第30話
馬なら一日もかからず行ける距離の砦だったが、行軍には時間がかかった。
というのも、近隣の村に滞在しては進み、滞在しては進み、目的地になかなか到着しなかったのだ。
基本、俺たち“幽霊”は村の外の天幕で時間を過ごす。その間、監督官と聖女様はクリアテス教の布教に力を注ぐというわけだ。
「このあたりに残っている人はアルトフィデス派の人が多いからね」リースはそう俺たちに説明した。「うちの兄貴を送り込んできたみたいに、この辺り出身の人を連れてきているみたい」
みそっかす監督官のリースにはこういう宣伝活動にはほとんど出番がない。俺たちと一緒に野営地の隅で時間をつぶす。
問題になったのは食料だった。クリアテス教軍はきっちり一人分の食事しか用意してくれなかった。俺たちの食事はあのまずい糧食が配られる。あれを毎食、飲めというのは、虐待だ。仕方なく俺たちはこっそりと食料を集めに周りの森や草原に出かけた。いくらゴローが腕のいい狩人とはいえ、三人分の食料を集めるのはかなり厳しいものがある。
俺たちは悪いと知りながらもこっそり食料を補給の馬車からいただくことを覚えた。まさかナンバーズが盗みを行うなどとは想定していなかったらしく、補給品を積んだ馬車には見張りなどついていなかった。良心は痛んだが、空腹に負けた。リースには悪いが、飢え死にするわけにはいかないのだ。
そもそもあの糧食は何なのだろう。今まで疑問なく飲んでいたが、あれは俺たちの世界にあるレトルトパウチそのものである。口をひねって開けるところもドリンク剤そのものだ。こちらに来てからああいうねじ式の蓋は見たことがない。素材もデザインもコンビニで売っているエナジードリンクの包装だった。
今度、リースにあれと同じものがここにあるかどうか聞いてみよう。そう思いながら、俺は鍛錬を行う。
剣を振っているとき、頭によぎるのはこの前一緒に戦った帝国の男だ。自分のことで手一杯であまり見ることはできなかったが、あの男の剣は流れるような美しさがあった。どうしても後手に回る俺の無様さとは違って、未来が見えているかのように的確な剣さばきだった。もう一度彼が戦っているところを見てみたい。そんなことをつい考えてしまう。
あれに比べれば、ナンバーズの剣は武骨で洗練されていなかった。俺たちのような下位種も上位種も腕力や速さといった要素を除けばほとんど型は変わらない。エルカさんに教えてもらった精霊を使う強化方法を身に着けて、あの男のように無駄のない剣捌きができれば、上位種との力の差はなくなるのではないか。
確か、こんな動きだった。俺は、色々な動きを試してみる。
『ずいぶん熱心なのね』
振り返ると、由衣が笑っていた。一瞬、幻かと思った。
俺は夢の中で何度も同じような光景を見てきたからだ。友達や家族がいつものように俺に話しかけ、こんな場所のことを中二病だと笑い飛ばしてくれる、そんな夢だ。
俺は返事をしかけて、口を閉じた。彼女の後ろには、明らかに護衛とわかる人間が立っていた。長身の黒髪の男だった。剣を腰に下げ、身に着けているものは俺のものより段違いに質のいいものだった。貴族だ。あからさまにそうとわかる育ちのよさそうな男だ。
『彼のことは気にしないで。椎名。彼はわたしの護衛よ』
そういわれても、俺は口を開く気にならなかった。後ろの男は明らかに俺に敵意を持っていた。これは不当なことだと感じている彼の憤りが波のように押し寄せてくる。
「下がりなさい。アミ」由衣は後ろの護衛に命じる。
「しかし、ユイ様。これとなにをされるおつもりですか」
「下がりなさい。彼は私の友人よ」
俺は聖女の後ろで顔をゆがめた男を見てしまった。憎しみと憤りが端正な彼の顔を醜いものに変えた。感情を見せない仮面を顔に張り付けておくのに苦労をする。
男の感情を知ってか知らずか由衣は俺に微笑みを見せた。
男はこちらをにらんだまま後ずさりするようにして、後ろに下がる。
「アミ、このことは他言無用よ。誰にも教えてはだめよ。いいわね」
「仰せのままに、ユイ様」
彼は歯を食いしばるようにして返事をすると俺の視界から消えていった。俺は彼が十分に離れるのを待ってから、小声で由衣と話す。
『由衣、これはまずいよ』
『どうして? 私があなたと会ってはいけないというの』
『ここでの立場というものがあるだろう。お前は“聖女様”で、俺は“ナンバーズ”だ。会いに来てはいけない』
