第24話
俺は結局階段を降りることができなかった。
入った二階の窓から外に出て、その足でいつもの馬の世話に向かった。
リース、泣いていたよな。俺は、階下から聞こえてきた音を思い出して気が重くなる。
正直、何を話していたのか内容が理解できなかった。でも、この村の人たちがリースの兄を事実上拒絶したということだけは確かだ。
兄も、何か目的があってこの村に戻ってきたのだろう。帝国軍といっていた。たしか、ここも帝国の属領の一部だったのではなかったか。
「なぁ、キーツ、どうして帝国の兵隊がいたらそんなにまずいんだ?」
俺は、同じように馬の世話に逃げ込んだキーツにたずねた。
「ここは帝国だろう。えっと、属領なんだっけな?」
「今、この属領内部で争っているというのは理解しているな」
キーツは困った奴だという顔をしながら説明してくれた。
「クリアテス派と王軍だったかな」キーツは首を振る。
「クリアテス派の問題が絡んでいるとはいえ、この争いはクリアテス国の王位継承権争いだ。正妻の子である第一王子と、追放された第二婦人の子である第三王子の争いなんだよ。帝国は属領王家内部の問題として直接の関与はしない建前だ。でも、王軍を率いている第一王子の母親は帝国皇家に連なる帝国貴族で、クリアテス派側の第三王子の母親はアルトフィデスの姫だった。帝国がどちらに荷担するかといえば、王軍側だろ」
「それで、軍を派遣してきたという訳か」
「元々、帝国軍はいるんだよ」キーツはため息をつく。「だけど、どうも新しい部隊が派遣されているらしい」
「王軍のほうに露骨に肩入れを始めたというわけなのか。なるほどね。でもそれがどうしてナルサムがこの村を守ろうとすることとつながるのか?」
「? それはどういう意味だい」
「このあたりはクリアテス領なのは昔からだろう。今さら、焦って彼が戻ってくる必要はないと思うんだ。そもそもここは俺達のような廃棄寸前のナンバーズが送られてくるような外れの地域だろう? クリアテス派には重要視されていなかったということだよな。それにどちらかというとこの村はアルトフィデスの影響が強いと俺は思うんだが、何か事情が変わったのかな?」俺は頭を巡らせた。「そういえば、さっきディーがいっていた王軍との手打ちという噂は・・・」
「シーナ、もういい」キーツがらしくない口調で俺の話を遮る。「それ以上いうな。おまえはこの話を立ち聞きしなかった。おまえはそんな噂は聞いていないし、余計なことは知らない。こういう話はおまえが首を突っ込んでいい話じゃない。お子様は、お子様らしくしておけばいいんだ」
いきなり子供扱いされて俺は口をへの字に曲げた。
「お子様って、俺はおまえと近い年齢のはずだ。人をガキ扱いするな」
「おまえの体は、たしかにな。でも、頭の中身は空っぽだろう。余計なことに口出しをしない方がいい。忘れるな。クリアテス派にとっておまえはただの道具だ。変な行動をとったらそれこそ処分されるぞ」
最後の警告は本気だった。背中に隠した短剣に片手がかかっているそんな空気を感じた。俺は反射的に身を震わせた。
言い過ぎたと思ったのか、キーツは口調を和らげる。
「シーナ、おまえはここのことを知らないんだから、変な心配はしなくていいんだ。帝国軍のことは村の人たちにはいうなよ。ただでさえ、“幽霊”が来て不安なところにそんな噂を広めたら、大変なことになるだろう」
「わかった」
俺は納得いかないながらも、口先ではそう返事をした。そういうしかないと思った。
ナルサムは結局“幽霊”部隊を村の中に入れることはなかった。
彼は村の境界の外で訓練を行ったり、見回りをしたりしているようであった。
俺は時々キーツやディーに連れられて、その様子をうかがいにいった。
ナンバーズの訓練はとても規律正しかった。一糸乱れぬ行動というのはこういうものをさすのだろう。激しい訓練のはずなのに、誰一人として不満を漏らさず、黙々と動く。それは馬も同じだった。機械仕掛けの馬のように正確に、彼らは騎手の命令に従った。どんな複雑な陣形変化にも惑うことなくついていく。
以前の騎手はこんな動きはしていなかった。騎手はナンバーズでも馬は今俺が世話をしているような馬だったから、時々騎手を落としてどこかに走り去る馬もいたものだ。馬さえ強ければ、もっとナンバーズの力が発揮できるのにと監督官連中が話していたのを聞いたことがある。
それで、馬も召喚することにしたのか。
馬だけではない。ナンバーズは強くなっていた。上位種は俺達よりもずっと素早く、力があった。エルカさんに教えてもらった精霊をまとう強化方法をつかっても互角に戦えるだろうか。騎兵種、歩兵種の相性をさっぴいても、彼らと一対一で勝のは難しいと思う。地力が違いすぎる。そう俺は感じていた。
俺はエルカさんに教わった戦い方を何度も何度も反復した。精霊を使うかなり特殊な戦い方だとキーツはいっていた。俺のように“見えて操れる”人限定の戦い方らしい。
「アルトフィデスの聖騎士、それも一部だけが使いこなせる技なんだよ」キーツは説明した。
「俺達や、帝国の連中も、普通は呪を使う。型があるだけ、簡単だからな」
