1.デストロイヤー
開幕。
知らぬ間に犯す過ちほど、恐ろしいものはない。
六堂 夜は、あの日の屋上でその全てに気がついたが、何もかも遅かったらしく。
もうあの屈託のない大空は戻ってこなさそうだった。
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寝相のせいでベッドから落ちたような感覚だった気がする。首と頭がなんだか痛い。
それでも、自分の意識は覚醒することはなく。視界はずっと暗いままだった。少し赤いような気もしたけど、朦朧としていてもうよくわからなかった。
何かを振り払ったのは感触として残っている。それも二回。
悲鳴のような声がずっと反響している。響いて響いて、遠ざかっていく。
唐突に自分の姿が目の前に見えた。鏡写しのようであったが、服装も、雰囲気もまるで違う。しかし、そう思えたのも一瞬だった。
突き落とされるように、夢を見ていた意識が完全に暗転し、それを認識する意識すらも消え去った。
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闇と岩に覆われた洞窟に小さなうめき声が反響した。
誰の為でもなくしんしんとやわく輝く鉱石が、声の主を照らし出す。
ぱったりと地面に倒れ伏した少年は腰から生やした尻尾を揺らし、未だ夢に引かれたまま意識は無かった。
・ ・ ・ ・ ・
やっぱりダメだ、思い出せない。
そう思って俺は、ガックリと岩に腰掛けた体を項垂れさせた。人生歴十五年半、ここまで生きてまさか“迷子”と言える状態になろうとは。
しかも、今一番困っている事でもあるんだが……実はここに来るに至る記憶は曖昧すぎてアテにならないんだ……まずは状況を整理しよう。
そう思って周囲を見回して……再び頭を抱えた。さらに混乱を呼ぶことになってしまった。
さて、周りの風景から。一言で例えてしまうなら──『ダンジョン』?
ラノベ、クエスト系ゲームを嗜んだ同士ならば、ご想像通りの定番のそれだった。ひんやりした冷気、ゴツゴツした岩肌に生えた発光する鉱石、部屋の隅に置かれた中身の気になる宝箱。
……すごく不穏な雰囲気しかない。
そう、俺は目が覚めた時には、このザ・ダンジョン(?)の一室と思われるこの場所でぶっ倒れていた。気を失う前の記憶は先程言った通りポッカリとなくなっている。
まあでも、記憶喪失という程でもなく自分の名前も自分の家の住所もおぼえてるんだけどね。今はこうして状況の把握出来なさに頭が痛くなりながら、目覚めた時にすぐ側にあった岩ぼこに腰をかけて悩んでるわけですわ。
……それにしても、どこからどう見てもこの風景はこの世のものとは思えないよな……あれ?これは? キタんじゃないか?
これでもアニメ・ラノベは人並みに嗜んでいる。この世のものとは思えない? ならばこの世界は自分が元いた世界では無い。
これは異世界召喚か!?
放課後や週末に本屋に通ってラノベを読み漁っている俺が二次元イベントに憧れた事は、一度や二度では無い。なんですぐ気がつかなかったんだ。
衝撃の事実に気がつき、高まる鼓動を抑えるためにその後数分間ダンジョンの床で頭を抱えて悶えた。
まてまて、落ち着け。まだ整理できてないことがある。そろそろ自分の状況を――そう胸に手を当て、己の体を見下ろした俺は……ガクッと脱力してダンジョンの天井を仰いだ。
うん……そうだった。目覚めた時にも見たけど、ちょっと受け入れづらいわ……こちらも一言で例えるなら……「殺人現場」もしくは「これはひどい」だ。
俺が着ているのは、今まで通っていた高校の制服なわけだが、その腹の辺りの部分にそれはもうドス赤黒いシミが大胆に撒き散らされていた。よく見ると、袖や襟にだけにとどまらず腕の肌の表面にも同じような飛沫が飛んでいる。この様子だと、見えないけどおそらく顔の部分も同じような惨状になっているだろう。
多分このドス赤黒いシミは……血、だろうなぁ。
冷やや汗を流してそれを眺めるが……グロい! ホラゲーやってるから慣れているつもりだったけどやっぱりリアルは違う。
しかも、微かに残ってる記憶の断片からなんとなく推測するに、おそらくこれは自分の……血……か?
そしてこの凄まじい出血量から見るに、まさか俺は死ーー
……マジデスカ。異世界“召喚”じゃなくて“転生”パターンでしたか、もしかして。なんだか自分が死んだとかちょっとだけショックかもしれない……………………
いやいやいやいやいや!! まだだ、まだ希望はある!!