『あら、あなたもわたしも“プレイヤー”よ。彼らはしょせんこのゲームの世界の“モブ”じゃない』由衣は背伸びをした。『ああ、くたびれた。ここの人たちは儀式が好きなのよねぇ。わたし、堅苦しいの、嫌いなんだけど』
『なぁ、なんで、俺たちを同行させたんだよ』
俺は限られた時間の中でどうしても聞いておかないといけないということをきいた。
『あなたの呪を解くためよ』あっさりと由衣は答えた。『あなたには確かに変な呪がかけられてる。今のわたしのレベルでは解けないのよね。だから、正則に相談しようと思って』
『正則って、国元君?』
『そう、国元よ。彼、大監督官とか言ってナンバーズ計画を取り仕切ってるのよ。あったら驚くわよ。彼、爺さんになってるから』楽しそうに由衣は笑う。
『はい?』
『だから、爺さんよ。もう孫が何人もいるんですって。そういえば、この前ひ孫を抱えてたわ』
『…同い年だろう。俺たちは』
『向こうではね』こともなげに由衣はいう。『でも、彼は転生の時期が早かったの』
『……転生といわれても、俺にはよくわからないのだけど』
『椎名、本を読まない人だったわよね。転生っていうのは、そうね、生まれ変わりみたいなものよ。ほら、輪廻転生っていうじゃない』
『それは仏様の教えだろう。ここに仏がいるとは思わないぞ』
『例えばよ。一番概念的には近いかなって』
由衣は倒れた木に腰を掛けた。そして俺に隣に座るように促す。俺はしぶしぶ腰を下ろした。
『私もわからないわ。実のところ、転生かどうかすらわかってないのよね。記憶だけ寄生している感じかしら。わたしの記憶がよみがえったのも最近のことだし』
俺は向こうではやっていた転生物のアニメを思い出した。どんな話だったか…
『転生って言ったら赤ん坊からやり直しじゃないのか?』
『違うみたいね。目覚める時期はまちまちだけど、大体大人になってから記憶がよみがえっているみたいだから』
『その前の、よみがえる前のお前はどうなってるんだよ。その、ユイという子はどうなった?』
『それが、あいまいなのよね。こちらの生活習慣とか言葉とか、人間関係とかは覚えているのだけれど。ユイという子の存在は感じないわね。どこかへ消えちゃったみたい。どうなってるのかしら』
おいおいおい、そんなことでいいんだろうか。あまりの適当さに俺はどこから質問したらいいのか、わからなくなった。
『ねえ、椎名、さっきまでやってたのは何?』突然由衣が近寄ってきた。
『ああ? 単なる剣の稽古だよ。ナンバーズの型稽古だ』
『そうなの? そんなのがあるんだ、知らなかった』由衣は無邪気に笑って、俺の服からごみをつまんだ。『まるで、流れる水みたいで、とてもきれいだった』
『おいおい、お前のナンバーズだって、稽古をしているだろう』
『たぶんね。あれは訓練しろといったらするから、してるんじゃない』由衣は関心がなさそうだった。『私についているのは治療師のナンバーズだから剣の稽古はしていないかもね』
『なぁ、由衣、この前お前についてた護衛のナンバーズだけれど…俺たちの会話をずっと聞いてただろう? 何も感じなかったのかな?』
『???? なんのこと? 』
『だから、あそこでずっと控えてた子たちは俺たちのことを見てただろう。だから…』
『見られていると思ったの? 椎名、大丈夫よ。あれは“ナンバーズ”だから。彼らは何も感じないし、見ていたことを理解もできないわ』
いや、そういうことではなくて。俺が言いたいのは…。俺は気が付いた。由衣もまた監督官なのだ。彼らにとって“ナンバーズ”はただのものなのだ。
『そうではなくて、でも、俺も“ナンバーズ”だろう』
それでも、由衣はわかってくれるかもしれないと思った。彼女は向こうの世界のことを知っている。人を人として尊重しろと教えられてきた世界で育ってきた。だから…。
『椎名、あなたは“プレイヤー”よ。なぜか、“ナンバーズ”に紛れ込んでいるけれど、“プレイヤーだから特別なの』
それは違う。俺はサクヤとゴローのことを説明しようとした。俺よりは緩やかであるが、彼らは人間性を取り戻しつつある。呪を緩めたら、彼らは自我を取り戻した。話すことを覚え、自分で考えて行動できるようになった。ひょっとしたら、昔の記憶もよみがえってきているのかもしれない。
俺が特別なのではない。“ナンバーズ”は人だ。だから、由衣の護衛たちもまた…
