32.幸運なお知らせ
地下倉庫はかなり淀んだ空気だったため、協会から出た時の空気は妙に新鮮に感じた。
コハクトはガコッと廃井戸にかかった網を内側から外した。腕力だけで砕けた錠前が降ってくるのを片手で払い、井戸の縁に手をかけて懸垂の要領で外へ這い出る。周りを見回すと、教会の壁がすぐ横に見えた。どうやらうまく抜け出せたようだ。
パンプに倉庫に押し込められた時はどうなるかと思ったが、なんとか執念で壁に張り付いて調べ人一人が入れそうな通気口を発見した時はラッキーだった。さらにはその通気口の中が崩落して外の井戸への横穴が繋がっていると言う幸運が続き、コハクトはその狭い通路から教会の外へ脱出した。
はっきり言って、教会の扉や壁を蹴破って脱出するもの不可能ではなかったが、この建物全体が崩れかかっているところに衝撃を与えると全体が崩落してしまいそうなのでやめておいた。この廃教会は大切なものだ。
置いていってしまった刀のためにもう一度教会に入らなければならない。体の方向を変え、歩き出そうとすると、近くから走ってくる足音が聞こえ、立ち止まった。刀に手をかけようとして、刀を持っていないのを思い出し、手が宙を掻いた。
「コハクト様!?」
「ッ……フェルム! どうしてここに……」
茂みから現れたのは全身に葉っぱや煤をつけたフェルムだった。周りを見回すが、アノネなどの姿は見えない。
「……ソラはどうした?」
「わ、わかりません。街の方で爆弾テロが……はあっ、パンプがアストラで……ハアッ、ウィウィが攫われてソラが急に走り出して……ハアッ! はぐれてしまって……」
「アノネは?」
「し、集落には入れたんですが、その後にまた正気を失ってる住民に見つかって追いかけられて……二手に分かれました」
「そうか……」
コハクトは唇を噛んだ。どこかで大量に爆発が起こっていることは地響きと音でわかっていた。もう周囲は太陽が沈みかけ、夜が訪れようとしていた。時間がない。早くどうにかしなければならない。
「フェルム、お前はソラとアノネを探して連れてこい。オレは教会の中に刀を取りに行ってくる」
そう指示すると、フェルムは顔を硬らせた。いつもは素直に命令を聞いて素早く動く彼が一歩も動かないことを不思議に思い、眉を顰める。フェルムはいつもの引き攣った笑いでコハクトを見上げてきた。
「こ、コハクト様……一体何をしようとしてるんですか?」
「“何を”? ……どう言う意味だ」
質問の意図がわからず、歩き出しかけていた足を止めた。フェルムの手がベルトにかけているテイム用の鞭の柄をいじっている。これは、フェルムがとてつもなく言いづらいことを言おうとしているときの癖だ。
「こ、ここ、これは……コハクト様がやらなくてはならないことなのですか?」
「……何を言っている? 当然だろう? お前もわかってるはずだ。勇者は魔王を倒すことが使命だ。それだけじゃ……」
「こ、ここに魔王なんていませんが!?」
フェルムが声を上げた。コハクトは気圧されて目を見開いた。いつもボソボソ声で喋るフェルムがここまではっきりと主人を否定することなどあっただろうか。
「た、民を救うのも勇者の仕事だと言っても限度があります! そ、それにパンプはアストラです、魔王の手先でもなんでもない! 邪宗を討つのは騎士団の仕事ですよね!?」
唾を飛ばして喋るフェルムは、つっかえつっかえ何かを伝えようとしている。
「コハクト様。ボクには貴方が最近焦っているように見えます……昨夜だって護衛のボクに黙って勝手に宿を出ましたよね! 冷静なコハクト様なら絶対にしません。絶対何か良くないことが起こります。少し休みましょう、騎士団が応援に来てくれていますからこの場は大丈夫です!」
コハクトは、唇を硬く閉じた。
フェルムのいうことは何も間違っていない。魔王の討伐が勇者の仕事。邪宗の取締りは聖騎士団の仕事。これは世間一般の常識だ。悪を倒すという面は似ているようでも、この世界の住民なら誰もがわかる違いがある。
しかし、ズレている。コハクトがここまでしてきた努力を知らないのだから当然だが、フェルムはひとつ勘違いをしている。
「フェルム……」
コハクトは、フェルムの方へ向き直った。自分の言い分を聞き入れてくれるのかと思ったのか、フェルムは一瞬顔を輝かせたものの、コハクトの顔を見上げて絶望一色に様変わりした。フェルムには悪いが、ここで折れるわけにはいかないわけがある。
「オレがやろうとしているのは勇者の仕事だ。……邪魔をしないでくれ」
一言言って目を伏せ、フェルムに背を向けて歩き出した。刀だ。武器がなくては魔王を倒せない。まだ教会付近には騎士団も住民もいない。今なら簡単に進入できるだろう。
一歩二歩と踏み出し。背後のフェルムの気配が遠ざかる。ふと口を開け、何か声をかけようとしているのがわかったが、構わず歩き続けた。
「……“く”ッ――」
「ッ!? やめっ……!」
つっかえつつも発されようとしているフェルムの声が金属音を纏っていることに気がついた。彼が何をしようとしているのか察し、振り向いてその口を塞ごうとしたが、勇者の速度でも、一歩間に合わなかった。
「“仔獣奏”ッ!! “走るな”、“止まれ”!」
声に纏う金属音は、スキルが正しく発動した証拠。実際、コハクトはフェルムに触れる直前の体勢でビタッと止まった。堂々たる態度、そして声でかけられたフェルムの命令にコハクトは自分の意思と反して従ってしまっていた。
(こ、こいつッ……どうして!)
