34.駆け引きします
コハクトは、一言二言何か口にするとこちらに走り出そうとしたのか、体を前傾に構えた。
やばいととっさに背後へ逃げようとして踵に突っかけ、俺は思いっきり転んだ。それと同時に、俺の頭上を何かが高速で飛んで行った。金属音がして、体を起こしてそちらを見ると、コハクトがさっきまで持っていた剣が教会の外壁に深々と刺さっていた。
「え、投擲? 剣道もクソもねえ……あれ、コハクトさん?」
コハクトの方を振り返ると、信じられないことにアイツまで顔面から地面に突っ込んで転んでいた。転んだせいで剣をたまたま手放して投げてしまったらしい。
びっくりした。なんでコハクトまで転んでんの。運動不足?
コハクト自身も大層驚いたようで、起き上がって俺を睨みつけてきた。
いや、俺何もしてないし。
コハクトは立ち上がり、走ろうとして転び、また立ち上がっては転びを繰り返している。芋虫が這うよりも遅いんじゃないかと言うくらいの速度でじわじわと俺に近づいてきているが、その姿が面白すぎて全然怖くない。
「なあ、もしかしてさ……走れないの?」
俺は立ち上がって軽く走ってコハクトから離れた。俺は普通に走れる。コハクトの方は、逃すかと言う表情をして立ち上がったがまたコケた。なぜかはわからないが、コハクトだけが走れなくなっている。
「……盗塁チャーーーンスッ!!」
俺は躊躇わずに教会の壁沿いに走り出した。
本来なら狼族と勇者の間にはクソと金くらい身体能力の差があるが、アイツが走れないっていうハンディキャップを背負った今、俺の生存率ブチ上がってます。
さあ、選択を間違えるな本田昊!
よくわからん殺意を向けてくるコハクトに殺されないためには、集落の家屋に逃げてはいけない。あの脳筋勇者、家屋ごと魔法でぶっ飛ばして被害を広げかねない。逆に俺が逃げる場所を失うだけだ。手段の多さとウィウィのことを考えるなら、逃げる場所は一つしかない。もちろん教会の中だ。
回数制限的にはあと二回あるけど、悟られたらアウト。上手に逃げなくてはならない。
教会廃墟には住民の警備はついていないようだった。入り口から中を覗いて、危険物が何もないことを確認。一度だけ振り返ってコハクトがまだ追いついていないことを確認してから中へ飛び込んだ。
「盾さがそ〜〜〜っと」
・ ・ ・ ・ ・
「……ん、あっれえ。何してんのお?」
「くッ……」
勇者を探して教会周辺を練り歩いていたパンプは、その姿を見つけて首を傾げるしかなかった。何しろコハクトが四つん這いになって地面に拳を叩きつけていたのだ。
「勇者くん、アリの観察でもしてるのお?」
「そんなわけあるかッ! ……フェルムのテイムスキルだ」
「……青髪くんがなにい?」
もう一度拳を叩きつけて地面を砕いたコハクトは、苦い顔をして立ち上がった。
「アイツのスキルだ。『動くな』という命令は時間経過とともに幸運値が下がって解除されたが、『走るな』と言う命令は言葉的な強制力が弱いせいか、解除されていなかった」
「へえ、死んでも勇者くんに迷惑かけるんだあ」
自分の血に溺れている青髪にチラリと視線を向けて笑うと、コハクトが殺気を纏って睨みつけてきた。自分で刺し殺したくせに、自分の召使を貶されるのは嫌らしい。鼻で笑ってやった。
コハクトは本当に合理的主義な人間だ。道中でたまたま出会ったアステラの手下であるパンプとあろうことか手を組んだ。何を焦っているのかは知らないが、魔王の情報を手に入れるための対価としていくつものテロに手を貸した。つい昨日の夜も隣町を滅ぼしてさっさとサプリングデイに戻ってきた。
