第34話
二階から人が争うような音がする。リースが口汚く誰かをののしって、それに野太い怒りの言葉が返ってくるのを聞いて、ナルサムが三段跳びで階段を駆け上った。建物の中庭を囲む回廊でリースと男達がつかみ合いをしていた。小柄なリースが二人の男に押さえつけられようとしていたところだった。
ナルサムは無言で男達に走り寄ると、リースを羽交い締めにしようとした男を殴りつけた。
痛い、あれは痛いよ。彼に殴られたことのある俺にはよくわかる。
外の男達はナルサムに任せて、俺は奥の開いた扉の中に駆け込んだ。中では、ゴローとサクヤが別の男達と殴り合いをしている最中だった。
俺は陰で短剣を抜いた男の手をひねって、武器を奪った。奴らの下卑たののしり言葉から彼らが何をしにここにやってきたのか、丸わかりだ。
中ではゴローが無双していた。狭い部屋の中で器用に体を入れ替えながら、戦っている。
余裕だな。俺は手出しをするのはやめて、戸口で戦いぶりを見学した。
「やめなさい。何をしているんだ」
コルトが後ろから駆け込んできたときには形勢は決まっていた。
「やめるんだ。なにをしている」
「コルト監督官」ナルサムに殴られた男がコルトを見て助けを求めるように叫んだ。
「こいつらが暴れているんです。ナンバーズが、俺達を殴ったんです」
「あんた達が、先に手を出したくせに」リースが高い声で叫んだ。「あんた達が、あの子達を襲ったから」
「双方とも離れるんだ」コルトがきっぱりと命令する。「聖なる書物にかけて、一体全体おまえ達は何をやっているんだ」
男達はよろよろと立ち上がって、隅に固まった。
「何をやっているのか聞いている」コルトは低い声で男達に尋ねる。
「いや、俺達はただ、ちょっとそこのナンバーズと遊ぼうかなと」
彼らは着衣の乱れたサクヤをちらりと見る。サクヤは懸命に破れた服をかき合わせた。
「トゥミ、これはどういうこと?」リースが、鋭い目を回廊の陰に向ける。
「いや、俺は、何も」リースの元婚約者は口ごもった。
「あんたが、話があるからといってきたのよ。あたしが、部屋を離れた隙にこういうことになるなんて。なにかあたし達に恨みであるわけ?」
「俺はなにも、知らない」
拳を握りしめて殴りかかる寸前のナルサムを見てトゥミは否定を繰り返す。
「やめないか、騒がしい。聖女様の御座所の前だぞ」
いやな奴がやってきた。俺はそっと扉の陰に隠れた。技術官のロイスが、冷たい怒りをまとって現われた。トゥミを初めとする男達が慌てて膝をつく。
「何があった。説明しなさい」
「は、はい」リースを押さえていた腕輪をした男が説明をする。
「わたしと、わたしの配下が、その、このナンバーズと、その…」彼は言葉を濁す。
「そうしましたら、突然、これが抵抗を…それで、応援を…そうしましたら、そこの黒いナンバーズが、わたしたちに殴りかかってきまして」
「ナンバーズが、殴りかかる?」ロイスは冷たい目を男達に向ける。
「嘘じゃないです。本当に抵抗してきたんです。信じられないかもしれませんけれど、こいつら、俺達を殴ってきて…」
「ナンバーズが人を殴ることなどあり得ない、はずだ。だが…おまえが、殴ったのか」
ロイスはゴローを見た。ゴローは黙っていた。
「本当なんです。この傷を見てください」男達は必死で傷を見せる。
「それで、おまえは」ロイスは、リースをかばうように立つナルサムを見た。
「俺はこのクズから妹を守っただけだ」ナルサムは吐き捨てるように言う。
「おまえ、確か”盾“の一員だったな。なぜ、こんなところにいる?」
ナルサムの気配がより危ない物になった。今にもロイス相手に再戦しそうな気配がする。
「兄さん」後ろからそっとリースがナルサムの腕を押さえる。
「コルト監督官、何が起こったのか、話なさい」
「わたしが、ここに来たときには、この二人がこの女性を押さえつけていました。それをこの男が助け出して…部屋の中でも争いが起こっていたようですが」コルトは口を濁らせた。
「騒ぎの元になったナンバーズはそこの二体だな」ロイスはちらりと二人のほうをみて、吐き捨てた。「それを始末しろ」
リースが飛び上がった。
「な、なんでですか。この子達は何も悪いことをしていない。ただ、自分たちの身を守っただけです。悪いのは、無体を働こうとしたこちらのほうでしょう」
「自分の身を守る? ナンバーズにそのようなことは許されていない」
男達の間にほっとした空気が流れる。中には下を向いたまま笑っているものまでいる。
