第5話
村に入ると、馬車はたくさんの人に取り囲まれた。
「わたしがおもだった者達に説明しよう」コルトはそういって、少女と村の重鎮とおぼしき人達を連れて一番大きな家に入っていった。俺たちは馬車の中に取り残される。
「ねぇ、ねぇ。何が乗っているの?」
大人達は遠巻きにしているようだが、子供達は好奇心のまま馬車に張り付いてくる。
「ちょっと覗いてみるぞ」「うーん、みえない」
小さな目が幌の隙間から覗く。
「なにかいるよ」「家畜かな」
ふいに子供の頭が現われ、悲鳴を残して引っ込んだ。
「お化けだよ」「黒いお化けがいたよ」「白いお化けだよ」「お化け」
ゴローが身じろぎをした。驚いたことに彼の顔に微笑らしき物が張り付いていた。表情筋が死んでいるのではないかと思っていたから、俺はまじまじとみてしまったよ。今まで見た中で一番柔らかいゴローの表情だった。まるで何かを懐かしむような、大男に似合わない表情だ。
「“幽霊”だって」「“幽霊”?」「“幽霊”?!」
外でのささやきに質が変わってきた。誰かが村長のうちの会話をきいて伝えているらしい。
「危ないから、こちらに来なさい」子供を無理矢理連れ去るような親の声。
一体ナンバーズのことはどのように伝わっているのだろうか。感情もなく殺戮を繰り返す殺人兵器? どこからともなく沸いた妖怪変化の類い? リースの反応からもわかってはいたがそうとうにひどい物らしい。
しばらくしてコルトとリースたちが建物から現われた。一斉に村人が取り囲んで質問している。
「わかった。わかった。あのね、これは…」リースが説明しようとするが、質問の声が多く話にならない。
「これは実物を見せた方がいいな」
コルトが俺たちに村人の前に出てくるように命令する。
俺たちが馬車から降りるとあたりは静かになった。恐れと幾ばくかの好奇心。このときばかりは感情に左右されないナンバーズの鉄面皮がありがたい。
「村の諸君、これが、君たちが“幽霊”とよんでいるナンバーズだ。彼らについていろいろな噂があるのは知っている。だが見てくれ。彼らは子供を食べる化け物に見えるか? 戦場で血を求めてさまよう怪物に見えるだろうか。顔かたちはこのあたりの物とかけ離れているかもしれないが、怪物ではないだろう」
見て触ってみろというコルトの誘いに渋々何人かの男が俺たちに触れてきた。
「彼らの体は温かい。彼らもまたこの世の生き物だ。黄泉から呼び出された怪物ではない」
「だが、彼らの存在自体が精霊の教えに反している」一つの声が上がった。「彼らは死者の群れから呼び出された魂を食らうものたちだ」
「それは違う。彼らは確かに我らと違って泥と水から練り出され、呼び出された魂の“陰”を元にかたどられている。だが、彼らは死者ではない。彼らは生きる物なのだ。人のように見えるが、君たちの持つ鍬や鎌のような存在だ。クリアテスの神は彼らの存在をよしとされた。それは司祭様方も認めておられる」
反論はあがらなかったが、同意もされなかった。コルトは息を吐いた。
「それでは、今から、彼らに命令の呪を刻むところをお見せしよう。見える“目”を持つものはそれで見るといい。リース殿、腕輪を貸していただけるかな」
リースは魔道具をコルトに渡す。
「わたし、監督官コルト(コルト)が腕輪の支配の下にあるものに命じる。おまえ達の任務はこの村を守ることだ。村人一人一人の顔を頭に刻みつけ、全霊を持って彼らを守れ」
俺は無言の圧力を感じた。心の中の何かが強制的に書き換えられる感覚がする。それまでの俺はただの歩兵だったが、これからはこの村の人を守る番犬のような物に変わる。自画像が強制的に塗り替えられていくのを感じて、俺は恐怖を感じる。
前にも同じことがあった。あれは…
俺は胸が締め付けられるように痛んでその場に膝をついた。脂汗が吹き出し、目の前がくらくなる。気がつくと俺は地面に四つん這いになっていた。胸の苦しさは消えたが、心臓が早鐘を打っている。
おもいだした。あれはここに呼び出されたときだ。あのときは死ぬほど苦しかった。
いや、監督官達の説明によると、俺は死んでいたのだ。そして、本当に幽霊のようにどこともしれない場所を漂っていた。
だが、俺にはそんな記憶の欠片もなかった。それまでの日常と不連続な記憶。どうしてここにいるのか、なぜこんなことをされるのかそれすらわからなかった。
気がつくと目の前に監督官達が立っていた。呆然として辺りを見回している俺に何かを唱えていた。
あのときに呪とやらをかけられたのだ。どういう仕組みなのかわからない。俺のいた世界ではここまで完全に人の意思を奪う方法は存在しないはずだ。訳のわからない何かで、いいように操られて、行為を強制されて・・・・・・
のたうち回る俺を彼らは気にもしていなかった。当たり前のように放置された。
そして、気がついたときには彼らの言葉がわかるようになっていた。彼らの言葉と戦い方、ものをいわないナンバーズとしての基本的な生活が身についていた。
おかしいだろう。俺の中で小さな火が燃え始めていた。絶対に、こんなこと間違っている。
くそう。俺はここに来て初めて悔しいと感じていた。
「わたしたちは、この村の住人を守ります」頭の上でサクヤの澄んだ声が響いている。「クリアテス教万歳」
「見ての通り、彼らは自立して動くことができない。すべて監督官が命令するように動く道具だ」
