37.勇者二至リ主二至ラズ
今回短めですぞ。
「コハクトさー……ぐおッ!」
ソラが何か言う前に火球を放つ。ソラの頭部に直撃しかけたが、とっさに挙げられた盾によって弾かれてしまった。
「話聞けや!」
「なぜ?」
もう一度、今度は「勇者としての力を使って殴った」の物理属性を付与して、風の刃を飛ばす。素早く飛ばした上、足に向かっていたのを直前に軌道変更させたため、盾を回避して彼の顔面に直撃した。
命中してなお勢いがおさまらず、ソラの体は浮いて遥か後方に吹き飛ばされていった。崩壊し、壁がないに等しくなった後方の出口へ転がり、先日焚き上げが行われていた渡り廊下に出てようやく背中を地面に擦り付けて停止した。微かに呻き声が聞こえたので、死んでいないことはわかる。
そのソラの状態を見て、コハクトは不満げに刀を構えながらそちらへ歩き始めた。
(……頭がもげなかった)
勇者の力は、不可能を可能にするために存在している。伝承では、使うものの心と行動次第で山を削り、海を増やし、天を穿つことすらできると言われているほどに凄まじい。
おかしいのは狼族という最弱種がその攻撃を受けてなお、人型を保っている点だ。原因はすぐに思いついた。
「殴打耐性Lv.7に、衝撃耐性Lv.3……正気なのか」
昨日の夜、晩飯を共にしたときにソラに見せてもらったステータスは、異常で溢れていた。
信じられないほどに最弱種らしい低テータスとは対照的に、防御系の身体スキルのレベルが高い水準にあることが目立っていた。素手で戦う職の人間でも、「殴る」専用のスキルならまだしも「殴られる」専用の殴打耐性など、身体スキルを獲得するのはかなり稀な上に、ソラはさらに高レベルだ。それに、衝撃耐性など、高ランクの冒険者か馬車に年中撥ねられている者しか獲得できないだろう。他にも腐食物消化や溺没耐性など、実際に見たことがない。
ただ確実に言えるのは、ソラがこれらのスキルを獲得するに相当する経験をし、なおかつその体験に対する適性があるということだ。
「スキルは自分の特技の延長的存在」という知識は、学校で習う常識だ。本当に本人に適性がなければ、どれだけ特訓しようとスキルを手に入れることはできない。つまり、物を投げる才能がかけらもない人間がどれだけ練習をしても命中スキルは獲得できないということだ。
ソラのステータスに精神的苦痛耐性の文字を見た時、手が震えた。その時は、ぼんやりとあった感情の違和感の正体に気がつかなかったが、今となってはっきりと言える。
コハクトは自分に無いものを持っているソラに、嫌悪を抱いていた。
歩み寄るたびに、折れたらしく直角に曲がってしまっている尻尾を揺らしながら少しずつソラが体を起こしていく。左頬に大きな青痣ができて吹き飛ばされた際に傷つけたらしい額から血を流していたが、いまだに何がおかしいのかヘラヘラと笑っていた。
轢かれそうな仔猫を助けた時とそっくりな怪我を負っているのに気がつき、コハクトは内心妙な懐かしさを感じた。
——……仔猫?
