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カースト最底辺の狼  作者: 睡眠戦闘員
一章:狼の心得
35/94

35.崩落注意報

 



 パンプは瞬時にウィウィの気配に気がついたようだったが、彼女が迫る方向が予想し難いせいで回避は敵わなかった。


 いつかダンジョンの奥底で昊と初めて一緒に食べた魔物であるリトスタートルに変身し、その莫大な質量まで再現したウィウィは、高さという勢いに乗って天井付近から落下した。パンプの頭に直撃し、悲鳴が上がる暇なくその体は床に倒れる頭を打ちつけさせた。さらに重力による質量で押しつぶした。


 パンプの動きがないことを数十秒かけて確認し、ウィウィはようやく無意識に止めていた呼吸を再開した。変身を解き、パンプの上から退いた勢いで尻餅をついてしまった。赤黒い液体が綺麗だった(・・・・・)ジャージにべったりとついてしまったが、高揚感を含む荒い呼吸を整えるのに忙しく、気にしている余裕がない。


 ミミック変身して、体を拘束していた縄を内側から引きちぎった後、ウィウィはとにかく情報を集めようとした。ソラを真似てしつこくスマホに話しかけ、周囲の物や所持品のことを教えてもらった。


 薬屋で購入した小瓶は、幸運薬。とても不味い。


 食糧倉庫の壁には、通気口。大人でも通れる。


 ウィウィのスキルで変身できる生き物で一番小さい生き物は、野ネズミ。素早い。


 食糧倉庫から一番近い部屋へのルートは一直線。ウィウィに対してとても優しい。


 逆に大きくて重い生き物は、リトスタートル。これは美味しい。


 これらの情報だけで、ウィウィは頑張った。単純に見つけた通気口から逃げることもできた。それでもソラの助言と、強くなりたいと言う意志が、パンプを倒すと言う目的に体を突き動かした。


 通気口にパンプの目が止まるように、木箱の位置を調整。ネズミに変身してパンプの目を掻い潜り、倉庫から脱出。そこからは必死に走って一番近い部屋に飛び込んだ。案の定パンプは、気がついて追ってきた。おそらく、狼族(ウィウィ)の知性からして誘い出されている思わなかったのだろう。


 ウィウィはベネノスネークの依頼の時にも活用された跳躍力と木登りのテクニックで、厨房の壁をつたって天井の梁になんとかよじ登ると同時にリトスタートルに変身した。念を押して幸運薬を飲み干したことで、パンプが投げ込んだおかしな液体を被ることはなく、ウィウィはパンプが真下に来たタイミングで飛び降りるだけでよかった。


「パンプ、しんだ……?」


 倒したのはいい。それでも、同じ犬科の耳を持った種族として殺してしまうのは気が引けた。リトスタートルの体重でぐしゃっと潰れて動かないパンプをつついてみるが、反応はない。まあ死んだら死んだで困ることはないどころか、命を狙われる心配がなくなるのでいいのだが。


 ウィウィはポケットからスマホを取り出してみる。


「すまほ、パンプしんでる?」

『カメラが覆われていることで、鑑定ができません。カメラと対象の間に何か障害物がないか確認してください』

「かめらってなに?」


 レンズをガッツリ手で塞ぎながら首を傾げたウィウィは、諦めて立ち上がった。今になって周囲に立ち込める不新鮮な血液の生臭い匂いが鼻につく。ジャージにも同じ血がついてしまっていることを思い出して「うあ〜……」と尻尾と耳をヘタレさせた。それでもすぐに立ち直って、目に力を入れて厨房の入り口を睨みつけた。


 そうだ。こんな怖い奴に構っている場合ではない。ウィウィにはこのスマホらをソラに届けると言う何よりも大切な使命があるのだから!


