3.人間ではない?
ぬるま湯のようで、冬の寝起きの布団のような離れがたい温もりに全身が浸っている。
夢? これ夢? やけに意識はっきりしてんな。
疑問を持ちながらも心地よい感覚に身を委ねていた。意識はあるが視界は暗い。物も人も地面も天井も何もかも見えない。
あれ、これ死んだか? やっぱりあそこでデカ犬の攻撃を見切ってれば怪我することもなかったか……
「死んでいません。あなたは……まだ生きている」
凛とした……そして聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、視界が明るくなり、暗黒世界から一転、真っ白で平坦な世界に様変わりした。光っているようなのに、全く眩しくない。不思議~。
「あ、案外正気を保っているんですね」
すると、その俺が見ていた何もない空間に歪みが発生して、そこから――……そこから、地面まで届きそうな美しく長い金髪を垂らした女の人が出てきた。
「こんにちは、初めまして」
可愛い。
「わ……ワタシはこの世界の管理神を勤めています……」
めっちゃくちゃ可愛いぞこの人。
「し、自然と審判の神、ユーリアシュ……と申します」
髪の毛はあんなに長いのにサラサラっぽいし、オーラあるし、何よりまずかわい――
「あ、あのっ! ここ、あなたの意識の世界なので心の中とか丸聞こえなんです! 謹んでください!」
え、アッハイ。すんませんでした。ちょっと調子乗ってました。
「もうっ、お話はきちんと聞いてましたか?」
えっと、あなたの名前が……ユーリアシュさん? お綺麗ですねーこれまた。
「つ、謹んでくださいと言ったじゃないですか!」
やべ、心の声だだ漏れってかなりやばいな。
しかし、怒られると思ったがユーリアシュさんはその顔を赤らめただけでそれ以外は何も言わなかった。お硬い感じを装ってはいるが案外性格も可愛い人かもしれない。
「コホン。改めて……ワタシのことはユーリアシュで結構です。さて、あなたは今自身に何が起こっているかわかっておらず混乱しているでしょう」
まあそうだな。俺が元いた世界からこの異世界に転移させられたってことくらいしかわからない。
「あれっ……それは把握しているんですか。それならお話が早いです」
やっぱり転移させられたってことだったのか! 転生じゃないなら俺は一回死んだわけじゃないんだな!!
そう内心で喜んでいると、その心の声を聞いたユーリアシュは表情を曇らせた。
「そ、それが……ごめんなさい。それはわからないのです」
えっ、どういうことだ? だってアンタが俺をこの世界に連れてきたんじゃ……?
「そう……今ワタシがあなたの意識に語りかけているのも、その問題があるからです。混乱しているところ申し訳ないですが、ワタシには今あまり時間がありません。本題に入ります」
真剣な顔つきになったユーリアシュの様子に、何かただ事ではないことが起こっているのだと察した俺は脳内を静かにして、ユーリアシュに集中した。
「あなたは元の世界においてなんらかのきっかけによって、ある神の悪戯によりこちらの世界に勝手に飛ばされてきました。その神は神界の中でもかなり全能に近いフィフティマという神です。つまり、あなたをこの世界に連れてきたのはその神。ですから……元の世界にいた時のあなたの状態を、ワタシは知らないのです」
そのフィフティマという神は、とても性格に難があって神界、現世、異世界、天国地獄などの世界の壁を越えて自由に行き来できる上に、そのどの世界でも楽しんで問題を起こしている厄介な存在らしい。他の神がフィフティマを止めようとしても、全能に届く力を持っているため全く歯が立たないまま今に至るそうだ。
この世界の管理者であるユーリアシュにもその噂は耳に入っており、存在は知っていた。
ただ、実際に対面したのはなんとつい昨日のこと。直接管理担当である自然界のバランスを調節していたところに、大切に育てていた新種の花を踏み荒らしながら彼は現れたそうだ。
『こっちに異世界の人間送ったから! 間違えてダンジョンの下層に送っちゃったけど、勝手に手出さないでね! 手ェ出したらこの世界滅亡させるから!たまに様子見に来るね!』
それだけ言ってまた何処かへ行ったフィフティマ。呆気にとられていたユーリアシュだったが、すぐに事態の深刻さに気がつくと行動に出た。
「ワタシはこの世界の管理者ですが、他の世界の存在からの干渉には気がつけないんです。あなたの居場所もわからず、唯一の手がかりである彼の言葉にあったこの世界にあるダンジョンを片っ端から探してようやくあなたを見つけたんです」
そこからは慎重に、しかし素早く動かなければならなかったらしい。
見つけた途端に俺があのデカ狼に襲われかけていたからだ。ユーリアシュには俺を死なせるわけにはいかない理由が倫理以外にもあったから。
しかし、フィフティマは俺に関わったら世界を滅亡させると脅してきた。なのでフィフティマに気がつかれない方法を必死に探して、一旦俺が自力で逃げられるようにいろいろと助けてくれたようだ。最初に時間がないと言ったのも、フィフティマに俺と干渉していることを気がつかれないためだそう。
あの時の背中を押されるような感覚や、突然ミミックさんがデカ狼に襲い掛かったのもユーリアシュの手助けだったらしい。めっちゃ助かった。
でも……俺を死なせるわけにはいかない理由ってなんだ?
