第31話
ケットの砦は奇妙な作りの砦だった。本来の砦だったらしい古い建物と、その周りを囲う新しい壁、それにどう見てもこの世界にそぐわないコンクリートでできていると思われる建物が同じところに存在していた。そういえば、俺達が最初に生活していた場所にも無粋なコンクリートの建物が建っていたな、と今さらながらに思い出す。
俺達が割り当てられたのは、板壁の側に立てられた隅っこの天幕だった。周りはナンバーズ達だらけで、”幽霊“部隊のすみからしく静まりかえっている。
リースは監督官ということで、旧砦の部屋を与えられた。
「サクヤを連れて行くわ。こんな男所帯に彼女を置いておくわけにはいけないから」
ナンバーズには男女の区別はないのだが、リースはサクヤと俺達を分けることにこだわった。
彼女たちの部屋に案内される前、リースは俺達を隅に連れて行って念を押す。
「あんた達、することはわかっているんでしょうね」
「もちろんだ」俺は自信を持って答えた。「あたりを偵察して、いざというときの逃走経路を探しておくんだろ。まかしておけ」
「…なに? それ」
「いや、間違えた。あたりを警戒して、あやしいところを調べてまわればいいんだな。夜になったら休んで、明日の朝一でまた見回りと訓練を…」
「騒ぎを起こさないでちょうだい。くれぐれも変な行動はとらないように」
リースはあきらめたように下を向いてため息をついた。「ゴロー、シーナが暴走しないように見張りを頼むわ」
ゴローは、小さな笑みを浮かべてうなずいた。表情を取り戻してきたゴローは、いい男ぶりが増してきている。
俺とゴローはリース達が立ち去るのを待った。
それから、距離を置いてリース達の跡をつける。
「彼女たちの位置を把握しておくことは何よりも大事だ。俺達の監督官に何かあったら、大変だからな」俺のもっともらしい理由付けにゴローは素直に従ってくれる。
リース達が案内されたのは、どうやら付き人や召使いの女達が集まっている建物のようだった。さすがにその中に入るのはあきらめて、その場所だけを確認していく。
監督官達が集う場所は外側のナンバーズの天幕が並ぶところに比べて、ずいぶん活気があった。護衛のナンバーズ達がいる以外はほとんどが監督官か、それに仕える人ばかりだ。酒場に武器や防具を扱う店、雑貨屋、ほとんどが即席だが町の機能はすべてそろっていた。俺達は、馬屋の位置や、出入り口を調べてまわった。外套をかぶって歩く俺達のことを気にするものなど誰もいなかった。ここにいる監督官達はナンバーズ達のことをよく知っていた。だから、まさかナンバーズが勝手に出歩いているとは誰も思っていなかっただろう。
最後にたどり着いたのは、場違い観も甚だしい灰色の建物の並ぶ場所だった。まるでナンバーズ達の天幕を監視するように丘の上に建てられた建物の周りにはあまり人がいなかった。夕暮れ時という時間帯もあるのかもしれないが、残光に照らされた無機質な建物は不気味だった。
「駄目だ。見張り、たくさん。近づくの、無理」
ゴローが建物の入り口を伺って首を振る。
そういえば、あの手の建物はナンバーズは立ち入り禁止を申し渡されていた。ああいう建物の中で、俺達はマフィの村に行くことを命じられたのだった。あの中で一体何を行っているのだろう。まるで何かの研究施設のようだった。俺はいやな予感を振り払った。
「仕方ない。裏を見て回ろう」
俺達は表から潜入することをあきらめて、建物の裏手に回った。建物はぐるりと灰色の壁で囲まれて侵入できそうな入り口は見当たらない。建物の裏は、驚いたことに畑になっていた。見たこともない青々とした草のような作物が植わっている。見たこともない作物だ。たとえていうならば、濃い緑色をした巨大な葉の開いたキャベツだった。それが延々と列にそって植えられている。
「なんだ、これ」
俺はしゃがみ込んでその葉を観察した。手を伸ばして、一枚葉っぱを引き抜いてみる。