「すまほ、いくよ!」


 勢いよくかけた声はスマホに無視されたが、それでもウィウィは元気よく一歩を踏み出した。


「待ちなよお」

「ぎゃんッッッ!!」


 粘着質な声がヘビが体を這い登るように足元から響いてきた。がっしりと尻尾に何かがまとわりついてウィウィの歩みを妨げる。ウィウィは飛び上がったものの、恐怖からか真っ先に逃げることができない。


「あはぁ……ほんっとにい……殺してやり、ますよお……!」

「ひ、ひい、ぱ、ぱんぷ……しんでない!?」


 唯一まともに動く目だけで足元を見下ろすと、パンプがだらりと足を投げ出したまま、腕の力だけで近づいてきていた。


 突然、グイッと腕の力だけとは思えない力で足を引っ張られ、ウィウィは地面に倒れた。頭を打ち、手で顔を庇う暇なく、汚れた床を引きずられた。涙目になって目を開けると、ほんの数センチ鼻先にパンプの顔があった。パンプがウィウィの体の上に覆いかぶさり、床に押し付けている。


 パンプの口からは聞き取れないほど小さな呪詛が紡ぎ出され、割れた額から流れる血が不気味な笑みをいっそう恐ろしく彩っている。


「あはっ」


 パンプは悪魔の笑みを浮かべると、ひしゃげた腕をローブの中から出した。その掌には導火線に火のついた爆弾が握られていた。喉が鳴るほど息を飲み、ウィウィはスキルを発動させようとしたが、爆弾とは反対の手で顔面を鷲掴みにされ、詠唱を妨げられた。グシャリと銀色の前髪が乱れる。グローブをはめた指の間からじりじりと導火線が短くなっていくほどに、ウィウィの金色の瞳に絶望の色が差した。


 その時、鳥肌が立つような異様な不協和音が、大音量で流れる。ウィウィもパンプも同時に顔を跳ね上げて周囲を見回した。パンプにはわからなかったようだが、ウィウィは、音に合わせて激しく振動するポケットの中身がスマホだとわかった。


 スマホは嫌な音を繰り返し鳴らし続ける。ふと、導火線が爆弾本体に淘汰する直前、こちらにかけてくる足音が聞こえた。


「“落流(らくりゅう)”ッ!」


 ドシャッと冷たい何かの塊がパンプの上から降ってきた。それが水だと気づいた時には、ウィウィの体は押し流されていた。驚きに表情を染めるパンプの拘束からするり逃れ、必死にもがいて手を振り回すと何かに腕を掴まれ水中から引き上げられた。


 口の中から水を吐き出しながら見上げると、とんがり帽子のつばから垂れる星屑の飾りが顔に当たった。


「ウィウィ! 無事ですか!」

「げほっ、あ、アノネ!」


 魔法杖を片手に、暗闇に浮かび上がるそのグラデーションがかった髪を見た途端に、安心したウィウィは涙がこみ上げてきた。アノネが何かを言おうと口を開いたが、ウィウィに向いていた顔を跳ね上げ、魔法の詠唱に切り替えた。


「“駆けず、守れ”——“風碧(ふうへき)”!」


 一瞬で展開された見えない風の壁が、飛来した鋭い空気の刃を弾いた。アノネはその揺らぐ壁の先で折れた腕をこちらに向けるパンプを睨みつけた。既にアノネが発生させた水は引き潮のように消え去っていている。


「……魔道士のワタシに魔法で向かってくるなんて五万年早いんですよ」

「あっそお。アノネちゃんさあ、ちょっとどいてよ。アノネちゃんだって言ってたでしょお? こんな最弱種()とかさあ、絶滅したってなんの損失もないんだから、殺したってだいじょおぶだってえ」


 全身びしょ濡れでおそらくどこもかしこも折れているだろう体をゆらりと立たせたパンプがヘラヘラと笑って近寄ってくる。


 決意をしたはずのウィウィの目にもその姿はおぞましく思え、後退りそうになった。しかし、アノネに肩を強く抱き寄せられ、ハッとしてその顔を見上げる。唇は真横に弾き結ばれ、少し目が潤んでおり今にも泣き出しそうな表情だったが、その目の奥には確かにパンプへの揺らがない怒りが燃えていた。


「……確かにそうです。ソラなんて、最弱種のくせに弁えろって何度思ったことかわかりませんし。きっと狼族が絶滅したところでワタシたちが生きている間に起こる問題なんてないでしょうね」