コハクトは目の前のフェルムを睨みつけた。フェルムは声とは裏腹にビクビクとコハクトの伸ばしかけた手から自分を腕で庇って震えていた。
フェルムが持つ、テイマーなら誰もが一度は想像することを実現できるスキル“仔獣奏”。これは、本来ならテイムすることのできない人間も獣人も、生き物であれば全てテイムすることができるスキルだ。
一見万能のようなスキルではある。しかし、当然ながら条件や運の要素が酷く出ていて簡単には使えず、薄幸で低レベルのフェルムにとっては持て余すほどのスキルだと本人が嘆いていた。
コハクトも、彼のスキルを知らなかったわけではない。だが、彼が滅多なことでは使わなかったことと、彼の性格と、そのスキルの特性からして勇者という自分には効果がないだろうと、警戒していなかった。ましてや、忠誠心の強さからコハクトの護衛をもぎ取ってきたフェルムという人間が、コハクトに反抗するということ自体がありえないと思っていた。
しかし、よく考えると、それも逆に忠誠心の高さ故かもしれない。コハクトを守らなければという使命感に飲まれているのか。
彼はコハクトが完全に停止したことを認めると、ようやく引けた腰を立てる。
「ご、ごめんなさい………」
威圧をかけられ、フェルムは涙目になりながらも、コハクトが肩から下げていたマジックバックを取り上げた。口を開け、両手を使って広げる。
「ごめんなさい、ごめんなさいコハクト様……」
フェルムは懺悔するかのように謝りながら、マジックバックの口をコハクトの頭に被せた。そのまま下に引き下ろすと、すっぽりと彼の体はバックの中に入ってしまう。
その視界が暗闇に塗り潰される寸前、コハクトはフェルムが掛けている方の普通のバックから大量の小瓶がこぼれ落ちるのを見た。
何も見えない。暗い空間でもがくが、出口がどこかわからない。こつりと手に何か当たりる。それはギルドで発行されるタグだった。動けないままに念じると、ステータスとして青白く光る文字がその金属の表面に浮かび上がる。どうやらフェルムのタグのようだが、コハクトはそのステータスのある一覧を見て自分の目を疑った。
千を超える幸運値が、みるみると減少していっていた。
・ ・ ・ ・ ・
爆発音の一発一発が振動として伝わってくるたび、ウィウィはビクりと肩を震わせていた。涙目になって目をつぶる。猿轡のためにパンプにくわえさせられたボロ切れの嫌な味が染みてきて、少しえづいた。
気がついた時にはギルドでパンプに手を引っ張られ、彼の腕に頭をロックされたままここまで連れてこられてしまっていた。
身動ぎをするが、胴体ごと縛り付けられている腕は動いてくれない。もし、この縄が溶けたとしても、ウィウィは、逃げ出すために走ることができるか自分でも確証が持てなかった。
もし逃げたところを見つかり、あの本性を隠さなくなったパンプに見つかったら。自分が爆弾で粉々にされている光景を想像するだけで、ウィウィの心はぽきりと簡単に折れそうになった。
なんでもいいから救いを求めて目を瞑ると、最初に思い浮かんだのは父親だ。彼の最後の姿が目に焼き付いている。全身に火傷を負いながらもウィウィを逃した。最初にウィウィに救いを与えた存在だ。父親に会いたい気持ちが涙になって溢れそうになった。
ぐっと歯を食いしばる。
「うう……」
涙は堪えた。口端から呻き声が出る。恐怖からではない。
「ウゥ……グルルルル……」
闘志からだ。喉を低く鳴らし、自分の心を煽る。
そうだ。自分は父親に会うために強くなるのだと誓った。誰に誓った? もちろん、ウィウィ自身と、そしてソラだ。強くなる。このまま、なすがままに横たわっているのでは、何も変わることなどできない。
もし、このまま震えている間に全てが終わり、パンプが勝手ウィウィが殺されるのだとしても、ソラに助けられたとしても、それは強くなろうとしているウィウィの負けだ。自分で何かしなければならない。
