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カースト最底辺の狼  作者: 睡眠戦闘員
一章:狼の心得
26/94

26.脳筋的解決策

 



 俺たちはコハクトについていくまま、コハクトは人の波に従うままにその階段へ向かって早歩きで向かう。


「ちょ、ちょっと!」


 ……ところで、今まで話していたおっさんに呼び止められた。見ると、おっさんが声をかけたのはコハクトの方らしい。急いでいるところを止められ、コハクトは眉を潜めて振り返った。


「なんだ? なにか......」

「あんた、今気がついたけど噂の勇者様だろ!? 頼むよ、この騒動なんとかしてくれ!」


 蹲りつつも必死に懇願してきた男を見て、コハクトは少し目を丸くした。すぐに口の端を上げて笑った。


 うわ。金髪のせいで一見チャラ男なのに、顔が良いせいで何も言えねー。


 コハクトは懇願してきた男の片手を取って握手するように握りしめた。


「……もちろんだ。オレに任せてくれ」

「あ、ああ! ありがとう、ありがとう!」


 懇願モードから感謝モードになった男の手を離し、コハクトは改めて階段に向かって歩き出した。慌てて俺とフェルムはその後を追った。早歩きだったが、その足取りが軽いように思えて、俺はその背中に声をかけた。


「コハクト、なんかいいこと思いついたのかー?」

「ああ、おそらくこれでうまくいく」


 おお、そこまで断言する。かなり自信がおありのようだ。


「うわ……心配」


 と、俺が感心している横で、フェルムがバッグの紐を固く握って呟いた。喧騒に消されそうな小さなつぶやきだったが、こちとら狼になって聴覚が少しだけ良くなってる身な上に、フェルムの真横にいたもんだから聞こえてしまった。


「心配? 何が」

「……だ、ダンジョン出る前に、話したこと覚えてる?」


 俺が問うと、フェルムはコハクトに聞こえないように声を潜めて逆に問い返してきた。


 ダンジョンを出る前の会話と言ったら……そうだ、フェルムがコハクトについていく理由を話す時。その時もなんか心配だからなんだの言ってた気がする。その理由を聞きそびれてたっけ。


「いや、聡明かつ圧倒的強者のコハクト様を否定したいわけじゃないんだけど。ぜんぜん、いや本当に。でも、今まで勇者活動を初めてここまできた経験からしてちょっと心配なところがあるのがさ――」


 フェルムは前置きなのか言い訳なのかわからないが、モゴモゴと口の中で喋っている。うーんうーんと頭を左右に捻って、言うか言うまいか迷ったすえ、遠慮がちにいうことにしたようでようやく下を向いていた顔を上げた。


「コハクト様って、ああ見えて――」


 その時、俺たちが最初の目的地にしていた階段に差し掛かった際、コハクトが俺たちの方を振り返って口を開いた。


「住民たちが焚き上げをしている現場にアノネの水魔法を叩き込む。とりあえず湖一個分くらいの水を出しておけば大丈夫だろ」

「……ん?」

「で、そのあとはオレの風魔法で台風くらいの風を吹かせれば、住民をおかしくしてるこの煙もどうにかなる」

「んーー?」

「で、そのあとは、住民をひっ捕らえて何回か殴れば、もしかしたら正気に戻るかもな。試してみよう」

「んあーーー?」


 あれ、なんかコハクトさんが変なこと言ってる?


 スマホの翻訳の調子が悪いのかしらん、と胸ポケットのスマホを何度か叩いてからまだ「思いついたいいこと」を語っているコハクトの話を聞いても、同じような内容しか聞こえてこない。


 ずんずんと階段を登っていくコハクトを尻目に、俺はフェルムに向き直った。フェルムは「やっぱりか」というちょっと深刻そうな顔をしつつ、先ほどの言葉の続きを絞り出した。