触った瞬間怖気が走った。植物の感触があるのに、引き抜くのに肉を剣で断つ時のいやな感覚を思い出した。切り離した断面から白い草の汁がにじみ出て、指にこびりついた。まるで血だまりに手を入れたような気がして俺は慌ててその葉を払い落とすと、指をぬぐった。
「あんた達、何をしてるんだ」
俺達の後ろでマフィの村にもいそうな簡素な服を着た男が立っていた。
「ああ、道に迷ってしまった」俺は冷や汗をかきながら、見え透いた言い訳をする。
「ここは、一般の人は立ち入り禁止だぞ」
男は俺達をせかすようにしてその場を立ち去らせる。
「ここに入っているのが見つかったら、処罰されるぞ」
「そうなのか? 珍しい植物が植えられているので気になってみていたんだけど」
俺は純朴な農民に見えることを願いながら、愛想笑いを浮かべる。
「あれは、あいつらの餌だ。人の食うもんじゃない」
男は魔除けの印をきりながらそう答えた。
「あいつらって?」
「あいつらだよ、“なんばーず”の餌だ」
男は俺の耳元に口を寄せて、ささやいた。
「いいから、早くここを立ち去るんだ。あんな、呪われた植物、側によるんじゃない」
俺達は背を押されるようにして敷地から追い出された。
「いいか、二度と来るんじゃないぞ」男は俺達に警告した。「あの畑は呪われている。精霊の加護を失いたくなかったら、二度とあそこに足を踏み入れるな」
男は親切で忠告してくれていた。そのことが、俺の背筋を凍らせる。
立ち去り際に俺はそっと畑のほうを振り返った。畑は黒々とした暗闇の中に沈み込んでいた。
次の日、リースがやってきたときには俺達は隅のほうで訓練をしていた。
側では他のナンバーズ達が同じように訓練をしていた。ナンバーズの訓練はとても静かだ。
運動をしているから熱量は高いのだが、人の発する熱意という物はほとんどない。ただ機械的に運動を繰り返しているだけだ。
見たところ、普通の二桁ナンバーがほとんどで、コルトの率いていたような変わり種はあまりいないようだった。俺達のような一桁ナンバーはここにはいないようだった。ひょっとすると俺達が3ナンバーの最後の生き残りかもしれなかった。
やってきたのはリースとサクヤだけではなかった。
表情を殺したサクヤの後ろにいるトゥミとかいう婚約者を見て俺も表情をけした。今まで同じ動きを繰り返してきました、といわんばかりの決まり切った型を行う。
「ありがとう。トゥミ。これからこの子達の様子を見るから、あなたも自分の子達のところへ行ってちょうだい」
リースは保護者然として付き添っている男にそういった。
「すごいな、リース。これは命令しなくても自分で訓練をするんだ。僕のナンバーズは命令しないと何も動かないよ」
「この子達は、日課が決まっているの。毎日同じ日課をこなすように命令しているから」
リースはめんどうくさそうに説明する。
「旧型なのに、えらいなぁ。それとも、旧型だからそういう命令ができるんだろうか」
そんなの、知るか。日課などこなしてもいない俺はまじめにやっているふりを続ける。今日は朝早くから、監督官の従者のふりをして食べ物を買いだししてきたのだ。この前魔石を大量に集めてきたのが役に立っていた。店の男達は、俺が従者であることを疑いもせずに、食料を売ってくれた。同じような用でうろうろしている人がたくさんいたから、それに紛れれば正体が暴かれることはまずないだろう。
トゥミがうれしそうに手を振りながら去って行く姿を見送って、リースは初めて俺達のほうへやってきた。
「昨夜はどうだった? 怪しまれるような真似はしていないでしょうね」
用心深く天幕の入り口を閉めてからリースは俺とゴローにきく。
「それは大丈夫だ。誰も俺達のことを疑うものはいなかった。そちらはどうだった?」
俺はリースが余計な気を回さないように、急いで質問した。
「聖女様に呼び出されたわ。今日の夕方、あなたたちも一緒に連れてくるようにというご命令よ」リースは胡散臭そうな目で俺を見る。「あんたって本当に聖女様のお気に入りなのね。昔からの知り合いなんでしょ。あ、返事はいいから。あんたみたいに口答えばかりする人のどこがいいんだか」