テロの手伝いをする代わりに、パンプは本部からの情報をコハクトに提供し、魔王探しに力を貸している。パンプが彼に協力する理由は簡単だ。アステラの主審であるフィフティマの御意志——つまりはそう言う命令だからだ。パンプは特に神を信仰していないが、サラリーをもらっている以上はそれに従う。
不思議なのは、コハクトにつく前のアステラには、魔王など眼中にない空気があったことだ。それが急に「魔王を倒すために勇者に力を貸せ」と言う命令だ。相変わらず邪神の考えることは理解しかねる。
それでも、勇者に協力する理由はわかる。魔王を倒せるのは勇者だけと言う話は有名だ。そうでなければあんな前代未聞の最弱種魔王、とっとと爆破している。
不思議といえば、これもだ。昨日の集落テロで通達された指令にはこう書かれていた。
『サルギナダンジョンで貴殿たちが保護した男が魔王の現身である。サプリングデイはずれの集落の廃協会にて勇者に討伐させよ』
場所指定までは、宗教上のよくわからないしきたりやジンクスでよくあることだ。しかし、どうしてもソラが魔王だとは思えない。……が、パンプにとっては狼を殺してさらにお金をもらえる機会なので、その問題は早々に捨てた。
「……ウィウィは」
「ん、地下倉庫に押し込んであるよお。アイツはおびき出せたからもう用済みでしょお? 殺すう?」
期待を込めて聞いたが、コハクトは顔を横に振った。
「大人しく魔王を殺すために人質に使う」
「わあ、合理的だねえ。いいと思うよお」
勇者の言うべき言葉ではないが、あの魔王相手ならばこれ以上ない方法だ。
「オレはソラを追いかける。連れてこい」
そう言ってコハクトは歩き出した。走れないことに苛立っているように、手に持った聖剣を地面に叩きつけている。パンプは笑って彼を追い越し、先に教会に入った。
階段を下って地下倉庫の扉の前まで行く。そこで微かな違和感に気がついた。ウィウィの匂いが扉付近に強く残っている。扉に手をかけると、内側からかんぬきがかかっているようだった。無理やり蹴破ると、やはり割れた木製のかんぬきが床に転がった。飛び上がったネズミがするりとパンプの足下を通ってスタコラ逃げて行った。
部屋の中を一望すると、ウィウィの姿が見えないことにすぐに気がつく。床にはウィウィを拘束していた縄と猿轡がくたっと落ちている。倉庫奥の壁際に積み上げられた木箱が、パンプの記憶とは少し違う位置に移動しているようだ。倉庫内に入って歩み寄ると、天井付近の壁に大人の男でも通れそうな通風口があった。なんてお誂え向きか。暴走しないように押し込んでいたコハクトもここから抜け出したのかも知れない。コハクトが通れたのなら、ウィウィも——
ふと、その通気口に手をかけた時、気がついた。通気口内に溜まった埃についた足跡が一つしかない。
「ふ、ふふ……狼のくせに、こざかしいですう」
パンプは近くの木箱を蹴飛ばして中身をぶちまけた。踵を返して地下倉庫の外へ出る。同時に廊下先で白い煙が微かに漂っていた。コハクトから聞いた、ウィウィのチェルジを解除した時の特徴だ。階段を登っていく素足の足音がする。
扉を開けた際にネズミが出て行ったことを思い出した。とんでもなく面倒なスキルを使うものだ。
「殺すッ!」
魔王討伐にウィウィは絶対必要な存在ではない。パンプは己の殺気に身を委ねることにした。
階段を駆け上がる。ウィウィの方もパンプが追いかけてきたことに気がついたのか、走るスピードを上げた。しかし、犬人族と狼族の身体能力の差は歴然。彼女の後ろ姿はすぐに見えた。喉を引きつらせて、とっさに近くの部屋に飛び込み、扉を閉めた。中から微かに何かを唱える声が聞こえる。爆弾を取り出しかけたが、こんな廃墟で爆発など起こしたら崩落して自分まで巻き込まれかねない。舌打ちして走る勢いで再び扉を蹴破った。