よく考えろ、俺は今赤ん坊でもモンスターでもない! おそらく死にそうになったんだとしても、そのままの状態でここに倒れていた!よく覚えてないけどきっと、死の直前に美人の女神のお眼鏡にかかって救い出され、この世界に召喚されたんだ! よく覚えてないけど!
その後、俺はさらに数分間ダンジョンの床を悶え転がった。
とあえず。とりま。とりのねぎま。
これはこれ、それはそれで置いておいて……
少し気になっていたが、ダンジョンダンジョンと呼んでいるものの、モンスターなんかの敵は存在するのだろうか? 少なくとも、ここで目覚めてからはモンスターの姿は見ていないし、なんとなくだが気配も感じない。
だがしかし……
俺はゆっくりと振り向いた。ダンジョンの一室というものはとてもひらけたフロアであり、天井の高さも目測だが二、三十メートルはありそうだ。
……で、そんな大層な壁には、ちょうど天井から床まで深く深く豪快にその岩肌をえぐる数本斜線が刻まれていた。
それは完全に……爪の跡。
いますわぁ……こっれはデカイのがいますわぁ……
まずこれはモンスターにしかあり得ない所業だと自己完結して、震えそうになっていた体を抑えるため、壁から目を背けた。
しかし、そうなると俺はどうやって自分の身を守ればいいんだ? 先ほどから定番定番、と続いているものの、唯一無いものがあった。
戦う武器や、頼もしいアイテムもひとつも無い。「ゆうしゃのつるぎ」とかあったらよかったんだけどな。「やくそう」の一つくらいポケットの中に入れて欲しかった。
……そうだ、持ち物といえば。
俺は幸か不幸か、血塗れの制服のみでこの場に倒れていたわけではなかった。
バッグだ。この恐ろしく予想のつかない場所ではこの一年間相棒だったバックが頼もしい。
幸い、週の終わりだった事もあって中身はかなり多くパンパンだ。中を確認しておこうか。
持ち物:教科書×3・ノート×3・国語辞典・メモ・筆箱・体育館シューズ・ジャージの上・消しゴム・ラノベ×3・消しゴム・スマホ・消しゴム・菓子数個・メロンパン・消しゴム・消しゴム・消しゴム……
消しゴム多いな。
このバックの中身を広げた中心で俺はドシャッと倒れ込んだ。
そういえば消えている記憶より少し前にも、通学路の途中にてコンビニによって買い足していたような……でも、買った消しゴムは二個のはずで、バッグの底から出てきたのは七個て……どうせなら厨二力を発揮してダンジョンに役に立ちそうな道具でも買っておくんだった。
なんとか武器になりそうなのは筆箱の中のカッターとコンパスの針くらい。国語辞典が鈍器にならないかと思ったが、これが最近は軽量化が進んでいて意外と重さがなくて、さっき適当な岩を殴ってみたが表紙が剥げただけで期待していた手応えは得られなかった。無念。
く……そろそろ、現実を目を向けなくてはいけない。路頭に迷っているとはいえ、俺はまだ死にたくは無い。そのためにはこの一室の岩の上にずっと座っているわけにはいかない。
いつ壁の爪痕の主がここを通らないらないとも限らないし。力のない今(今後力が手に入るとも限らないが)モンスターに遭遇でもしたら即死する自信がある。
最後に、現代人の相棒のスマホを確認してから、そろそろ周囲の探索でも始めよう。
おそらく圏外だろうが、カレンダーや時計を見ればここに来てどれくらい時間が立ったのかくらいは把握できるかもしれない。
そう思って自分のスマホに手を伸ばした。
――その瞬間、自身の周りに漂う空気が凍る。一瞬の間に背中を駆け上った悪寒に、頭の中が今まで感じたことのない警報の反響で満ちた。
今になるまで気がつかなかった深い息遣いと共に、俺の体を震わせる唸り声に、涼しいはずのこの場所で冷やや汗が流れた。わざとらしいほど大きな足音がゆっくりと近づいてきた。
これはまずい。俺でもわかる。
意を決して“それ”がいるだろう方向にゆっくり体ごと向けた。
のそのそと大きく横に揺れる巨体が見えた。動物的なシルエットがダンジョンの部屋の壁にポッカリ開いた穴の通路からその姿を現した。壁に生える天然石の光でその姿が鮮明に映し出される。
なんと絶妙に空気の読めるやつだろうか。
赤黒く黒光りする剛毛を持った大きな大きな獣がこちらを見据えていた。
【主人公】
心の中のテンションが異様に高い男子高校生。
気がつくとどこかのダンジョンの深部に倒れていた。
脳内のウザさ・うるささはご愛嬌。
2020.12.28:修正