40.起床
数日前――神界。
「この世界は、別世界のコピーである……初耳ですね。初代創造神様はどうしてそんな大事なことを黙っていたのでしょうか……」
二代目創造神、ユーリアシュは深く深くため息をついた。
彼女は創造神の休息のための神殿「ゴシュベール」にある書庫の文献を七日間一睡もせず読み漁っていた。時の流れを遅くする神器を使っていたため、実質約三週間は寝なかったことになる。もうここまで来ると、逆にもう眠くない。
そこまでして今日ようやく見つけた新事実は、さらにユーリアシュの頭を抱えさせた。
ゴシュベールの床板を剥がして鍵を手に入れ、天井裏に上り、約三百個の仕掛けを解いて手に入れた初代創造神が残した手記に書かれていたのは、創造神を受け継いだはずの彼女すら知らないことだらけだった。
この世界は、「アース」と呼ばれる世界にある全ての魂を写して生命を造った世界だそうだ。つまり、どんな人間も動物も魔物も草木も、そのアースにオリジナルの魂が存在する。
手記によると、その写しは存在すると言う識別番号をこの世界に持ってきただけで、形質、特徴、記憶などは一切引き継いでおらず、初代創造神が一から要素を創ったようだ。個体差はあるものの写しとオリジナルの現在の繋がりはほぼないらしい。だから、どちらか片方が命を落としても対になる命も道連れになるような心配はない。
ただ稀に、元祖返りのようにオリジナルの現在の特徴を引き継ぐケースも起こりうるようだ。
「うう……目が痛いです」
手記はかなり精密に書き込んであり、ユーリアシュはわずか五分の一の読破にかなりの労力を費やした。未読のページはまだまだ残っている。
初代創造神の考えていることがわからない。手記の熱量からして、何か目的があってこの世界を創り、さらにはわざわざ「アース」から写しを取ってきた訳があるようなのだが、その部分の情報がすっぽりと抜け落ちていた。
この世界の仕組みはわかった。収穫はそれだけではない。手記とは別に、強力な魔法のかかった名簿帳を見つけた。
創造神兼審判の神であるユーリアシュもこの世界の全ての生命が載った“審判神の帳簿”を持っているが、これはこの世界の生命がアースにいる誰の写しかの名前がわかる“写しの帳簿”だった。試しに、例の狼の少年の写しが誰なのかを見ようとしたが、彼の名前を知らないことを思い出して諦めた。
「魔王さんのオリジナルでも見ておきましょうか……」
この世界の住民であれば、“審判神の帳簿”によって名前は簡単にわかる。ペラペラとページをめくり、その名を確認してから“写しの帳簿”でその名を引いた。
「魔王さんのオリジナルの名は……ホンダ ソラさんですか。いったいどんな人なんでしょうね」
ユーリアシュは隈のできた目で力なく「あはあははは」と短く笑うと、スッと顔から表情を消してまだ読めていない手記の読破にかかった。
何かが起こる前に、あの狼の少年を元の世界に返す方法を探さなければならない。
まだもう少し、創造神は眠ることができない。
・ ・ ・ ・ ・
「ふう……やっと治ったあ」
間延びした粘着質な声。久しぶりに出した声は掠れていたが、気分は良かった。
ヤケになって有り金を使い果たしていい宿に泊まり、いいベッドで数日間寝た甲斐があったと言うものだ。
パンプは、凝り固まった体を起こして存分に伸びをした。
血塗れ満身創痍という姿のせいでチェックインの際は受付の人間に引かれたものだったが、完治した今となってはいい思い出である。やはり、自由に駆け回れる体があるというのはいい。
アノネとウィウィと会った際に廃教会で起こった崩落には、パンプは巻き込まれていない。あの時起こした爆発は、きちんと計算してパンプには瓦礫が降りかからないようになっていた。それでも変身したウィウィに踏み潰されてどこもかしこも折れた全身で隣の隣町まで逃亡するのはかなりの苦労だったが、結果こうしてのびのびと生きているのだからいい。パンプはそう思うようにしていた。
教会の崩落はかなり酷かったようで、騎士団はアノネ達の証言からパンプはその瓦礫の下で潰されていると思っていることだろう。後に掘り返してパンプの死体が見つからなかったとしても、その頃にはパンプはこうして既に逃亡を済ませている。捕まる心配はない。
勇者はあの狼を殺しただろうか。その結末すら見送れなかったの心残りだ。
そう、心残りといえば、自分を踏み潰してくれたウィウィだ。あのちび狼への雪辱を果たすための執念を糧に療養に努めてきた。いつかでいい。次会った時こそ狩ってやると強く心に決意した。
「……お腹減ったなあ。出かけるかあ」
復讐心より食欲が勝る時もある。
パンプはベッドから起き上がり、壁にかけてあった深緑色のローブを纏った。
・ ・ ・ ・ ・
夜は、ふと戻ってきた意識に顔を上げた。
周りはすっかり暗い。窓から差し込む憎たらしいほど眩しい月光以外に光源は無かった。
一度蹲るように身を縮めてから、ゆっくりと立ち上がった。
