36.こうかはばつぐんだ!
六堂夜には、何度も夢見る悪夢が二つある。
一つは、自分は世界の未来を担う戦士として日々戦い、大衆の期待というプレッシャーと自由になりたい本心とで板挟みになり、発狂しそうな毎日を送っている不思議な夢。
これは、昊に読まされた夢と魔法と魔物に満ち溢れた漫画や小説の設定と酷似した現実離れした悪夢のため、そこまで苦痛というわけではない。
最も最悪であり、最も忘れてはならない悪夢はもう一つの方だ。
「………む……む、どう? なんで」
待ちに待った時が来た。
夜は丸椅子から立ち上がり、部屋の入り口へゆっくりと振り返った。心臓の鼓動が全身に響く。早くも遅くもない。最高の状態だ。夜は心の中で良かったと呟き、顔から笑顔を消した。
「……よく来た、音野」
目を合わせて挨拶すると、音野は長い髪を揺らして目を逸らした。校則違反の色に染められた髪ではあったが、手入れはされているのか、さらさらと彼女の肩を流れた。
マニキュアの塗られた拳はギリギリと握り締められている。あの拳が昊を殴った。校則違反の厚い靴底のローファーが昊を蹴った。
「六堂……アンタがアタシの靴箱に手紙を入れたの!? アンタがここへアタシを呼び出したの!?」
「うるさい。そんなこと状況を見ればわかる事だろう?」
取り乱した音野が喚くのを一言と威圧で黙らせた。一言でも、呼吸音だけでも音野から発される音など聞きたくはなかった。それでも聞かなければならない。そのために、今日まで準備してきた。そうして音野をここに呼び出した。
音野はしばらく拳を震わせていたが、やがて夜を睨みつけて近くの壁に拳を叩きつけた。その手で部屋の扉を閉めた。
「ねぇ、ぼっちゃん……アンタ何考えてんの? あの日のことなら――」
「お前か」
「……え?」
「本田昊に捻じ曲がった信念を植え付けたのはお前か」
「……何、それ」
音野は唐突な質問に呆けた顔で返事をしてきた。
昊がトラックに跳ねられた時、たった一つだけ教えてくれた言葉を思い出す。今でもはっきり覚えている。自分が間違っていないと、まるで常識を子供に教えるように言っていた。
『――俺ってぇ、殴ったりそう言うことをされるとそいつのストレス発散できるんだよ。一種の才能的な? 夜もイライラしたら殴ってもいーよ』
あの時の昊の笑顔が忘れられず、その晩は一切眠れなかった。
初めは昊とか関わるのをやめようかと考えるほどに悩み、それでも考え直した。昊をこのままにしてはいけないと思い、その人格の矯正にかかった。
アニメを見たがる彼を外へ連れ出して運動をさせ、人に殴られたがる彼に殴られないための護身術を教えた。怪我の回復に体力が使われていたせいで毎日睡魔に襲われて疎かになっていた勉強を改めて教え、ギリギリで高等部への入学が許可された。
中学一年生の時の出会いから高校入学まで。三年間もかけて彼の中の錆を落としていった。人格は当時ほどは酷くなくなり、何度も何度も繰り返し言い聞かせてきたおかげで、当時よりは人の話を聞くようになり会話が成立するようになった。
――それでも、あれだけは治らなかった。
『やり返してやればいいだろ! どうしてやられっぱなしなんだ!』
『え~だってやり返すにしたって俺ゲキ弱だかんな~~~』
『じゃあ……じゃあ、オレが柔道を教えてやる! うちの流派の剣道でもいい! それでやり返せばいいんだ!』
『え? いやいや、人のこと殴っちゃダメだろ。やり返すのは三流ってどっかで聞いたぞ俺は?』
『じゃあなぜそう言ってやらないんだ!お前は口もうまいし、殴らないでくれと懇願くらいできるだろ! それで誰も困ったりしないだろ!』
