第三話 〜勝家の勘違いと姫君の紫眼〜
(策を、って言われてもな………)
やっと牢屋から出ることができた義元。彼女は信長に、
「斎藤義龍、つまり義父の仇を倒すいい策を持ってきたらお前は殺さない」
そう言われ、歴史オタクであった前世の記憶を辿っていた。
美濃攻略、それは斎藤義龍、龍興親子を信長が約7年をかけて討ち果たした、天下布武への第一歩である。
これは、信長にとってとても重要な出来事である。だが、何より義元にとっては生きるか死ぬかの間だ。義元は必死だった。
(えっと確か…義龍が急死するんだった。んで、秀吉が一夜城を作るんだよね。で、竹中半兵衛とその愉快な仲間たち18名が井ノ口城を乗っ取って、主君の龍興を追い出してたな。あ、あと、お市の方がこの頃嫁に出されてた様な気がする。でも、いくら歴史好きだって言っても、策まで覚えてるわけないよ……)
***
少し時期は遡る。義元がまだ牢屋で暇を持て余していた頃。
「少しいいですかな。治部大輔どの。」
「えっと…………あなたは…………」
「私は柴田権六郎勝家と申します。」
そう言ったのは、年齢は、30代くらいだろうか、鈍色の小袖に深緑の肩衣を身に纏った、恐らく織田家の家臣だろう、といった人物だった。彼は、何の前触れもなく、義元の牢屋まで足音を立てずにいきなりやってきた。
「えっと………………あなたは……………柴田………柴田勝家ですか!あの、お市の方と結婚したっ!」
そう義元が急に声を張ってポンと手を打つと、勝家は少しキョトンとして、
「その…………お市の方というのは………………?」
「………あ、何でもないです。」
義元はここで歴史を変えてはならないと、とっさに感じて茶を濁した。なぜなら、ここで歴史を変えると、前世の記憶の意味が無くなってしまうからだ。だが、義元は、自分が今生きている事が、大きく歴史を変えている事など忘れていた。
すると、勝家はすぐに表情を戻し、
「義元どのにお願いがございます。
この着物のほつれを直して欲しいのです。」
「あ、ありがとうございます。かの柴田勝家…いや、権六どのに頼み事をされるなんてとても光栄です。しかも、やる事がなくて暇していたから、とっても嬉しいです。」
すると、権六は少し戸惑う様な、驚く様な表情をして、
「あ、そ、それはよかった…です。」
そう言って去って行った。
義元はなぜそんな表情をされたのか分からなかったが、早速暇つぶしに取りかかった。
…………が、すぐにやめた。
義元は、豪快に人を殺せる様な猛将ですら拍子抜けしてしまう程、不器用だった。
そんな訳で折角もらった暇つぶしを有効に活用する事もなく、義元は、また先程までの暇な生活に戻ったのだ。
後日、勝家が義元の牢屋まで訪ねてきたが、
「なかなかできなくてね。折角、権六どのが頼みに来てくれたのに。申し訳ないです。」
などと言って着物を勝家に返した。
すると、その発言を聞いた勝家は、なぜか、冷や汗をかいていて、度肝を抜かれた様な表情をしながら
「は、はぁ」
と呟きながら牢屋を去っていった。
「どうだった?義元は。」
信長は平伏する勝家に向かって淡々とつげた。
「そ、それが………治部大輔どのは表情を崩さず、笑顔で、この私に対して着物の修繕ごときを頼むとは、なんとも光栄である、と。」
「それで、義元は着物を直してきたのか?」
信長は勝家の報告を聞いても全く表情を崩さず、やはり淡々とつげた。
「いえ。権六ごときからの頼まれごとなど、できるはずがない、と。」
そう言った勝家の額には、まだ少し先程の冷や汗が残っていた。
「そうか。義元……なかなかの者だな。」
そんな、ただの勘違いから生まれた噂を聞きつけた他の織田家家臣達は義元を少しずつ恐れるようになっていった。
***
義元は策を考え続けたが、先程思い出せたより多くの記憶を蘇らせることは出来なかった。そして、あっという間に夜になるのだった。
「治部大輔どの。殿がお呼びです。」
そう言ったのは恒興だった。牢屋から出ることが出来ても、居場所がなく、結局牢屋の中にいた義元は、
信長が「今夜までに」と言っていたのをすっかり忘れており、慌てて、
「あ、あぁ、そうでしたね。」
と言って牢屋から出て、恒興に着いて行った。
「策は決まったのだろうな。」