今の今まで寝ていたわけではない。ただ、茫然と自分の膝を見つめて絶望の中に身を浸していた。
グルグルと頭の中で今までのことを思い返しては、後悔に押しつぶされそうになった。数時間に一度自殺を考えては、それすら恐ろしくなり、そして面倒になって結局実行はできなかった。いっそのこと音野を殺してしまえれば、殺人を犯したという罪悪感からすっぱりと喉を掻き切れたかもしれないと思うと、それもまた後悔につながった。
昊。この人間の存在がどれだけ自分の中で大きかったかが思い知らされた。
図々しいが友達思いで、やさしい。学が足りない部分もあったものの地頭はよかった。うるさくて、明るくて、いつでも夜を引っ張ってまだ知らない世界に連れ出してくれた。そして——自己犠牲感が強かった。
夜にはいつかそれが彼の命に関わるとわかっていた。それを直そうとこの数年間努力してきた。それも、無駄だった。
夜は自分が昊を助けていると思っていたが、結局助けられていたのは夜だった。きっと、彼は自分の時間を犠牲にして、夜の自己満足の“治療”に付き合ってくれていたのだ。
何かを為せると思っていた。でも結局それは妄想だった。すべて意味などない。夜がこれまで努力したことも、昊と出会い過ごしてきた日々も、昊に抱いた感情も、今まで生きてきた意味もない。
今の夜には何もない。ただ存在するだけ。
自分のためにしか生きられない夜には、自分を支えてくれる誰かが——昊が必要不可欠な体の一部となっていた。
ようやく膝が伸び、完全に立ち上がることができた。地の感覚を掴めない不安定な脚を一歩一歩踏み出した。
「……昊」
虚ろな声色で、その名を呼んだ。重い重い腕を上げ、病室奥のカーテンを開く。また一歩一歩踏み出して、点滴の管を踏まないようにベッドに歩み寄った。
ベッド横の低い柵に寄りかかり、薄い毛布がかけられたその彼の顔を覗き込んだ。今はもう、分厚い包帯で巻かれているせいで、その顔すら見ることが叶わない。
あの日、デパートの屋上から落ちた昊は、地上にあった背の高い鉄柵の上に落ちた。串刺し状態という特殊な状況のせいで、救急隊員が到着してもその体の救出が困難を要した。そのせいで、病院に搬送されるまで大量に血液を失い続けた上、落下の衝撃で打った頭には大きな裂傷。頭蓋骨が割れていた。唯一の幸運は、彼を貫いた鉄柵は内臓を一切傷つけず、肋骨の一部を砕いたのみにとどまり、すんでのところで一命を取り留めたところだ。
しかし、頭へのダメージと大量出血は彼の体にかなりの負担をかけた。こうして、現在に至るまで意識が回復することはなく、その予定も不明。目覚めた後の後遺症云々よりも、このまま眠ったまま一生を遂げる可能性の方が高いと医師から宣告された。
「そら……そらぁッ……」
眠ったままなど、いつもうるさい彼には似つかわしくない。
何かの漫画で読んだようなシュチュエーションのように記憶を失ってでもいい。願わくば、ある日何事もなかったかのように目覚めて「異世界に転移してた!」とくだらない夢の話を切り出してほしいかった。
「オレ……お前がいないと、友達すら……なにも……」
再びこみ上げてきた涙は、まるで麻痺毒のように夜の膝を崩れ落ちさせた。這うようにベッドの縁に腕を放り出して蹲る。
「——ワタシッ……何もできないよ……そらぁッ……!」
拳を握りしめても堪えられなかった涙が頬を伝って制服のスカートの上に落ちた。しばらくの間水晶のように形を保っていたが、やがて吸い込まれるようにして小さな染みを作った。
「うるさいぞ……小娘が」
それは唐突に起こった。
「え……」
聞き覚えのある声は瞬時に夜の顔を上げさせた。しかし、彼女がその声の主を認識する前に、頬に衝撃が迸り、気がついた時には夜は壁に叩きつけられていた。
ぶれる視界の中、自分が頬を張られたとぼんやり認識する。同時に頬を張られた瞬間、見えるはずのない、そしてもう見られるはずのない笑顔を見た記憶がちらついた。
「さて。ようやく治ったか。この力も結構貧弱になったもんだ」
やはり、この声は間違いようがないほど彼に似ていた。いや、彼そのものだ。しかし、何か違う。
夜はだんだんと視界のピントが戻ってくる中、喜びよりも先に畏怖近い感情を抱かされていた。
腫れ上がった頬を抑え、ぐらつく頭を上げる。そこにいたのは、眠ったままのはずだった昊。ベッドから立ち上がって、仁王立ちでこちらを見ていた。
ただし、“それ”は昊ではない。夜の心に、強い強い確信が刻み込まれた。
丁寧に頭に巻かれていた包帯を素手で破った“それ”は、昊そのものの顔で満足げに笑った。
「この魔王の御前での無礼。どう償わせてやろうか……迷いものだな〜〜〜?」
と言うわけで一章「狼の心得」、もとい「対勇者戦」編の締めでございます。
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次は誰と戦うのでしょうか。お楽しみに。