扉の先は、食糧庫が近いだけあってか、厨房だった。無駄に広く、埃をかぶった調理台の上に器具が乱雑に放置されている。ウィウィの姿は見えない。スンスンと鼻を鳴らしてみたが、匂いは入り口で途切れていた。さっき聞こえた声は、スキル発動を唱えたものだったのだろう。この厨房の中の何かに化けていると言うことだ。
彼女のスキルが匂いまで変身したものを再現できるとは想定外だったが、できることがないわけではない。パンプは小さな小瓶を取り出した。それを小規模の爆発を起こせる小型の爆弾に差し込んで火をつけた。体を扉の外に出し、手だけを差し込んで爆弾を厨房の中央に投げ、即座に扉を閉めた。
小瓶の中身はとても便利な液体が入っている。生命あるもののみに付着した時、激臭を発すると言う特性を持った、サルギナダンジョン最下層にいるアネモスベアーの血液だ。コハクトが狩り尽くした魔物の中から引っ張り出して、死ぬほど採集していた甲斐があった。それをこの特別な爆弾で爆発させれば、飛沫を厨房内のほとんどのものに瞬時に付着させることができる。
心の中で時間を図る。これでウィウィを見失うことはないはずだ。
・ ・ ・ ・ ・
ウィウィは、昨日の夜ソラに教えられたことを思い出していた。本当に寝る直前だ。身振りと演技付きで読み聞かせられた物語の続きが気になったが、「大事なことだからな」と諭されて聞いた。
パンプのことだ。もしもアイツが理性を失って襲いかかってきた場合、なすすべなく殺されるのはごめんだ。だから、今わかっていることを教えると、そう言っていた。
パンプは、防御力がそこまで高くない。手袋やブーツなどに加えて火に耐性のあるマントまでの過剰さ、そして、ソラに頭突きを喰らった時の反応から見て、それを予測したそうだ。固く、重いもので殴れば、相応のダメージは負うだろうと。そして、素早さも、勇者ほどではない。もちろん、狼であるこちらよりは数倍早いが、見たところ本気を出させない限りはフェルムと同じくらいのようだ。もし、パンプから逃げることになれば、単純に背を向けて逃げてはいけないと言われた。
そして、ウィウィ自身のことも教えられた。ウィウィのスキル“チェルジ”は、変身後は匂い、雰囲気、大きさ、重さなど細かいところまで再現してくれるそうだ。
「どうしてそんなことまで知っているの?」と、その頃にはまどろみ始めた思考に浮かんだ質問を投げかけると、ソラはニヤリと笑っていつでも彼の胸ポケットに入っている「スマホ」を指差していた。
不思議な道具だ。いつでもソラはこの薄い発光する板に話かけ、情報を集め、その頭で柔軟な解決策を見つけ、死戦を潜ってきた。
きっとソラにはこの「スマホ」が必要だ。そのためには、このパンプを出し抜き、ソラのもとへ向かわなければならない。
ウィウィも、スマホに話しかけることで、おぼつかないながらも情報を集めた。ソラのようになりたかった。
「すまほ、これで、ほんとうにだいじょうぶだと思う?」
呼びかけると、スマホは黙ったまま反応してくれなかった。先ほど鑑定をしてもらった時は反応してくれたのに。ソラにしか愛想がよくないなあ、と唇を尖らせて、部屋の中に放り込まれた爆弾を見下ろしながら、薬屋で銀貨一枚と交換した小瓶の中身を飲み干した。言葉で言い表せられないほどにものすごくまずい。
気合で最後の一滴を舐めきると同時に、小さなボールのような爆弾が弾けた。爆風はそこまで強力ではなかったが、内側から赤黒い液体が飛び散り、部屋のほとんどをその色で染め上げた。
やがて、パンプが様子を伺うようにして扉を開け、中に入ってきた。入り口から右回りで旋回するようにして、流し台と調理台の間にくる。何か戸惑っているようにあたりをキョロキョロと見回している。
ウィウィは、二度三度深呼吸をしてから覚悟を決め、天井の梁にかけていた手を離した。