『だって、ナンバーズは人ではないもの』しかし、由衣は当たり前のように言う。『ナンバーズは人であってはいけないのよ。あなたも知っているでしょ。人の召喚は禁じられているもの』
『え?』
『知らなかったの? 人の召喚は禁忌の技なの。ここでは禁じられているのよ』
『でも、だけど、実際にナンバーズは召喚されて…』
『ナンバーズの召喚は工場でロボットを作るようなものよ。高度なAIを搭載した家電製品みたいなものね。あなただって、お掃除ロボットがいかに高度な動きをするからといって人間だとは言わないでしょ。ル〇バ君って呼ぶけどね』
俺は反論しようとした。
「ユイ様、ユイ様、村長が呼んでおります」先ほどの男の声が聞こえた。
『もう、せっかく話しているところなのに』由衣はむくれる。
「ユイ様、お急ぎください」
「わかったわ。今すぐ行きます『じゃぁね、またね、椎名』」由衣は軽く俺を抱擁して立ち上がる。
『今度はリースを通じて俺を呼んでくれ。そのほうがなにかと、角が立たない』
先ほどの男の表情を思い出して俺は由衣にささやいた。
『わかったわ』由衣はにこりと笑うと、手を振った。
『あと、最後に一つ、由衣はルーシー・マーチャントという人物を知っているか?』
『ルーシー? 誰、その女の子…』
『いや、知らないのならいい』
由衣は首をかしげながらも踵を返して、心配そうにこちらを見つめている男のところへ歩いていく。
男は俺のほうを一にらみをして、それから恭しく由衣の手を取って先導を始めた。
俺はそれを見送りながら、剣の稽古を続けようとした。だが、どうも集中できない。
何かがおかしいと思った。由衣のいっていることがおかしい。彼女は俺のことを自分と同じような存在だと思っている。このゲームのような世界に召喚された”プレイヤー“という役割だ。だけど、実質的に俺は”ナンバーズ”という使い捨ての駒のような役割を負っているただの道具だ。少なくともクリアテス教の中では。
由衣の中ではそれが違和感なく同居していた。
周りがそんな目で見ていないことは先ほどの騎士の反応を見ていてもわかる。
彼らにとって俺は”ナンバーズ“、剣や鎧と等しい存在で、だからそれに”会いに行く”などという行為はおかしいのだ。由衣は彼らになんと俺のことを説明したのだろう。彼女と、彼女の周りにいる侍女や騎士との見方が違っていることに気がついていないのか。それとも、気にしていないだけか。
ともかく、何かが変だ。
なにがおかしいのだろう。何かが狂っていると感覚的にわかっていながら、それが何かわからない。
俺は何食わぬ顔でリースのところに戻った。天幕の中ではリースがこっそりとサクヤとゴローに文字を教えていた。彼らは俺と違って文字が読めない。読んだことがないというよりも、彼らの”前世“で使っていた言葉や文字と、ここの文字が違っているということらしい。
二人とも文字があるということは知っていたし、サクヤのほうは確実に彼女の言葉の読み書きはできたようだ。
なぜ、俺がここの言葉を読み書きできるのか。それも謎だった。日本語とは明らかに違う言語を俺は操っている。翻訳というレベルではない。俺はこの言葉も母語として認識しているのだ。
「あ、おかえり。怪しまれなかった?」
「今日は聖女に会ったよ」俺は外套を脱いで、座り込む。
「ちょっと、誰かに見られなかったでしょうね」
「彼女は護衛を連れてきていた。そいつは見てたな」
「見られてるんじゃない。聖女様、大丈夫かしら。あんたもう少し、考えなさいよ」リースは憤慨する。
「仕方がない、あちらから声をかけてきたんだ。俺はあいつの考えていることがよくわからない。昔からわけのわからないことを言うやつだったけど、今もさっぱりだ」俺も同意する。
「ちょ、聖女様にそんな言い方はないでしょう」リースが慌てて俺の口をふさごうとする。
「え? 聖女ってそんなにえらいのか」俺はてっきりアルトフィデス派内のディーくらいの地位だと思っていた。
「馬鹿ね。クリアテス派の聖女様といったら、コサの大司教様くらいの地位よ」
「ああ、あのおばさんかぁ」
即座にリースに殴られた。暴力反対だ。俺は何も悪いことは言っていない。あの年だと、どうみてもおばさんだろう。お姉さん、といったらかえって嫌みなんじゃないか。そう抗議すると、ぴしゃりと口を開くなと命令された。
その次の日にようやく俺達はケットの砦にたどり着いた。