コルトはひざまずいているサクヤとゴローの頭をなでた。俺は、まぁ、無視された。
「今まではわたしが彼らの監督をしてきた。しかし、明日からはここにいるリース殿が彼らに命令する。君たちはわたしを信用できなくても、リース殿なら信頼するだろう。リース殿」
「あ、はい。頑張ります」いきなり紹介されてリースは頭をかいた。
村人がざわめく。あの少女は思いの外人望があるようだ。まだ、村人の間には不信が残っていたが、リースの名前を出したとたん空気が和らいだ。
「リース殿。もう少し彼らの、これらの調整を手伝ってほしい」コルトがリースに頼むころには村人の群れは散っていた。
「彼らにこの村の地理を覚えさせたい。定期的に巡回できるように経路を決めて、日課として組み込んでおきたいのだ」
「わかりました。村を案内すればいいんですね」リースはそういってから不安そうにたずねる。
「わたしに、彼らを監督できるでしょうか?」
「大丈夫だ。馬の世話をするよりもたやすいといっただろう。馬は反抗するが、彼らは従ってくれる。先ほども見ただろう。ちゃんと命令通りに膝をついて…ああ、3417か。あれはちょっと変わり種でね。時々失敗をするんだ」
「大丈夫かな。彼」リースが俺を見ていた。「ものすごく苦しんでいるように見えたけれど。気のせいかな」
「今回の呪の書き換えはちょっと無理をさせてしまったかもしれない。彼らの基本的なあり方に関わる呪だったからね。それに気がついたリース殿はいい監督官になれそうだ」コルトが肩をたたく。
「さぁ、村を見せてくれ。時間があまりない」
リースは俺たちを連れて村のあちこちをまわった。たくさんのナンバーズがいたがどこか荒廃した空気が漂っていた基地と違って、こちらは小さいながらも活気があった。人々の話し声や笑い声、時には泣き声も聞こえてくる。いかにナンバーズの基地が鬱々とした場所だったかがわかる。俺たちのことを“幽霊”といいたくなるのもわかる気がする。
ここは生命力に満ちている。人も、畑に映えている作物も、動物も…ここにはあまりにも多くの生き物がいる。
つい今し方も、猫に似た生き物が俺の前を悠然と歩いて行ったところだ。茶色と白のしましまの猫もどきだった。昔うちにいた猫によく似ていたんだ。
「気になるの? あれはただの猫だよ」リースが変な顔をして俺に教えてくれた。「猫、見たことがないの?」
次の角を曲がると、鳥の一団が道を占拠していた。これは、鶏、かな?
「3417って子供みたいですね」リースがコルトに話しかける。「まるで、小さい弟と散歩しているみたい」
「リース殿、かれ…あれは興味を持っているのではない。ただあたりを警戒しているのでしょう。あれは、人間のように物に興味を持つということはありません。そういう動きをするわけがない」
確かにサクヤとゴローはあたりを眺めこそすれ、何かに興味を持っているそぶりは一切見せなかった。廃棄処分といういやな言葉が頭をよぎる。
村の外れには小さな木立があった。その木立の中に何か建物があるのが見える。
「ここが、精霊の祠です」リースがその入り口まで案内した。「この奥に祠があって、精霊をお祀りしています」
祠の周りはとても静かだった。時々鳥のさえずりが聞こえてくるくらいの音しかしない。
祠の森は日に照らされてきらきらと輝いているようだった。
ああ、ここは神社に似ている。
俺は故郷の神を祭る場所を連想していた。
なぜ、俺はここにいるのだろう。感情のふたが揺らいでいた。小さな痛みが、胸を刺す。
森を取り巻く光は小さな玉になってふわふわと浮かんでいるように見えた。いくつもの玉が連なって、光を発して、消えて、また生まれて…
手を伸ばすとその光をつかめそうな、そんな、感じが…
「おい、3417」コルトが森を見ている俺を現実に引き戻した。
「おまえは、本当に…」何か小言を言いかけて、彼は首を振る。
その後も俺は様々な生き物に遭遇した。犬らしき生き物、アヒルらしき生き物、それからどこかで見たことがあるような虫の一種。全部らしきがつくのはこれが、本当に俺の知る生き物と同じ生き物なのかわからなかったからだ。
今までこれだけの生き物がいたとは思わなかった。ナンバーズの拠点は、殺風景で生き物の気配に乏しいところだった。見かけるのは、虫やちいさな蜥蜴のような生き物だけ。時々空を飛ぶ鳥を見かけたくらいだ。
あの砦で俺はそんな鳥の姿をいつも空に捜していた。鳥はいい。どこへでも飛んでいける。俺はそんな鳥のことをうらやましく思っていた。
そして、戦闘中は…生き物など気にしている暇はなかった。ただがむしゃらに命令通り戦うだけ。あれだけ騒がしいのだ。他の獣たちはどこかへ逃げてしまっていたのだろう。
俺たちが村の外に天幕を張っている間にリースとコルトは俺たちの行動について話し合っていた。
「彼らはしばらくこの天幕で寝泊まりしてもらってもいいでしょうか」リースがおずおずと切り出している。
「別にかまわない。前の基地でもずっと天幕住まいだった」
「ごめんなさい。思っていたよりも村の人が彼らのことをいやがっていて。その、“幽霊”と一緒は不吉だといって」
「だろうな」コルトが苦笑している。「しかたがない。我々の目からしても彼らは異様だからね」
村の人は俺達のことを快く思っていないらしい。
こんなところで暮らしていて大丈夫なのだろうか。
俺は少し心配になった。