「……コハクト様って、賢いように見えて、重度の脳筋(・・)……だから」

「なるほどね(死)」

「のーきん?」


 ここで来たな、強者ゆえの弊害。


 えらい、えらいよ。この騒動が解決した後のアフターケアまで考えているその精神。でも絶対やり方違うよ。なんだそのバイオレンスなアフターケア。


 このちっさい集落に湖一個分の水なんかぶっかけたら洪水不回避だし。こんな海も近くない場所にあるもろい木造建築に台風級の風吹かせたら何もかも吹っ飛ぶし。殴って正気に戻すとかショック療法にも過ぎるし。


 大丈夫かこの勇者。


 俺はなんとか軌道修正しようと軽い足取りで階段を上っていくコハクトの背に


「コハクトさん、何もそんな大量の水いらないんじゃないすか」

「……?」


 アッ、ダメだ~~~! わかってな~い!


 コハクトさん、俺の話聞いて小首傾げてるわ。さらには「オレに任せとけば大丈夫だ」というオールマイティー風味を醸し出してる。


 俺は横のフェルムを見た。


「いつも……?」

「いつも」

「いつもー?」


 フェルムは皆まで行っていないにもかかわらず、大きく頷いた。


 いつもこうらしいですよ奥さん。


「いつも……って、こういうことが起きたら毎度洪水だの台風だの起こしてるのか?」

「い、いやいやいや。そういう時は、ボクたちがなんとか軌道修正してなんとかなってる……たま~~~に、自分で気がつくこともあるけど。結局力技でなんとかしようとするから……」

「はあー。そりゃ確かに脳筋だわ」


 まあ、強いしそれで今までなんとかなってきたんだし……良いか!


 そうなると今回はコハクトのバイオレンスをどうにかしてきた“ボクたち”に俺が加わるわけだ。制服が水浸しになってコハクトの台風で吹っ飛ばされるのを防ぐために頑張らなければならない。


 俺が内心で意気込んでいると、長かった階段がついに途切れた。


 教会は外から見た外観から二棟に分かれていた。棟どうしは元世界のビル十階高さの階から伸びた渡り廊下で繋がってる。俺たちが階段を上がって出たのはその渡り廊下がある階だった。階段を出てすぐ、そこへ出ることができた。


 廊下といっても、この教会跡地自体が古いせいでその天井が崩れていて、空が見えている。


「あそこか……焚き上げ」

「ぼうぼうやってんな~!」

「煙が濃くなりましたね……」


 壁に背中を当て、渡り廊下の先を覗き込む。そこ、廊下のど真ん中では教会に入ってきた住民がそこにキャンプファイヤーのように木を組んでそこに火をつけている。その内側に何か特殊なものでも放り込んであるのか、遠くからもはっきりと見えた青い煙がモクモクと目の前で空に立ち上っていくのを、俺たちは見上げる。


 木が焼ける匂いとは別に、当て布ごしでも薬品の臭いがキツイ。背負っているウィウィが「うぁ゛ー」と呻いている。かわいい。


 キャンプファイヤーは、周りにわらわらと集まった住民が強奪してきた物々をさらに放り込んでいるため、勢いを増す一方だ。


 やっべ、下の階でおっさんの相手してたせいで時間食った。俺のズボンもう燃やされちまったかな!?


 ぴょんぴょんと飛んだりして、あの俺のズボンを持って行ってしまったトンデモ幼女の姿を探す。


 しかし、そんなこと知らないコハクトは、眉を潜めて布を一層強く口に当てて炎の方を見据えた。


「煙が濃いということは、オレたちまで洗脳まがいなことになるまで時間がないな。先にオレの風魔法で煙を吹き飛ばすか?」

「バッカ! 他のいろんなところに燃え移っちゃうだろ!」

「……ああ、そうか」


 このうっかり勇者が!


