20.狼少女の大失態。
逃げた二人組探しは難航していた。
彼らは定期的に水に潜っているらしく、いくつか濡れた川辺を見つけた。このためにパンプの鼻を頼ることは難しくなっている。
今まで彼らの足跡としていた魔物の食べ残しも、格段に見なくなってしまった。一度たまたま川の中を除いた時に食べかけの魔物が川底に沈んでおり、彼らが全力で隠蔽に望んでいることがわかった。
コハクトたちは全力で彼らを見つけるためにコハクトとフェルム、パンプとアノネで分かれることにした。
パンプたちは下階に残って探索を。コハクトたちは機動力をフルに活用し、すでに二人組が上階に進んでしまった可能性を考えて、六十階から上の階の捜索にあたっていた。
ここまで降って来たダンジョンを引き返すことになるとは思っていなかったコハクトは、見覚えのある通路を走って懐かしい気分になった。まあ、日数的には一週間も経っていないわけだが。
通路をしばらく走り、一旦立ち止まって振り返る。
「こはくとさまッ……はあッ……」
通路の曲がり角の奥からフェルムが顔を出した。今の彼の背中に、いつもの大きな荷物は無い。コハクトの道具である“マジックバッグ”に収納されている。。異空間に繋がっていて、質量体積を無視してどんなものでも、いくらでも入る魔導具だ。物を入れても膨らまないし、重くもならない。
そんな便利なのだから、常に使えと何度も言っているが、彼はあの重い鞄を背負って体力を一日でも早く身につけるのだと言って聞かない。
しかし今回はスピード重視だ、もしあの二人組がダンジョンの外にでも出られてしまったらダンジョン踏破が絶望的になるため、大きい荷物をマジックバッグに入れて軽くするように命令した。
「フェルム、後一階で折り返しだぞ。頑張れ」
「し、しぬ。死んでしまいます……」
そう言っている割にはいつもより弱音を吐かずについてくる。
コハクトは苦笑しながら通路の先を振り返った。階段のルームの光が見えている。隣を走るフェルムの背中を押しながらをそのルームに入って――彼らは足を止めた。
「これは……」
「フローガドラゴンの尻尾ですかね。……焦げてますが」
コハクトが唖然としていると、フェルムが肩で息をしながらも分析した。さすがテイマーらしく、魔物に関しては知識が豊富だ。
階段ルーム――正確には四十五階層へ繋がる上りの階段に、上階からフローガドラゴンの尻尾がだらりと段差に沿って垂れて来ていた。
コハクトはフローガドラゴンに出会ったことがある。最初に四十五階層を通過しようとした時に倒した。インターバルを経て再び階層主として出現したところをまた倒されたのだろう。
階層主というだけあって物理攻撃が効かないという一見手強い魔物だと、地上では過剰な警告をされた。しかし、コハクトの振り切った攻撃力と特殊なスキル、そして仲間の魔法で五分と経たず討伐できたので、コハクトの頭にはあまり印象に残っていなかった。
それでも、その時の戦闘でフローガドラゴンかここまで黒焦げにならなかったことだけは覚えている。
「これも亡霊がやったんでしょうか?」
「そうだろうな。何度も同じ攻撃を浴びている。攻撃方法もフローガドラゴンの使う火魔法のみ。例の反射だろう……って、亡霊じゃ無いだろう? いつまで引きずるんだ」
「役立たずのボクを呪殺に……」
「お前は十分役立ってるよ。その……荷物持ちとして」
「あ……ボクは主人にお世辞なんかを言わせてしまっ」
「歩かないと、斬るぞ」
コハクトはかちゃりと剣の音を立て、フェルムの丸まった背筋を正した。
二人はフローガドラゴンの死体の脇を通って四十五階層へ上がった。
まず思ったのはルームがやけに綺麗だなということだ。魔物は火の魔法を使うし、現に倒されているフローガドラゴンが黒焦げになっているのだからルーム内も同じようになっててもいいと思ったのだが、まるでここで戦闘などなかったように小綺麗だった。
コハクトは違和感を覚えながらスーッとルームを一望し――首を捻った。ルームの端。壁際に見たこともない宝箱が置いてあったからだ。警戒しつつフェルムと共にすり足で近寄る。
「こんな宝箱、行きではなかったよな?」
「はいぃ……というかこれ、ミミックですね。ただの宝箱じゃ無いです。おかしいですね。このダンジョンでミミックは出現しないはずなんですが……」
さすが、とコハクトはフェルムの顔を見た。魔物のことに関しては本当に頼りになる。決して役立たずで無いのに、本人はこれは呼吸と同等の当然のことだと思っているようで、全く役に立っているという自覚はないらしい。
「テイムできるか?」
「す、すみません。この大きさのミミックってだいたいレベル30は超えてるとされているので……ボクまだ16レベです」
「半分か……」
「すみません見捨てないでください!」
「見捨ててたまるか」
コハクトは苦笑いしながら腰の剣を抜いた。調べないという選択肢はない。コハクトは宝箱へ慎重に手を伸ばした。コハクトはレベルも防御力も高い。下手に攻撃されても致命的なダメージを負うことはないだろう。いざとなればいつでも斬り殺せる。
ミミックの蓋の部分に触れる。反応はない。蓋の縁に手をかけ、持ち上げるために力を込める。
ガブッ
突然、開きかけた蓋がひとりでにコハクトの手を巻き込んで勢いよく閉まった。
「……うわっ」
「え、反応薄くないですか!?」
「いや……だって、あまりにも弱くて」
コハクトは手を引っ張った。ミミックは思いっきり噛み付いているつもりのようでプルプルと震えているが、コハクトの手はいとも簡単に引っ張り出すことができた。
「本当にレベル30もあるのか? 攻撃力がほぼないに等しいんだが」
「あれ、おかしいな……一回試しにテイムしてみますか?」
ガタガタ!?
