答えでは無い。


「ただ……異世界人ってだけだ。お前から見たらな」


 夜は顔を上げた。魔王の顔は変わらずニヤついている。


「オレはここの世界――アースとは別の世界で魔王やってる。野暮用があってな、アースに来るために、こっち側のもう一人のオレ(・・・・・・・)である本田昊と入れ替わった」

「別の世界? アース? ちょっと待てなんの話だ、厨二病か!?」


 単語の意味が飲み込めないわけでは無い。昊と関わるようになってから浴びるほど体験させられたコンテンツの中に、そういう設定がある世界の創作物は知っている。問題はそれを魔王は現実にあるかのように話していることだ。


「じゃあ、逆になんだと思う? 折れた刀が一瞬で元どおり、お前のお友達そっくりの人間、そしてそれが病室でいつの間にか本人と入れ替わっていた……このアースには魔法は存在しないんだったな?」


 そう言われて、夜は黙るしかなくなった。加えて、たった今夜たちを乗せているバンが自動で動いていることも、説明できない。


 魔法、異世界、そしてもう一人の昊である魔王の存在。一旦は、全て受け入れるしか無い。


「カミサマと取引した結果がこれだ。まさか入れ替わりといったって、存在する世界のみならず、入れ替わり直前に昊が負った怪我までオレに入れ替わるとは思わなんだ。おかげで余計な時間がたってしまった」

「あ……ちょっと、まて」


 淡々と独り言かのように話を進める魔王に、夜はあることに気がついてその話を中断させた。


 淡く、実体もないような勘だが、今の魔王の言葉には夜の望む未来への糸がつながっている気がした。必死に受け入れがたい異世界の事実を受け入れ、その糸を切れないように手繰り寄せる。


「入れ替わった、って言ったのか? 昊と……昊が負った怪我も一緒に?」

「言ったな。オレが昊として病院に担ぎ込まれた時、あいつが着ていた服とか、荷物とか無かっただろう? 多分あれごと異世界(あっち)に放り出されたな。オレはあっちの世界で別段負傷はしていなかったし、この分だと昊は御体満足で元気に動き回っていることだろう」


 ゆっくりと、震える喉で息を吸い込んだ。


 昊が、異世界にいる。


 異世界で元気に動いている。


 居場所の意味不明さはともかく、昊が無事かもしれないという意味を含んだその言葉に、夜の心にしばらく失っていた温かみが戻ってきた。


 今にも嬉しさで泣き出しそうだったが、魔王が横にいる。中身は違えど、昊の前で泣き顔を晒したくは無い。唇を噛んで、耐えた。




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