そう思って首を傾げていると、ユーリアシュは穏やかに目を閉じて語る。
「……この世界の魂の量は常に一定です。世界が誕生し、今に至るまで全ての人々、魔物、動植物たちは転生を繰り返して“生命の輪”を回し続けています」
なるほど。この世界にも転生システムの概念はあるんだな。
「ここからがあなたの生死に関わってくることです。その生命の輪というものは、この世界の魂しか受け入れないのです。もし、異世界の人間……であるあなたが死亡して魂のみの存在となって生命の輪に訪れてその輪に触れた瞬間キャパオーバー……粉砕します」
フンサイ。
「その瞬間、生命の輪で転生の準備をしていた魂は全て消滅」
ショウメツ。
「その後、死後の転生の術を失ったこの世界には二度と新たな生命が生まれなくなり、食料も取れなくなるため食糧飢饉により人間は数年も持たず滅亡します」
メツボウ。
「ですから……あなたにはあの場所で死なせるわけにはいかなかったのです」
や、やべえ……俺爆弾じゃねーか。さっき襲われたあれは、もう魔王がこの世を滅ぼそうとしてる所業と同じことしていたってことだろ!? こんな危険なやつこの世にいていいのか……?
俺が心配になってると、ユーリアシュは慌てて付け加えた。
「こ、怖がらせてごめんなさい! あなたにこの世界から出て行って欲しいと言っているわけではないんですよ。死亡した場合、というだけでこの世界にいるだけならあなたには全く害はないですから!」
そうなのか。とりあえずよかった……のか? でもそう言われると自分が今後死なないか心配になってくるなぁ……なんでも俺、ダンジョンの下層にいるんだろ? あんな強そうなデカ狼もいたし、生き抜けるかどうか。
「本当ですよぉ……人間だと聞いていたのに、こんなことになっているとは……」
んえ? 何の話だ?
俺の心配に同意してきたユーリアシュの言葉に違和感を覚えた俺が問いかけると、ユーリアシュは驚いたように目を見開いた。
「え……もしかして気がついていないんですか?」
なにに?
そう思って首を傾げてようとして――そこで自分の体が存在していないことに気がついた。ユーリアシュがここは俺の意識の中って言ってたからだろうか。三人称視点の夢を見ているような感覚だ。
そうしていると、ユーリアシュは手を前に出して掌を上にし、その上に大きな鏡を出現させた。
わお、異空間マジック。
「覗いてみてください。この鏡は今気を失っているあなたの姿をうつしています」
そういえば、ユーリアシュに会う前って、疲れて寝たんだったか……
呑気に先ほどのことを思い出しながら鏡を覗いた俺は……絶句した。いや、今まで一回も声出してないだろっていうツッコミなしで、本当に心の底から驚いた。
そこに映し出された俺はダンジョンの地面にうつ伏せに倒れていたのだが、おかしいところは二点。
ひとつは、自身の短髪のせいでわかりにくくはなっているが、俺の頭に尖った大きな獣のような三角の耳が生えていること。元の人間らしい丸っこい頭の横にあったはずの耳は見えない……というか無い、無くなってる。
ふたつめは、うつ伏せになっている俺の腰あたり。制服のズボンのウエストが膨らみ、そこからタワシのような毛並みの長くて大きな尻尾が飛び出ている。
それらの情報を総合的に飲み込んで、改めて自身の全身を見てみて言葉で表すなら……これは紛れもなくファンタジーに出てくる獣人の特徴だ。
なんだこれ、どうなってんだ!? 俺は獣人になったのか!? てか、こんなデカイ耳と尻尾に気がつかないとか俺鈍感すぎるだろ!