フェルムの言葉に反応したのか、ミミックの体が揺れた。その大きな箱形の巨体をピョンと跳び上がらせ、急にコハクトに体当たりしてくる。しかし悲しいかな、弱い。まるで犬に体を擦り付けられているかのように感じたコハクトは、剣を振るうことすら忘れていた。
コハクトが無ダメージということに気がついたミミック。今度は逃走しようとぴょんぴょんと跳ねる。恐ろしく遅い。秒速一メートルだ。コハクトはミミックに歩いて追いつくと、その体を両手でがっしりと捕まえた。
「ひぇっ……!」
「うわっ!?」
「うぎゃあああ!!」
微かに声が聞こえたと同時に、ミミックの体が白い煙に包まれた。フェルムが過剰に悲鳴を上げる。コハクトは冷静に魔法かと身構えた。
「ふぐっ……ぅぅううう!」
しかし、攻撃などこなかった。聞こえてくるのは、力む少女の声だけだ。
煙が晴れた先からはミミックは消え、代わりに現れたのはコハクトたちが探し求めていた狼族の二人組だった。
狼の青年は、それはそれは満足げな顔で爆睡して体を脱力させている。狼の少女は、自分より遥かに大きい彼をなんとか背中に乗せて引きずってコハクトたちから逃げようとしている。しかし、背中の青年が重すぎて足をプルプルと震わせるだけで一メートルも進んでいない。
コハクトたちがこちらを凝視しているのに気がついた狼の少女は、ありありとその顔に恐怖を浮かべて目に涙を溜め、口をあわあわと動かしている。
「こ、ここ……ころさないで……! ソラはころさないで!」
狼少女は背中の青年を地面に下ろし、庇うようにその上に覆いかぶさった。
コハクトとフェルムは思わず顔を見合わせた。その時には、コハクトはもう無意識に剣を降ろしていた。
・ ・ ・ ・ ・
いったいな……なぁにこれ?
肌がこすれた痛みで目を覚ました。しょぼしょぼと寝不足の目を開けないまま、伸びをしようとして上手くできなかった。
「あ゛ー……めっちゃ寝た――」
目を開けて最初の違和感は“光”があったことだ。ミミックの中は、蓋を閉めたら全く光が入らなくなる。それなのに、見慣れた魔光石と川の青白い光が視界を照らしていた。
すぐさま自由のきかない体を腹筋で起こして周囲を見た。目の前には地面に座り込んだ四人。誰もが驚いた顔でこちらを見ていた。
「ソラ!」
可愛い声が俺を呼んでいる!?
横を見ると、手首を縄で蝶々結びで縛られたウィウィが地面に座って俺のことを涙目で見ていた。
だ、誰だ! 俺の相棒にこんなひどいことをしたのは!?
駆け寄ろうとして、俺はつんのめって地面にぶっ倒れた。見ると、ウィウィとは違い、俺の体は腕ごと胴体をグルグル巻きに縄で縛られ、足首も同様に動けないようにカッチリ縛られていた。
なんだなんだこの状況は!? エロ同人か!?