 何度かアノネの口から出てきた言葉だ、コハクトが気を遣って制してくれていたが、ウィウィの頭でも「最弱種のくせに」という言葉が、相手を見下している意味なのはわかる。ということは、アノネの考えはもともとパンプと近いということだ。ウィウィは、もしもここでアノネがパンプの言葉に納得して一緒になって殺しにきたら、という最悪の未来を想像して内心ハラハラしながら強くアノネのローブを握った。


「ねえ? だからさあ、同じパーティーのよしみ。その獲物ゆずってよお、アノネちゃん?」


 また一歩、パンプがひしゃげた手を差し出して歩み寄ってくる。ウィウィは掴んだローブから、アノネが大きく息を吸い込む振動が伝わってきた。


「——ッそれでも! ワタシにとっては甘党仲間がいなくなる方が大損失ですし、そんな上っ面だけだったよしみなんてクソ食らえです! 何よりも、勇者殿をたぶらかしたお前なんて、会った時から大っ嫌いでしたよ!」


 アノネの主張はなによりもこの厨房に響いた。パンプは舌打ちと同時に大量の着火済み爆弾を颯爽と取り出す。アノネの主張は止まらない。今までの鬱憤をそのまま彼にぶつけるつもりで最後にまた叫んだ。


「それに——ワタシのことは、『キルト大魔導師』と呼びなさいと言ったでしょう!」


 パンプが爆弾を投げつけてきた。既に導火線が焼き尽きかけている。アノネは短いローブを翻して杖を振るった。もう一度風の壁を作り出したのと入れ違いに、短い詠唱で氷の矢をパンプに向けて放った。爆風が風の壁に直撃し、二人をずるずると後方に押し出す。パンプは足を引きずって爆破範囲から逃れながら、次の爆弾を取り出して投げた。


 アノネはまた何か魔法を使おうと杖を構えたが、その爆弾が飛んでいく方向がこちらではないことに気がついて眉を潜めた。天井付近まで高く投げられた爆弾は、落下する直前で爆発。ためらいのない威力の爆風と火炎は二人の真上の天井を崩落させた。


「こ、この馬鹿パンプキン!」


 崩落に巻き込まれる覚悟のふざけた攻撃を察したアノネは風の壁を消すと、ウィウィを抱えて一直線に厨房の出口へ走った。走りながら背後に数発の魔法を撃ったようだが、浮かばない表情を見る限り、パンプに命中はしなかったようだ。滑り込むように廊下へ脱出したと同時に、厨房内は崩落した天井の瓦礫が室内の全てを押しつぶした。


「……パンプ、今度こそしんだ?」


 茫然とその様子を眺めていたところを、ついにウィウィが口を開いた。アノネは「さ、さあ……」とどこか腑に落ちない表情で言いながら抱えていたウィウィを地面に下ろした。


「——いでぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ッ!? ソラの声!」

「う、上の階からですか!」


 崩落した天井から情けない悲鳴が聞こえてきて、ウィウィは自分の使命を思い出した。敏感な狼耳は、ソラの声がかなり上階にいることを察知し、焦りが浮かび上がってくる。


「ソラピンチ!? 早く行かないと!」


 必死に訴えかけるが、アノネはすぐに駆け出そうとはしてくれなかった。苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたが、やがて口を開く。


「そ、ソラは……勇者殿に追われています」

「………ん? コハクト? ソラのこと助けに行った?」


 状況が飲み込めないウィウィに、アノネは言い聞かせるように言った。


「勇者殿はアステラと手を組んでたんですよ」

「アステラってなに?」

「あ、そこから……わ、悪者ですよ! とにかく酷い悪者の組織です! 勇者殿は悪者の仲間だったんです! だから、だから……その、聞いてます?」


 ウィウィは「ん?」と首を傾げて情報を整理する。


 アステラは悪者。悪者は勇者。勇者はコハクト。コハクトはソラを追っていった———


「ゆうしゃわるいやつ!? ソラ危ないじゃん!」

「おっっっそいですね! そういうことですよ!」


 あわあわと慌て始める。アノネの口ぶりからすると、ソラがコハクトに追われてから時間が経っているようだ。声が聞こえた距離からしてもウィウィたちが走って間に合うとは思えない。