ソラが身をもって教えてくれた。自分で考えること。その考えで問題は解決できること。そして、狼族は最弱種であっても決して理不尽に弱くはないこと。ソラにもできたなら、ウィウィにもできることはあるはずだ。
ウィウィは身をよじって、ポケットの中の固い感触を確認した。
それに、ソラにはスマホが必要なはずだ。これを全て終わってからソラに返すのでは、ウィウィはただの足を引っ張っただけの役立たずになってしまう。これを自分の足、手で届けて、パンプなんかに拐われてしまった失敗を取り消す。そうすることで、自分が強くなれるということを証明するのだ。証明する相手が誰か、なんて気にしなくていい。
ブツリと微かな音を立てて猿轡がウィウィの犬歯によって噛み切られた。はらりと彼女の口周りからボロ切れが取り払われる。汚い布を介していない空気で肺を満たす。まだ淀んではいたが、幾分かはましだ。これでウィウィだけにできることを、唱えることができる。
・ ・ ・ ・ ・
こんなスキルは、二度と使わないとコハクトの護衛に決まったその日に心に決め、昨日ソラが教会の上から落下しそうになったのを救うためにその制約を破って使い、今度は主人に謀反紛いの命令違反をするために使っている。
頭の中で主人に反抗したというプレッシャーに押しつぶされそうになって思考をかき乱しながら、集落の出口に向かって一心不乱に走っていた。肩にはもちろんコハクトを詰め込んだマジックバックを提げ、肩紐を固く掴んで体に引き寄せいている。
フェルムは、自分のスキルのことをコハクト以外に話したことがなかった。スキルの効果が、他人を期待させてしまうからだ。テイマーならば一度は想像する他人を操る能力。うまく活用すれば讃えられ、悪用すれば誰よりも気味悪がられる。しかし、フェルムにはずっとうまく使いこなすことができず、悪用すら満足にできないという酷いものだった。
“仔獣奏”は、まず自分のレベルがテイムしようとする対象よりもレベルが高くないいけない。相手が自分よりもレベルが高い場合は、幸運値でその成功するかが左右されるという、幸運値が生まれつき低いうえ、身体能力の低さからなかなかレベルも上がらなかったフェルムはまずここでつまずいた。
家族やエレメンタリースクールの仲間にそのことがバレれば、きっとそのスキルがお前には合っていないと馬鹿にされると思い、必死に隠してきた。ただでさえ卑屈だったフェルムは、この宝の持ち腐れにも程があるスキルを抱え隠すためにさらに人の目を気にするようになった。
だが、今さっきスキルを使用したことは、間違いだったとは思っていない。
フェルムは、コハクト・グリフィンの護衛としてこの旅についてきたのだ。彼の様子からして。このまま進めば良くないことが起こるのは明白だった。もしこのままグリフィン家の領地にコハクトを連れて帰って、何をしているのだと罰則を受けても、コハクトのためだったと開き直ってやる。それくらいの気持ちで、フェルムは今ひた走っていた。
そんなスキルを使うために、薬屋で大量購入した溝の中に虫の死骸を入れて煮込んだような味のする幸運薬をコハクトを発見するまでに五十本以上飲み切り、幸運値を無理やり上げてまでして、コハクトのテイムを成功させた努力くらいは誰かに認められたい。
逃げても、この事態が収集するわけではないだろう。だが、それでもフェルムにはこれ以外にコハクトを守る術が思いつかなかった。ソラやウィウィを見捨てるわけではない。コハクトの入ったマジックバックを置いて、そのあとで騎士団の応援を集落に呼んでくればいい。
そうすれば——
とんっと腹を押される感触を覚え、見下ろした。人の腕が見えた。そして剣も。
バターを切るように、滑らかに腹に刺さったその青色の光を纏った剣が、さらに押し込まれた。痛みと混乱に喘ぐようにして空気を吐き出し、一歩二歩とたたらを踏み、ついに地面に倒れた。
——聖剣……?