 コハクトは一応納得すると、フェルムにバッグの中にいるアノネを出すように指示した。やはり炎を消すのが最優先と考えたようだ。確かにそれには俺も賛成だが、水の量はちゃんと考えて欲しい。


 フェルムは、アノネを出すために四次元バックの中を恐る恐る覗き込んだ。


「アノネ……アノネ起きてる?」

「うおぇ゛……」

「あ、まだ吐いてます」


 変なキノコの効果はまだ続いてるらしい。ウィウィにもあのきのこだけは食うなって後で言っとこう。


「時間がない。一応出してくれ」

「はい……よいしょっ」


 フェルムがバッグに手を突っ込みアノネちゃんの片腕を掴んでずるりと引っ張り出した。真っ青な顔をしたアノネがヘニョッと俺たちの前に立つ。心なしか、かぶっている三角帽子が力なくうなだれているようだ。


「ちょっと……ちょっと待って下さ……うぷっ」

「なんで変なキノコなんか食べたんだ……」

「だってパンプが! あやつが食べられるキノコだっていうから試食し……うえ」


 ああ、アノネちゃんもあの悪魔にしてやられたわけだ。可哀想に。


「気分が悪いところすまないが、あの炎を消したいんだ。お前の水魔法であの炎に湖いっこぶんの――」

「普通にあの炎を消せるくらいに水魔法出してアノネちゃん!」


 この勇者の口にこの集落の命運を任せるわけにはいかない。俺は渡り廊下の方を指差しながら今出せる最大音声(おんじょう)でコハクトの声を遮った。フェルムが「よくやった」という顔をして、コハクトの背後で小さく親指を立てている。


「うぇ? ……あ、ああ、あれですか」


 ふらふらで炎の方を見て掌に杖を呼び出したアノネちゃん。


「そ、そのくらいならこのキルト大魔導師にまかせておけ……ば……」


 口上や口癖レベルにいつも通りの言葉を絞り出したが、その勢いと顔色はいつも通りではなかった。途中で言葉を途切れさせたアノネちゃんは、びたっと動かなくなった。サーッと良くない顔色をさらに悪くしている。


「あ……あの」

「どうした?」

「吐きながら詠唱しても良いなら……水魔法撃てます」


 あ、無理だこれ~! この勇者パーティー問題児しかいないじゃんか~~~。


 最弱種の俺をパーティーに引き入れてる時点でまあまあなハンディキャップ背負ってるけど、この間の悪さも相当だぞ。幸運値やばいんじゃないのか。


 お久しぶりにスマホさんよ、この事態を分析してくれないっすか。


『了解しました。分析中……』


 胸ポケットに向かって呼びかけると、すぐさま短い機械音の返事が返ってきた。有能運営か。分析中と前置きしたにも関わらず、二秒と経たずに『分析完了』という機械音が頭の中に響く。


『現在のこの集落近辺にいる人間の幸運値の平均が10を下回っている様子』


 ほわい? どゆこと?


 どうしてそんな一斉にバットボーイバットガール量産されてるわけ?


 俺の適当な予想が当たっていたのは結構だが、その理由の方はが全く持って予想できない。顔色の悪いアノネの背中をさすって回復を待っている彼らを尻目に、俺はさらにスマホに問いかける。


 ウィウィが「どうしたの?」と問いかけてきたが、「だいじょぶ」と笑いかけてスマホの声に集中する。


『アステラという存在そのものが不幸を呼び寄せる(かなめ)です。アステラの工作が見られるこの場は特に、集落の住民を中心にその影響を受けています。これは勇者とその仲間も同様です』


 ……もしかして。いや、スマホがわかればで良いんだが。もしかしてさ、そのアストテラの工作って集落の外まで手が回ってたりする?


『断言はできませんが、今までの状況、条件、環境から予測すると、十分に可能性はあると当デバイスは判断します』


 アノネちゃんが食べた変なキノコ、アステラの仕業ですッッッ!!!