『うーん? でも俺ってよく殴られるし、俺のこと殴ってスッキリしたって言ってたし……俺って殴られることで他人のことスッキリさせられる体質なんじゃないかって最近思ってるからさ~。それでどんなクズ野郎のためにでもなれるなら宿命として受け入れてもいいかなって思っ――』
『違うッ! お前は殴られていい奴なんかじゃない! 良いやつなのにッ……何も悪いことなんてしてないのにッ……どうしてわかってくれないんだ』
―――昊の根底にある、治ることのない行動原理は、“自己犠牲”だ。
誰かが殴られているのならば、その間に割って入り代わりに殴られる。誰かが怒り狂っているのであれば、その矛先を自分に向けさせる。火事の中に子供が取り残されたのなら、水をバケツ一杯被っただけで炎へ飛び込む。トラックに跳ねられそうになった子猫がいるのならば、代わりに跳ねられる。
昊は、それらを自分がやって然るべき道理だと思い込んでいる。
名誉ある行動ではあるが、褒められるべき行動ではない。
そのおぞましい信念は、誰かに植え付けられたものだ。「人に言ってはいけないと言われている」ということは、そう言うことだ。
「音野……お前が昊に、殴られることが義務だと言ったのか。暴力を黙って受けることが宿命だと信じ込ませたのか」
「は……何それ、何それ!? 意味わかんないんだけど!」
「お前は小学校から昊と同じ学校だったそうだな。お前以外にいない」
「だ、だから、知らないって! なんの話なわけ!?」
「昊の両親は心優しい人だ。昊に似てな。彼らではない。お前だ」
「ちょっと、話……聞きなさいよ……」
音野は後退り、一度は閉めた引き戸に手をかけた。ガタリと音を立てて引っかかったその感触に驚いて振り返る。すでに細工済みだ。彼女はもう廊下へは出られない。
「なんで」
焦り、額に汗を流し瞳を揺らす音野を見ていると、頭に焼き付いたあの昊の姿が蘇って、夜の頭に激痛を走らせた。
ようやく生傷もなくなり痣が完治した頭は、大きな裂傷を負っていた。
仔猫の命を救い上げた手は、宙に助けを求めて壁を擦って薄汚れていた。
夜が毎日トレーニングをさせ、三年かけて長距離を難なく走れるようになった立派な脚が、もうピクリとも動かない。
高額なのに買ってもらって申し訳ないと両親に感謝してきれいに使用していた制服はシャツごと腹から背中までを貫かれて穴が開いていた。
自分の好きなものは眼鏡やコンタクトを通さずに自分の目で見たいからと大切にされていた彼の透き通った目は、大量の自分の血液で潰れていた。
すべて。全てあの不気味なほど綺麗な夕焼けが見られた日に、昊が背負うことになったもの。思い出すだけで涙が出る。増幅する憎悪を止める気にもならない。
「どうしてッ、どうしてアタシなのよ!」
声を荒げる音野が振り返ってドアに背中を擦らせた。
「アイツが……本田がデパートの屋上から落ちたの、アタシのせいじゃないでしょ! あんただって見てたじゃない!? アイツが勝手に走って行ったの! アイツが勝手に落ちたの! アイツが悪いのよ!」
夜は音野の存在全てに嫌気がさして、舌打ちをした。自分のせいではないと必死に喚く姿だけが滑稽であることがせめてもの救いだった。
音野の言う通り、ソラは数日前、あるデパートの屋上から落下した。
高いところがひどく苦手だったのに、「今回だけ頑張る」と放課後に夜を誘って、今時珍しくデパートの屋上で開かれる戦隊モノのイベントに来ていたのだ。もしも落ちた時のためと言って登山用のフックを持ってきていたのを見た時は、この先のことなど知らない夜は笑い飛ばしたものだった。
ことが起こった時、夜は昊から離れたところでイベント開始までの待機時間に飲む飲み物を買っていた。その間に昊は、その場に居合わせた音野に見つかって絡まれていた。公衆の面前であった手前、暴行はされなかったようだが、その絡み方はかなり悪質だったように思う。