戸惑っていると、四人のうち金髪の男が立ち上がり、躊躇いながらこちらに近寄ってくる。
「あの――」
「俺死んだら世界滅亡するから!!」
「……は?」
金髪は拍子抜けした表情でたち止まった。その腰に引っかけているどう見ても剣のツカが目に入った俺は、斬られると思って全力で叫んだ。
「お金なんてビタ一文持ってないし懸賞金なんてかけられてないしレベル20も超えてないようなクソザコだから倒しても経験値なんてろくに入らないし雑食だから焼いても炙っても煮ても切って貼っても美味しくないし俺まだ地上を見てないしあまつさえ俺は異世界の人間だから死んだらあの世の転生のシステムがぶっ壊れてこの世界滅亡するから―――」
一気に捲し立てた俺は、スウッと大きく息を吸った。
「殺さないでくださあああああああああああああああああッ!!」
「うるさっ」
金髪が顔をしかめるのも構わずに、俺は地面に額を擦り付けた。
みっともない? うるせえ、死なないんだったらなんでもやってやるよ!!
俺は土下座のような姿勢のまま、眼球をできるだけ左右に動かして周囲を観察した。右にはウィウィ、左の離れた場所に俺のバッグが置いてあった。その先に焦げた鱗が落ちていた。場所は俺たちが眠る直前にいたドラゴンを倒した四十五階層の階段のルームから動いていないようだ。
目の前は頭を下げる前に一望した。四人が俺たち二人に対峙するように地面に座っていた。右から困り顔の青髪、勇者、魔女、犬人間。青髪以外見たことのある奴らだ。
中でも怖いのは魔女と犬人間。特に怖いのは犬人間。
「顔を上げろ。オレたちは今お前たちを殺す意思はない」
「じゃあ、俺たちのこと好き勝手にするんだろ!! ロープで結んでるし! 嫌らしいことするんだろ! エロ同人みたいに! エロ同人みたいにッ!!」
「するか! なんだエロドウジンって!?」
「マぁジ!? 神か!」
俺はパッと一瞬で気分が良くなったように表情を作ったが、内心で違和感を――いや、既視感を覚えて驚いていた。
なんか今の金髪のツッコミ……どこかで聞いたことのあるような。気のせいか。
ただ、こいつには信用に当たる何かがあるような気がした。傍で「切り替えが早いですねこいつ」と魔女がこぼしている。
とにかく人生で一度は言ってみたかったセリフを言えて満足した俺は、満面の笑みで顔を上げた。目の前に金髪の困惑顔が現れる。
おお、見てみればこの金髪勇者めっちゃ物分かり良さそうな顔してる。ついでに頭も固そうだ。イケメン。……あれ、また既視感が。
余計なことばかりを考える頭を振って思考をリセットしていると、金髪の勇者は俺の体を起こしてくれた。
「うむ……聞きたいことが山ほどあるが、一応話を聞くという意思表示としてこちらから名乗る」
誠実そうな金髪が少し笑かけてきた。整った顔が憎い。
「オレは……コハクト・グリフィン。魔王討伐の名を与えられた勇者として、今旅をしている」
「は~~~? ユーシャの上にイケメンかよ」
「い、いけ……?』
思わず口から出たが、これは本心。まじにイケメンだからこの勇者。
俺は改めてその勇者・コハクトの全身を眺めた。金髪と一重に言えないほどに透明感のある綺麗な短髪。金というよりも蜂蜜混ぜたミルクのような色で凄く惹かれる。こんなカツラあったら俺は即被る。その前髪がかかった赤い双眸は、「赤」というより「紅」で深みがある。
白と黒を基調とした赤のアクセント入りの鎧と、それに揃えた装備が一番の特徴か。
しかし、こんなイケメンなら勇者でも文句ないわな。というか本当に勇者だったんだな。俺の勘めちゃめちゃ冴えてる~~~。
「じゃあ次はワタクシが!」
俺が勇者の魔性の顔面に気を取られていると、次は隣に座っていた魔女が立ち上がった。
「我が名は、アノネ・キルト! 誰もが恐れる天才の大魔導士ですぞ。ワタシのことは『キルト大魔導士』と呼ぶのです!」
「アノネちゃんか~~~」
「だから!! どうしてこうどいつもこいつも! そんな舐め腐った呼び方をするのです!?」
プンスカ怒るアノネちゃん。身長は普通くらいなのに、この絶妙な小物感が彼女を小さく見せている。
胸は小さいが健康的な肉体……アッ、体を真っ先に見てる。他の特徴!!