「やはり気がついていなかったんですね。まあ、元々が人間ならばそうなっても仕方ないと思います」
これもフィフティマの仕業か!?
「う、うーん……実は、そこは微妙なところなんです。フィフティマはあなたに何かしらの手を加えたようなんですが、それがこれのことなのか……異世界から転移してきた存在がその世界に適応するために姿を変える例もあるので一概にあの神のせいにできないんですよ」
そこまで言い切ったユーリアシュは、不安に満ちた大きなため息をついた。
「普通の獣人や魔獣ならまだしも……まさか狼になってしまうなんて……」
え……オオカミ……?
「え、ええ。どうやらあなたの家系はもともと狼の属性を持っているようで、さらに近いイトコに狼の神がいるようでその影響もあるようですね……あまり気を落とさず――」
よっしゃああああああああ!!
俺は心の底から喜びを爆発させた。
ユーリアシュが突然の俺の奇声に飛び上がって驚いた。心臓を抑え、目を見開いて俺を見ているがそんな熱い視線を気にしている余裕は今の俺にはない。
実は俺は、ファンタジーでもっとも気に入っているキャラクターは獣人の、さらに狼だった。だって、だいたい強いし単純にかっこいいだろ!?
「あの」
アニメでもゲームでも狼系のキャラクターがいたら即気に入って、ソシャゲではガチャでたまたま手に入ったらランクがクソほどに低くても数ヶ月はスタメンに入れて愛でてしまうほどだ。
そんな存在に自分がなれるとは……正直言って、勇者とかチート魔法使いとかになるよりも嬉しいかもしれない。もしお前のおかげならこれだけは全力で感謝するぞフィフティマ!
「あの~、お喜びのところとっても言いにくいんですが……」
なんですかユーリアシュさん!! 俺今喜びを全力で噛みしめてっからめっちゃ忙しいんすけど!!
「この世界で狼は最弱の種族と……言われてるん……ですけ……ど」
……………え。
ちょ、ちょっと待てよ。狼が……最弱?
「狼」って漢字で書くとこんなに強そうなのに!?
聞き間違いかと自分の耳を疑ったが、言い辛そうに補足するユーリアシュの言葉は俺にさらに絶望を与える。
「あなたの元いた世界では、狼は危険な動物として扱われていそうですがこの世界では……ええと、スライムという魔物はわかります?」
知ってる。あのストーリー序盤に出てきて自らを犠牲に主人公に経験値と自信をプレゼントしてくれるあの最弱モンスターのスライムさんだろ?
「はい、多分それであってます。この世界でのスライムの強さの認識はそちらの世界とほぼ変わりません。しかし、ただ一つ違うのは狼はスライムより弱い……ということです。正真正銘の最弱です。あなたはそんな最弱の狼になってしまったんです……おわかりですか?」
はあ!? どういう理論!? あんな獣獣した動物がぷにぷにのスライムに負けるってどんだけだよ! この世界の狼みんなチワワなのか!?
あれ……? でも待てよ。俺を襲ったあの魔物って狼だよな。かなり強かったイメージが……
「あの狼は【最後の強狼】と呼ばれていて、その通称通りこの世の狼の魔物の中で唯一飛び抜けて強かった一族の最後の一匹だったんです。もうこの世にスライムより強い狼は完全にいなくなりました」
フェンリルとかいないわけ!?