戻ってきてその現場を発見した夜は、「またアイツか」と憤って駆けつけようとした。それと同時に、昊が突然どこかを向いて走り出した。この時点で何か仄暗い気配を感じていた。よく似た昊の動きを見たことがあったからだ。そう、それは三年前に猫を助けたときのような――
音野が走り去ろうとする昊のバックからはみ出た何かを掴んだが、ずるりと抜け、彼の走りを止めることはできなかった。夜は、昊の視線を辿ったことで彼が何をしようとしているのかを察し、走るスピードを限界まであげた。
屋上の端、背の高いフェンスが立ち並ぶうちの一つが壊れ、丸々一つが外れかけていた。外れたのは風が原因ではなかった。小さな子供が外れたフェンスとともにデパートの外へ落ちかけていた。ふざけてフェンスに寄りかかってしまったのかもしれない。より問題なのは、その子供を昊が助けようとしていたことだった。
よくない結末がいくつも頭をよぎり、鳥肌がたった腕を必死に伸ばして昊を止めようとしたが、昊は最後まで、その忌々しい自己犠牲の精神を曲げなかった。結局、子供のかわりに落ちていく昊が、夜に気がついて困ったように笑ったあの顔を見たのが、二人が最後に顔を合わせた瞬間だった。
気がついた時には、夜はデパートの入り口前で野次馬に取り囲まれながら、入り口前に設置された背の高い鉄柵に腹を貫かれた昊に取り縋っていた。
「……お前のせいではないだと?」
夜はいつの間にか閉じていた目を開き、怒りに染まった視線を音野に向けた。小さな悲鳴が彼女の喉から搾り出される。
確かに、昊が落ちた直接のきっかけを作ったわけではない。子供を助けようと決意したのも、自分が落ちることになってしまったミスも全て昊の判断ゆえだ。だが、その判断下す思考を育てたのは、誰だ。殴られても、蹴られても、轢かれても、落ちてもいいと許容してしまう心を育てたのは、それが当然だと昊に植え付けたのは昊自身ではない。
「お前だ……」
フェンスが壊れなければ。あそこに子供が寄りかからなければ。夜が昊のそばを離れなければ。あの日、あのデパートに行かなければ。これらの後悔は全て無意味であり、夜は忌々しい昊の思考回路を直すことが間に合わなかったと言う証明だった。
全ての元凶は、昊を殴り続けて自己犠牲の心を育てた人間。
「お前なんだよ……音野」
夜は、壁に立てかけてあった長い棒を手に取った。それに巻かれた布をハラハラと解いていくと、最初は訝しげな表情をしていた音野が悲鳴を上げて再び扉に取り縋った。
父の部屋から鍵を盗み出し、六堂家の剣道場の倉庫の奥に眠っていたところを無断で持ち出した真剣。白黒と基調としたつかには六堂家の家紋が装飾として彫られており、そこからしゅるりと赤い紐の束が垂れ下がっている。
代々伝わってきた家宝とも言われたそれを鞘から引き抜いて刀身を外気に晒すと、昊が落ちた日と同じこの夕焼けを恐ろしくそのまま映し出した。
待ちに待った時。
心優しい昊の仇を打つ時。
焼きつく悪夢の元凶を今日ここで絶つ時。
夜は、刀を音野へと突きつけた。
その瞬間、なぜか音野の姿に彼の笑顔が重なった。下瞼が痙攣したが、より一層刀を強く握ることでその幻覚を振り払った。
「これは、正しい行いだ」
どこか言い聞かせるようではあったが、その理由もわからないまま、夜は刀を構えた。
――苦しんで、死ね。
心の中で呪詛を呟いたと同時に、夜は強く踏み込む。
・ ・ ・ ・ ・
「これは、正しい行いだ」
ウィウィの命中スキルによって届けられたスマホを悠々と胸ポケットにしまう昊に向かって、聖剣を突きつける。
表情からして明らかにこちらが好意的でないことは伝わっているはずなのに、それでもソラはいやに爽快な笑顔を浮かべていた。下手すると、肩でも組みにくるのではないかという雰囲気すらある。