 それでも、ウィウィは少しでもソラの助けになりたかった。必死に考え、ひとつ案が思い浮かぶ。実現可能かどうかはやってみるしかない。


「アノネ! ウィウィのこと外に連れてって!」




 ・ ・ ・ ・ ・




 コハクトさんさ、走れないとはいえズンズン追ってくるんですよ。結構距離稼ぎながら逃げてきたけど、全然意味ない。


 階段を登りに登っておそらく五階くらいの階層まできた。途中に入った部屋で飾られていた鎧が持っていた盾を手に入れたのはよかったが、そのせいで今さっき下の階で起きた謎の爆破で崩落した穴に落ちかけている。とっさに地面の縁に手をかけて落ちるのは免れたけど、情けない悲鳴がおそらく教会中に響き渡った。


 盾が恐ろしく重くてね、懸垂を一回もできない貧弱なやつみたいになってるよ。指離したら死ぬね~~~これ。


 え? この状況から入れる保険があるんですか?


 ガリガリと、ここにくるまでずっと聞かされた聖剣が地面に引きずられる音が近づいてくるのを聞いて、こんなことしてる場合じゃないと我に帰った。根性で腕に力を入れ、盾ごと廊下の上によじ登った。


 盾を杖代わりに立ち上がって廊下を振り返ると、鋭い剣幕でゆっくりとこちらに歩いてくるコハクトが見えた。爆発のせいで教会の壁はさらに崩落が進み、夜空が完全に見えているし、廊下の半分が崩れているから、おそらく遠くから見たらドールハウスみたいな状態になってるんじゃなかろうか。


「あのさ、まじ俺殺してもいいことないよ〜? だって世界滅んじゃうんだしさ〜〜〜」


 コハクトの中の慈悲が俺を保護路線へ持って行ってくれることを願ってみたが、当然言葉の通じないこの状態では、たとえジェスチャー多めに命乞いしても無駄だ。コハクトは俺の声すら聞こえてないんじゃないかというくらい何の反応もなく聖剣を引きずる。


 正直、スマホがないのはかなり痛い。一応、スマホには前もってウィウィのことを何があっても助けろと言ってあるし、ウィウィが持っていた方がいいことには変わりないんだけど。


 友達がうまいと言ってくれたこの口を使ってコハクトの気を逸せないのは痛手だ。言葉さえ通じれば、一発ギャグの一つや二つかましてやるのになあ。


 そういや、そう言ってくれた友達って——


 何か思い出しかけた時、ひたすらに俺を見据えていたコハクトがぴくりと反応して目線を横に向けた。壁がなくなって教会の外が見える方だ。


「ソーラーーーーーッ!」

「え、うぃうぃ?」


 可愛い叫び声がどこか遠くから——下方から響き渡ってきた。高いところが苦手なので、恐ろしく落ちないように気をつけて開いている大穴から地上を身を乗り出して見下ろすと、かなり小さくはあったが月光に照らされた銀色の尻尾が翻るのが見えた。


 ヒュッと風を切る音が聞こえ、小さな物体が高速で飛び上がってくる。それは俺たちがいる階を少し通り過ぎると、舞うように弧を描いて落下を始めた。月光を反射する滑らかな表面、赤いケース。それを見て俺は無意識に笑っていた。尻尾までブンブン振ってしまう。


「やっぱり天才かつ有能かよ〜〜〜! 本当に知能3とは思えないなあ!!」


 俺は狼らしく鋭い犬歯を舐め、落ちてきたそれをパシッと気持ちよく受け止めた。恐ろしく正確で遠距離まで届くこのコントロール……ウィウィ、絶対命中スキルのレベル上がってるわ。


 相棒の成長を内心で喜びつつ、俺は訝しげにこちらを見据えるコハクトに向き直った。


「……あ〜、テステス……」


 やっぱり、もう慣れたこの二重音声はしっくりくる。


「——コハクト、俺の言葉わかるかー?」


 満面の笑みを浮かべた俺とは正反対に、コハクトは憎悪一色の殺気を俺にぶつけてきた。




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