リースは体を震わせた。
「納得いきません。こんな下劣な奴らが罰も受けずに、罪のないものが裁かれるなんて。許されていいことじゃない。精霊の名にかけて、この子達は悪くない。もし、この子達に手をかけるのなら、聖なる書物に手を置いてからにしてください」
彼女はロイスをにらみつけた。ロイスは聖なる書という言葉にかすかに眉を上げたが、笑みを返す。
「いいだろう。リース監督官。君の主張を受け入れよう。どちらの主張が正しいか、古来から伝わる方法で決着をつけるがいい。神明裁判だ」
リースは顔色をなくす。
「あたしに、戦えというのですか。こいつらと」
「もちろん、代理人の選出は自由だ」ロイスは優しいともいえる柔らかい口調で答える。「誰を代理人に選出するも数さえあっていれば問題ない」
「リース、俺が出る。任せておけ」ナルサムが妹にそういって、相手の男達をぐるりと見回した。「おまえらのうち誰が俺と戦うんだ? え?」
男達の何人かは無意識のうちに尻込みをする。
「待ってください。代理に立てるのは別に人でなくてもいいのですよね」
そのとき、トゥミが口を挟んだ。
「この争いはナンバーズに関するものでしょう。それならば、人ではなくナンバーズに事の黒白を決めさせては?」
ナルサムの顔から笑みが消えた。
「そうだな。わざわざ、貴重な監督官の生死をかけることはないな。素晴らしい提案をありがとう。君のナンバーズを呼んできたまえ、クロエ」
腕輪をつけた男は、慌てて立ち上がると一礼してあとも見ずにその場を後にする。
「ここは狭い。下の中庭で行うことにしよう」
ロイスは、余裕のある態度でその場を立ち去る。ナルサムやゴローにぼろぼろにされた男達が、ほっとした足取りで後に続く。俺は奴らが立ち去るのを待って、サクヤに毛布を掛けてやった。
リースは廊下に座り込んでいた。
「ごめん、またやっちゃった・・・」彼女はつぶやく。「ごめんね。みんな」
「リース、悪くない」ゴローが側に膝をついて慰める。なんだか前に見た光景とよく似ている。「あいつら、殴るのいけなかった」
「リース、こちらこそ、ごめん」
「まさか、本当に手を上げたのか」コルト監督官が驚いた顔をしている。「彼らのでまかせかと思っていたが、監督官に手を上げるとは」
「彼らは監督官、ない」ゴローが否定した。「彼らはただの人」
「人にしてもだ。いやはや…」
「あたしが悪かったんです。彼らに、攻撃されたら身を守れと教えたから。魔獣と戦うのに逃げることも反撃することも必要だから」
「そうだったのか・・・」コルトが下を向く。「しかし、どうするのだ。相手は上位種の監督官だ。この子達は一桁のナンバーズ。力の差は明らかだ。まさか、君のナンバーズを出してくるのか」
ナルサムは腕輪をしていない手を後ろに隠した。コルトはため息をついた。
「仕方がない。わたしが一体貸そう。わたしのナンバーズは斥候種で打ち合いに向いていないが、彼らが出るよりはまだましだ」
「すみません。コルト神父」リースがつぶやくようにいう。
「下で、待っていなさい。すぐにつれて戻ってくる」コルトはそういって足早に去る。
俺達は回廊に取り残された。
「リース、俺が出よう」俺はリースの腕をつかんで、立たせながらいう。
「ゴローとサクヤが出るよりも、俺が出た方が勝つ見込みがある」
「シーナ、相手は上位種よ。たとえ、騎馬種や弓種でもあんたよりは能力は上なのよ」
「それは、基本の能力が、だろ。俺はエルカ姐さんに特訓を受けたんだぞ」俺はリースの肩をたたく。「俺だって最初の時よりは能力が上がっている。それに、強化の技も身につけた。下で俺を指名しろ。戦えと命令されたら、命令されてなくても、戦うから」
「シーナ、それ、いくない、俺が悪い」ゴローの言葉に俺は首を振る。
「ゴロー、俺は今戦いたいんだ。せっかく、公然と相手をぶん殴れる機会だろ。やらせてくれ」
今まで幾度も戦場に立ってきたが、自分の意思で戦いたいと思ったのは初めてだった。俺の中で今まで押し殺してきたものが、あふれそうだった。仲間達が理不尽に倒れて死んでいったとき、くだらない監督官の命令でいたぶられていたとき、俺はずっとこの感情と向かい合うことを許されていなかった。
平原でナンバーズと魔獣が戦っていたときのことを思い出す。数字が一つずつ減っていくのを見たときのことを。俺達は、ここではただの数字なのか。あのときのどうしようもない無力感が今、俺の血を沸かせていた。
たとえ、数字でも、みせてやる。意地というものを。