 ついでにコハクトの頑丈なはずの鎧が剥がれたのも、フェルムの見ぐるみが剥がされたのももしかしたら幸運値が下がってるせいかも知れない。そんなこいつらを下手に動かしたらさらなる不幸を呼ぶに決まっとる。


 そうと知れたら――


「……ウィウィ、俺のバッグからビニール――前に石とか入れてたツルツルの袋出せるか?」

「ん? ん!!」


 背負ったウィウィからやはり元気な返事が返ってきた。ゴソゴソと俺が肩にかけているスクールバックを手繰り寄せてゴソゴソと中身を探った。俺はその間に、いまだに体調の優れなさそうなアノネちゃんに向き直った。


「アノネちゃんさ、あの炎消すくらいじゃなくてバケツ一杯分くらいの水なら出せる?」

「うえ……は、はい。こ、このキルト大魔導師、それくらいなら詠唱も一言で……げぷ」


 一言言えるって説得力だけはすげーあるな。


 でも、それができるなら安心だ。俺はスマホに心の中で確認のためにもう一度確認を取った。そうしていると、俺の行動を不思議に思ったらしいコハクトが訝しげに眉を潜めた。


「ソラ? 何を……?」

「まー見てろって……あ、でもちょっとだけ手伝って欲しいかも。そのあとはコハクトの仕事だから安心しな! 俺は人の仕事をとったりしないぜい!」

「は?」


 俺は念のためにウィウィを地面に下ろして、制服の上着を脱いでカッターシャツと下着のみになった。


 まあ、ちょっと暑い(・・)だろうけどこれなら良いだろ!


「アノネちゃん、じゃあ水よろしく!」

「はい……それでは」

「あ、ごめん。さっき言い忘れたけど、このォ……ここら辺! ここら辺から水出して欲しいんだよね!」

「え……ほ、炎の方にじゃないの?」


 俺は、自分の身長より少し高い位置の、コハクトたちと俺との間あたりの空間を指差す。フェルムが不思議そうな顔をするが、俺は「それはアノネちゃんに余裕があったらな!」と笑った。


「うぶ……じ、じゃあ手早く行きます……“小さな豊穣の元、流雫(りゅうだ)”」


 言葉通りほぼ一言の詠唱の後、俺の指示通りの場所の空間に小さな歪みのようなものが発生。背景が揺らぐ。そこから水が吹き出るのを認めた俺は一歩前に踏み出した。


 バシャッと軽い音とともに俺は頭から水を被る。気持ちいいくらいに冷たい水滴がつむじ、首筋、腕、足首、尻尾と伝うのを感じてから俺は目を開ける。コハクトたちが呆気にとられているのを尻目に、コハクトと同様に首を傾げて俺のことを見上げてくるウィウィの手から、ビニールを受け取った。その口を広げ、ぶんっと振って空気をたっぷり詰める。


 スマホに聞いた情報はこう。『集落周辺の人間(・・)の幸運値が低い』だ。


 俺は、人間ではない(・・・・・・)。そしてウィウィもだ。


 周囲の幸運値が低くなっているのであれば、相対的に俺たちの幸運値はそれよりも高くなる。幸運値の高さ低さがどれほど馬鹿にできないものか、俺はすでにダンジョンで身をもって何度も体験してきた。信用に値する値だ。洒落じゃないぞ。


 スマホに確認を取ったところ、俺の現在の幸運値はなぜか249という安心安全のラッキーボーイ状態。この状態なら、きっと何をしても(・・・・・)大丈夫だろう。さっき“良いもの”もってる住民が走っていくの見つけたし……


 俺ァ、高いところは苦手だが、制服を取り返すためよ!


 まだ状況が読めていないらしいコハクトに気が付き、仕方ないと笑ってやった。


「じゃ、逝ってくるぜ! コハクト援護よろっく!」

「は……はッ!?」


 俺は空気を詰めたビニール袋を口に当て、渡り廊下へ飛び出した。残る心配はこのビニール袋が溶けないかだけだ。




 ・ ・ ・ ・ ・




(あンの、バカッ!)