「いってててて……コハクトさん勢い良すぎんよ〜〜〜」
「大人しく死ね」
「やだって〜。てか、殺意強すぎて草」
ソラが一言一言口を開くたびに、彼に対する憎しみや怒りが増幅していく。本当に、出会った時から微塵も空気を読もうとせず、人の神経を逆撫で寸前で綱渡りをするような不安定な喋り方をする。
「俺、マジに魔王じゃないんだけどなあ」
「きっと別に魔王がいたとして、同じことを言うだろうな」
平気で人目を気にせず突然歌い出すし、最弱種の象徴である狼の耳を持ってして堂々と街を歩く。
「っていうか、俺! ちょ~珍しい絶滅したと思われてた最弱種の狼男! この世界絶滅危惧種保護とかやってないの? 俺はしといたほうがいいと思うけどな~」
「魔王なんてさっさと絶滅すればいい」
自分の言いたいことを言って、やりたいことをし、感情を自由に表に出す。
「俺、結構お前のこと好きだからさ~~~。こういう争いしたくないわけ。勇者の知り合いなんてもう一生できないと思うんだわ。お前も狼男なんて今後出会えるかわからないし、貴重な出会いだよ、これ?」
「オレが、魔王のことを好きだとでも? この世に勇者と魔王の友情なんていらない」
どんな困難も逆境も乗り越え、どんなに貧しくても地道に稼ごうと努力する。そんな嫌になる程優しくて——まるで物語に出てくる主人公のような彼が、コハクトは嫌いだった。
「それにさ、俺この異世界のことめちゃくちゃ好きだからさ〜。もし魔王だったとしても滅したりしないって! てか、死ぬと必然的に滅びちゃうんだよなあ……だからとりあえず生かしてほしいなあ」
「お前が……そうだったとしても、お前がこれからこの世界に嫌気がさしたら、滅ぼすだろう」
コハクトとソラの間の距離が縮まっていく。ソラは盾を杖のようにして体を支えて立ちあがった。何処かが折れて立てないのかもしれない。耐性があったとしても相当なダメージを負っているようだ。
コハクトが吐き捨てたその言葉を聞いて、いままでヘラヘラと笑っていたソラの表情からスッと感情が消えた。少し考えるように、耳を伏せたソラはやがて口を開いた。
「ならない。嫌いになんてならない」
「なんだ。……なんでだよ」
「え〜? ……さあ、なんでだろうなあ」
再び曖昧に笑ったソラは、空を見上げて「こっちの世界の夜も好きだなあ」と呑気に呟いた。コハクトはピクリと眉を動かしたが、首が無防備に晒されている今がチャンスとコハクトは刀に魔力を流した。距離も近い上、ダメージを負っている今なら簡単にとどめを刺せるだろう。
「あ、そうだ。あのさあ」
とびきりの一撃を打ち込むその直前、不意にソラがなんでもないような顔で言い放った。
「……もしかして、コハクトって俺のこと羨ましかったりしない?」
「——ッ!!」
その言葉が、バットで殴られたような衝撃になってコハクトを襲った。全身の表皮に鳥肌が立ち、つむじからつまさきまで言いようのない嫌悪感が駆け巡る。
——うらやましい。オレが? 最弱種を?
「うるさいッッ!!」
怒鳴ったせいで魔力がぶれたが、構わず一発二発と連続してソラに火球を撃った。最初に一発は盾に防がれたが、二発目の威力がソラの盾を支えていた足をずらしてよろけさせた。一心不乱に三発目を放ち、その露出した胸元にスキルのかかった素早い水の矢を打ち込む。
途端に横一文字に切り裂かれた血飛沫が舞い、ソラは盾を取り落としたが、まだ倒れない。
コハクトはようやくその元に歩いて辿り着く。まだヘラヘラと笑うソラが抵抗のために胸元に手を伸ばしてきたので、夜はその体に手を回す。その途端、ソラの目が丸く見開かれた。それもそうだろう、この技は今日ソラにかけられた奇怪な武術の応用なのだから。自分の技を盗まれたその表情を見ながらコハクトは仰向けに強く張り倒し、その左肩を踏みつけた。
衝撃はかなりのものだったようで、揺れた渡り廊下の端からパラパラとかけらが落ちていく。
コハクトは力を抜くことができない目でソラを睨んだ。どうしてここまで急に感情が昂ったのか、自分でも正確に理解できなかった。
「あっは〜! やっべ、やっぱこの技に至っては本家には叶わね〜〜〜! っていうか、コハクト顔真っ赤。『うるさい』とか言っちゃって否定しないんだもんな〜〜〜〜〜!」
「わ……笑うな!」
「図星か~~~そうだよな〜。っぽいもん。ぽい」
額に汗すら滲むコハクトとは対照的に、ソラは大怪我を負っているにもかかわらず、顔色変えずに口の端を上げてコハクトを見上げてくる。その動じなさに、逆にソラへの恐ろしさがこみ上げてきたが、プライドがそれを感じることを拒んだ。さらに強くねじるように踏みつける。