義元は目の前の信長を直視出来ない。何故なら義元は何の策も浮かんでいないからだ。だが、ここで斬り殺されるよりは、と思った義元は、
「えぇ。き、決まっております。」
そう答えた。だが、冷静を繕っても、動揺のあまり上手くは答えられなかった。
「申してみよ。」
「い、一夜城でございます。」
義元は、前世の記憶から最もそれらしいものを選んで答えた。天才は多くを語らない、を装って。だが、気が動転しているのを全く隠せていない。
「一夜城、とな?」
「長良川の対岸である、墨俣の地は、交通、戦略上の要地であります。そこに短期間で城を築くのです。この地に拠点を置くことが出来れば、美濃は手に入ったも同然です。」
義元がそう言うと、予想以上に皆が納得する表情を見せた。だが、一人だけそれに異論を示した者がいた。豊臣秀吉、この頃は、木下藤吉郎。だが、この頃彼の事をよく知る人はまだいなかった。
「ですが、皆様。墨俣に城を築くとなると、斎藤義龍達に拒まれて、築城は成功しないことが目に見えております。」
「何をいう。海道一の弓取りに向かって。」
着物の修繕の件で義元を恐れるようになった他の織田家家臣達が義元をフォローする。
「失礼ながら、未来が見えるんだかなんだか分かりませぬが、今川様に出来るとは思いませぬ。」
「木下どのが敗将である私を信頼してくれないのは分かります。では、私が未来が見えることを証明して見せましょう。」
「義元、申してみよ。」
信長が急に興味を示してくる。
「斎藤義龍は死にます。」
義元は他の織田家家臣達のフォローにより、自信を持って言うことが出来た。
「それは、お主が殺すということか?」
「いいえ。病気で急死します。」
「……………………そうか。では、斎藤義龍死亡の報せを待っているぞ。」
信長は、そう一言だけ言って部屋を去っていった。
それに合わせて重臣達も去って行き、その流れで義元も部屋を後にした。
***
「義元どの。」
牢屋の中の義元に向かって話しかけて来たのは帰蝶だった。相変わらず前髪で左目を隠している。
「はい。なんでしょう。」
「あの、なんか、皆が義元どのの話をしているのですが、何かありましたか?」
「吾は、実は未来が見えるんですよね。………だから、そのことだと思います。」
「す、すごいですね!」
帰蝶は少し顔を明るくしたような気がした。だが、前髪のせいで、笑っているかはよく分からない。
「でも、皆信じてくれないんですよ。信じてくれたのは信長様くらいで。」
「わかります!」
「……え?」
「………………わ、私、実は左目が、紫色をしているんです。」
帰蝶は躊躇いを見せながらも左目を隠していた理由を話した。
「もしかしてオッドアイってことですか⁉︎ み、見せてください!」
帰蝶は未来ではとても貴重で美しいとされるオッドアイを持っているという。それを知った義元は早く実物を見たい、と鍵の開いた牢屋の扉を開けて、帰蝶の顔まで手を伸ばした。だが、
「い、嫌です。」
帰蝶はそう強く言って義元の手を振り払った。
「私は、この目のせいで父から疎んじがられていました…………だから、父は私を幼い頃から嫁に出して、都合が悪くなったから、って夫を二人も殺されて……そんな中、信長様だけはこのオッドアイを綺麗だと言ってくれた……………けど、他の皆は私を馬鹿にするだけで………」
そう言った帰蝶は今にも泣きそうだった。だが、そんな帰蝶を義元は勢いよく抱き、
「それは…堂々としていればいいのです。隠す必要はありません。堂々と、この目の何がいけないのかしら、とでも言いたげな表情をしていれば、皆、いつかきっと受け入れてくれます。だからもう隠さなくていいのです。」
そう、帰蝶の耳元で囁いた。
(吾も、両親がいなくて、馬鹿にされたこともあったけど………堂々としていたらいつしか皆、普通に接してくれるようになったから……………)
前世のことを思い出した義元も、いつの間にか泣いていた。
「こう………ですか………?」
そう言って恥じらいながらもゆっくりと見えていく帰蝶の左目、そしてその顔は、驚く程美しかった。
「くりっとして大きく綺麗な紫の目。細く筋の通った鼻。あなたは、誰もが羨む美形ですよ。」
***
牢屋の外が何やら騒がしい。義元がそう思った数秒後、城内に大きな声が響き渡った。
「申し上げます!斎藤義龍が死亡しました!」