 数拍遅れてソラの意図に気がついたコハクトは、爆発した怒りのエネルギーを足に送り、遅れた分を取り返さんと駆け出した。


 フェルムたちになるべくそこを動かないように瞬時に指示することも忘れない。パンプには最初にソラを追いかけてくる前に、集落の方を任せたので大丈夫だろう。問題はあの無鉄砲のみである。


 水を被ったのは火が燃え移りにくくするため。布ではなく、袋のようなものに空気を溜めていたのは、一層煙の濃い場所へ行くから。つまり、ソラはあの組み火の近くへ行くつもりだ。それも、自分が燃える可能性のある距離まで。何をするつもりかは到底予想つかないが、安全なことではないのは明白だった。


 炎のもとへ目を輝かせて走る正気を失った住民に紛れ、途切れ途切れに見えるソラの背中を、コハクトは追う。


 勇者の身体能力を使えが一瞬で追いつける距離ではあるが、そんなことをしたら周りの住民にタックルして吹き飛ばしたり、走ったことで発生した風圧で住民を吹き飛ばしたりしてしまう。どうあがいても住民が吹き飛ぶ。この渡り廊下は高所にある上、壁と天井が朽ちているため、そんな極端な真似をすれば無力な住民は地面へ真っ逆さまだ。


 コハクトは仕方なくできるだけ周囲の群衆と足並みを合わせてソラを追う。


「コハクトサーンッ!!」


 前方から甲高いソラの裏声が聞こえ、コハクトは抜刀した。その動きのままに、コハクトはブンっと真横に刀を振るう。


 この場で刀を大きく振るえば、当然周りにいる群衆を巻き込んでしまう。しかし、コハクトのスキルを一瞬のみ付与することで、全ての人間をすり抜けた。同時に、すり抜けた剣撃の軌道上に飛沫(・・)が上がる。


「“細雫(さいだ)”ッ!」


 アノネの放った流雫より細かい水蒸気が発生し、ほぼ不可視の斬撃としてソラの元へと飛んでいく。裏声を上げたソラに襲い掛かろうとしていた住民数名全員に命中した。殺傷性はできる限り抑えたため、傷つけずに良い塩梅で吹き飛ばす。


 ソラはこれ(・・)をさせるためにコハクトを呼んだのだ。これをさせるためだけに。ソラが、一瞬振り返って感謝のピースを送ってきてきたのに気がつき、コハクトはその呑気さに呆れるしかなかった。


 ソラは群衆より少し早いペースで走り続ける。もうすぐ炎に到達するだろう。一体何をするつもりなのかを見極めるため、コハクトはソラの動きに集中する。口に白く薄い特殊な袋を当て、びしょ濡れの尻尾を降って一心不乱に走っている。途中で近くの住民が持つ山盛りの衣服から一枚の深緑色の毛布のようなものを引っ張り出して奪った。カモフラージュ用だろうか。そして、ただひたすら走っている、走って、走って……止まらない(・・・・・)。止まる気配がない。


 それに気がついた時、コハクトの中に焦りが生まれた。思考が急加速し、時間が引き延ばされる。


 ソラはもう炎の目の前まで迫っている。あと十歩も足を踏み出せば、炎に触れられるだろう。しかし、普通は炎に触れたりしない。しかし、ソラの走る勢いはその手前で止まろうとしているそれではない。まるで、炎に飛び込もうとでもしているような――


「なむサーーーンッ!」

「ばッ……!?」


 おかしな言葉を叫びながら、ソラが踏み切った。炎のから一メートル離れた位置から衣服を炎の中へ放り込む群衆の輪から飛び出したのだ。


 まずい。そう思い、魔法を発動させようとしたその時、コハクトは唐突にバランスを崩した。


 渡り廊下は長年雨ざらしになりあまり丈夫とは言えない。足元を見る。コハクトが強く踏み込んだそこは特に崩れやすかったのか、穴が開いてコハクトの足が埋まってしまっていた。うまくバランスを取れず、地面に手をついた。途端、手をついた部分がピンポイントで崩れ、今度はその手まで埋まった。運の悪さもここまでくると笑えない。何かがおかしい。


 コハクトは刀が折れないよう庇ってうつ伏せに地面に倒れた。防御力は人一倍あるため、痛みはほとんどない。コハクトは急いで顔を上げた。この状態では魔法を撃っても間に合わない。