「勇者は魔王を倒す。神に魔王と明言されたお前は、もう言い逃れできない」
「はー? まだそんなこと言ってんの? 疑い深すぎっすよコハクトサン。と言うか神? 誰それ、ユーリアシュが言ったの?」
「ユーリアシュ様ではない。フィフティマの告げだ」
その名前を出した途端、昊はベロっと舌を出して眉をしかめた。何でもかんでも肯定するソラにしては珍しい拒否反応だ。
「フィフティマってアステラのヤバイ神じゃねーか! 人の不幸好きとか言ってるんだろ? それ絶対嘘だって。俺魔王じゃねーし」
「うーそ! うーそ!」と騒がしいコールをするソラを黙らせるために、コハクトはブンッと聖剣を振って軽い風を起こした。風に煽られてつんのめったソラが尻を餅をつく。
「嘘はありえない」
「いってえ〜……何でだよ。あ、もしかしてキュウ○エパターン?」
「………神は、嘘をつかない」
コハクトは、スキルを発動させながら刀を振り上げた。そろそろ、紙よりも軽い口を塞がなければ。
「そうだ……嘘はつかない。生き物が生きる意味も、俺が勇者になった理由も、すべて教えてはくれないだけだ」
聖剣に魔力を込め、振り下ろすことでその先端から火球を放った。威力も速度も常人並になるように調節した。ソラは自分の足元へ迫る火球を見とめ、自身のスキルゆえに問題ないと判断したのか、無視して口を開こうとした。しかし、その口は苦痛に歪めることとなる。
コハクトは、反射して帰って来た火球を鎧で受けた。生じた煤を払いながらソラの足を見る。ズボンの裾と靴下のわずかな隙間ではあったが、そこから見える足首は、強く打ったように腫れ上がって内出血を起こしていた。
「げぇ……なんだこれ!?」
ソラは意味もわからずあははと笑いながら、激痛が走っているであろう足首を抑える。
大方自分の思い通りの結果になったコハクトは、冷めたため息をついて鎧と同じく聖剣についた煤を払う。
「……“天変地異”というオレのスキルだ。物理攻撃に魔法を付与し、逆に魔法に物理属性を付与できる」
ソラの表情が引き攣るのがわかった。コハクトは「そりゃあそうだろうな」嘲笑ってやる。
ソラは、ダンジョンの中で自分のスキルをひけらかした際、“全ての攻撃を跳ね返すスキル”だと言っていた。しかし、かなり早い段階——兎の魔物のキックや、ベネノスネークの尻尾の鞭を受けていた時点で矛盾しており、その言葉は真実ではないとわかる。確かに、彼のスキルには反射の作用があるのだろう。ただし、それができるのは魔法を対象にした時だけ。物理的な殴る、蹴る、切る、投擲されるなどの攻撃は反射できない。
何よりも、そのコハクトの推測正しいことはソラの表情が物語っていた上、実際に今、立証された。魔法で作り出した火球に“天変地異”によって「刀で峰打ち」した時と同等の威力の物理属性を付与してソラに攻撃すると、魔法だけが反射され、物理属性はしっかりとソラにダメージを与えた。魔法に物理属性を付与できると言うことは、コハクトが走れなくてもソラに近寄る必要がなく、遠距離から斬撃を与えることが可能になると言うことだ。
今までコハクトはこのスキルを勇者として相応しくない地味なスキルだと決めつけてきた。今までの使い道も、刀に魔力を付与して折れぬように強化したり魔法の属性をつけてゴーストを斬るくらいしかなかった。
しかし、今になってわかる。やはりコハクトは勇者だった。このスキルを取得したのも、魔王を倒すための運命だったのかもしれない。
まるでソラに対抗するために存在するかのような力だ。
「あはは……相性最悪じゃん?」
ソラは冷や汗を流しながら、どこからか取ってきたのやら。その貧弱な盾を重そうに構えた。