「そうなのか?」俺にはわからない。
「精霊は人によって見え方が違う。おまえがどう見えているのかわからないけれど、人によっては小さな人型に見えたりするらしい。サクヤみたいに声をきくものもいる。どうしてもその人の感覚に左右されるから、教えられてできるようになるもんじゃないんだよ」
確かに、教えられてはいないな。体が覚えるというのか、なんというのか、エルカ姐さんにそれこそ叩き込まれたのだ。俺は死ぬかと思った過酷な訓練のことを思い出してしまう。
「そんなに、数が少ないのか?」
「ああ。そもそも精霊を呼び出せる加護の力があるものが少ない。その上、戦いの技量も必要とされる。ただでさえ数の少ない精霊使いの中でも、戦える人間は多くない」
「エルカ姐さんは、あれは……」
「姐さんはなぁ、あれは有名な加護持ちの家系だからなぁ。……人外だから、気にするな」キーツも彼女に関しては多くを語らなかった。
ふわふわした玉を身にまとうのはなかなか難しかった。ずっと訓練はしているのだが、なかなか制御するに至らない。
精霊の制御という点ではサクヤのほうが遙かにうまかった。何しろ鼻歌一つであの玉が沸いてくるのだ。彼女も戦えるし、精霊も呼べる。よほどエルカさんの師事を受けるのにふさわしいと思う。
「シーナ、もっと、ゆったりと。そんなに、いらいらしてたら、玉はこない」
サクヤが俺のほうにきれいに連なった玉を送って寄越す。
「くそ、この野郎」俺が感情にまかせて枝を振り回すと、玉はどこかへ飛んでいった。
「どうやったら、うまくできるようになるんだろう」
俺はぼやく。これができるようにならないと、俺はエルカさんに何をされるかわからない。あの大女が今にも後ろから現われそうで、俺はびくびくしている。
しかし、なぜ俺はこんなに熱心に訓練をしているのだろう。自分にも説明のつかない衝動に駆られて、俺は鍛錬をする。
「ごろーはどこー」
まただ。また邪魔者が現われた。まじめ俺とサクヤが練習しているところへ俺の嫌いなガキどもが現われた。
チビどもは最近また俺の周りにも現われるようになっていた。
「今は訓練中だ。危ないから、来るな。がきんちょども」
そういっていつも追い返しているのに、こうしてゴローの居場所を聞きに来る。それだけならまだいい。
「ねぇ、ねぇ、しーなはりーすと、なかがいいの?」
「仲よしなの? ねぇ、ねぇ」
あの祭りの日以来だ。よくわからないが、このチビどもは俺とリースの関係を誤解していた。どうすればそういう思考回路になるのかわからないが、ことあるごとにそうやって俺をからかいに来る。大人をおちょくるのはやめよう。な。
「俺とリースはただの雇い主と雇われだ」
「しーな、ゆうれいなんだよね」「ゆうれいのくせに、リースとつきあってる」
「ねぇ、ちゅーしたことある」
「ない、ない。どこで誰がそんな根も葉もない噂を」そうやって俺が怒って彼らを追い回すまでが新たな日課となっていた。
「さくやー、ひめさまー、しーながわるい」分が悪くなると、彼らはサクヤの後ろに隠れる。
「しーな、こわい」「こどもをいじめるわるい奴」
「シーナ、子供をいじめるのはよくない」
後ろに子供をかばったサクヤがまじめな顔をして注意する。
「いじめてない。あいつらが、勝手に絡んでくるだけだ」
俺は懸命に言い返す。ほら、サクヤ、見てごらんよ。あいつら、見えていないところで俺のことを挑発してるよ。
リースは、あれからしばらく落ち込んでいたが、だいぶ元気になった。ナルサムのところへちょくちょく食料を持っていったり、話をしにいったりしているようだ。
「大丈夫かな」あれからすぐに俺はディーにリースのことを相談した。
「大丈夫よ。リースは強い子だから、すぐに立ち直るわ。ナルサムとの仲だってすぐに修復できるわよ。だいたい今回のことはあの子が悪いわけじゃないでしょ」
そうだ、おまえが悪い。リースと兄の仲を引き裂くような真似をしたのはこいつだ。だいたい村の人たちもナルサムには悪感情を持っていないようだった。それなのになぜ、あんなに突き放したのだろう。
「仕方ないわ。クリアテス教とアルトフィデスの聖霊教会は相容れないから」
「どこがだ。どっちも同じ精霊信仰なんだろう」
「クリアテス派はそうだったわ。でもクリアテス教は違う。彼らは、クリアテス教と名乗った時点でわたしたちとは違うのよ」
俺には全く違いがわからなかった。
「それに、わたしたちはナルサムが村に入るのは許可してるのよ。駄目っていってるのはあの兵隊だけじゃない」
「でも、あの兄貴、村によりつかないじゃないか。大丈夫かな」
ディーはあまり心配していないようだった。
「そのうちにやってくるわよ。まぁ、みてなさい」
実際、心配する必要なかった。最初はリースと一緒に、それから単独でナルサムは村に戻ってくるようになった。監督官という仕事の手前、長居をすることはできないもののちょくちょくリースの家の周りで見かけることが多くなった。
俺はほっとした。よかった。兄弟の中が決定的に壊れてしまったらどうしようかと思っていた。