 見ると、ソラは炎に飛び込む寸前だった。直前に手に入れた毛布のようなものを頭まですっぽりと被って。


 全ては一瞬で起きた。コハクトはその勇者たる動体視力で全てを見た。


 ソラが炎に触れる寸前、突風が起きた。地上に見える大木が大きく揺れるほどの突風。方向はソラの追い風。つまり、炎の方へ。


 天へ一直線にごうごうと熱波と煙を昇らせていた炎は、風によって渡り廊下の左側へ傾いた。ソラがいる方は右側。一瞬だけ、ソラのいる側は熱波も危険な煙も炎も無くなり、炎の中に組まれていた木材が露出する。狙ったかのように、その一瞬にソラの体が木材に体当たりした。


 燃やされ脆くなっていた木材がガラガラと崩れていく。周囲にいた住民が悲鳴をあげ、雲の子を散らしたように逃げたり、炎を崩したソラを睨みつけて怒りをあらわにしたりと、各々の反応を示している。


 ソラはそんな彼らを気にもとめずに、「よっしゃあああ!」と叫びながらどんどん燃え盛る木材を蹴り飛ばしている。コハクトはようやく地面の穴から足と手を引き抜き、立ち上がった。急いでいつ火ダルマになるかわからないソラの方へ駆ける。


 そちらへ到着する直前、ソラがふと崩れた木材の中に何かを認めた。一瞬固まった後、ズボッとそこへ手を突っ込んだ。もちろん、組まれたものが崩されたために小規模になったとは言え、水などかけていないその木材はまだ燃えている。


「あッつッッッ!」


 すぐにその火の中からびょんっと飛び退いたソラ。その手には何か小さく、丸い何かが握られていた。ほんの握り拳よりもひと回り大きいくらいの物にもかかわらず、そこからモクモクと太く濃い――青い煙が吹き出している。あれが煙の発生源なのは一目瞭然だった。おそらく、魔導具だろう。


 ふと、コハクトの視線がソラへ移り、焦る。


「ソラ! 息を止めろ!!」

「え……うぼあ!? 溶け……穴空いてる!!」


 熱に当てられたせいか、ソラが口に当てていた白い袋が部分的に縮み、大きな穴が開いていた。もちろん、呼吸には袋の外の空気を使っていることになる。間近――ソラの右手には煙を吹き出す魔導具。このままいけば煙をモロに吸う。それに気がついたソラは思い切りのけぞって煙から顔を離した。


「シッ……!」


 コハクトは刀を振った。うまくソラの手から球状の魔導具を弾き飛ばす。魔導具は一瞬上空へと跳ねあげられ、渡り廊下から着地地点を外して地上へ落下していった。


 危険な煙が遠のいて安心したのも束の間、魔導具から視線を戻すと、ソラが渡り廊下の端から足を踏み外して今まさに魔導具と同じく落下しようとしていた。煙から逃れるためのけぞった拍子に、後方へたたらを踏んだのだろう。まだソラ自身自体を把握できていないのか、まだ自分の地面のない後方へ視線を走らせているところだった。


 コハクトは落ちそうになっているソラへ手を伸ばした。そのソラが纏う緑色の布を掴む直前、ぐんっと後ろに引っ張られた。見ると、炎が崩れた怯みから立ち直った住民がコハクトの胴に取り縋っていた。


 その一瞬気を取られた隙にソラの体はあっというまに渡り廊下の外へ落ちて――


 どこからか叫び声——詠唱が聞こえた。


 直後、コハクトは文字通りの人波(・・)を見た。


 コハクトにすがり付いてきたのは、元々炎が崩れたことを気にしなかったわずかな住民であり、まだソラによって蹴り飛ばされた木材や火の粉に悲鳴をあげて逃げ回っている人間がほとんどだったというのに。