「俺は口答えなんかしてないぞ。ただ疑問点を聞いているだけだ」
リースはそんな俺の前にドサリと例の糧食を置いた。
「はい、あんた達の食事。5日分はあるわ…ところで、ちゃんとご飯をあなたたち食べているのかしら」
「もちろんさ」俺は天幕の中に置いてある食料が背中で隠れていることを祈った。「な、ゴロー、ちゃんと食べているよな」
ゴローはうなずいた。
「最近、誰かが食料をくすねているという話が監督官の間で話題になっているわよ」リースは俺に疑いの目を向ける。
「そうか、それは困ったことだね。泥棒に気をつけないとね」俺はうそぶいた。
「悪かったと思っているの。あなたたちの食事のことまで気が回らなくて。でも、いくらおいしくないといっても、盗みはよくないことよ。盗むのは論外。これからは泥棒なんて現われないわよね。シーナ」
「もちろんだ」
ここには店がある。正当に対価を払って買うことにするよ。俺は熱心にうなずいて見せた。
「それはそうと、リース」俺は糧食のパウチをいじりながら聞いてみた。「リースは今までに、これと似た入れ物を見たことがあるか?」
「? このあんた達用の入れ物のこと? ないわよ。初めて見る形だったわよ」
「この入れ物につかってある包み紙のような物は、見たことがある?」
「いいえ。コルト様に渡されたとき初めてみたわ」リースは包みを一つつまんで触ってみる。
「面白い素材よね。それがどうかしたの?」
「いや、ちょっと聞いてみただけだ」
ここにはあり得ない品物の一つだ。俺は昨日の植物を思い出した。あれも、ここにはなかった物なのだろうか。呪われた植物、呪われた糧食、呪われた人形…召喚された兵器…
「そういえば、ディーも同じことを聞いてきたわ」リースが思い出したように付け足した。「コスの都に行ったときのことよ。これがあなたたちの食事だと行って見せたら、とても興味を持って調べていたわ。中身がなんなのか、とか、原料がなにか、とか。この入れ物についてもいろいろ聞かれたの」
そうか、ディーも違和感に気がついていたのか。というか、こんなに変な物があったら彼女ならなんなのか知りたがるはずだ。これが変なことに気がつかなかったのが不思議なくらいだった。はじめから渡されていたから、前からここにある物のような気がしていたのだ。
「それからもう一つ、伝えておかなければならないことがあるわ」リースの顔が引き締まった。「これから、大規模な戦闘が起こるかもしれないの」
「まさか、俺達も参加しろとかいう話じゃないだろうな」
リースは首を振る。
「さすがにそれはないと思うわ。だって、こんなに少人数では役に他立たないもの。でも、噂では関のあたりが戦場になるんじゃないかって」
「マフィの村の上にあるという、あそこか」
確かコルトが偵察を出していた場所だった。昔マフィ村からそこに抜ける道があったと確かいっていた場所だ。
「帝国軍の正規軍があのあたりで頻繁に目撃されていて、あやうく戦闘になりそうになることが頻発しているんだって。帝国のかなり有名な将軍が来ているという噂もあって、本格的な戦闘が行われるのではないかといわれているの」
「あれ? でも、クリアテス教は帝国軍とは戦ってないんだよね。王軍と戦っているんじゃなかったかな。だったら」
「そう。帝国はクリアテス教の軍隊は相手にしていない。属領内のごたごたとして、正規軍は静観している、はずなんだけど」
「ここが最前線になるかもしれない、ということか」
ますます何かあったときに逃げる手段を確保しておかなければいけないということか。俺は昨日歩いた砦の中をおさらいした。どうせ、俺達のような廃棄物は真っ先に使い捨てにされるに決まっている。そうされる前にさっさとこんなところはおさらばだ。まずは、馬を確保して、それから…。
「おや、リース。誰かと話しているのかい?」
突然天幕の入り口が開けられた。
トゥミの顔がひょいとのぞいた。