下ろされた肩に当たるくらいの長さの髪。ただ、顔の横の両横髪だけが胸下まで長く、もみあげ付近と毛先辺りで二回に分けて、天然石の玉でまとめられている。なによりもすごく目を引くのは、前髪あたりから下ろされた毛先までオレンジと青でグラデーションがかかっている。ものすごく不思議な髪色だ。
格好は今まで言っていた通り、魔女。とんがり棒の広いツバの端から星屑の飾りが細い糸でいくつも吊るされている。胸元までを隠すポンチョのような構造のローブの下はタイトスカート風のパンツ。革の編み上げブーツに、手には指抜きレザーグローブ。
ウィウィとはベクトルの違う可愛いだなあ。
きっと口で大魔導師と言っているからにはぜったい大魔導師じゃないんだろうなあ~。新人魔法使いなんだろうな~~~。
しかし、一番最初に出会った時、俺たちを攻撃してきたあの魔法はかなりの威力だったようだし、もしかしたら天才という点は誇張ではないのかもしれない。
「じゃ、ボクがあ」
その嬲られるような声に俺の体はビクッと跳ねる。なるべく視界に入らないようにしていたが、いつまでもそうしてるわけにはいかないらしい。視線を横に流すと、一番端に座っていた犬人間が俺たちのことをガン見していた。
「ボクはパンプだよお。見ての通りの犬人族。よろしくねえ」
口調は間延びしているが、挨拶は簡潔に終わった。
何がよろしくだ、こいつ俺らのことぶっ殺しに飛びかかってきたのに!
しかし、そう言えば口調も違う。仲間の前だと猫かぶったりするんだろうか。それなら今は安全なのかもしれない。今のうちに観察しておこう。
柔らかそうな茶髪から垂れ耳が生えている。目は細い細い糸目。口元もアルカイックスマイルをずっと浮かべていて何を考えているかわからない。さらに体はオリーブ色のローブで全て覆われていて、体格も何を着ているのかすらわからない。唯一見える四肢には、足はミリタリー風ブーツに手は黒い手袋と素肌が顔以外ほとんど見えない。口調の柔らかさからは考えられないガードの固さだ。
にっこにっこと俺たちのことを見てる。というか俺たちの尻尾や耳を見ている。狼への恨み、どれだけ深いのか。
「……あ、最後ボク?」
そして最後、勇者の隣に座った気弱そうな奴が、ボーッとしていたのからハッとして俺を見た。
「ボクは……フェルム・アナプルナ。テイマーだけど、弱すぎて荷物持ちに徹してる役立たずです……そう、ボクは勇者の使用人という命すら与えられず、自分からすがってようやくコハクトさまについていくことができた役立たず……あは」
「だからフェルム! お前は役立たずじゃないと言ってるだろ!?」
「アア、コハクトさまに気を使わせてしまっている……あはは」
「フェルム!」
自虐が過ぎてコハクトに注意されるフェルム。なんか仲良く慣れそうだ。
体格は勇者と比べてひょろっとしていて頼りないが、彼のそばにある恐ろしくパツパツに膨らんで巨大な荷物からすると筋力はあるのかもしれない。
ストレートの青い短髪。服装はファンタジー世界に出てくる至って普通の町人といった感じでどう見ても戦闘向きとは思えない。唯一腰に巻かれたベルトに下げられたムチらしきものがテイマー感を辛うじて保っている。
それに、自虐発言から感じ取れる卑屈さが顔に出ていて、常に薄幸そうな片頬が引きつった笑顔とは言えない笑顔を常に保っている。
……うん、仲良く慣れそう!
「さて……俺たちは名乗った。平等に! ……お前たちも名乗ってもらおうか」
「よしきた!!」
「うお!?」
ようやく来たか俺たちの番が!
俺は縄に縛られたままに勢いよく立ち上がった。よろめいものの、そばにいたウィウィが素早く動いて俺を支えてくれた。俺は縄で縛られているものの、勇者たちにビシッと指を突きつけるつもりで胸を張った。
自己紹介の、本邦ならぬ異世界初公開は縁起よく勇者に向けてだ。
「見よ、うちの美少女担当を! この子はウィウィ・ウルフィア!」
「ソラ!? びしょ……!?」
「俺は昊。本田昊! 普通の『空』じゃなくて、天に日って書く『昊』な! ここ授業に出るから。俺もウィウィも、このダンジョンを逆踏破する予定の狼族だ……覚えとけ人間ども!」
「お……おぼえとけー!」
……うん。決め台詞を言えた気分でスカッとしたが、縄に縛られたまま言うことじゃなかったな。今度もっといい機会を探してまたやろうっと。俺はちゃんと悪い点を考えて改良できる男だ。
俺の自己紹介の勢いに気圧されたのか勇者たち。特に勇者は、目を見開いて驚いていた。しかし、やがて考え込むように顎に手を当てた。
「狼族……ソラ……か」
【本田 昊】
テンション高い系男子高生。厨二臭い自己紹介をしても自分を保てる鋼メンタルとポーカーフェイス。
【ウィウィ・ウルフィア】
狼少女。ちょっとやらかした。
【コハクト・グリフィン】
勇者。物わかりがいい。
【アノネ・キルト】
魔導士。自称“天才大魔導士”。
【パンプ】
犬人族。怖い。
【フェルム・アナプルナ】
荷物持ちテイマー。陽キャではないことは確か。
2020.12.28:修正