 その場にいたほとんどの人間が突然に落ちゆくソラに飛びかかって(・・・・・・)いったのだ。状況と彼らの表情から見て、服を求めて飛びかかっていったようには思えない。


「ええぇぇ!? なになになになに!!」


 先頭を走っていた男が渡り廊下の端から踏み切って跳躍し落ちゆくソラの腰あたりにガシッとしがみついたことで、ようやくソラ自身が我に帰った。


 ソラが状況把握をする間もなく、ソラにしがみついた男の後続の男が飛びつき、さらにその男に次は女が飛びつき、さらにその女に……といったように次々と人間が繋がり、最終的にソラを一番下にして数名による人間縄梯子が渡り廊下の端からぶら下がった。


「なんじゃこりゃ!! コハクトー、コハクトーー! 助けてーーー!!」


 何も状況が理解できず、一応命を救われたということしか把握できないソラがぶら下がりながら喚いている。


 コハクトはしばらく呆然としていたが、「ああ、なるほど」と納得したように呟いて、自分の足にしがみ付いていた住民を剥がした。もうその手に力は入っていない。あれだけ燃えるような瞳で服を求めていたのに、今はぼうっと虚空を見つめて、放心しているような表情になっていた。


 コハクトは、ソラを捕まえている人間梯子集団に歩み寄った。物凄い力で互いの胴にしがみついているにもかかわらず、その顔を覗き込むと皆一様にあの放心しているような表情になっている。


 溜息をつき、コハクトは住民の一人を持ち上げた。そのまま、連なる住人を縄を手繰り寄せるように渡り廊下の上へ引き上げていく。勇者の腕力ならば、一見体は細く見えても人間数十人は簡単に持ち上げることができるところが便利だ。


「ひえー、逆さ吊りめっちゃ怖かった~~~」

「軽いな」


 ようやく引き上げられたソラは、胸の底から息を吐き出して四つん這いになった。その体を覆っている布に目を向ける。ここまで間近で見るそれには見覚えがあった。


(……これ、どう見てもパンプの(・・・・)ローブだな)


 パンプには集落の方で正気を失った住民の拘束を頼んでおいたのだが、ローブがここにあるということはパンプもフェルムやソラと同じことになったのだろう。パンプからローブを剥ぎ取った住民が、他の者と同じようにこの教会の炎に放り込みにきた。その住民をたまたま(・・・・)ソラが見つけ、ローブを拝借して体に纏って炎に飛び込んだ。


 パンプは戦闘に爆弾を使うことがある。至近距離での爆風に耐えるために、ローブは熱・炎耐性があるものを使用していると前に言っていた。それに、全身を覆い隠すためにかなり大きい。


 コハクトは、ゴロンと大の字になって空を仰いでいるソラを見た。 


 ソラは、それを知っていて炎に飛び込む暴挙に出たのか? いや、出たのだ。頭の中で全て自分が助かる算段を立てて、あの何も考えていないような顔をして炎へ走ったのだ。


「あっはあ〜〜〜。俺ちょーラッキーボーイ!」


 全部考えていたくせによく言う、とコハクトは笑った。


 しかし、確かに先ほどの一連の“ラッキー”には、ソラの算段には入っていないことがあったはずだ。ソラに飛びついて渡り廊下から落ちるところを助けた大量の住民。見ると、彼らは今まで自分がどうしてあんなことをしたのかわからないと言った表情でぽかんと口を開けて周囲を見渡している。


 ふと、自分たちの背後から軽快に駆け寄ってくる複数の足音が聞こえた。


「コハクト様! 大丈夫ですか!」


 コハクトは、「今日のMVPはこいつだな」と思いながら駆け寄ってくる自分の付き人兼テイマーを振り返った。





【本田 (そら)

びっくり暴挙系男子高校生。


【コハクト・グリフィン】

脳筋系勇者。

たくさんの人間に信頼されている。


【フェルム・アナプルナ】

荷物持ちテイマー。

今日だけで「コハクト様」とめっちゃ叫んだ。


【アノネ・キルト】

魔法使いの乙女。ゲロは吐いても乙女。


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