どくどくと血が溢れる穴をフェルムの腹に開けたその剣は、確かに聖剣だった。勇者であるコハクトが授かったもの。彼が刀を使うからとずっと前からマジックバックの底で静かに埃を被っていた、はず。
口端から血の塊を吐き出した。聖剣が引き抜かれたからだ。聖剣のツカを掴む腕を、混乱する視界で辿る。その終着点は、フェルム自身が肩からかけているマジックバックだ。その鞄の蓋を押し除けて、腕の主が這って出てこようとしている。
蜂蜜のように透き通った金髪、紅い目、白と黒の鎧。いつもと違うのは、手に持つ武器が聖剣だということだけ。間違えるはずもない。フェルムの主人が、フェルムを刺した聖剣を握っていた。
マジックバックから完全員這い出、立ち上がったコハクトは、乱れた前髪を掻き上げて冷ややかにフェルムを見下ろした。
「……オレに反抗するとはな、フェルム……当然の報いだろう?」
「ど、どうし……」
「まあでも、お前の愚行のおかげで、この一種の儀式に必要なこの聖剣の存在を思い出すことができた。それだけは褒めてやる」
フェルムは腹を抑えた。既にかなりの血液が体外へ出て行ってしまっている。熱を持つ腹に触れた指先がひどく冷たい。コハクトは、そんな彼を見ても何を感じないかのように聖剣についた血を振り払った。
「ああ」と、どこか達観したように把握した。コハクトにかけたテイムの一部の効果が切れている。ただでさえ、勇者という桁違いの存在を幸運でテイムをしたのだ。その幸運を使い切れば、代償としてこれくらいの不運は訪れる。
「オレは、勇者だ。魔王を倒さなくてはならない。魔王は——-ソラだ」
——どうして。だって、ソラは魔王じゃないと、今朝完全にそう証明されたじゃないですか。あなたが調べたんじゃないですか。
いまだに妄言紛いのソラへの疑いを繰り返すコハクトに、そう言おうとした。だが、ただただ空気が気管を通り抜けるのみで、声にならない。しかし、コハクトの目を見て、その声かけも意味をなさないのを悟った。
「魔王と敵対するアステラと手を組んでまで手に入れた情報——啓示だ……間違いはない。ダンジョンに向かった魔王の情報だって間違ってはいなかった」
確かに、コハクトはフェルムも知らない“信頼できる”情報源から魔王の行方を突き止めることが過去にも何度かあった。ギルドなどの勇者にしか知りえないところから仕入れているとばかり思っていた。まさかアストラから直接聞いているなど誰が想像できるのか。
パンプがアストラの使者としてコハクトをたぶらかしたのが先か、コハクト自らアストラに協力を仰いだのか、それはもう確かめることはできない。
ざり、という音がしたかと思うと、フェルムを見下ろしていたコハクトの視線が跳ね上がった。首を動かす力が残っておらず、視線だけで音のした方を見ると、見覚えのあるブーツが遠くに見えた。
「ゆ、勇者……どの?」
「……アノネ」
アノネは、地面に倒れ伏すフェルムとコハクトを交互に見て、青ざめていた。既に日は落ちており、気温も下がっているというのに汗までかいている。どこか抜けていても、頭のいい彼女のことだ。おそらく、一目で状況を全てを察したのだろう。
「なぜ、フェルムを……」
「“剣炎”」
アノネの震える声の問いかけを無視して、コハクトが短い詠唱とともに聖剣を振り上げた。まるでそこに滴っていた雫が払われるかの如く、その剣先から火球が放たれる。竦み上がったアノネは防御をすることも忘れて顔を引き攣らせ、炎の接近を許した。
「——〜〜〜ッ!?」
そこに割り込む影が一つ。毛を逆立てた尻尾を翻して、アノネの前に躍り出た男は、フェルムにはわからない言葉で喚きながら迫りくる炎に手を伸ばした。その途端、火球は一瞬だけ輝きを増し、コハクトへ跳ね返った。
「来たか……ソラ」
鎧の肩で火球を受けたコハクトは、全く意に介さない様子でソラを見据えた。
視界が黒ずみ、周囲の音が遠くなる。見届けられるのはここまでらしい。それでも、フェルムは最後に血を吐きながらスキルを発動した。手応えは確かにあった。
☆よくわかる幸運値早見表☆
0以下:とにかく不運。あなたに都合の悪いことばかり起きる。
1~20:小さな不運が続く。些細なラッキーはほとんど起こらない。
21~80:普通。いいことも悪いことも起きる確率は同じくらい。
81~240:度々幸運な出来事が続く。
241~665:あなたの望む幸運な出来事がたくさん起こる。
666以上:世界があなたの味方をする。代わりに失う幸運は大きい。