「なんでオレがお前を羨ましがる必要がある!」
「いやあ、まさかコハクトが俺を羨ましいと思ってたなんてなあ〜。いやいやいや、罪だなあ、俺」
「答えろ!!」
話を聞かないソラをもう一度強く睨みつける。コハクトが与えたダメージでボロボロの全身はどう見ても笑っていられる状況ではない。本当に狼男なのか? さらには生き物なのか? コハクトにはわからなくなっていた。
「羨ましいか〜、それなら尚更殺したいだろうなあ」
「だから羨ましくなどッ……」
「ま、無理だけなんだけど」
数秒固まった。この状況でここまでおかしい発言ができるのかと疑った。
「知ってる〜? 王様は平民に勝って平民は奴隷に勝つけど、奴隷は王様に勝つんだとさ。多分人類最強の勇者と最弱種なことに定評のある狼だから、ワンチャンあるかもな」
「いったいなにを……」
「それにさ、お前、俺に聖剣なんて刺せないだろ。優しいもんな〜〜〜お前はな〜」
軽い調子でツンツンと自身の胸を指すこの狼男の口から溢れ出る言葉を聞いてはいけないとわかっているが、喋るたびに増す正体のわからない凶悪さに、感情が嫌な方向へ昂っていく。コハクトは、聖剣を握る力が強くなっていることに、気がつけない。
刺せない? 刺せる。こんな最弱種、今一秒だって書けずにその首を切り裂いて殺すことだってできる。
しかし、その力があるだけだと、今更気がついた。
「……刺せる」
心の底から否定したいが、この狼男の言葉は今までのコハクトを的確に言い当てていた。コハクトは、アステラと手を組んでさえ、まだ為せないことがあった。
「殺せる」
でも、ここでそれを断ち切らなければ、コハクトは誰にも、自分にさえ認められることができなくなる。
「お前などッ……!
一人の勇者には、なりたいものがあった。ピンチを切り抜け。極大な力を授かり。誰からも認められ。自分を信じ。今までの弱い自分を乗り越えて悪を倒す。
「魔王など!」
そんな物語の主人公に。
「倒せるッ!!」
勇者は聖剣を逆手に持ち、振り上げた。白く光るその刀身に照らしだされた魔王は、困ったように笑って、最後まで抵抗しなかった。
「どーぞ」
渾身の力で剣の直下——左胸に振り下ろす。
阻むものも何もない聖剣は、上着のジャケットを貫通し——甲高い音と同時に、視界いっぱいに煌く破片が散った。
勇者の力によって時間が凄まじく引き伸ばされた思考の中でさえ、一体何が起こったのかすぐに理解することはできなかった。とどめ刺した瞬間、聖剣が半ばから折れ、粉々に砕けた。ありえない。
瞬きの間すら永遠となる世界の中、変わらず笑みを浮かべたソラの瞳に視線を移す。その表情から、何処か謝罪の意思を感じ取った時、息を飲み、自分に返ってくる死の一撃の気配を悟った。
「ごめん」
ソラの謝罪が耳に届く前にコハクトの左胸は穿たれた。
止まっていた時間が流れだし、コハクトは後方へ飛ばされる。胸と穴が貫通した背中の両方から血液を流して転がり、背中を引きずってようやく止まった。
どうして、そう口にしようとして、喉の奥から出てきたのは大量の血反吐だった。ごぽりごぽりと次々と何か大切なものとと共に流れ出ていく。
「……ごめんなあ」
最後に見た笑みと同じように、本当に困り果てたソラの声が反響して聞こえた。
「お前すごいよ。まあ、俺の爪が甘かったんだけど……俺のスキルの本質見破ってさ」
息が吸えず、両手で胸を掻く。視界があんなに眩かった月明かりすら届かない暗闇に突き落とされていく。
攻撃されたソラは無事で、攻撃した自分が致命傷を受けている。どうしてだ。
「でもな、俺のスキル……普通なら魔法だけを反射するのは合ってるよ。でもな……命に関わるなら、致命傷なら、物理攻撃でも反射できるんだよ」
申し訳なさそうな声が届く。もう、視覚は延々の闇に包まれていた。しかし、それに比例して暗い感情が増幅していく。怒りは既になかった。悔しさと悲しみが全身を包む。
「いやあ、切り札的な感じで『仲間にも黙ってる自分かっこいい』って思って隠してて……まさか、そのお前に使うことになるとは思わなんだ」
そんなもの、ありなのか。自分は、魔王の弱点を見つけたと独りで勝ち誇っていただけだったのか。
その空虚な自分に気がついた瞬間、必死に踠いていた両手の力が抜けた。
認めるしかなかった。コハクトは、主人公ではなかった。
「ごめんなあ……」
最後に残ったのは悲しみだった、気がする。