「いません。いましたが大昔に絶滅しました」
あ…………やべ。あの狼って、あの吹っ飛びで死んだの……?
もしかしてなんかやばいことしちゃった系男子ですか。俺。
異世界転生で定番のセリフをこんな気まずい場面で言う(言ってないが)ことになるとは思わなかった。
「ええと……狼族の視点からいうと、はい」
はい……。
大いに反省して……ないな。オレワルクナイ。
あっちが襲ってきたんだぞ!? 今は同族なのに!!
「ええ、貴方に非はありません。あちらも階層内の捕食対象をすべて狩り尽くしてしまってかなりの飢餓状態だったようです。そこに美味しそうな生き物いたらそれは……襲いかかってしまうでしょうね」
俺美味しそうなんか。
でも……不思議なのが、なんであそこで俺が助かったのかってことだ。しかも、あの一瞬で最強の狼が吹っ飛んで死んだんだろ?
「それは、多分ワタシのせいです」
ユーリアシュは魔物に襲われた俺を死なせないために、神の力を使って必死で俺自身からランダムに“技能”を引き出したらしい。俺が魔物の火球を受ける直前にそれは成功したようだ。
「そのなんらかのあなたの技能によって、あの最強の狼は倒されてしまったようです。ワタシも必死のことだったのでその技能を確認できていませんが、おそらくかなり効果の高い防御系のものだと思います」
へえぇ……あ、それなら俺この先のダンジョン生き抜けるかな? まあ、なんとかなるよなー
安心した俺だったが、ユーリアシュは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「この度は本当に、仲間の勝手で面倒ごとに巻き込んでしまって本当に申し訳ありません……もっと支援ができればいいのですが、あなたの力を引き出す際や他にもいろいろとしたせいで神の力をほとんど使い切ってしまって……せめてあなたが連れてこられた理由さえわかれば……ごめんなさい」
えぇ、そんなに謝らんでくださいよ。こっちは念願の異世界召喚でテンション上がってますし、最弱とはいえ狼になれて結構勝手に満足してるから大丈夫だし。
俺の言葉にユーリアシュは綺麗な金髪を耳にかけながら困ったように笑った。
「あなたは楽観的すぎで心配です……でも、ありがとうございます」
俺とユーリアシュの間に穏やかな空気が流れる。
あ、でも……結局俺ってどうすればいいんだ? 元の世界に帰るのか? でも今の話の流れだとこの世界にとどまるのか? ここで死ぬとまずいって話だったけど……
「もしあなたが元の世界に帰るとしても、今のワタシには方法がわかりません。ですから、あなたにはワタシがその方法を探すしばらくの間……どれくらいかかるかわかりませんが、この世界で生きてほしいのです。絶対に死なず!」
予想はしてたけど、やっぱそうなるよな。死なないのは当然として。ちょっと……ふふふ、楽しみだ。
「ワタシは神の力の回復に努め、フィフティマに気がつかれないようにできるだけのことはします。……こんな死地とも言える場所に放り出してしまってほんとうに……ほんとうにごめんなさい」
だから謝んなって。とりあえず生きればいいだけね。らっくしょうですワ!
「……そろそろ時間切れです」
ユーリアシュがこの空間を見上げた。
マジか。次はいつ会えるだろうなぁ。
すると、真っ白だった視界が徐々に暗くなり始める。狼として目覚めの時か!
「あ、そうでした……!」
だんだんと意識も薄れていく中、ユーリアシュが何かを思い出したようで、焦ったように声を上げた。
「ワタシはほとんどそちらの世界に手が出せません。なので、ワタシがあなたの持ち物で一番思い入れのある何かに、あなたをサポートするの力を与えました! 目覚めたら探してみてください……!」
その言葉を最後に、俺の意識が暗闇に落ちていった。
【主人公】
脳内テンション高めの男子高校生。
異世界にて最弱の種族である狼になってしまった。
【ユーリアシュ】
自然と審判の神であり、この異世界の管理者。
穏やかな性格をした金髪の女神。
【フィフティマ】
全能に限りなく近い、性格に難のある神。
主人公をこの世界に連れてきた張本人。
ようやくタイトル回収。
2020.12.28:修正